2021年 3月 京都童心の会 通信句会結果
【選評】前半
○野谷真治特選
101 氷湖には目玉焼きを敷き詰めて 裸時
氷った湖に敷き詰めた目玉焼き。この発想が捨てがたく、特選にした。たくさんの目玉焼きをイメージすると、気になって、たまらなくなってしまった。
○裸時特選
7 この石は山のおへそよ山笑う 金澤ひろあき
石がおへそという夢。石を取ったら山は萎むだろうか?
○青島巡紅選
特選
17 由良の戸の鉄橋渡る余寒かな 中野硯池
京都府宮津市を流れる由良川の河口に架かる鉄橋を行く列車に乗っている。上句の「由良の戸」から小倉百人一首46番「由良の戸をわたる舟人楫をたえ行方もしらぬ恋の道かな」を下敷きにして作られているのが判ります。内容は失恋歌で、異性を失くして悲しい、どうなるのか判らない、不安であるという本歌を拡大解釈すると、異性以外、兄弟とか妻子供、家族を失くして(or 亡くして)悲しい、生きていれば一緒に生きて行く道筋が見えていたのにそれがない、不安だ。「余寒かな」となります。寒が明けてもまだなお寒さが残っている状態が「余寒」。時間が経っても喪失感は消えることはありません。勝手な深読みかも知れませんが。上記を肯定する理由として、童話「安寿と厨子王丸」です。二人は丹後由良湊に売られ、彼らの母は佐渡に売られて行った。成人し報恩と復讐を果たした厨子王丸は「安寿恋しやホゥヤレホ。厨子王恋しやホゥヤレホ」と歌う盲となった母を見つけ出し、嬉し涙を流した母は目が開く。こんな物語の舞台でもあるので、家族の中で永遠に失われた人まで範疇に入れてもと思いました。言わば、死ぬまである意味、魂の放浪者となった人の作品です。
並選
① 4 そもさんせっぱ暗坂の雪催 野谷真治
「そもさんせっぱ」と言う掛け声と「雪催」が表す空模様による臨場感があります。子供の頃、雪が降り出す瞬間を見てワクワクドキドキしたことを思い出します。
② 5 帽子と再会春一番の交差点 野谷真治
信号待ちしていると風で飛んだ「帽子」。でも逆風の春一番で戻って来た。「再会」となる。付喪神が宿るほど大事に使ってこられた「帽子」だったのでしょうか。
③ 10 死んでしまえば土一握り四月馬鹿 金澤ひろあき
死んでしまえば、はい、お終いと言っているようで、「四月馬鹿」で軽く反転させているところが上手い。例証、人は二度死ぬと言います。一度目が肉体の死、二度目は人々の心から消えてなくなる死。歴史上の人物の皆様は不滅です。次の例証、この世に未練ややり残しがあると生まれ変わる可能性が高くなる事を示唆した研究報告があります。例証は不要かもしれませんが、重い反語になっていないところがミソですね。
④ 14 陽炎や親に内緒のところまで 金澤ひろあき
大人には見せたくない、隠す必要はなくても背中の後ろに隠すようなことがふとした瞬間に発露する。逃げ水とも言われる陽炎は、密度の異なる大気が混ざり合って光が屈折して起こるもの。誰もが話を合わせている日常とは違うゆらゆら揺れる非日常が、まるで世界が隠している部分を露わにしているような感じがします。親や友人への隠し事に光が刺さる時も同じではないでしょう。
⑤ 16 定年後ゴジラとなって暴れるか 金澤ひろあき
定年までは手枷足枷を自らの意思でつけていた。それ以後は破壊神となってガオー。何かしら自分ならではの大仕事をしようと言うことでしょうか。「少年よ」ではなく「老人よ、大志を抱け」ですね。老後というと尻窄みやら諦観調の作品が多い中で、これからの老人スタイルになればいいですね。啖呵を切るでも宣言でもなく遊び心のある余裕も見えて、大人の作品です。
⑥ 20 椀種に一結びする鱵かな 中野硯池
お吸い物でしょうか。鱵が「一結び」されて春の一品として存在を主張している。読むだけでお腹の虫が鳴りそうな作品です。しっかりいただく時は味とその場所の雰囲気を堪能して味あわなければならないでしょう。
⑦35 息切れる手押し車に追いぬかれ 坪谷智恵子
手押し車を使っていない自分より使っている人の足の速さに負けて「息切れる」。自虐ネタのような感じですが、自分は自分の速さ、体力で良いという落とし所に入っていそうです。追い抜かされて一休み、そんなに急ぐと危ないですよと心の中で思っている、或いは足の衰えをしっかり受け止めてニコッと笑っていることが伺える作品。
⑧52 茎立ちの水菜に待てず蝶の舞う 三村須美子
「くきたち菜」という野菜が頭にあって、「水菜」の前の「茎立ち」が春の季語だと理解するのに少し時間が必要だった。頭が固くなっていますね。ですが、「水菜に」ではなく「水菜を」と思うのですが、どうでしょうか。とにかく茎立ちの水菜より先に蝶が春を満喫しているというポップな作品ですね。
⑨60 増す陽気空気出たがる葱の青 三村須美子
「陽気空気」の語呂の良さ、響きの軽さと「増す」「出たがる」という語の膨張感がマッチしいて良いと思いました。主婦というか台所に立つ人が春を感じる場所はこんなところにもあるんだと教えてくれます。
⑩ 62 干し大根もう漬頃とゆるびけり 宮崎清枝
毎年大根を干していて経験が教えてくれる。それが「ゆるびけり」と目に映る。農家の出身だった祖母は近所の畑を借りて野菜を作っていて、干し大根がぶら下がり並んでいるというのは懐かしい風景です。子供の頃の原風景を思い出しました。
⑪ 67 春寒や命の重さ老いて知る 宮崎清枝
季語に続く内容、上手いなと思いました。「命の重さ」に思いを馳せる瞬間は不意に訪れるものです。交通事故で奇跡的に助かったとか。なんにせよ、時間が無限に感じられた若い頃より、時間が有限に感じられる老いてからのほうがより身近に感じられるようになります。60代でまだ若いのにと言われて亡くなる人も少なからずいます。聞くと他人事ではなく感じられます。そういう一瞬を「春寒や」と言われたのではないでしょうか。
⑫86 卒業式各教室で黙って聞く 陰山辰子
講堂で通常行われることが粛々と教室で行われる、いや、聞かされている。去年、今年の春はコロナ禍最中。嫌な思い出でなく、色んなことが起こるのが世界だとユーモアを持って思い出せるものになることを願わずにはいられません。
⑬90 ここですよ沈丁花の香る 白松いちろう
花言葉は「栄光」「不死」「不滅」「永遠」。でも目立たないというか、大人しいというか、引っ込み思案な印象の花をつける沈丁花。気づいた人がここですよと指差して、あー本当だとなる。甘く爽やかな香りを発信している花がお辞儀して有難うございますといっている。そんな一コマを見事に捉えています。
⑭ 99 酔芙蓉女子の尻尾を握りしめ 裸時
「酔芙蓉」の花言葉は「変わりやすい」。女の子の心も変わり易い。花の色が一日で白からピンクに変わるように。だから「女子の尻尾」言い換えれば女の心の手綱を「握りしめ」ておかないと男の子としては気が気ではない。女の子にペースを乱され振り回される初心な男の子は大変だ。そんなことを詠んでいるのかな。蛇足、ファンタジーで解釈すると、獣人娘は尻尾を触られたり、握られたりするのが苦手というか嫌い。酔芙蓉をイメージさせるスカートかドレスを着ている猫族女か犬族娘の尻尾を、自分の気持ちに正直に行動した、人族の怖いもの知らずの男の子の冒険スタートシーンてなところでしょうか。
⑮103 前回に作った椅子が丈夫です 裸時
今回作った椅子はイマイチの出来に思える。前に作った物の方が良かったと思える。これは作品でも言えることではないだろうか。新作を人から良く言われても、自分の頭の中では過去のある作品の方が安定しているというか、思い入れが新作以上に深くなっていて、目から鱗がなかなか落ちないというようなことがないだろうか。旧作に脚を引っ張られていて、自分の中の新しい着眼点が見えてこない、そんな状況の比喩に思える作品。
【選評】前半
○野谷真治特選
101 氷湖には目玉焼きを敷き詰めて 裸時
氷った湖に敷き詰めた目玉焼き。この発想が捨てがたく、特選にした。たくさんの目玉焼きをイメージすると、気になって、たまらなくなってしまった。
○裸時特選
7 この石は山のおへそよ山笑う 金澤ひろあき
石がおへそという夢。石を取ったら山は萎むだろうか?
○青島巡紅選
特選
17 由良の戸の鉄橋渡る余寒かな 中野硯池
京都府宮津市を流れる由良川の河口に架かる鉄橋を行く列車に乗っている。上句の「由良の戸」から小倉百人一首46番「由良の戸をわたる舟人楫をたえ行方もしらぬ恋の道かな」を下敷きにして作られているのが判ります。内容は失恋歌で、異性を失くして悲しい、どうなるのか判らない、不安であるという本歌を拡大解釈すると、異性以外、兄弟とか妻子供、家族を失くして(or 亡くして)悲しい、生きていれば一緒に生きて行く道筋が見えていたのにそれがない、不安だ。「余寒かな」となります。寒が明けてもまだなお寒さが残っている状態が「余寒」。時間が経っても喪失感は消えることはありません。勝手な深読みかも知れませんが。上記を肯定する理由として、童話「安寿と厨子王丸」です。二人は丹後由良湊に売られ、彼らの母は佐渡に売られて行った。成人し報恩と復讐を果たした厨子王丸は「安寿恋しやホゥヤレホ。厨子王恋しやホゥヤレホ」と歌う盲となった母を見つけ出し、嬉し涙を流した母は目が開く。こんな物語の舞台でもあるので、家族の中で永遠に失われた人まで範疇に入れてもと思いました。言わば、死ぬまである意味、魂の放浪者となった人の作品です。
並選
① 4 そもさんせっぱ暗坂の雪催 野谷真治
「そもさんせっぱ」と言う掛け声と「雪催」が表す空模様による臨場感があります。子供の頃、雪が降り出す瞬間を見てワクワクドキドキしたことを思い出します。
② 5 帽子と再会春一番の交差点 野谷真治
信号待ちしていると風で飛んだ「帽子」。でも逆風の春一番で戻って来た。「再会」となる。付喪神が宿るほど大事に使ってこられた「帽子」だったのでしょうか。
③ 10 死んでしまえば土一握り四月馬鹿 金澤ひろあき
死んでしまえば、はい、お終いと言っているようで、「四月馬鹿」で軽く反転させているところが上手い。例証、人は二度死ぬと言います。一度目が肉体の死、二度目は人々の心から消えてなくなる死。歴史上の人物の皆様は不滅です。次の例証、この世に未練ややり残しがあると生まれ変わる可能性が高くなる事を示唆した研究報告があります。例証は不要かもしれませんが、重い反語になっていないところがミソですね。
④ 14 陽炎や親に内緒のところまで 金澤ひろあき
大人には見せたくない、隠す必要はなくても背中の後ろに隠すようなことがふとした瞬間に発露する。逃げ水とも言われる陽炎は、密度の異なる大気が混ざり合って光が屈折して起こるもの。誰もが話を合わせている日常とは違うゆらゆら揺れる非日常が、まるで世界が隠している部分を露わにしているような感じがします。親や友人への隠し事に光が刺さる時も同じではないでしょう。
⑤ 16 定年後ゴジラとなって暴れるか 金澤ひろあき
定年までは手枷足枷を自らの意思でつけていた。それ以後は破壊神となってガオー。何かしら自分ならではの大仕事をしようと言うことでしょうか。「少年よ」ではなく「老人よ、大志を抱け」ですね。老後というと尻窄みやら諦観調の作品が多い中で、これからの老人スタイルになればいいですね。啖呵を切るでも宣言でもなく遊び心のある余裕も見えて、大人の作品です。
⑥ 20 椀種に一結びする鱵かな 中野硯池
お吸い物でしょうか。鱵が「一結び」されて春の一品として存在を主張している。読むだけでお腹の虫が鳴りそうな作品です。しっかりいただく時は味とその場所の雰囲気を堪能して味あわなければならないでしょう。
⑦35 息切れる手押し車に追いぬかれ 坪谷智恵子
手押し車を使っていない自分より使っている人の足の速さに負けて「息切れる」。自虐ネタのような感じですが、自分は自分の速さ、体力で良いという落とし所に入っていそうです。追い抜かされて一休み、そんなに急ぐと危ないですよと心の中で思っている、或いは足の衰えをしっかり受け止めてニコッと笑っていることが伺える作品。
⑧52 茎立ちの水菜に待てず蝶の舞う 三村須美子
「くきたち菜」という野菜が頭にあって、「水菜」の前の「茎立ち」が春の季語だと理解するのに少し時間が必要だった。頭が固くなっていますね。ですが、「水菜に」ではなく「水菜を」と思うのですが、どうでしょうか。とにかく茎立ちの水菜より先に蝶が春を満喫しているというポップな作品ですね。
⑨60 増す陽気空気出たがる葱の青 三村須美子
「陽気空気」の語呂の良さ、響きの軽さと「増す」「出たがる」という語の膨張感がマッチしいて良いと思いました。主婦というか台所に立つ人が春を感じる場所はこんなところにもあるんだと教えてくれます。
⑩ 62 干し大根もう漬頃とゆるびけり 宮崎清枝
毎年大根を干していて経験が教えてくれる。それが「ゆるびけり」と目に映る。農家の出身だった祖母は近所の畑を借りて野菜を作っていて、干し大根がぶら下がり並んでいるというのは懐かしい風景です。子供の頃の原風景を思い出しました。
⑪ 67 春寒や命の重さ老いて知る 宮崎清枝
季語に続く内容、上手いなと思いました。「命の重さ」に思いを馳せる瞬間は不意に訪れるものです。交通事故で奇跡的に助かったとか。なんにせよ、時間が無限に感じられた若い頃より、時間が有限に感じられる老いてからのほうがより身近に感じられるようになります。60代でまだ若いのにと言われて亡くなる人も少なからずいます。聞くと他人事ではなく感じられます。そういう一瞬を「春寒や」と言われたのではないでしょうか。
⑫86 卒業式各教室で黙って聞く 陰山辰子
講堂で通常行われることが粛々と教室で行われる、いや、聞かされている。去年、今年の春はコロナ禍最中。嫌な思い出でなく、色んなことが起こるのが世界だとユーモアを持って思い出せるものになることを願わずにはいられません。
⑬90 ここですよ沈丁花の香る 白松いちろう
花言葉は「栄光」「不死」「不滅」「永遠」。でも目立たないというか、大人しいというか、引っ込み思案な印象の花をつける沈丁花。気づいた人がここですよと指差して、あー本当だとなる。甘く爽やかな香りを発信している花がお辞儀して有難うございますといっている。そんな一コマを見事に捉えています。
⑭ 99 酔芙蓉女子の尻尾を握りしめ 裸時
「酔芙蓉」の花言葉は「変わりやすい」。女の子の心も変わり易い。花の色が一日で白からピンクに変わるように。だから「女子の尻尾」言い換えれば女の心の手綱を「握りしめ」ておかないと男の子としては気が気ではない。女の子にペースを乱され振り回される初心な男の子は大変だ。そんなことを詠んでいるのかな。蛇足、ファンタジーで解釈すると、獣人娘は尻尾を触られたり、握られたりするのが苦手というか嫌い。酔芙蓉をイメージさせるスカートかドレスを着ている猫族女か犬族娘の尻尾を、自分の気持ちに正直に行動した、人族の怖いもの知らずの男の子の冒険スタートシーンてなところでしょうか。
⑮103 前回に作った椅子が丈夫です 裸時
今回作った椅子はイマイチの出来に思える。前に作った物の方が良かったと思える。これは作品でも言えることではないだろうか。新作を人から良く言われても、自分の頭の中では過去のある作品の方が安定しているというか、思い入れが新作以上に深くなっていて、目から鱗がなかなか落ちないというようなことがないだろうか。旧作に脚を引っ張られていて、自分の中の新しい着眼点が見えてこない、そんな状況の比喩に思える作品。