徳山とスペースワールドと
金澤ひろあき
父の一周忌で福岡へ行く途中、徳山と北九州市八幡を通りました。
昭和の頃、日本の産業の中心は重化学工業でした。金属産業や石油化学産業が盛んだったので、徳山も北九州の工場もフル稼働でした。
徳山のコンビナートは、煙突から煙が出ていましたし、夜景が話題になっていました。
その頃、大学生だったのですが、九州と関西を行き来するフェリーから、徳山の色鮮やかな夜景を楽しんだこともありました。
父も元気だった昭和の徳山の夜景 ひろあき
北九州市八幡は、巨大な製鉄所があり、高炉が象徴のような街でした。私の父もここの社員でした。
今は高炉も製鉄所も全てなくなってしまいました。跡地に建ったスペースワールドも無くなったようで、駅も寂しいです。
おもかげを残す駅の名雨の音 ひろあき
※徳山とスペースワールド駅です。
金澤ひろあき
父の一周忌で福岡へ行く途中、徳山と北九州市八幡を通りました。
昭和の頃、日本の産業の中心は重化学工業でした。金属産業や石油化学産業が盛んだったので、徳山も北九州の工場もフル稼働でした。
徳山のコンビナートは、煙突から煙が出ていましたし、夜景が話題になっていました。
その頃、大学生だったのですが、九州と関西を行き来するフェリーから、徳山の色鮮やかな夜景を楽しんだこともありました。
父も元気だった昭和の徳山の夜景 ひろあき
北九州市八幡は、巨大な製鉄所があり、高炉が象徴のような街でした。私の父もここの社員でした。
今は高炉も製鉄所も全てなくなってしまいました。跡地に建ったスペースワールドも無くなったようで、駅も寂しいです。
おもかげを残す駅の名雨の音 ひろあき
※徳山とスペースワールド駅です。