京都童心の会

ほっこりあそぼ 京都洛西の俳句の会
代表 金澤 ひろあき
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「あまのがわ」280号読後感

2024-11-05 08:46:47 | 俳句
「あまのがわ」280号読後感
                 金澤ひろあき
 体調と相談というお便り 日向ぼこ ひろあき
 お便りと「あまのがわ」280号、ありがとうございます。
 いつも気にかけて下さり、すみません。
 また、お身体回復されて良かったです。ご自愛ください。
 私も年をとってくると共に、疲れが残り、痛みが出たり。若い頃は良かったなあなんてボヤいても仕方がない。「而今」という言葉を大切にして、やっております。禅の言葉で、深い意味はわかりませんが、「他にとらわれずに、今できることに集中する」ぐらいの意味に理解しております。
 今回の皆様の句も、生き方やありようを問う句が多く、ドラマを感じます。
・些細な希望のために大きな鈴を振る 森宗明
 こう書かれると、私達は日頃、この句と同じようなことを繰り返しているかもしれないなと思うのです。
 さて、どれぐらい叶ったのやらですが。
・泣き部屋の障子のしろさ澄みわたる ますだよりこ
 この句は本当にドラマのようです。「泣き部屋」は、一人で泣くための部屋なのでしょうか。表には出せない苦しさ、我慢していること。それをひそかに、人に見られないように泣く。「障子のしろさ」が、救いのようにも感じられます。
・娘に幸せあげられない雑草 桑野真知子
 この「雑草」は自画像でしょうか。哀しみが伝わります。
・通い慣れた 道で 見つけた 知らない脇道 佐藤ローリエ
 ふと気づいたこと。そこから同じことの繰り返しのような日常が、変わって行くも。
・3億年前だって フーテンなトンボはいる おゆいくら
 確かにいるのでしょう。皆と同調できず放浪する者が。自由に憧れる者が。「フーテンなトンボ」、味があります。
・戦争が終わった 孤児狩りのトラックには乗らない 裏文子
 日本の敗戦直後のありさまでしょうか。しかし、世界に戦火が続く現在、同じ光景が広がって行くのかもしれません。哀しみはいつ止まるのでしょうか。

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