徒然なるままに…なんてね。

思いつくまま、気の向くままの備忘録。
ほとんど…小説…だったりも…します。

現世太極伝(第二十七話 影法師)

2006-03-14 00:14:28 | 夢の中のお話 『現世太極伝』
 誰かが追ってくる…千春はそう感じた。
友だちと遊びに出た帰り…駅のプラットホームからずっと誰かにつけられているような気がしていた。

 ノエルや亮のいる書店に向かおうかとも思ったが、仕事中のノエルが一緒に帰宅できるわけもないし、家とは逆方向の西沢のマンションに行っても西沢が留守だったら最悪だ。

 まだそんなに暗くもないし…通りには人もいるわ…。 
どうか家まで人目が途切れませんように…。
問題は…通りを外れた住宅街に入った時に誰か歩いている人がいるかどうかよ…。
千春は足早に家路を急いだ。

 住宅街の入り口に差し掛かったあたりで千春はそっと振り返ってみたが追手の姿は見い出せなかった。
けれども気配だけはますます強くなっていた。

 千春が心配していたとおり、住宅街に入ると人の数もぐっと減って滅多に外を歩いている人はいなかった。
 違う時間帯ならもっと人がいるのに…。
そう思いながら早足で歩いた。
どんどん接近してくるような気がして千春はいつしかほとんど駆け足状態だった。

 後ろを振り返りながら角を曲がった途端、目の前に人が立っていて、思わずキャッと叫んだ。

 「えっ? どうしたの? 」

 聞いたことのある声が頭の上から降ってきた。
見上げると英武の顔が覗きこんでいた。

 「英武…もう…びっくりしたぁ! 」

 びっくりしたのはこっちなんだけど…と英武は思った。
ふと…千春の背後に人の気配を感じて千春を自分の背中に回らせた。

 「千春ちゃん…来るよ…。 僕から絶対離れるんじゃないよ。」

 それはいままでのような若手の能力者ではなかった。
買い物帰りの小母さんや外回り中の営業マンといった出で立ちの者が次々と姿を現した。
 特に強い力を持っているわけではなさそうだが、霊能タイプの千春ひとりで立ち向かうのは到底無理。

 英武の背中に隠れながらも千春はちょっぴり不安を感じていた。
何しろこの英武という人は西沢兄弟の中で一番の甘えん坊で、すぐ上の兄の紫苑に頼りっきりだと滝川から聞いていたから…。
 
 営業マン風の男が先頭を切って襲い掛かってきた。
男はしきりに念の礫を飛ばし攻撃を繰り返すが、英武にとってはスポンジのボールほどの威力にも感じられない。
 
 男の攻撃が効かないのを見た他の能力者たちが英武の気を千春から逸らすためにあちらこちらから一斉に攻撃を始めた。
英武が彼等に気を向けた隙に営業マン風の男は隠れている千春に近付こうとした。
 英武は特にその場から動くこともなく接近した男の身体に軽く触れた。
男はまるで感電したかのようなショックを受け、その場にしりもちをついた。

 少しずつ千春を後方に移動させながら英武は襲い来る者たちを次々と感電状態に陥らせていった。
 紫苑と違って彼等にかけられた強力な暗示を解くことはできないが、撃退するくらいは朝飯前…どうってことはない。

何ならまとめて料理しちゃってもいいんだけど…手加減が難しいよね…。

 相手にもレベルの違いがはっきりと感じ取れるらしく、全員こけたところで逃げ出した。

千春が見直したように英武を見た。

 「すっごぉい! 英武アニメのヒーローみたい! 」

 千春は英武の腕を取って小躍りしながら言った。
お褒めに与りまして…と英武は笑った。

 「でも…こんなところで何してたの? 」

 何してたのって…英武は突き当たりの大きな門を指差した。
表札に大きく西沢の二字が見えた。

 「あ…あのばかでっかいお屋敷~英武のお家だったんだぁ。 
あの門…悪代官とか出てきそうだよねぇ…。 」

 悪代官…せめて悪徳政治家とか言って欲しいねぇ…英武は苦笑した。
あれでも一応洋風建築なんで…。

 「千春ちゃんち…すぐそのあたりだろ? 一緒に行ってあげるよ。
やつら…今日はもう出ないと思うけど…ね。 」

 英武がそう言うと千春は嬉しそうに微笑んで、それじゃぁ…お願いしま~す…と掴んでいた英武の腕にしっかりとしがみ付いた。

 おやおや…と思いながら英武もまんざらではなさそうに千春のとった腕のひじを曲げて組みやすくしてやった。

 「それじゃ…参りましょうか…お嬢さま…。 」

 背の高い英武の腕に、組むというよりはぶら下がるような感じで歩き出した。
千春が早足にならなくて済むように英武はちゃんと歩幅を合わせてくれた。
 英武って優しいんだ…家に着くまでのほんの数分のことだけれど千春はちょっと温かい気持ちになった。



 「ねえ…なんか…いつもと違わない? 」

 ノエルがじっとキッチンのふたりを見ながら亮に訊いた。 
キッチンでは西沢がいつものように夕食の惣菜を盛り付けていて、滝川が鍋の中の一品をこんな具合でいいか…というように西沢に見せているところだった。

 亮から見れば別段これといって変わったようには見えない風景だったが、ノエルはさっきから気にしていた。

 「だって…紫苑さん…すごく機嫌いいじゃん。 滝川先生のこと怒らないし…。
いつもだったらあんなことしたら絶対パンチが飛ぶよ。 」

 滝川が紫苑の耳元でこそこそと囁き、ついでに耳たぶをそっと銜えた。
あきれたね…と肩を竦めただけで西沢は気にする様子もなく作業を続けた。

 「ね…? 今日はやけに穏やか…でしょ。 」

 ふうん…お互い…何かが吹っ切れちゃったのかも…。
理由は分からないけど…好きだって言いながらずっと敬遠し合ってたもんね。
 滝川先生のふざけた行動に対して始終神経を逆立てていた西沢さん…冗談を冗談として受け取れるだけの気持ちの余裕ができたのかもしれない…。
まあ…いいんじゃない…仲良しの方が…さ。

 できたぜ…亮くん…ノエル…飯にしよう…。 
滝川がキッチンから顔を覗かせ、ふたりに声をかけた。

 テーブルで美味しそうな煮物が湯気を立てていた。
さっきの鍋の一品はどうやら小鉢に分けられた蛍烏賊のぬた…鍋で酢味噌と和えていたらしい。
軽くあぶったアナゴの干物がなんとも香ばしい匂いを漂わせている。

 何となく酒肴に近いようなものが多いのは否めないが…西沢も滝川も家庭的というか女性的というか…料理はまめに作る。
 但し…仕事に夢中でろくに食事をとらず、貧血起こして病院へ運ばれたなんてことも過去にあるので…完璧とまではいかないようだ。

 「…で…英武が自分のブレスレットを千春ちゃんにあげたらしい。
千春ちゃん程度の力ならそれほど目立つものではないから、今からでも十分カムフラージュできるだろうってことで…ね。 」

 えぇ~大丈夫かなぁ…とノエルが思わず口走った。
みんな一斉にクスッと笑った。 

 「心配ないよ…ノエル。 ああ見えても力は確かだ…。 
あいつ甘えっこだから頼りなく見えるけどあれで結構多才な男なんだぜ…。 」

 滝川が笑いを堪えて言った。
顔を合わせれば睨み合っている滝川と英武だが、どうやらお互いの力は認め合っているようだ。

 「そうだ…ノエル…また仕事が来てるんだけど…頼めるかな?
書店の仕事の合間でいいから…。 」

 西沢が思い出したように訪ねた。
はい…とノエルは頷いた。

 「亮くんにも仕事があるぞ…。 ノエルと一緒に僕のスタジオに来てくれる?」

 えぇ~またやんのぉ? 何で僕~? 部品デザイン…フツ~なのに~。
亮は清水の言葉を思い出してしまった。 

 「部品…デザイン? 」

 みんなの目が亮に集中した。亮は仕方なく清水に言われた悪口の話をした。
今度はクスッじゃ済まなかった。西沢も滝川も声を上げて笑った。
ノエルは必死で堪えようとしていたが無駄な努力だった。

 「いやはや…部品デザインとは恐れ入った…。
だけどね…亮くん…考えてご覧よ。 僕はこれでも一応プロだからね。
いいと思わなきゃ撮らないぜ。 」

 ようよう笑いを納めて滝川が言った。まあ…僕の眼を信じなさいよ…亮くん。
慰めだかなんだか分からないが滝川は自信たっぷりに微笑んで見せた。



 心配なのは…千春のことだけではなかった。
亮にしてみればノエルのことも十分気がかりで…千春が狙われた後だというのに夜更けの道をひとりで歩かせたいとは思わなかった。
 ノエルの力がどれくらいのものなのか…まだ誰も眼にしていなかった。
それなのにノエルに関して西沢や滝川が亮の時ほど注意を払わないのが不思議で仕方なかった。

 けれども…多分…送っていくなんて言ったら…馬鹿にするなって怒るだろう。
ノエルは男の子…だから。
 いつものことだけれど…西沢のマンションの前で別れる時の言いたくて言えない言葉のもどかしさ…。
 お休み…また明日な…とそれだけ言って別れる寂しさは…なぜなんだろう?
普通のことなのに…。

 街灯の灯かりがぼんやりと歩道を照らす。 
影法師はひとつ…ふたつ…? えっ…ふたつ? 驚いて亮は振り返った。
ノエルがすぐ後をついて来ていた。

 亮…泊めてくれる? ノエルは上目使いに亮を見た。
そうか…またお父さんと喧嘩したんだ…な。
…いいよ…。 けど…家にはちゃんと連絡しとけよ…。
 
 そう言いながら歩き始める…ちょっとだけ元気になる歩調…。
街灯の下を通る度に影法師がふたつ…。
まるで恋人同士のように寄り添って見えた。

  



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現世太極伝(第二十六話 何処まで本気…?)

2006-03-12 00:56:21 | 夢の中のお話 『現世太極伝』
 紫苑の優しさに甘えているのは怜雄や英武だけじゃない…僕も同じだ…。
背中を向けて眠っているように見える西沢を見つめながら滝川はそう思った。

 紫苑に触れる時…馬鹿げたジョークを並べる時…あの喉にキスする時…機嫌の悪くなる紫苑をさらに苛々させて楽しむようなところが自分にはある…。
紫苑の感情をいたぶっているのは…彼等よりむしろ自分の方かもしれない…。

 「紫苑…。」

なに…と眠そうにこちらに向きを変える。

 「襲っちゃおうかなぁ~。 」

 例の甘ったるい声で話しかける。途端に紫苑の機嫌が悪くなる。
奇妙な声を出すな…くだらねぇ…。
やりたきゃやりゃぁいいじゃないか…僕は寝てるから勝手にしてくれ…。  
そう言ってまた向こうを向いてしまった。

 「なあ…本気だったらどうするんだよ? ♂×♂だぜぇ…? 」

 滝川はちょっとばかり不服そうに訊いた。
紫苑は少しだけ振り返った。  

 「いいんだよ…ホモでもヘテロでもバイでも何でも来い…だ。 
お相手するのは僕の身体で…心じゃないんだから…。
どうせ…誰も西沢紫苑の内面なんか愛そうとはしないし…欲しがりもしない…。」

 まさか…そんなことないさ…紫苑。 思い過ごしだ…。
おまえが好きだからみんながここに集まってくるんだぜ…。
まったく…何言ってんだか…。

 「みんな僕を何かの代わりにしているだけだ…。
西沢家にとっては覇権の道具…義理の兄弟たちにとっては動く玩具…養母にとってはお人形…輝にとっては遊びの相手…亮にとっては親代わり…。

 それに…おまえにとっては…和ちゃんの代わり…だろ?

 みんな僕の外側だけを適当に自分たちの都合のいい形に変えて愛してるだけ…。
愛されているのは僕自身じゃないし…僕の心を満たす愛でもない…。
だけど…少しはみんなの役に立ってるんだろうさ…。

 だから…好きにしてくれればいい…。 
それでみんなが幸せなら…僕も満足だよ…。 」

 和の…代わり…和の…。胸を突き刺すような痛みが滝川を襲った。
怜雄の言った通りだ…僕が誰よりも酷く紫苑の心を痛めつけている…。

 生まれてすぐに手放され…あげく母親に殺されかけた紫苑には人に対する根強い不信感がある…それは拭おうとしても拭いきれないもの…。

 狭い世界の中でしか生きることを許されない紫苑にとって僕は…子供の頃からの悪友というだけではなく…外へ繋がる唯一の扉…。
長い年月をかけて…他の誰よりも紫苑の信頼を得てきたはずだった。
 
 和が死んだ時…治療師でありながら最愛の女性を救えなかったことで悩み苦しむ僕を静かに支えてくれた紫苑…。
 それをいいことに僕はただ甘えるだけで飽き足らず…紫苑を和の身代わりと言って憚らないようになってしまった。 

 それまでストレートに心をぶつけてきた僕が…いきなり和という見えない着ぐるみを紫苑に着せて心を閉ざしてしまったから…紫苑はひどく戸惑ったに違いない。

 ああ…でも紫苑…それは…僕の照れ隠しだよ…。
僕の気付かないうちに…おまえはすっかりおとなになってた。
だから…本心見せるのが恥かしかったんだよ…。
 僕がおまえを想う気持ちは初めてラブレターを書いた頃から変わってない…。
おまえは可愛い女の子から格好いい男の子へと変身してしまったけれど…。

 「紫苑…僕はもう…誤魔化さない…から。
どうか…僕の心を読み取って…。 もう一度信じてくれ…。 」

滝川は紫苑の肩に手を触れた。

 「何を…? おまえを疑ってなんかいないし…嫌ってもいない…。
好きなようにしろと言っているだけだ…西沢紫苑はとっても優しいからね…。 」

 紫苑…じゃあ…好きにしちゃおう…。
滝川は紫苑を振り向かせ圧し掛かった。
 その段階ですでに紫苑の全身が拒否反応を起こしているのを感じたが、まったく手加減しなかった。
 長々とキスを繰り返した後まるで女性を愛する時のように紫苑を征服し始めた。
紫苑が唇を真一文字に結び、少し眼を逸らしながら堪えているのを無視して執拗に愛撫を続ける。
 やがて紫苑の身体は抵抗することを止めた。全身から力を抜いてしまった…。
受け入れたのではない…諦めたのだ。

 「馬鹿だね…本当は嫌なくせに…諦めちゃだめだろ…。 
なあ…紫苑…お願いだから…僕の心を読んで…。 」

 滝川は紫苑の耳元でそう囁いた。囁きながらも触れることをやめない。
紫苑が滝川の内面を探るように宙を見つめた。
ある瞬間驚いたように眼を見開いた後…少しずつ表情が和らいでいく。
 固く閉じていた唇から吐息が漏れる。
だらっと投げ出されていた両の腕が動き始め滝川の背中を抱きしめた。 

 「恭介…ごめん…。 こんなの…嫌だ…。 」

 紫苑の唇が言葉を発した時…滝川はもう一度そっとキスをした。
そして…紫苑を解放した。

 「それでいいんだよ…紫苑。 もう…我慢はするな…。
どんなことだって…誰にだって…おまえが嫌なら嫌とはっきり言えばいいんだ…。受け入れることが相手のためになるってものでもないぞ…。  

 だけど…ちょっとショックだ…な。
僕じゃだめかぁ…。 輝に負けた…悔しいなぁ…。 」

滝川が唇を尖らせてそう嘆いた。

 「それ…何処まで本気? 」

紫苑は眉を顰めた。

 「何処までって全部さ…。 決まってるだろ…。 
輝のやつは僕の本音に気付いているから機嫌悪いんだぜ…。 
僕がいると…あいつは簡単におまえを独占できないんで怒ってんの…。 」

滝川は可笑しそうに言った。

 女と張り合うな…女と…。まったく何考えてんだか…。
紫苑は溜息をついた。

 「ごめんな…紫苑…何年も酷いことしてきた…。
怜雄や英武のこと言えないよな…。 」

 滝川は自嘲するように言った。
瞬時泣いているのかと見まごうほど紫苑は悲しげな笑みを浮かべた。
が…すぐに穏やかな笑顔に戻った。
なんでもないことさ…と言わんばかりに…。



 出来上がったばかりのブローチを眺めながら輝は満足げに頷き、丁寧に保管箱の中に収めた。
 そろそろお昼だわ…。
アトリエの入り口を施錠してキッチンの方へと戻った輝は、テーブルの上に買った覚えのないふたり分の弁当が置いてあるのをみて少しドキッとした…。

 紫苑かしら…?

 けれどもその期待はすぐに裏切られた。裏口から姿を現したのは兄克彦…。
どうやら近くまで用事で来たついでに立ち寄ったらしい。
お茶を入れながら溜息をついた。

 来るわけないか…。 恭介が居る間は…退屈しないでしょうから…。

10以上も齢の離れた兄克彦はほとんど話すこともなく食事を済ませた。
 輝は兄と自分のためにコーヒーを淹れて、それが義務であるかのようにただ胃に流し込んだ。
   
 「おまえ…紫苑さんとは随分長いが…そういう話はないのか? 」

突然…克彦が訊ねた。

 「結婚のことなら…ないわよ…。 
紫苑は時々それを言いたがってるけど…言わせないようにしているの。
私はあの部屋が嫌い…あの部屋は私に言わせれば牢獄よ。
だから…結婚はしない…。 」

そうか…と克彦は言った。

 「まあ…おまえたちも大人だからこちらがあれこれ口出すことじゃないが…。
俺も…結婚はなくていいと思う。
 紫苑さん自身は申し分ない御方だが…周りにいろいろ面倒なことが有り過ぎる。
結婚すれば嫌でもおまえの肩にもかかってくることだからな…。 」

 日頃寡黙な克彦が珍しくよく話した。何かあった…と輝は感じ取った。
克彦は紫苑には好意を持っている。早く結婚しろと言うのが普通なのに…。

 「大丈夫…。 私たちはずっとこんなものよ。
子供でもできれば考えるでしょうけれど…まず…ないから…。 」

 輝がそう言うと克彦はやけに安心したような顔をした。
そのわけを知りたいけれど訊いても無駄だろう。 口の堅い男だから…。
かと言って、紫苑が話すとは思えないし…。

 爪弾きにされているようで何だか居心地が悪かった。
このままじゃ欲求不満になっちゃうわよ…紫苑…。
頭の中に浮かんだ紫苑の顔に向かって輝はそう呟いた…。





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現世太極伝(第二十五話 馬鹿言ってんじゃねえ!)

2006-03-09 22:00:02 | 夢の中のお話 『現世太極伝』
 真夜中近く…誰かが毛布か何かをかけてくれたような気がしてノエルはふと眼を覚ました。
 バイトが終わった後で亮の家に泊めてもらった。
今夜は父親が早く帰宅することが分かっていたので何となく家に帰りたくなかったのと、店長に借りた映画を一緒に見る約束もしていた。

 亮の家の居間で映画を見ながらふざけあっているうちにふたりともいつしか眠ってしまったようだ。
 寝ぼけた頭で考える…同じ毛布の中で亮は眠っている…。
えぇ~誰…?

 さすがにドキッとして飛び起きた。
背の高い中年の男がソファで新聞を読みながらコーヒーを飲んでいた。

 「あ…今晩は…お邪魔してます…。 」

ノエルがそう挨拶すると男は穏やかな笑顔を向けた。

 「こんなところで寝ては風邪を引くよ。 亮を起こして寝室に行きなさい。 」

 はい…と返事をしてノエルは亮を揺すった。
寝ぼけ眼で起き上がると亮は有が帰ってきていることに驚いた。

 「いつ来たのさ…。 」

 そう有に声をかけた。
有は亮を見ようとはせずテーブルの上を指差した。
何処だかの土産と一緒にあのファースト・ラブ・キスが置いてあった。

 「初恋にしちゃあ…ちょっと齢が過ぎているが…まあまあの出来だな…。 
滝川恭介はよほど腕が良いとみえる…15~6に見えんこともない…。 」

 亮はノエルに亮の部屋のある二階へ行くように促した。
有におやすみなさいを言ってノエルは二階へ上がっていった。 
 亮もすぐ後から上がっていこうとしたが、急に有が呼び止めた。
亮はもう一度有の方へ向き直った。

 「亮…真面目に…誠実にな…。 」

 有は真剣な表情で言った。
何のことだか一瞬分からなかった。

 「あの子の身体…大切に考えて…な…。 」

 はぁ…? 亮は首を傾げたが…ようよう気付いた。
有にはノエルが女の子に見えている。
 
 「あ…ノエルは男…何も心配ないよ…。 」

 ちょっとうろたえ気味に亮は言った。
有が微かに笑みを浮かべた。

 「亮…俺も実は治療師の端くれでな…。 分かるんだよ…。
なにも…説教しようってんじゃない…。 
 俺の後悔さ…。 
好きだという気持ちだけでは…誰も幸せにはできない…。 
取り返しのつかない俺の大失敗からの忠告だ…。 」

 亮が父親のこんな切ない顔を見たのは初めてだった。
父親というよりは…苦い経験をしたひとりの男として亮に語って聞かせているようだった。

 「分かった…。 」

 亮は珍しく素直に答えた。
有はそうか…というように深く頷いた。

 二階の亮の部屋でノエルが様々なクッションに囲まれて待っていた。
クッションだけじゃない。部屋中に物が溢れていた。

 「凄いね…。 雑貨屋さんみたいだ。 」

そう言ってあたりを見回した。

 「子どもの頃からさ…お金だけ渡されてたろ…。
きっと満たされないものがあったんだろうけどさ…。
 部屋にいっぱい物があると落ち着くんだ。
西沢さんと会うようになってからは…全然買わなくなったけど…ね。 」

 柔らかいクッションの海の中にノエルは仰向けに倒れこんだ。
ふかっとした感触がノエルを迎えた。

 「何か楽しいよね…この感じ…さ。 」

 クッションの反発を確かめるかのようにノエルは身体を動かした。
小さな子供みたいだ…と亮は思った。

 「あ…エロ本めっけ! こんなとこ放り出して文句言われない? 」

 ほとんど独り暮らしだからね…と亮は笑った。
僕んちは千春や母さんがうるさいからな…お兄ちゃんのどすけべ…とか言われたりさ…パラパラとページを捲りながらノエルは肩を竦めた。

 その様子を見て亮はなんだかほっとした。
父さんはあんなことを言ったけど…やっぱりノエルは男なんだ…。
そうだよな…どう考えたって…。

 「なに…? 」

 ふいにノエルが顔を上げた。なんでもないよ…と首を横に振った。
つい最近まで女の子だとばかり思っていたその優しい顔…華奢な身体。
 同性だということに対する安堵の気持ちと訳もなく泣き出したいような感覚が亮の中で複雑に絡み合っていた。 

…大切に考えて…な…という有の言葉が胸の中で揺れ動いた。



 水没しかかっている島が在ると思えば、砂漠化の進む国があり、相変わらず汚染物質は撒き散らされ、争いの火は消えない…。
 地球をぶっ壊すためのシナリオを書いているのはいったい誰なのか…?
実演しているのは誰なのか…? 
 国か…企業か…? 
なあに…そんな組織的なことではなくっても…ひとりひとりが抱える小さな欲望が67億集まれば地球一個くらい簡単に消し飛んでしまう大きさになるのだろう。

 「…にしても…こいつらは…。 」

 滝川は憮然とした顔で、西沢にへばりついている英武と怜雄を睨みつけていた。
怜雄がなんとか英武を抑え込んでいるうちは恐怖のあまり自制心を失うようなことも少なくなったが、英武は相変わらず紫苑から離れられない。
英武に発作の兆候が少しでもある時に怜雄が気を抜くとパニックも復活…。

 次第に大人たちへ波及し始めた争いの火種を消すために、滝川の仕入れてきた情報を検討するつもりで集まってみれば…英武がまた突然発作を起こして抑えようとする紫苑を突き倒したり、そうかと思えば全力でしがみついたり…。

 奥の部屋から慌てて駆けつけた滝川が初めてその状況を目の当りにして、治療師の本領発揮、英武を止め…呆然としている怜雄を怒鳴りつけた。
やっと我に返った怜雄がまた英武を抑え…事態をやっと収拾した。

 「だって…仕方ないじゃないよ。 恭介には分かんないかもしれないけど…さ。
発作が起きると頭の中真っ白だし…シオンに触れてないと…消えてしまうような気がして凄く怖いんだから…。」

 英武は子供のように口を尖らせて言った。
滝川は天を仰いだ。いい年をして…どうしようもない…甘ったれ…め。

 「だからって…紫苑に暴力を振るうことはないだろう?
紫苑は愚痴ひとつ言わないけど…この間だって顔から手足から怪我だらけ…。
どう考えてもおまえがここで暴れたに決まってるじゃないか…。 」

 滝川に強く言われて英武は項垂れた。そんなつもりじゃないのに…。
紫苑が軽く微笑んでそっと英武の手を握った。

 「恭介…英武を責めないでくれ…。 僕が悪いんだから…。 」

馬鹿言ってんじゃねえ! 義理の弟をあくまで庇おうとする西沢に恭介が切れた。
 
 「おまえがそうやって庇うから英武はいつまで経ってもガキのままなんだ。
怜雄…おまえだって同じだぞ。 兄貴の癖に見て見ぬ振りばかりで…。

 原因を作ったのは紫苑の母親で紫苑じゃない。 紫苑に何の罪がある?
病気を言い訳にして何も言えない紫苑をいたぶって何が仕方ない…だ!
病気ならさっさと医者へ行け! 治す努力をしろ! 甘えてんじゃねえ! 」

 滝川の剣幕に英武は恐れ縮こまり紫苑の陰に身を潜めた。
怜雄が大きな溜息をついた。
気の弱い英武では怒った恭介を黙らせることはできない。

 「おまえの思っている通りだ…。 西沢家は…ずっと紫苑を縛り付けてきた。
独立して西沢家を出て行こうとする紫苑をこの部屋に閉じ込め…逃げ出せないように監視をつけた。
冷酷に翼を捥ぎ取った上で…僕も…英武も…紫苑の優しさにずっと甘えてきた。

 だけど…恭介…いたぶっていたわけじゃない…。
僕等も両親も心底…紫苑が可愛くて愛しくてどうしようもないだけなんだ。 
僕等の一方的な我儘で…紫苑にとっては残酷な仕打ちと分かってはいるが…。 」

 怜雄は…西沢家の真の目的には触れなかった。
西沢家が一族の中で木之内家を抑えて絶対的な覇権を握るためには西沢の子としての紫苑の存在が不可欠であること…。

 そう…それが真相だが…だからといって家族の紫苑への愛情は偽りではない。
度が過ぎてはいるけれど…。

 「恭介…おまえにだってそういう面がある…。
西沢家のように力尽くで紫苑を支配しようとはしないだけで…。 」

 滝川は言葉を失った。
怜雄はそれ以上のことは言わなかったが、怜雄が考えているよりずっと深く滝川の胸をえぐった。

 ガチャガチャと玄関の鍵を開ける音がした。
重苦しい空気の中で窒息しそうな四人の男の前に、亮とノエル、千春、直行を引き連れた輝が姿を現した。
輝は敏くその場の状況を察したが敢えて触れず、亮たちに席につくように促した。
何事もなかったかのように検討会が始まった…。



 夕紀が差し向けたと思われる能力者に襲われた直行は、裏切られたショックか高熱を出してまる二日寝込んだ。
 母親に言わせれば単なる風邪に過ぎないのだが…三日目に何を思ったか家を飛び出して克彦の家の居候になった。
 亮が聞いたところでは、克彦に護身の方法や戦い方を教わっているらしい。
夕紀のことがよっぽどこたえたんだ…と思い、亮もノエルもできるだけ傷に触らないようにしていた。

 検討会でその話が出た時もふたりは知らん振りをしていたが、やめとけば良いのに千春が同情して慰めたりしたのを、本人はとうに胆を据えたらしく案外けろっとして千春のお節介に答えていた。

 滝川の新しい情報で分かったことは、意思を持つエナジーたちが好んで使っているあの男女の姿は、実際に導師と呼ばれている男…旭(あさひ)と女…桂(かつら)の姿を写し取ったものらしい。
 本人たちは勿論エナジーではなく人間でちゃんと実体がある。
この旭と桂はこの地域の導師で、どうやら他の地域には別の導師がいるようだ。

 これを縮図と見れば…この世界のありとあらゆるところで同じような能力者が小集団を形成し、あの男女同様集団を指揮して戦わせているということになる。
 しかも、それは決して太極の意思ではなく…あくまで人間の勝手な思い込みによるもの…困ったことだ…。
 
 西沢にはあの太極という大いなるエナジーが溜息を通り越して少しずつ苛立ちを感じ始めているように思えてならず、修復を担当するエナジーの怒りの声さえ聞こえてくるような気がしていた。

 そうじゃない…それは我々が求めているものではない…争うことは失うこと…今必要なのは戦いではない。
 大切なのは失われたものを取り戻すこと…壊されたものを修復すること…おまえたちの真の仕事は…新しいエナジーを生み出すこと…その力で…その心で…。





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現世太極伝(第二十四話 裏切り)

2006-03-07 14:42:01 | 夢の中のお話 『現世太極伝』
 二階の端の講義室…毎週ここで講義があるけれど、しばらくあの気配はしない。
陽だまりの中にも…ノエルの身体にも太極が宿ることはなく、夕紀が相変わらず直行を困らせている以外は何事も無かったかのようだ。

 亮が懸念するのは直行が夕紀を思うあまりに自分から相手の懐に飛び込んで行ってしまうのではないかということだ。
 今時のほとんどの若手がそうであるように、直行はある程度力を持ってはいても実戦の経験などゼロに等しいのだから…訓練を受けた相手に勝てるわけがない。

 この間初めて相手とぶつかって感じたことだが…レベル差があればこそ難なく片付いたとはいえ、これが亮と同レベルか亮より数段上の者たちとの戦いであれば、訓練を受けたこともなく実戦経験もない亮たち若手には到底活路は見出せない。

 例えば…夕紀が心酔しているあの導師とか呼ばれている滝川くらいの年代の男が、滝川の写真に写っていたようなエネルギーの化身ではなくて、ちゃんと実体を持っている者だとしたら…あの手の能力者が何人も夕紀たちの背後にいるとしたら…彼らが戦いに乗り出してきた時には逃げることさえできないかもしれない。

 その場に太極の気配を感じられないとは言っても、亮たちはその腹の中にいるに等しく、いつどうなるか分からないという漠然とした不安を拭い去ることはできなかった。



 就職活動で忙しくなった木戸がバイト時間を減らしたので、この三月からノエルが谷川書店でバイトを始めた。
 真面目でよく働いておまけに美形なのでパートの吉井さんや店長の奥さんなどは秘かに隠れノエル・ファンになっているようだ。

 亮くん…やっぱ顔じゃ負けるわ…と店長が亮とノエルを見比べて言った。
 大きなお世話…と亮は答えた。

 少し客が引けた時間に本の整理をしながら三人で何だかんだと話をしていると、バイトの日でもないのに木戸が突然チラシと小箱をもって飛び込んできた。

 「亮くん…これ亮くんとノエルでしょ? 」

 何のことかと…覘いてみると高級チョコレート専門店の新作発表の広告だった。
この春の目玉商品…ファースト・ラブ・キス…そこまではよかったが…パッケージにレイアウトされた写真に亮は言葉を失った。

 「なに…これ…。 」

 思わずノエルと顔を見合わせた。
あの写真だ…何十年も前の古びた写真のように加工を施してあるが…。
やっぱり…滝川先生を絞め殺そう…。

 「このチョコ…女の子にばか売れしててさ…。 イチゴと生クリームをビターチョコでコーティングして…あと分かんねぇけど…。 とにかく美味いらしい…。
食べてみようぜ…。 」

 木戸は写真よりもチョコの方に気があるようで早速味見を始めた。
店長もひとつ口に入れた。ふたりも恐る恐る手を出した。

 「うん…いける…イチゴの酸味と生クリームのこくが絶妙…。 さすが初恋の味…。 」

 店長がニヤッと笑いながら亮とノエルを見た。
味なんか分からなかった。
 亮もノエルもただ引きつった愛想笑いを浮かべながら、もそもそと口を動かしているだけだった。

 亮は自分たちが冷やかされていることよりも、万が一ノエルの父親が知ったら、ノエルがまたどんな悲しい思いをさせられるかを懸念していた。
 亮自身は単なるバイトで片付けられる…誰も文句言う人はいないし…からかわれたってどうってことは無い。
 けれどノエルは手術まで持ち出だされて…人間としての尊厳を傷付けられる…。
それが可哀想だった。
 


 「ひどいじゃない…滝川先生。 ノエル…また…お父さんに叱られるよ。 」

 相変わらず西沢の部屋に入り浸っている滝川に向かって亮はクレームをつけた。
滝川は気にも留めないでニタニタ笑っていた。

 「あんなもん…ただのパッケージの図柄に過ぎんじゃないか…。
知れたところでどうということはないさ。
 最も…権利の侵害だとか乱用だとかで僕を訴えるってのなら…ちゃんと出るべきところへ出る…けど。
 売れ行きも好調、あの写真もえらい評判が良いそうだぜ。
ノエルはともかく…とても亮くんをモデルに使ったとは思えないよな…。 」

滝川はクックッと喉を鳴らして笑った。

 「ほっとけ…。 そういう問題じゃないよ…もう…もっと真面目に聞いてよ。」

 それまで黙ってふたりの遣り取りを聞いていた西沢がつっと立ち上がり、キッチンから例のチョコレートを持ってきた。

 「亮くん…ノエルの気持ちを聞いてみた?
この綺麗なパッケージの可愛いふたりを見てノエルが何を思ったか…じゃないよ。
引き受けた仕事の結果を確認したモデルとしての彼の意見を…だ。

 これはあくまできみたちが引き受けた仕事…なんだよ。
ノエルは僕らに雇われる時に契約書交わしてる。
 僕の絵に関してはノエルの顔をそのまま使うようなことはしないと約束したが、滝川は写真家だ…顔がはっきり出る以上はその写真の使用目的をきちんと説明しているはずだからね。

 たまたま居合わせたきみはともかくとして、ノエルはそう簡単にクレームつけられないよ。 
この写真がノエルの権利を著しく侵害しているとは考えられないからね…。 」

 西沢は亮に対して初めてかもしれないほど厳しい顔を向けた。
亮にもそれは分かっていた。でも…ノエルは…。

 亮…。 玄関の方からノエルの声が聞こえた。
声の後で本人が現れた。

 「亮…いいんだよ。 僕…分かってたんだ。 僕の写真…広告に使うって…。
何枚か撮った中から最適なものを選ぶってちゃんと聞いてたし…加工して商品化するかもしれないと説明も受けた…。 」

西沢も滝川もその通りだと頷いた。
 
 「父さんには…もうばれた…。 会社の女の子がチョコを買ってきたらしい。
帰宅してから嫌味たらたらだった…。
 男のおまえがこの体たらくで恥かしくないのか…だとか、相手のモデルもよくこんな馬鹿げたことをする気になる…なんて…ね。

 カチンッと来たから…バイトでも何でも仕事は仕事…男の俺が決めた仕事に傍から文句をつけるなって啖呵切ってやったら何も言えなくなってやんの…。 」

滝川が思わず口笛を吹いた。どうも…とノエルはそれに答えた。
 
 「やったじゃん! 男が決めたと言われちゃ親父さんも黙るしかないわな。 」

見直したぜ…と滝川は快挙を称えた。西沢の表情も思わず緩んだ。

 「亮…心配かけてごめんね。 僕は大丈夫だから…。 」

 ノエル本人にそう言われては亮も納得せざるを得なかった。
何気なくパッケージを見つめた。
 本当は…問題にする方が間違いなんだ…作られた写真なんだから…。
虚構の世界なんだから…。
 
 西沢がチョコレートの小箱の蓋を開けてみんなに勧めた…。
一斉に手が伸びた。
ファースト・ラブ・キスの味は…なんだか甘酸っぱくて切なかった。



 夕紀のことがあってから直行が落ち着かないために名前ばかりになっている同好会にこの春も新会員が入ってきた。
 新入生が六人…何れもマニアやおたくばかり…で能力者ゼロ。
女の子が四人いたので清水も先輩風吹かせて参加するようになった。

 「木之内先輩ってあのチョコのモデルさんですよね? 」

 新入生のひとりが清水に訊ねた。
例のチョコを買った同期生の何人かが気付いたことから、モデルのバイトはすでに周知のこととなっていた。
 
ウソォ~? ホント~? マジィ~? 女の子たちが一斉に亮を見た。
  
 「そうなのよ~。 この顔でさ~。 女役も同期の男の子なんだよ~。 」

 キャ~そうなんだぁ~。 ヤダ~どういう関係なんですかぁ? 
あ~うるさい…あれは仕事だっつうの。
女の子が増えると部室も滅茶苦茶やかましい。なんと言うか頭にきんきん響く。

 「高木ノエルって言ってさ…こっちは小柄だけどマジ美形。 
木之内とは大違い~。 木之内もボディだけなら許せるけど~顔はフツ~。」

 悪かったな…フツ~で…。
まあ…気を落とすな…川田が慰めるようにとんとんと亮の肩を叩いた。

 「でも…木之内先輩もバランスのいい整った顔だと思いますけど…。 」

 ふたりしか入らなかった男のうち秀才タイプのおたくが言った。
バランスからいきますと…と秀才くんは計算を始めた。

 「きみねえ…バランスと素材は良くても部品デザインがフツ~なの。 」

 清水は数字を吹っ飛ばすかのようにケラケラと笑った。
まあ…抑えて…川田だけでなく木下と大野もとんとんと亮の肩を叩いた。

 ふと窓の外を見ると下の広場からノエルが招くように手を振っていた。
亮は鞄を取り上げると立ち上がった。
バイト行くから…と周りに告げて騒がしい部室を後にした。



 バスを降りて歩き始めた直行は誰かにつけられているような気配を感じて何度も振り返った。
 バス停から自宅までの道のりはほんの五分ほどだが、住宅地なので夜になると人通りも少なく、特に公園の周辺は大の男でもひとりだとなんだか薄気味悪い。

 気配は最初背後から感じられていたが次第に前方にも感じられるようになった。
直行は思わず足を速めた。家まであと少しというところで気配の主が姿を現した。
 見ればまったく面識のない数人の若い男たち…彼らは物も言わずに一斉に直行に襲い掛かってきた。

 相手はそれほどの力の持ち主とは思えないものの直行にも実戦経験がない。
もともとおとなしい性格で喧嘩が苦手な直行はかわしたり、撥ね返したりはするが自分から攻撃することができなかった。

 やがて追い詰められて足をとられ身動きすらできなくなった。  
どうしよう…冗談じゃない…洗脳なんてされてたまるか…直行はもがいた。
リーダー格の男が直行に迫ってきた。

 何とか拘束から逃れようともがいていると公園の端の街灯の陰からこちらを見ている者に気が付いた。
 その姿を眼にした途端…直行は凍りついたように動けなくなった。
夕紀…まさか…?

 直行の視線が向けられた瞬間その姿は消えた…。
直行は茫然と夕紀の居た場所を見つめていた。
大人しくなった直行に向けて男がゆっくりと手を翳した。

 突然…彼らの背後から大きな気配が近付いてきた。
ひとつは同族の…いまひとつは最近どこかで感じたことのある気配だった。

 「その子を放しなさい! 」

 直行はあっと思った。長老格の克彦の妹…輝の声だった。
輝は直行を取り囲んでいる若い男たちに次々と軽い衝撃を与え、一時的に動きを麻痺させた。

 輝の傍にいるのは西沢…西沢はまるで魔法を解くかのように男たちにかけられた暗示を素早く解き放っていった。
 何があったのかとぼんやりしている青年たちをそのままに、輝と西沢は直行を連れて早々にその場を立ち去った。

 「輝…なんだか年齢層が上がってきてないか…? 」

西沢は後部座席で直行の様子を伺っている輝に言った。 

 「そうね…最初は10代後半の子が多かったけれど…今の人たちなんかどう見てもとっくに成人してるわね。 
紫苑…直行の家はその道真っ直ぐ突き当たりだからね。 」

 怪我がなくてよかったわ…。
気をつけるのよ…今は何処にも安全なところはないんだから…。
時々兄のところへ行くといいわ…護身の方法を教えて貰いなさい。

 輝の言うことに素直に頷きながら直行はまだ話すことができないくらいにショックを受けていた。

 夕紀…嘘だろ…。

 嘘だろ…という言葉が直行の胸の中で木霊した。
何度も…何度も…。





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現世太極伝(第二十三話 見えない重荷)

2006-03-05 22:48:41 | 夢の中のお話 『現世太極伝』
 滝川の情報と相手方からの連絡で西沢の手の届く限りの幾つかの一族を回り終えた西沢はようよう本業に戻った。
 訪問当日に姿を晦ました連中のことは何れまた折を見て対処するとして、問題は居場所も分からない単独の能力者たち…。
 それらの能力者に関しては特にどうしろという指令は来ていなかったが彼等がそのままでは争いは終わらない。
 せっかく解き放たれて家族の許へ戻った者たちが再び襲われる可能性もある。
それが目下、西沢の気にかかっているところだった。



 「ノエル…そのままちょっと振り返りぎみに…。 」

 学校帰りに立ち寄ったノエルにポーズをとってもらって頼まれた挿絵の構図を考えている。
どちらかと言えば好きではない系の本だが…仕事だから贅沢言っていられない。

 ノエルは西沢と亮に助けられてから時々顔を見せるようになった。
亮と連れ立って来る時もあるし、ふらっとひとりで現れることもある。
 訊けばアルバイトをしていないようなので西沢がしばらく雇うことにした。
同時に西沢の仕事場での姿を写真に収めようとしている滝川にも雇われることになった。

 「でも…紫苑さん…これって女の子でしょ? 僕…自信ないなぁ。 」

言われた通りにポーズをとりながらノエルは言った。

 「できるだけ千春ちゃんの様子を思い出してくれればいいよ。
僕も普段あまりモデルは使わないんだけど…この手の本は馴染みがなくてさ…。
あ~その姿勢もあんまり面白くないなぁ…。 」

 懇意にしている出版社から相庭が是非にと頼まれて引き受けてきたラブ・ロマンス系少女小説の挿絵…西沢の最も苦手とする分野だ。
 
 何で僕よ…他にこういうの得意な人いっぱいいるじゃない…とは思いながらも受けた以上は描くしかない。
 西沢クラスなら好きなものだけ描いていればいいと思われがちだが、世の中そんな甘いもんじゃない。
 無名の頃のように数をこなす必要はなくなったものの、相庭の言いぐさじゃないけれどお得意先は大切にしとかなきゃ…ね。

 「…にしてもうかばねぇ…。 やっぱ苦手だ…この手は…。 」

 西沢はイライラした様子で頭を掻いた。
滝川がシャッターを切る音がやたらうるさく響いた。

 仕事部屋の扉が開いて亮がひょっこり顔を出した。
煮詰まった三人の視線が一斉に亮に向けられた。

 「えっ…どうしたの? 」

 亮はちょっと引き気味に訊ねた。何か思いついたのか西沢が手招きした。
呼ばれるままに西沢とノエルの傍に行くと指示が飛んだ。

 「ノエル相手に…恋人って感じで何かしてみてよ…高校生くらいの…。 
千春ちゃんだと思ってさ。 」

 亮は眼を丸くした。恋人って言われてもなぁ…。
しばらく考えてから亮は椅子に座っているノエルの背後からそっと包み込むように軽く抱きしめた。

 「千春にそんなことしてるわけ…? 」

千春の兄ノエルが訊いた。

 「してません…。 まだなんも触ってません。 ケーキ屋さんでケーキ食ってるだけで…。 」

 ケーキ屋さんでケーキ…ノエルが突然笑い出した。千春らしい…な。
ノエルは千春のふわっとしたほっぺたを思い浮かべた。

 「いい笑顔だ…。 ノエルそのまま亮くんを見上げるように振り返って…そう。
亮くん…ちょっと覗き込んでね。 少しだけそのままでいて…。 」

 西沢は手早くふたりをデッサンした。
再びシャッターを切る音が響いたが…今度は気にもならなかった。

 「亮くん…そのままキス! 振りでいいから…。 」

ひえぇ~! 亮は思わず西沢を見た。

 「それ…いったい何の挿絵…? そんなシーンあるの? 」

 在るんだよ…それが…ちゃんと注文にさ…。
西沢は相庭が持ってきた物語の粗筋のコピーと依頼主ご希望の絵に関するメモ書きを見せた。
 ティーンエイジャーの女の子が喜びそうな小説…嘘だぁ…今時…せいぜい小学生対象だよな…この手は。
 
 「さすが本屋さん…分かってらっしゃる。 少女漫画だろ…まるで…。
まあ…恭介の趣味の写真なみの発想だと思えば…。 」

西沢がチラッと滝川を見た。どういう意味だ…と滝川が憤慨した。 

 「はい…疲れるからさっさと済ませようぜ…。 亮くん…頑張って下さいな。
バイト料払うからさ…。 」

 えぇ~マジでやるの…? 亮はノエルを見た。ノエルもチラッと亮を見た。
ノエルは綺麗だ…半分女の子のせいか…すごく優しい顔立ちをしている。
だから…余計にこっちが照れるんだ…完全に男なら軽い冗談で済むのに…。

 突然…ノエルは自分からポーズを取った。思い切りがいいのか…戸惑っている亮に業を煮やしたのかは不明だが…とにかく…GOサイン。
ノエルに促されるように亮は唇を重ねた。
同時にシャッター音…。滝川先生…後で絞め殺すからね…。

 「そのままちょっとじっとしててね…。 」

 西沢は急いで二枚目のデッサンを仕上げた。
その後もふたりにポーズをとらせて恋人たちのデッサンを数枚…。

 「お疲れ…。 助かったよ…おふたりさん。 恭介…休憩しようぜ…。 
ノエル…亮くん…コーヒーでいい? 」

ふたりが頷くと西沢は滝川と連れ立ってリビングの方へ出て行った。

 「気に入らない仕事でも…いい加減にちゃっちゃと描いたりしないんだ…。 
ちゃんと…確かめながら…出来る限り忠実に描こうとしている…。 
わりと真面目で誠実な性格なんだね…。 」

ノエルがぽつんと呟いた。

 「…顔を変えてくれるって言ってたからばれないよね…。
父さんに知られたら…また嫌味を言われるから…おまえは女かって…。
別にいいんだけど…聞くのが鬱陶しいから…。 」

 亮や西沢がノエルの身体の秘密を知ってしまったことを、ノエルはうすうす気付いていたようだった。

 「仕方ないよね…僕どちらにも成りきれないし…。
見た目がそうだから男として生きてきたけれど…どこか他の男と違うところがあるのかもね…自分でもよく分かんないけど。
 亮が羨ましいよ…そんなふうに格好いい体格に生まれたかったな…。
そうしたら…父さんにも何も言われずに済むのに…。 」

 華奢な体格と穏やかな性格が災いしてノエルはどうやら父親から始終酷いことを言われているようだ。
インターセクシャルだと分かる数年前まではそれほど親子関係は悪くなかった。
 跡継ぎの成長を楽しみにいていた父親にはかなりのショックだったらしく、事有るごとに男らしくしろだの女々しいだのと小言を言うようになったという。
時には手術を受けて女性の器官をすべて除去しろと迫ることもある。

 「そこまでの決心がつかないんだ…。 臓器が多いってだけで…手術なんて…。
だって今までまったく不都合がなく生きてこれたんだもの。
母さんは健康な身体にメスを入れることはないって言ってくれるけど…。 」

 ノエルは少しだけ鼻を啜った。
きっと誰にも言えなくてずっとひとりで悩んでたんだろうな…。
僕が誰にも言えなかったように…。

 「僕は…きみの好きなように生きたらいいと思う…。
今まで通りずっと男でいたいならいればいいし、女になりたいならそれもいい。
その場その場で男だったり女だったりしたって構わない。
 他の誰が何を言おうときみ自身が選べばいい…決めるのはお父さんじゃないよ。
どんな選択をしようとも僕ならきみを受け入れるよ。 」

 何か…プロポーズみたいな…変な言い方だけど…さ。
ノエルがクスッと笑った。
 
 「亮も…紫苑さんも変わってるよ…。 優しくて残酷…。 」

本気にしたら…裏切られた時哀しいから…ね。

 コーヒーの香りが漂ってきて、扉の向こうから西沢の呼ぶ声が聞こえた。
立ち上がったノエルの後姿がなんだか無性に寂しそうで、亮はもう一度ノエルの肩を抱いてやりたくなった。
 けれど…ノエルはきっと…そんなこと望んでいないだろう…衝動的に伸ばした手を溜息で抑え込んだ。



 西沢が使者として動いたことで戦力が激減しても、どちらの組織も一向に争うことを止めなかった。
 夕紀のように治療を拒んだ者たちや単独行動の能力者たちが、戦力不足を補うためにさらに熾烈な争いをあちらこちらで起こしながら、戦力確保のための勧誘と称した洗脳が今度は自己暗示ではなく他の能力者たちの手で行われるようになった。

 西沢は時々ふらっと出かけて行っては、未熟な暗示を解いて回っていたが、何しろ西沢の姿は目立ちすぎて町をうろつくには不向き。
 下手をすれば自分が取り囲まれて身動きが取れなくなる虞がある。
出会うとは限らない相手のためにいちいち気配を消すのも面倒で…。 

 チェーンの効果がなくなってしまったから亮の前にも妙な連中が現れることがあるし、ノエルや千春も今では西沢にとってほってはおけない存在になっている。

 西沢は亮とノエルにだけでなく、ノエルの妹千春をも時々…勿論、兄のノエルが同席している時にだが…部屋に呼んで、能力者から身を護る術や戦う時の心構えなどを教え込んでいった。

 この兄妹の両親は族人ではなく…どちらかが少しは力を持っているらしいが単独の能力者でその能力を護ったり戦ったりに使ったことのない人たちだった。
当然…ふたりは亮と同じで能力者としての教育を受けたことがない。

 まあ…実践で体得すれば何とかなるだろうが、西沢としては少しでも力になってやりたいという親心もあり、三人の指導を買って出ているのだった。

 指導を受ける側の亮が時折不思議に思うのは、封じられ閉じ込められているはずの西沢がどうやってそうした護身の方法や戦う術を身につけることができたのか…という点だった。

 それとなく西沢に訊いてみると…喧嘩…と答えてにやりと笑った。
僕は…家の外ではいわゆる超問題児…小・中・高と暴れて過ごした。
伯母の趣味は僕をおとなしくさせる役には立たなかったみたいだね…。
大学でやっと落ち着いた…らしい。

 なぜ退学にならなかったかって…? 弱い者苛めしなかったからじゃないの?
だって全部売られた喧嘩だもん。 正当な理由あり…だ。 厳重注意でお終い。
それに…授業態度良くして成績だけは下げないようにしてたからさ。
喧嘩仲間にとっちゃ嫌なやつだったろうね…きっと。

…と…さも可笑しげに笑い転げた。

 ま…冗談別として…伯父はきちんと能力者としての教育を受けさせてくれたよ。
力を使わせないようにすることと教育することは別の次元だからね…。
少しばかり切なげな顔をして西沢は答えた。

 やっぱり…訊いちゃいけなかったかなぁ…と亮は思った。
西沢を取り巻く複雑な事情…ノエルの背負っている問題…滝川の胸の奥底にある悲しみ…外からは見えないけれど…誰もが何かしら重いものを抱えて生きてる…そんな気がした。




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現世太極伝(第二十二話 裁定人の御使者)

2006-03-03 21:58:01 | 夢の中のお話 『現世太極伝』
 仕事先に伯父を訪ねるのは何年ぶりだろう…覚えがないくらいだ。
入り口に陣取っている秘書に名前を告げると秘書は慌てて受話器を取った。
扉のない中間の部屋から英武が飛んできた。

 「シオン…どうしたの? 大丈夫? 何かあったの…? 」

不安そうに西沢の顔を見つめた。

 「なんでもないよ…。 お養父さんにお願いがあって来たんだ…。 」

 西沢は穏やかに微笑んで見せた。
それでも心配そうに西沢の傍についていた。

 「この間はごめんね…ひどいことして…。 父さんに叱られた。 
父さんは僕がきみを苛めてると思ったらしい…。 」

 悲しそうに英武は言った。

 「英武…可哀想に…叱られたの? いいんだよ…僕にはちゃんと分かってる。
そうだ…今度不安になったら…動く前に深呼吸して数を数えてみて…。
少しは落ち着くからね…。 」

 素直に頷く英武の肩を軽く叩いて西沢は奥の伯父の部屋に入った。

 革張りの椅子に身を沈め祥は西沢を迎えた。
 
 「紫苑…ちっとも顔を見せないから心配していたぞ…こっちへおいで。
なにか…頼みたいことがあるそうだな…。 」

 嬉しそうに笑いながら祥は手招きした。
優しい人…いつもそう…僕を甘えさせてくれる…けど…。

 「裁きの一族から…指令がきました。 」

 西沢は祥の机に封書を置いた。祥は顔を強張らせてそれを手にした。
祥が怖れていたのは封書の中の宛名…やはり…木之内紫苑と書かれてあった。
裁きの一族にとって紫苑が属する家系の名は西沢ではない。
あくまで木之内…。

 「動かねばなりません…が…僕は木之内ではないので…西沢を名乗ってよいかどうかを伺いに来ました。 」

 西沢がそう訊くと祥は少しほっとした。
封書の中に書かれた宛名がどうあれ、紫苑自身が西沢を名乗れば問題はない…。
祥は大きく頷いた。

 「かまわんよ…西沢としては…。 だが…木之内の有はどう言うかなぁ…。 
気を悪くしないだろうか…?」

紫苑の実の父に対する遠慮もあった。 
 
 「僕は西沢の人間です…。 木之内の意向は関係ありません。
それと…これはお務めですから…あちらこちらの一族に関わることになります。
懇意にしているところばかりじゃありませんのでご承知おき下さい。 」

 分かった…と祥は言った。
とにもかくにも紫苑が西沢として動いてくれれば文句はない。
西沢家の権威を示す絶好のPRにもなる。

 「それはそれとして…紫苑…たまには戻っておいで…。
お養母さんが寂しがっているよ…。 
 英武がくれた滝川の写真集を眺めては溜息をついている。
写真じゃ物足りないのだろうな…。
何しろ…おまえを眺めることは昔からお養母さんの楽しみだからね…。 」

 西沢は養母美郷の顔を思い浮かべた。
どこかで紫苑を娘だと思い込んでいるようなところがあって、紫苑にとっては少しばかり敬遠したいような人だが…実子の英武や怜雄以上に可愛がってくれた。

 「近いうちに…。 」

そう返事をして西沢は祥に暇を告げた。



 滝川家の族長宅では一族の重鎮と治療師たちが、記録に残っている限りでは明治維新以来初めて迎えることになる裁きの一族の使者を待っていた。
 使者を使わした宗主からは族長宛に、一切の問い…使者個人に関しての情報の口外を禁止するとの通達があって、どんな使者が来るのかと神経を尖らしていた。

 分家の恭介を案内に現れたのは天井に頭が届くのではないかと思われるような大丈夫…腰を低くして頭を下げなければ鴨居がくぐれない。
 恭介も大柄だがこの使者はさらに大きい。
それだけでも圧倒されるのに使者はあの恭介の奇妙な写真集のモデル…。
 写真集が出た時に、こんな馬鹿げた写真集…この男の何処がいいんだ…と陰口を叩いていた連中も本物を目の前にして思わず息を呑んだ。

 こうした人たちは胸の内では西沢のことをたかが際物のモデル風情…くらいに考えているのだろうが、さすがに顔には出さず、その口も堅く閉ざしたままだった。
  
 意外としか言いようのない使者の顔をただ呆然と見つめていても埒があかない。
気を取り直した族長が使者を上座に据えて形ばかりの口上を述べた後で、自分で自分を洗脳してしまっている状態の若者たちを家族が引き連れて現れた。
 滝川一族の被害者は三人で、うち一人は何者かと争ったおりに精神のバランスを崩されてしまっている。

 西沢が先ず取り掛かったのはこの最も重症な若者だった。
恭介を始めとする滝川家の治療師たちが西沢と若者を取り囲んだ。
西沢は最も権威のある治療師からこれまでの治療経過を聞き出した。

 初老の治療師の話を聞きながら若者の目を覗き込んでいた西沢は、先に解き放った五人の時とは違って一度にではなく、何段階かに分けて若者の暗示を解いた。

 説明を受けたわけではないが…おそらく治療師の手が入った時点から今までの記憶、それ以前から精神にダメージを受けたと思われる時点までの記憶を操作してダメージを軽減した上で最終的に自己洗脳を解いたのではないか…と恭介は考えた。

 ようやく我に返った若者を見て家族はほっと胸をなでおろした。
しかし…西沢は治療師と親を前に、現段階ではあくまでダメージを和らげ、暗示を解いただけだということ…一度受けた精神的ダメージは軽減することはできても完全に消し去ることは難しいので時間をかけてゆっくりと回復或いは順応させていくしかないことを告げた。

 後の二人に関しては西沢はまるで問題にはしていなかった。
あの駐車場の五人の時と同様あっという間に自己暗示を解いてしまった。
 その力に度肝を抜かれた滝川の一族は、恭介の使った男性モデルに過ぎない西沢紫苑から…裁定人の御使者紫苑さま…に見る目を変えた。

 族長は三人の若手を助けて貰ったことを心底喜び、謝礼金と治療費と称して高額の金員を用意したが、西沢は笑って…これはお務めだから…とそれを固辞した。



 最初に情報の収集と提供に長けた滝川一族を訪問したのは正解だった。
西沢個人の情報や名前はきっちり伏せられてはいたが、裁定人の使者の腕は確かだという情報だけは流れているようだ。
 西沢の知らない家系やそれほどの付き合いのないところからも有を通じてではあるが助力の依頼が入ってきて、こちらからコンタクトを取る必要が全く無かった。

 ただ…時々西沢が到着する前に家族の前から逃げ出してしまっている者もいて、そうなると訪問も一度では済まなかった。
 宮原家と島田家を含む一族の場合も、両家で四人いた被害者のうち夕紀が逃げ出してしまっていた。

 「ごめんなさい…西沢先生…。 せっかく来て下さったのに…。
僕がもっとしっかり見張ってれば良かったんだけど…。 」

 直行が申し訳なさそうに謝った。気にしなくていいよ…と西沢は微笑んだ。
その場に連れて来られていた三人の中のひとりは既にこの前駐車場で自己洗脳を解いてあったので問題なく、残る二人も取り立てて難しい状態ではなかった。

 輝は治療師ではないからこの場に立ち会ってはいなかったが、輝のことを良く知っている者たちが御使者は輝の恋人だとひそひそ噂し合っていた。

 滝川の一族に比べると統制がゆるい…と西沢は感じた。
不手際の詫びを入れるのは族長の仕事であって、直行のような役付きでもない若手が、長老衆を差し置いて使者に対し直接口をきくことなど通常では考えられない。
 勿論、族長からは丁寧な詫びの言葉を受けたが、滝川家では役付き以外の若手が同席することさえなかった。

 「ひとつだけ疑問が残るんです…。 行方不明になった時に家族が騒がなかったのはなぜなのか…。
 これが自己暗示みたいなものなら…家族は思考をコントロールされていないわけだから…。 」

 帰り際に玄関口で西沢のために傘を広げながら直行がぼそっと呟いた。西沢は少し表情を強張らせた。

 …一切の質問は禁止…のはずだけど…。
直行が気安く使者に話しかけるのを誰も止めようともしない。
上がり框のあたりには族長を始め数人の大人が見送りに来ているというのに…。
 
 「本人の居場所が分かってさえいれば…子供の家出なんて他人には知られたくないもんなんだよ…。
 できれば何事もなかったようにことを済ませたいのが人情だね…。
それに…今回は上の方からも下手に騒がないように指令があったと思うよ。
同族の者が一端の能力者でありながら何者かに攫われたなどという恥を晒したくないからね…。 」

 直行がもし…西沢家或いは木之内家と同族の若手であるならば西沢は厳しい態度に出ただろう。
 旧家の木之内家と権勢を張り合っている手前、西沢家はそうした族人としての教育にはかなりうるさい。
 怜雄も英武も普段はいいとこのぼんぼん然としてのんびり甘えて暮らしているように見えるがそういう点では甚だ厳格に躾けられている。

 だが…他の一族の方針に口は出せない…。
ことに使者の立場では…。

そんなことを考えていると、突然、背後から直行を叱咤する声が飛んだ。  
 
 「おまえのような者が御使者に気安い口をきくものではない! さがれ! 」

 振り返ると島田の重鎮のひとりが立っていた。
高い地位にあるにもかかわらず若い男で、その男の顔には見覚えがあった。
直行は慌てふためいて傘を投げ出して姿を消した。

 「御使者…申し訳ないことです。 このところ島田も宮原も若手の教育を怠っておりまして…お恥かしい限り…。 」

 輝の齢の離れた兄で克彦だった。40前でありながら長老の立場にある。
若いながらに気骨のある男で年寄り連中からも一目置かれていた。

 「直行にはよく言って聞かせます。 
あいつは普通の家で育ったものでしきたりや作法をよく知らんだけで…本来は無礼なやつではありません。
どうか許してやってください…。 」

 克彦はそう言って深々と頭を下げた。
何…気にしてはおりませんよ…と慰めを言って西沢は軽く会釈した。
克彦は直行が広げていったままの傘を西沢に差し掛けて車寄せまで送って出た。

 使者西沢が車に乗り込むその時まで自分は雨に濡れながらも西沢に傘を差し掛ける克彦に…それが本当に礼節を弁えた者の姿とは言いながら少しばかり心に沁みるものを覚えた。
 西沢は克彦に敬意を表して車の中で深く頭を下げた。
それを見て克彦はその意を察したように微笑み車が門を出て行くまで礼を続けた。







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現世太極伝(第二十一話 きみに命があるということ)

2006-03-01 16:06:03 | 夢の中のお話 『現世太極伝』
 「…千春? 亮だけど…。 
あのさ…ノエルなんだけど…急に気分が悪くなって寝込んじゃったんだ。
 兄貴んちでいま治療師に診て貰って…そう…兄貴居るんだ…少し良くなったけどまだ動けないから…今夜泊める…。
 お母さんに言っておいて…うん…大丈夫…熱はないみたい…疲れてるみたいだから寝れば治るって…うん…じゃあな…。 」

亮が電話している後ろで滝川がニヤニヤしていた。

 「亮くん…バイトどうしたの? 休んじゃったの? 
千春ちゃんのお兄ちゃんのためだもんな…。 」

くっくっと喉を鳴らして滝川は笑った。

 「残念でした。 店長の都合で今日は休み。 
だからノエルに会いに行ったんだけど…まさかこんなことになるとは…。 」

 滝川自慢のカレーを大型のスプーンでつつきながら、亮は西沢の部屋の方へ目をやった。
 
 「あの子ちょっと輝に似てるだろ…。 切れ長の目でさ…。
紫苑の好みのタイプだ…。 輝がさらに機嫌悪くなるだろうな…。 」

滝川は二杯目をよそいながら面白そうに言った。

 「男の子です。 さっき触ったでしょ。 治療師さん…。 」

 亮は語気を荒げた。滝川が再び喉を鳴らした。
西沢が部屋から出てきてそっと扉を閉めた。

 「随分…顔色が良くなってきた…。 」

そう言いながらテーブルについた。

 「恭介…あの子…? 」

少しばかり真剣な眼をして西沢が訊いた。

 「おまえの考えている通りさ。 インターセクシャルだ。 」

 西沢のためにカレーをよそってやりながら滝川は答えた。
やっぱり…と西沢は頷いた。
何…それ…? 亮が訝しげに二人の顔を見た。

 「半陰陽…両性具有…男の子だけど女の子でもあるってこと…。
太極が好んであの身体を選ぶわけだ…。 」

 女の子…うそぉ~…亮は驚きのあまり言葉が出なかった。
だって…千春は男だって言ってた。あ…間違いじゃないんだ…男でも。

 「卵巣があるにはあるが不完全で役に立ってない…と診た。 
精巣は完全だから…まあ…本人が男だというのならそれでいいんじゃないのか…。
外観上は男なんだし…。 」

 滝川はなんでもないことのように言った。 
そうだな…と西沢も同調した。

 なんだか空気が重くなり…おしゃべりな滝川までがうんともすんとも言わずにカレーを黙々と食べた。 

 突然…沈黙を破って郵便受けがカタンと音をたてた。
こんな時間に…?
亮が玄関に向かうと封書が差し込んであった。

 西沢宛に決まってはいるが…表書きのない白い和紙の封書だった。
不審に思いながらも西沢にそれを差し出した。

 西沢はそれを受け取るとすぐに開封した。
和紙に書かれた文章に目を通した西沢は少し動揺したように表情を強張らせながらその手紙を滝川に手渡した。

 「紫苑…これは…指令書じゃないか…。 
 どういうことだ…僕が探している裁きの一族の宗主からの指令書…。
なぜ…おまえに…? 」

 滝川も動揺を隠せなかった。
情報通の滝川が半年以上もかけて探し続けても所在が確認できなかった一族から、あっけなくも紫苑に届けられた手紙…。

 「信じていなかったんだ…。 僕の中にその血が流れているなんて…。
会ったことも見たこともなく…所在さえ分からない一族の血…。
 伯父の意識の中から偶然読み取っただけだから…まさかと思っていた。
だけど…この手紙がそれを証明している…。 」

 見知らぬ相手からの指令を受けて西沢は困惑したような表情を浮かべていた。
内容を再度確認してから滝川が亮にもその手紙を渡した。
 
 手紙はごく短いものだった。
西沢が手を出せる範囲内の一族の若手たちを不可思議な呪縛から解放せよとの宗主からの指令書だった。

 「父さんの血で繋がっているんだよ…。 西沢さんも…僕も…。 
この前直行に頼まれて…所在地を聞いてみたんだけど…後継と決まった者にしか教えられないって…。 」

亮は知っているだけのことを話した。

 「けど…なんで今頃…おまえに…? 
あの妙なマインドコントロールには何処の族長も長老衆も手を焼いているのに…おまえなら解けるという根拠は何処から来ているんだろう…? 」

滝川は不思議そうな顔で西沢を見た。

 「さっき大学の駐車場で五人ほど…。 
あれは自己催眠みたいなもので…他から洗脳されたというわけではないんだ…。
 自分で自分をマインドコントロールしているんだけど…スポーツ選手やなんかのトレーニングとは違ってちょっと度が過ぎちゃったってとこかな…。 」

 さっき…ってそれじゃあ紫苑の周りには絶えず裁きの一族の眼がひかってるってことじゃないか…それも一方的に…。
勘弁してよ…やじゃねぇ…それ…?と滝川は思った。

 西沢が五人の若者を暗示から解き放ったのはまだ2~3時間前のこと…。
裁きの一族はこの短い時間の間に西沢の行動を事細かに捉えてその力の大きさを把握し指令を出してきた。
インターネット並みの信じられない速さで情報が伝わっている。

 「ま…相手が相手だから…従うしかないね…。 親父の手前もあるし…。
西沢の名前を出すとなると伯父の許可が要る…なんか面倒だなぁ。
 解放せよと言われても…何処にどんな一族が居るのかあまり知らないからな。
道案内しろよ…恭介…先ず…おまえんとこ行ってやるぜ…。 」

 そいつは…どうも…と滝川は言った。
こいつほんと開き直りが早いっつうか…嫌だと言えないお人好しっつうか…。
けど…上手くすれば裁きの一族と接触する取っ掛かりができるかもしれない…。
そんなふうに滝川は思った。



 描きかけの作品に少しだけ手を入れて西沢は部屋に戻った。
いつもは勝手に滝川が占領している場所でノエルは静かに寝息を立てていた。
 西沢の大きなパジャマを着せられたノエルはまるで小さな子供のように見えた。
容態に変わりがないことを確認すると西沢も静かにベッドに横たわった。

 ぼんやり天井を仰ぎながら思いつくままあれこれと考えた。
取り敢えずこの先、亮をどう護るか…チェーンのカムフラージュはもう効かない。
 お守りの効果がなくなった以上、亮も自分で自分の身を護らなくてはならないだろうが、今日見ていた限りでは…そこいらの能力者に負けることはないだろう。
 心配なのは…太極を修復しているというものたち…と直接相対した時に逃げ果せるかどうか…勿論…戦って勝つなど出来ようはずがない。
まあ…何処へどう逃げようと釈迦の手のひらには違いないんだが…。
 
 ノエルが寝返りを打って…うっすらと眼を開けた。

 「気分…どう? 少しは楽になったかい? 」

西沢が問い掛けるとノエルはうん…と頷いた。

 「何か…食べる? それともジュースかなんか持ってこようか? 」

 いらない…とノエルは首を振った。
寒い…と呟いた。

 「お腹に何も入ってないからさ…。 ちょっと待ってな…。 」

 西沢が起き上がってベッドを出ようとするのを慌ててノエルは止めた。
異常なほど気を使う…疲れるのは当たり前だな…と西沢は感じた。

 「そんなに気を使わなくていいのに…傍においで…少しは温かいから…。 」

 ノエルは少し戸惑ったが西沢の方へ近付いた。
ぶかぶかのパジャマを透して西沢の体温が伝わって来た。

 「ね…ちょっとぬくぬくするだろう…? 」

西沢が微笑むとノエルは素直に頷いた。

 「暖房もいいけどさ…。 僕はこの温もりが好きだな…。
子供の頃にね…伯父の使っている大きな羽根布団を持ち出して居間の片隅に柔らかなトンネルをよく作ったんだ。
 従兄弟たちと三人でトンネルに籠もって遊んでいるうちにとろとろしてきて、いつも子犬みたいに眠ってしまった。

 目が覚めると伯母に叱られるんだ。お布団で遊んではいけませんよって…。
何度叱られても…やめられなかったなぁ…。 」

 懐かしそうに西沢は笑った。
ノエルは不思議そうに西沢を見ていた。
 体温を感じるほどに近寄ると、西沢が本当に生きて呼吸をしているのだということが分かる。
 この絵に描いたような…それこそ写真集から飛び出てきたような男が現実に目の前に存在してノエルに話しかけている…。

 「作り物じゃないってことが確認できたかい…? 
僕の体温がきみを温めているけれど…きみの体温で僕も温かい。
 命があるって…そういうこと…。
どんなに愛してやまない人でも命の火が尽きてしまえば…僕を温めてくれることはない…。
ここに居るだけで…きみは僕を幸せな気持ちにさせている…その温もりで…ね。
僕にとってはそれだけでも十分に意味がある。

 誰かに思われているという確信が持てないと…自分は必要とされていない…と感じてしまうよね…だから大抵の人は自分を思ってくれる人を欲しがるんだ…。
 そういう気持ちをちょっとこちらへ置いておいて…さ。
思ってあげられる人に…なってみたらいいんじゃない…?
その温もりで…誰かを温めてあげられる人に…それこそ必要な人だろ?

 それはささやかだけど…大きなこと…僕はそう思うよ…。
世界規模の功績じゃなくても…きみが存在する価値は十二分にある…。 」

 誰を…どうやって…とノエルは問いたかった。
自分の心さえどうにもならないのに…思ってあげることなんてできやしない…。
僕に思われるだけ…相手にとっては迷惑かもしれないじゃない…?
それに思ってあげるだけで思われなかっったら…悲しいかも…。 

 「そうだな…取り敢えず僕のことでも思っててよ…。
亮のことでもいいや…。
 元気で頑張ってね…くらいで構わないからさ…。
きみがそう思って応援してくれたら…明日からのつまらない仕事に弾みがつくかも知れない。

 ちょっと嫌な仕事が入ってるんだ…。 」

 西沢はそう言って笑顔を見せた。
ノエルは眼をぱちくりさせたが…分かった…と頷いた。
西沢は嬉しそうにさらに相好を崩した。

 なんだか変わった男だとノエルは思った。
悪い人では…ないみたいだけど…ちょっとお節介かな…。

 羽毛のトンネルじゃないけれど…西沢の傍は十分温かくノエルを再び眠りの世界に引き込んだ。
西沢の顔がぼやけて消えた…。






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現世太極伝(第二十話 あなたが存在する意味)

2006-02-27 16:52:33 | 夢の中のお話 『現世太極伝』
 「おまえがどのような感覚で私を捉えているのかは分からないが…私はこの男の中に存在しているわけではない…。
この世界のありとあらゆるものが私だ…そう…おまえも私の一部だ。 」

 太極の両極…陰と陽が結合と分裂を繰り返して五行を生み、五行が絡み合ってすべてのものを生み出した…ということは亮の身体もそうして生み出されたものということになる。

 「亮…おまえは…おまえが存在する意味を考えたことがあるか…? 」

 太極は訊ねた。
それは…自分に生きている価値があるかどうか…ということなのだろうか…?
 それならばあの時からずっと…僕をおいて母が出て行った時から…父が帰ってこなくなった時から…胸の中にある。

 「この世のものはすべて対を成して存在する…。 人もまた然りだ…。
単独で存在することは在り得ない。
 
 もし…おまえがいまここでその存在をやめてしまったとすると、おまえと対を成しているもうひとつの何かも…或いは誰かも…同時に滅ぶことになる…。
 逆に向こうが命を絶てば…或いは壊れてしまえば…おまえはすぐにでも否応なしに死ぬことになる。

 この世におまえが存在することの意味は…おまえがこの世界を構成するひとつの要素であると共に、おまえと対をなすものの存在についても責任を負っているということだ。
 しかも…単に一対の存在というだけでなく、要素というものはその他の要素に対しても複雑かつ重要な関わりと繋がりを持っている。
 それ故におまえという要素が消えることによってこの世界に及ぼされる影響には計り知れないものがある。

 たったひとつのちっぽけな要素ではあっても…おまえは今この瞬間のこの世界を構成するためにはなくてはならない大切な存在だということだ。

 おまえの命は決しておまえだけのものではないのだということを胸に刻んでおいて欲しい。

 その上で…。 」

 …と太極は続けた。

 「我々は…我々がこの世界を生み出したその瞬間から発生と消滅を繰り返すこの世のすべてのものを作り上げてきた。
 そのこと自体に然したる理由などはない…おまえの身体が自然に生命を維持するための営みを行っているようなものだ…。

 おまえの身体がどこか故障を起こした時に、おまえが敢えてそうしようと思わなくても身体が修復を行っているように、私の中で何かが起きれば私の生み出したものが私を修復してきた…。

 ところが…最近…最近といっても…人間にとっては百年二百年の単位になるかも知れないが…修復が間に合わないほど存在のバランスが崩れてきている。

 生き物…動物も植物も…の滅ぶ数…自然の破壊される数…以前とは比べものにならないほどだ…。
原因は様々…大気や水の汚染であったり…戦争であったり…。

 先にも話したようにこの世に在るものはすべてこの世界を構成する要素だから、それが失われることによって私の存在までもが危うい状態になってきている。
私が消えるときはこの小宇宙が消えるときでもある…。

 私を修復しているものたちはこの危機的状態を回避するために、修復に必要なエナジーを自ら生み出すだけでなく、原因を作った人間という種から回収することを思いついた。
 生命エナジーがより強いと思われる世界中の若い特殊能力者を集め、その生命エナジーによって陰と陽とのバランスを図ろうとした。

 思いがけぬことに…集めた若者が増えるに従って自然発生的に組織という形態をとるようになり、陰と陽に分かれて反目し合うようになってしまった。 
 陰と陽とはもともと同じもので対立して存在するものではないということが人間には理解できなかったようだ。

 もはや…ありとあらゆる所で我々の意思とは無関係に能力者同士の戦いが起こっている。 
そうした争いがさらに私を破壊する原因となっていくことも知らずに…。

 人間は救い難い…私を修復するものたちは…人間という要素をすべて消した上で新しく別のものを生み出した方がいいのではないかと考え始めている…。」

亮は驚愕した。人間を消す…。そんな馬鹿なこと…。

 「冗談じゃない…。 そんなこと勝手に決められても…。
さっき…きみは言ったじゃないか…存在する意味を胸に刻めと…。
 もし人間だけが消されたとしても対になっているものが人間じゃなければ…それも一緒に消えるんだぞ。
矛盾してるよ…。 」

 絶対納得できない…亮はそう思った。 
太極はじっと亮を見つめた。

 「人間が存続した場合にはその先に必ず失われていくものが発生する。
それを修復するために必要なエナジーを生み出すことと、人間を消して新しいものを生み出した場合に必要なエナジーとを量りにかけた場合…どちらが我々にとってより効率的かという問題だ…。 

 いま…私は迷っている…人間も私の生み出したもの…そして私の一部…簡単に消してしまっていいとは思わない…。
だが…このまま私の中で破壊が進めば人間にとっては結果は同じ…滅びが来る。」

 途方もない話に亮は動揺していた。どうしたらいいんだろう。
そんな話を聞かされても…僕にはどうすることもできない。
 もっと力があれば…洗脳を解いて能力者同士の争いくらいは抑えられるかも知れないけれど…。

 「洗脳…したわけではない。 おまえたちは誤解している。
私の中の陰陽…その中の四象…などが話し伝えたこの世界の現状を…彼らが純粋な心で捉えた結果だ…。

洗脳ではないから…その思いは我々にも解けぬ。 」

 なんてこと…もしかしたら自己暗示か…催眠…。 
う~ん…どちらにしろ僕には解く力はないし…。

太極はふと講義室の外に目を向けた。

 「お迎えが来たようだぞ…。 亮…。 あの男が…すぐ近くまで来ている。
ついでだ…この男も連れて帰ってやってくれ…今日は相当…疲れているようだ…。

 だが…気をつけて行くがいい…。 いまや攻撃は無差別に行われている。 
おまえはさっきあの男を呼ぶために自分の力を使ってしまった。
もう誤魔化しは効かない…。 」

 太極の忠告が終わるや否や…講義室の扉のところに西沢が姿を現した。
西沢は落ち着いた表情でゆっくりとこちらへやって来た。
ノエルを操っている太極の前に進み出ると静かに語りかけた。

 「太極よ…。 
あなたが我々人間を生み出したものであるのなら…あなたの手によって人間を滅ぼすことだけはどうか避けて貰いたい。

 自分が今…親の手によって殺されようとしているなどと疑うこともせず…その瞬間を迎える子の心をどうか察して欲しい…。

 あなたがすべてのものの根源であるのなら…我が子を殺すような哀しい真似だけはしないでくれ…。 」

 太極というものの魂に直接訴えかけるかのように西沢はそう話した。
太極はしばらくじっと西沢を見つめていたが…やがてその気配を消した。

 瞬間…ノエルが力尽きたようにその場に倒れこんだ。
魂がぬけたように崩れ落ちる華奢な身体を慌てて駆け寄った西沢が支えた。
 西沢の腕の中でノエルはうっすらと眼を開け、ぼんやりと自分を抱えている男の顔を見た。

 「誰…? えっ…西沢…西沢…紫苑…? 」

 ええっ…? ノエルは驚いたように飛び起きた。西沢はクスッと笑いながら、そうだよ…と答えた。

 「なんで…どうして…ここに? 木之内…も…? 」

傍にいる亮と西沢を代わる代わる見た。 

 「西沢紫苑は…僕の兄貴なんだ…。 誰も知らないけど…。 」

 亮はちょっと照れたように言った。
西沢がノエルに向かって頷いた。

 「大丈夫…きみ? あまり顔色が良くないね…。 
亮くん…この子の荷物持ってくれる? 駐車場まで僕が負ぶっていくから…。 」

 西沢に促されて亮は自分とノエルの鞄を抱えた。
とんでもない…ノエルは首を横に振った。

 「大丈夫です…。 僕…歩ける…。 鞄も…有難う…。 」

 亮から鞄を受け取るとノエルはわりとしっかりした足取りで歩き始めた。
先を行くノエルの後姿を心配そうに西沢が見つめた。



 講義室に来た時にはまだ陽が射していたがすでにあたりは暗くなりかけていた。
あちらこちらの研究室や部室にはまだ人が残っているようで灯りがついていたが、外には人影がほとんどなかった。

 校門を出て駐車場に入ったあたりで止めてあったワゴン車の陰から突然何者かが飛び出てきてノエルの腕を掴んだ。 
 ノエルはそれを振り払ったが弾みで転んでしまった。
衰えた体力では相手の攻撃をかわすのがやっとなのか地面を転げまわった。 

 「西沢さん? 」

力を使ってもいいか…と亮の顔が訊いていた。

 「やってごらん。 但し…相手にショックを与える程度…大怪我させないように…。」

 頷いて亮はなかなか起き上がれずに居るノエルの方に駆けて行った。
相手は五人ほど…その中でノエルを攻撃しているのは二人だが、残りの三人ほどは逃さないようにしっかりと周りを囲んでいた。
 
 亮が近付く気配を察してか、その三人が亮と西沢の居る方へと向かってきた。
邪魔…!と亮は軽く念の当て身を食らわした。
戦い慣れている三人は亮の攻撃をかわしたがその間に通り抜けられた。

 亮は駆けながら執拗にノエルを攻撃しているひとりを突き倒した。
思わぬところからの攻撃に一瞬怯んだものの、ノエルをそのままにして二人とも亮の方へと向かってきた。
背後からあの三人が迫った。

 西沢は何を思ったか少し距離を置いてその様子を見物していた。
五人に囲まれた亮が衝撃を与えて彼等を動けなくするのをのんびりと見ていた。 
亮は念のロープで身体がしびれて動けなくなった五人を捕縛した。

 「たいした相手じゃなかったけど…こいつらどうしようか? 」

 亮が西沢に声をかけた。西沢は微笑みながらそっと五人に近付いた。
怯えて固くなっているその中のひとりの眼を静かに覗きこむようにして、その額に指を触れた。
 瞬間軽く弾かれたように触れられた相手が仰け反った。
西沢は順次同じ動作を繰り返した。
西沢の指先から相手の脳へと確かに何かの力が働いたように感じられた。

 「…きみたちは…解き放たれた…。 もう…戦う必要はない…。
家へお帰り…いつもの生活に戻りなさい…。 」

 西沢がそう語りかけると…五人は一斉に大きく息を吸い、まるでいま眠りから覚めたように辺りを見回した。
 どうしてここに居るのか…何をしているのか…状況が読めない様子だったが、なぜか腕時計を見て何かを思い出したらしく慌てて帰って行った。

ふっと西沢は笑みを漏らした。

 「習慣は恐ろしいね…。 時計に縛られて生きている現代人の縮図だな…。 」

未だ動けないノエルの身体を抱き上げて西沢は自分の車へと運んだ。

 「我慢してるから…こんな目に遭うんだよ…。動くのも限界だったろうに…。」

真っ青な顔をしているノエルにそう話しかけた。

 「迷惑…かけるの…嫌なんです…。 
僕なんか居ない方がいいと…ずっと思ってたけど…この世界の役に立ってるって感じられたのが嬉しくて…。
誰かに…迷惑かけたら…役に立ったというその思いが…消えちゃう…から…。」

ノエルはなぜかとても哀しそうに言った。

 「ノエル…。 
この世界の構成要素として役立っている自分を喜ぶのもいいけれど…ね。
 きみが生きて存在していることで…誰かに与えられる何かがあるんだってことを喜んだ方が楽しくないか…? 
 僕なんかきみを見ているだけで心楽しいよ…。
きみはとても魅力的だからね…。 」

 心底楽しげに西沢は笑った。
えっ…? ノエルは何を言われたのか分からずに、しばらくきょとんとしていたが…やがてぽっと頬染めた。 

 「亮くん…一先ず家へ戻るよ。 滝川が帰って来てるといいんだが…。
早くこの子の手当てをしてやらなきゃ…。 体力が…ちょっと深刻…。 」

 助手席に座った亮に西沢がそう話しかけた。
後部座席でぐったりしているノエルに心配そうな眼を向けながら亮は頷いた…。






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現世太極伝(第十九話 異変勃発)

2006-02-25 22:05:21 | 夢の中のお話 『現世太極伝』
 その異変は突然起き始めた。
例の組織に洗脳を受けた滝川の一族のひとりが、何者かとの戦いに敗れて精神に失調をきたし、一族の治療師が総掛かりで治療にあたっているとの情報が流れた。
 
 それを皮切りにあちらこちらで同じような事件が発生し、若い世代を抱える一族はみな戦々兢々としていた。
 相手が誰であるか…はその時々でまちまちで、今まで何の争いごともなかった族間の若手同士であったり、顔すらも見た事がないほど関わりのない単独のサイキッカーであったり、最悪のケースとしては血族同士というものもあった。

 こうなるとそれぞれの一族の中枢は、洗脳された子供たちの闘いがそのまま同族同士の内輪揉めや族間の争いに発展してしまうことへの危惧から、これまであまり関わりのなかった一族とも連携するという方策を立て始めた。
ことに同じ地域に拠点を置く一族の族長たちは急ぎ協調・協力関係を結びだした。

 「動くのが遅いのよ…。 まったく長老衆の頭の固さには呆れるわね…。 
もっと早くから実行すべきよ。 こんなふうに犠牲者が出る前にね…。 」

 輝はそう憤慨した。
機嫌の悪い輝に向けて西沢はちょっと微笑んでみせたが何も言わなかった。
 絨毯の上のふにゃふにゃのクッションの感触が気に入ったのか、まるでこどものように抱え込んで弄んでいる。
  
 「まさか…来てくれるとは思わなかったわ…紫苑。 」

 薔薇の紅茶を差し出しながら輝は言った。
クッションから手を離し、西沢は輝の持つカップを受け取った。

 「輝が来ないから…さ。 」

 香りを楽しむように瞬時…眼を閉じた。
西沢の飲むお茶はほとんど輝が選んでいる。好んで飲みたいとは思えないものもあるが文句は言わない。

 「あいつ…まだ居るんでしょ? 」

輝は不愉快そうに滝川の去就を訊ねた。

 「居るよ…ここんとこ治療で駆り出されているけど…。 」

 ああ…と輝は頷いた。恭介も治療師の端くれだったわね…。
あいつが出張るようじゃ滝川一族もよほど治療師が足りないんだわ…。

 「写真は…どうなったの? 」

本当に写真が目的なんだかどうだか…。

 「…撮ってるよ。 どんな写真…撮ってるのかは知らないけど…ね。 」

ふ~ん…それなりにちゃんと仕事はしてるんだ…。

 輝は滝川のにやけた笑い顔を思い浮かべた。
マンションに泊り込むだけならともかく紫苑のベッドを占領する…あの図々しさは何処から来るのかしらね…。

 「紫苑…西沢一族の動きはどうなっているの? 」

一瞬の沈黙の後…西沢は知らないというように首を横に振った。

 「僕のところには…誰も何も言ってこないよ…いつものことだけど…。 
こちらから聞くようなこともないから…何も知らない…。

 恭介が居なければ…僕には何の情報も手に入らない。 
西沢家にとっては…戦力外なんだろう…ね…多分。 」

 戦力外…とんでもないことだわ…と輝はまた憤慨した。
あの一族に紫苑以上の力の持ち主が何人居るって言うの…居やしないじゃない。

 「亮のことだけ護ってやれれば…それでいいんだよ…。 
期待されない方が楽でいいじゃないか…。 」

 西沢は穏やかにそう言った。
輝はそっと西沢の頬に手を触れた。

 「あなたほどの能力者を…除け者にするなんて…。 」

 除け者…? 西沢は噴き出した。可笑しくて堪らないというように身を仰け反らせて笑い転げた。
何がそれほど可笑しいのか分からずに輝はただ唖然として西沢の様子を見ていた。
 
 「違うよ…輝…みんな僕の力が怖いんだ…。
僕を隔離して…できるだけ…力を使わせないようにしているだけさ…。 」

西沢はなおも笑い続けた。

 「紫苑…あなた…ひょっとして心も読める…? 」

 輝の心臓がドクドクと激しく脈打ち始めた。
長い付き合いだが西沢の能力を細かく分析したことはない。
読心ができるとすれば…輝もずっと心を読まれていたということになる。

 「…少しだけね…完全というわけにはいかないな…。
予知以外に僕に使えない能力はあまりない…かな…。 
まあ…得手不得手はあるけれど…。
でも…力なんか全然使えないって振りをしておいた方がいいんだ。

 伯父は僕の力を封印したつもりでいるよ。
でも…封印しているのは僕自身…。 力を最低限に抑えている…。
そうしないと…怒りに駆られた時に…誰か殺してしまいそうだからね…。」

 最低限の力でも…と西沢は輝を見つめながら言った。
輝はいきなり誰かに手足を摑まれたような感覚に囚われた。
抵抗虚しく大の字に寝転がらされ身動きすらできなくなった。
誰も触れていないのにジーンズのファスナーが…。

 「紫苑…馬鹿な真似しないで! 」

輝の怒った声が部屋中に響いた。クスクスと笑いながら西沢は輝を解放した。

 「ね…。 相手がどんな力を持っていようと…無駄…。
別に封印を解かなくても…やろうと思えばその辺の能力者くらい簡単に殺せる…。
何人でも…何百人でも…。 

 でも伯父たちは僕の力を怖れているだけじゃない…。
僕が他の家の人間になることは…その家の権威が増すことでもある。 
それは西沢家にとって…大変に不都合なこと…。 」

 可笑しくて可笑しくて…そんな感じに大笑いしながらも西沢の眼は譬えようのない悲しみに満ちていた。
 ペット…玩具…権力維持のための道具…すべてを知りながら知らぬ振り、気付かぬ振りを続けていくこと…それが西沢の選んだ生き方だった。

 輝や滝川が考えているほど西沢は諦めの気持ちから現状の幽閉生活に甘んじているわけではなく、そうしなければ同族の家同士の諍いを招くと考えた上での選択だった。
 
 「紫苑…そんなのほっておいたらいいんだわ…。 
あなたが犠牲になる必要なんてない…西沢家はあなたを利用して自分たちだけ良い目を見ようとしているだけじゃないの…。 」

輝はやり切れない思いで胸が詰まった。

 「好きなんだよ…伯父も伯母も…怜雄も英武も…僕の家族だもの…。 
僕を育ててくれたんだもの…。 
みんなの愛情だけは…偽物じゃないんだよ。 」

 それだけは…信じていたかった。利用されているとしても…利己的な人たちだとしても…あの破壊された屋敷の中で幼い紫苑を抱きしめて必死で声を掛け続けてくれた伯父の心…命を助けてくれた伯母の心…怜雄と英武の優しさも…。
それだけはすべて本物なのだと…。

輝は大きな溜息をついた…。

 「もう…何も言わない…。
あと…ひとつだけ…言わせてね。 私を抱く時には二度とその力を使わないで…。
紫苑…あなたの身体でお願いするわ…。 」

 えっ…西沢は瞬時固まった。  
輝の唇が怪しい笑みを浮かべた。

 「…了解(ラジャー)…。 」



 二階の端の講義室…そこにノエルが居る…。 
英武はノエルが人間ではないようなことを匂わせていたが千春は兄だという…。
どちらにせよ並外れた力の持ち主には違いない。
しかも…なぜだか分からないが謎の組織に関する情報を豊富に持ち合わせている。

 講義室の陽だまりの中…亮はその姿を探した。
窓から射しこむ光の中に溶け込むような透明な姿がそこにはあった。

 「ノエル…僕を呼んだ? 関わるなと言ってたくせに…千春を差し向けて…。」

 亮は瞑想しているノエルに向かってそう話しかけた。
ノエルは切れ長の美しい目を開いた。

 「…戦いが始まってしまった。 だが…これは…相剋ではない。
予期せぬことだが…我々の誰がそうさせたわけでもないのに集まった人間同士が勝手に争い始めた。
 お互いに正義を振りかざして…相手の力を封じようとしている。
人間の理解し難い振る舞いに…我々の方がかえって戸惑っている…。 」

なぜ…と問わんばかりに亮の眼を覗き込んだ。

 「言ってることが分からないよ…。 説明してくれないか…最初から…。 」

 亮はノエルの居る場所に近付いてノエルに向き合うように腰掛けた。
首のチェーンに指を触れて…これから起こるかも知れない不測の事態に備えて、西沢が異変に気付いてくれるようにと祈った。

 「おまえに話しても理解できるかどうかは…分からないが…。
これほど秩序が保たれない状態では…もはや…黙っている必要もあるまい。 

 先ず…この男の身体を借りて私はおまえと話しているが…元々私にはおまえに見えるような身体は存在しない…。

 夕紀たちに導師だの何だのと呼ばれている者たちも視覚を誤魔化しているだけで本当は人間の眼には見えない存在だ…。 」

自分たちの正体についてノエルはゆっくりと語り始めた。

 「意思を持つエナジー…? 」

亮は思わず西沢が表現した言葉を口にした。  

 「そう思ってもいいかも知れない…。 その方がおまえに分かりやすければ…。
私はすべての根源となる存在…太極と呼ばれている…。
 勿論…この男ような小さな物体ではない…。 おまえたちの言う宇宙そのものだ…。
 だが…私が宇宙のすべてというわけではない。 
おまえたちの住んでいる世界を生み出した小さな宇宙と言っておこう。

なぜなら私もまた大いなる宇宙の中に存在するひとつのものでしかないからだ。」

 俄かには…信じられなかった。
眼の前のノエルの華奢な身体の中にどうやったら宇宙が存在できるというのだ?
小さいと言ったって宇宙は宇宙…地球よりでかいに決まっている。
 あまりにも荒唐無稽な話なので亮の脳が拒絶反応を起こし、まともに話を聞くことさえ遮断しそうなくらいだった。

 だが…ノエルは至って真面目に話し続けた。
さらに理解し難く…どう考えても在り得そうにない話を…。







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現世太極伝(第十八話 封印された紫苑)

2006-02-23 00:52:29 | 夢の中のお話 『現世太極伝』
 薄暗闇の中…左手で額を押さえながら紫苑は身を起こした。
頭の芯がずきずきする…背中も…。
 急に痛みを覚えて口に手をやると手のひらについてきた渇きかけた血が黒々と見えた。
 大きく溜息をついてもう一度額を押さえた。
どうにも頭痛がして…。

 『ごめんね…シオン…ごめんね…。 痛かったよね…。 シオン…ごめんね…。』

頭の中で英武の半泣きの声が木魂した。

 急に部屋の明かりがついて、あたりの惨状をはっきりと映し出した。
大風が吹いたように何もかもが吹っ飛んでいる。
驚いて言葉を失っている滝川の顔が見えた。

 「紫苑…大丈夫か…? 」

 そう訊かれて西沢は黙って頷いた。
滝川は急いで傍に駆け寄ると西沢の顎を手で支え、唇や口の中の切れたところを調べながら手当てしていった。

 「紫苑…すぐにここを出よう…。 おまえにこんなひどいことをするなんて…。
ここを出て僕の家へ来ればいい。 僕が絶対に護ってやるから…。 」

 滝川は紫苑が西沢家の仕打ちに堪え続けていくのも限界だと思った。
西沢は微かに笑みを浮かべながら首を横に振った。

 「ひどいことなんて…されてないよ…。 
はずみで…英武の手が当たっちゃったんだ。 血を見たら英武がパニックを起こして…収拾が付かなくなっただけで…。」
 
 どう見てもそれだけとは思えない。それだけのはずがない。
滝川は西沢の手首に残る暴力の痕を見つめた。

 「いつまで我慢するつもりなんだ…? 
何年も何年も閉じ込められたままで…これは立派な虐待なんだぞ…。 
 ここはおまえをいつまでも鎖で繋いで怜雄や英武の玩具にしておくために西沢家が用意した檻だ。」

違う…!と西沢は叫んだ。

 「伯父はそんなひどい人じゃない。 怜雄も英武も酷いことなんかしない。
いつだって僕に優しいよ。 
ここを出て行かないのは僕の意思なんだ。 だって…置いていけない…。」

何を…?と滝川は訝しげに西沢を見た。 

 「英武は…病気…仕方ないんだ…。 僕のせいなんだ…。
母が僕を殺そうとするところ…母が自殺するところ…英武は見てしまった。
  
 同じ年で僕等は仲が良かったから幼なかった英武は心に大きな衝撃をうけた。
思い出すたびにパニックを起こしてシオンが死んじゃう…シオンが死んじゃうって叫びまくった。

 僕が病院から帰ってくるとそれ以来…僕の傍から離れようとはしなくなった。
少しでも眼を離したら僕が死んでしまうと思い込んでた…。 

 成長に従って少しずつ治まっては来てたんだけれど…まだ時々…。 」

 愛する人の死に対する恐怖…紫苑を失うことへの極度の不安…。
滝川にもその思いはあった。

 二度と埋められない空白と喪失の痛み…さっきまでそこに存在したはずの人がいきなり消えてしまう恐怖…理不尽ににすべてを強奪される口惜しさ…それが死の齎すもの…。

滝川は紫苑に向けられた英武の異常なまでの執着心の正体を知った。

 「英武は確かめたいんだ…ここに僕がちゃんと生きて存在することを…。
怜雄も僕の母の死んだ様を覚えている。
 ふたりとも僕に触れることで安心する…触れるだけだもの…僕にとっては多少煩わしくはあるけれど…もう慣れてしまったし…どうということはない…。
 
 今日はたまたま血を見たから英武…ぶち切れちゃったんだ。
シオン…死なないで…死なないでって…僕を…離さまいとするから…手首が…さ。
ちょっと痛かったけどね…。

でも…虐待なんかじゃない…誤解しないでくれ…。 」

 虐待じゃない…と西沢は言いきったが…滝川はどうにも納得できなった。
仮に英武と怜雄が心の病に罹っていたとして…なんで紫苑が犠牲にならなければいけないんだ…?
 紫苑には何の責任もないじゃないか…。
それを黙って何年も見て見ぬ振りしている養父母…紫苑の優しさをいいことにいつまでも好き放題する義理の兄弟たち…歴とした虐待だぜ…。
滝川はおおいに憤慨した。
 
 

 紫苑に促されて英武を連れ帰ってきた怜雄は、英武がようよう落ち着いてきたことにほっと胸を撫で下ろした。

 怜雄のトラウマは重症ではないから時々紫苑の髪を撫でるくらいのことで不安は解消するが、英武の場合は現場を何もかも見てしまっているだけに自分では抑えられないほどのパニックを起こす。

 普段は何ということもないからちゃんと仕事もして普通に生活しているのに、何かのきっかけで突然ヒステリックに紫苑の姿を求める。
 幸いというべきか、英武の発作は部屋にひとりきりで居る時や家族と過ごしている時に起きるので、ほとんど外部の者には気付かれていない。  

 「怜雄…どうしよう…シオンに怪我させちゃった。 シオン…怒ったかな…?
ひどいことしちゃった…殴るつもりなんてなかったんだ…。
シオンの顔に傷つけちゃった…。 どうしよう…仕事できないよね…。 」

英武は怯えた子供のように震えながら言った。
 
 「大丈夫…紫苑にはちゃんと分かっているよ…。 わざとじゃないって…。
心配ない…恭介がついているから…怪我の手当てくらいはして貰える…。
英武…落ち着くんだよ。 早くいつもの英武に戻らないと…紫苑が悲しむよ。 」

 怜雄にそう宥められて英武は力なく頷いた。
ごめんね…シオン…。

 英武がやっと気を取り直したかしないうちに、廊下をこちらへ向かってくる怒りに満ちた声と足音が聞こえた。 
部屋の扉が開くや否や鬼の形相をした父親祥(しょう)が姿を現した。

 「英武! あれほど紫苑を怒らせるな…泣かせるなと言っておいたのに…。
おまえは私の言いつけを何だと思っているんだ! 」

 いきなり祥に怒鳴りつけられた英武は思わず身を縮めた。
怜雄が間に入った。

 「お父さん…英武は発作を起こしただけです。 怒っても仕方ありませんよ。」

英武を庇おうとする怜雄に祥はさらに怒りを増した。

 「発作だと言うのなら…その場に居合わせた兄のおまえがすぐにでも抑えこむべきではないか? 
こいつが紫苑に手をあげる前になぜ止めなかった?

 おまえたちには事の重大さが分かっているのか?
紫苑を極限に追い込むようなことは絶対にしてはならんのだ!
幼かった英武はともかくおまえまで忘れたわけではあるまいな?  」
 
 怜雄はうっ…と言葉に詰まった。
父親が思うほど鮮明な記憶ではないが…確かにそれは大変な出来事だった。
とても4歳の紫苑が引き起こしたこととは思えないほどの…。


 
 紫苑の首を締めようとしたところを怜雄に見られた絵里は、方法を変えて飴だと偽って紫苑に薬を飲ませようとした。
 泣き出した紫苑の様子に子供ながら不穏なものを感じた怜雄は絵里の手から紫苑を引き離し、飲めない錠剤でどうしようもなくなっている紫苑を助け出した。

 口の中にいっぱいに詰まった錠剤を吐き出させるために怜雄は必死で紫苑の手を引いて母美郷のところへ走った。
 英武はその場に取り残されて絵里が狂ったようにビンの中の錠剤を飲み下すのを見ていた。

 紫苑がお菓子と間違えて薬を口にしてしまったと思った美郷が、紫苑の口に指を突っ込んで薬をかき出し吐かせた後、怜雄に何があったのかを問い質した時には、絵里は既に致死量の薬を飲んでしまった後だった。

 紫苑を連れて絵里の部屋へ戻った頃には絵里の意識はなく、容態の悪化する絵里を見つめながら何が何だか分からずに怖くて震えている英武がそこに居た。
 口の中で溶け出した錠剤の成分が効いたらしく紫苑も絵里の傍で倒れ、英武は紫苑が死んでしまうのではないかという恐怖に襲われた。

 病院へ運ばれたものの結局絵里は助からなかった。
紫苑は病院から帰宅すると絵里の姿を捜したが…見つけたのは動かなくなった冷たい母の姿だった。
 葬式が終わるまでは家中が騒がしく、大勢の人が出入りして紫苑に慰めの言葉をかけていった。
喧騒の中で紫苑はぼんやりと母親を見つめていた。

 何もかも終わってすべてが静寂の中にあり、紫苑がただひとり母の部屋に取り残された時に…それは起った。

 紫苑が突然叫び声をあげた。 
その途端、まるで地震のように大地が震え、屋敷全体が軋みだし、ガラスというガラスが弾けとんだ。
 家中の者が何事かと驚いて揺れる床を転がるようにして紫苑の傍へ駆けつけた。
紫苑がさらに叫ぶともはや立ち上がることすら困難なくらいになった。

 祥がしっかりと紫苑を抱きしめ懸命に声をかけた。
『紫苑…大丈夫だよ。 お養父さんが傍にいてやるから…。 怖くないよ…。 』
紫苑がその声に反応するようになると次第にこの屋敷だけの地震も遠退いた。
『いい子だね…紫苑…大丈夫…大丈夫だよ…。 』

 

 怜雄の記憶に残る凄まじい紫苑の力…。たった4歳の紫苑の…。
あの後…西沢の屋敷は建てかえを余儀なくされた。

 「紫苑の力は出来得る限り封じておかなければならん。 西沢家のためにも…。
今後は何があっても怒らせるな! 絶対に泣かせるな! 

 好きなことをさせて穏やかに過ごさせておけば良いんだ。
紫苑の中にある裁きの一族の血…主流でなくても…ごくごく稀に恐るべき力を持って生まれてくる子供がいる。

 万が一…紫苑がその力を我が一族の長老衆に示した上で木之内家に戻ると言い出せば…木之内家が再び実権を握ることも考えられる。
だが…紫苑はあくまで西沢の子…西沢の後継のひとりだ。
もし…トップに立つようなことがあっても西沢家の主流として立たせるのだ。

 私は…紫苑を我が子と思って育ててきた。 紫苑の父親は私だ。
今更手放すことなどできん。

 おまえたちも肝に銘じておけ。 愚かな行為に走って紫苑の封印を解くな。
怜雄…必ず英武を抑えろ。 英武…おまえも出来得る限り自制しろ…。
紫苑を追い詰めるな! 分かったな! 」

 有無を言わさぬ父親の厳しい態度に怜雄も英武もただ素直に頷くしかなかった。
それが父と西沢一族のためである以上は…。






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