徒然なるままに…なんてね。

思いつくまま、気の向くままの備忘録。
ほとんど…小説…だったりも…します。

現世太極伝(第十七話 ノエルと千春)

2006-02-21 12:13:21 | 夢の中のお話 『現世太極伝』
 有は居間に居た。
ゆったりとソファにもたれかかりながら珍しく洋画を見ていた。
テレビなんて…ニュース以外ほとんど見ない人なのに…。
そう思いながら取り敢えず荷物を置いた。

 「父さん…聞きたいことがあるんだ…。 
それ…見てからでいいけど…。 」

 亮は少し離れたところから有に声を掛けた。 
有は黙ってテレビを消した。

 「父さんも聞いてるかも知れないけど…いま学生や若いサイキッカーが攫われて…洗脳される事件が起きている。
 僕も去年の夏頃から狙われていて…西沢さんが身体を張って護ってくれてる。
父さんが電話をかけてくるまで兄貴だとも名乗らずに庇ってくれてた…ずっと…。
このチェーンはその御守り…。 」

 有は身を起こして亮の首に眼を向けた。
小さく溜息をつきながら再びソファに身を沈めた。

 「紫苑は…俺が16の時に生まれた子供だ。
俺が若すぎて年齢的に結婚もできなくて…引き取ることも許されなくて…絵里の兄に渡すしかなかった。

 卒業して仕事についたら…ふたりを迎えに行こうと決めていたのに…絵里は別の男と恋をして…あげく自殺してしまった。
 ひとり遺された紫苑を引き取ろうと思っても…その頃には紫苑はすっかり西沢家の子になってしまっていて…もう…手を出すこともできなかった。 」

 弁解するわけじゃないが…と有は言った。

 「捨てた…と言われても仕方がない…。 手放したことは事実だからな…。
だが…忘れたことはない。 
 おまえを見るたびに紫苑を思った…。 もう…何年生になったろうか…どのくらい背が伸びただろうか…と。 

 それは…多分…普通なら女親が思うようなことだろうけれど…紫苑にはもういない…。
元気か…飯は食ってるか…(泣くような想いをしていないか…)。
時々電話をした…。
紫苑にとっちゃ他所の小父さんからの電話に過ぎんが…。

 おまえが可愛くないわけじゃなかったが…俺の中には絶えず紫苑を捨ててしまったという罪悪感があって…いつも突き放してしまった。
おまえには…哀しい想いをさせたかもしれん。 」

 有は珍しく殊勝なことを言ったが、亮は素直にその気持ちを受け入れることができなかった。

 哀しいかどうかなんて考える余裕もなかった…とにかく自分で何とかやっていかなきゃって…それだけ…。
家のことも学校のことも全部ひとりで考えなきゃいけなかったんだから…。

口には出せない…そんな想いが浮かんで消えた。

 「夕紀という友だちが洗脳されて…長老の力でも解けなかった。
親友の直行の婚約者なんだ…。
直行は夕紀を助けたい一心であちらこちらの長老に話を聞いて回った。

 その中に…裁きの一族に関する情報と父さんの名前があった。
その一族の宗主なら或いは洗脳を解くことができるのではないかという内容で…父さんならその一族と連絡が取れるかもしれないと…聞かされた。 」

亮が裁きの一族のことを持ち出すと有は一瞬戸惑ったような表情を浮かべた。

 「俺の何代か前に繋がりがあったという話は聞いているが…今はない。
お祖父さんやお祖母さんが生きていた頃なら何か分かったかもしれんが…。
悪いが…連絡は取れない…。 電話番号も所在地も分からんからな…。 」

有はどこか不自然な態度でその話を切り上げようとしていた。 

 「本当は知ってるんだ…? 僕も能力者だもの…嘘言ったって分かるよ。 」

 亮がそう鎌をかけると有は少し黙りこんだ。
ふーっと息を吐きながらそうか…というように頷いた。

 「亮…俺も木之内の束ねだ…。 話せないものは話せない。
その件に関しては…おまえが後継者であることを長老衆を始め一族に宣言してからでなければ…決して口にはできん。
 それが代々受け継がれてきた決まり事なんだ。
木之内だけではない…何処の一族の族長も長老衆も同じことを言うだろう。 」

 木之内の束ね…? 後継者…? 生まれて此の方…有の口からそんな言葉が飛び出してくるのを聞くのは初めてだった。

 亮の胸の内を察したかのように有は木之内家のことを語り始めた。
木之内家と西沢家はわりと近い親戚であること…。
 今は西沢家の方が勢力も財力も上をいっているが、家格としては木之内家の方が上で、古い時代には裁きの一族とも血縁関係にあったこと…。

 核家族化が進んで旧家の体裁は失われてしまったが、木之内の束ねは有であり、その後継としては亮が筆頭ではあるけれども、その他に叔母ミサの子供たちや、叔父稔の子供たちも候補に上がっているということ…。

 「だが…木之内家は…もはや俺たち兄弟三家族しか残っていない。
俺の親父の代の親族が揃って早世だったので…な。
今現在の同族の族長や長老衆はどこかで血は繋がってはいても別の系統だ。

 それに…ミサも稔も族人というよりは普通の家庭人として暮らしている。
だから族姓としての木之内家は俺の代で終えようと考えているんだ…。
おまえを能力者ではなく普通の子供として育てようとしたのはそのためだ…。 」

 それで…僕の能力をやたら否定し続けたのか…。
亮はやっと父親の言動に合点がいった。

 「紫苑が…戻ってきていれば…話は別だったが…な。
紫苑はいまや一族の中心的存在となっている西沢家の血を引き、俺の血を通して木之内家だけでなく…古くは裁きの一族の血をも引く…。
束ねとしてはこれ以上ないほどの有力者になっただろう。 」

 ああ…そう…つまり僕の母親は出自が悪かったってこと…ね。
僕に継がせるくらいなら家を潰しちゃった方がいいってことなんだ…。
別に後なんか継ぎたくないけど…ね。

そう思った途端…何だか僻み根性丸出しで自分が嫌になった。

 何で素直に受け取れないんだろう…。

 有が未だに西沢を忘れていないことに対するやっかみなのか…。
顧みられない自分の惨めさが癪に障るだけなのか…。
 あれほど可愛がってくれている西沢に申し訳けなくて、亮の気分はますます落ち込んだ。



 亮の情報を心待ちにしている直行に、これといった収穫がなかったことを告げるのは何だかひどく気の毒なような気がしたが、亮としてもあれ以上父親に食い下がるわけにもいかず、他の一族の長や長老衆がそうであるように口を閉ざしたままだと伝えるしかなかった。

 直行は残念そうではあったが、取り敢えず、亮の父親が何か知っているということだけは分かって少しは前進を見たと前向きに捉えているようだった。

 全国に…全世界に果たしてどのくらいの人数若いサイキッカーがいるのかは分からないが…直行が直接聞いているだけでも5~6人の若手が姿を消している。
 それがこの地域と近隣の地域だけの情報であることを考えれば、おそらくは日本国内だけでも相当な数の若手が行方不明になった上に洗脳されていることだろう。
 
 その洗脳の内容が妙で…帰ってきた連中は一様に地球環境保護運動の活動家みたいになってしまっている。
 対立するふたつの組織…と思われていたのに洗脳の内容はほとんど同じだ。
それならいっそひとつの組織でよさそうなものなのに…。
大本は同じだと怜雄が言ってはいたけれど…。

地下鉄の入り口の壁にもたれながら亮はぼんやりとそんなことを考えていた。

 「亮くん…! ごめんねぇ。 待たせちゃった? 」

 千春が息を切らしながら駆けて来た。私服登校の千春の高校は同じ地下鉄の駅の近くにある。
 今朝…たまたま駅で会って帰りにお茶しようと約束した。
バイトまでの少しの時間…だから書店の近くのケーキ屋さんで…と千春が言った。 
 ケーキ屋さんの喫茶コーナーは甘い香りに包まれていて、女の客が圧倒的に多くて何だか亮は落ち着かなかった。
 千春はこの店がお気に入りのようで、並んでいるケーキの味についていろいろ教えてくれた。
千春がぽっちゃりなのはここのケーキのせいか…などと失礼なことをつい思った。

 ケーキを食べている時の千春があまりにも満足げで幸せそうなので、見ている亮の気持ちもゆったりしてきた。

 「千春…ほんとおいしそうに食べるなぁ…。 見ていて楽しくなるよ。 」

千春は目をぱちくりさせた。

 「お行儀悪いよね…食い意地はってて…幻滅だよね。
お兄ちゃんにいつも言われる…。 定形外…気をつけないと嫌われるぞ…って。」

お兄ちゃん…?亮は怪訝そうな顔をした。

 「亮くん…知ってると思うよ。 同じ大学だし…変わった名前だから…。 
クリスマスに生まれたからノエルっていうの。 」

亮は愕然とした…。ノエルが…お兄ちゃん…? 千春のお兄ちゃん…?

 「高木ノエル…? えぇっ? お姉ちゃんじゃないの?  」

 言ってしまってから驚くべきところが間違っていることに気付いた。
先ずはノエルが人間だったということに驚くべきだったのに…。 

千春はクスッと笑った。

 「ああ…亮くん…。 女だと思ってたんだぁ…。 お兄ちゃんなんだよ。
あの顔でスリムだからよく女の子と間違えられるけど…こんなに長い間気付かなかった人も珍しいな…。
 ひょっとして…失恋…しちゃった? 」

ごくりと唾を飲み込んで亮は思わず頷いてしまった。

 「ほとんどそんな感じだよ。 綺麗な女の子だとばかり…。
ショック…。 滝川先生の気持ちが分かる気がする…。 」

千春が思いっきり複雑な表情を浮かべた。

 「亮くん…今…千春とデート中なんだからね! 」

 千春はちょっと唇を尖らせて言った。
今度は亮の方がクスクスッと笑った。

 「千春…可愛いよ。 デートに誘うなら千春がいい。 なんか温かいもん。 」

 言うか…そこまで…。言ってしまってから赤面した。
千春も赤くなった。
何も話せなくなってずっと俯いていた。






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現世太極伝(第十六話 気の滅入る話)

2006-02-19 16:38:54 | 夢の中のお話 『現世太極伝』
 相変わらず出席だけは満点の化学の講義を聴きながら亮はチラッと斜め前の席の高木ノエルの方を見た。
 ちゃんと講義を聴いてノートを取っている。
人間じゃないのなら…学生じゃないのなら…そんな必要ないじゃないか…?
どう見ても…どう考えても…ノエルがそんな御大層な存在であるとは思えない。

 終了の合図と共に学生たちが我先にと講義室を出て行ってしまうと講義室は急に静かになった。

 亮は窓の外を見た。今日は良く晴れている。あの講義室に陽だまりができる。
二階の端の講義室…。
ノエルは必ずそこに居ると…亮はなぜか確信していた。

 「亮くん…話があるんだ…。 」

 直行があたりを憚るように見回しながら部室に来て欲しいと言った。
亮はノエルの存在を確認することを諦めて、直行の後について行った。



 夕紀が滅多に同好会に参加しなくなって女性会員が清水ひとりになると、やはり男ばかりの部室では居場所がないらしく清水も滅多に来なくなってしまった。
 それでも他の連中は何かにつけて部室に入り浸ってはいたが、今日は誰の姿も無かった。

 直行が黙ってテーブルの上に置いた手帳…。促されるままに開いて見ると、長老衆から聞き出した話がぎっしりと記録されている。
よくぞこれだけ調べたと感心するほどに…。

 「輝さんから聞いていると思うけど、僕はこの冬、島田を初め宮原の長老たちを巡って話を聞いてきた。
 それだけじゃない。
他の地域の有力な一族の長老衆を訪ね回ったりもした。

 だけど何処の誰に訊ねてみても、大戦からこっち、名のある一族はみんな鳴りを潜めていて、宗教関係を除いては特殊能力者同士の勢力争いや組織対立は起こっていない。
 勿論、ちょっとした小競り合いやお家騒動みたいなものはあるらしいが、能力者の間で大きく取り沙汰されるような族間の闘争はほとんど見受けられない。

 だから…おそらく夕紀を誑かした組織は能力者の関係する組織じゃない。
僕の聞いたところでは、どの一族もすでに何人かの若手や学生を洗脳されている。
まだ洗脳されていない同族の子供たちをどう護るかの対策に苦慮していた。
何しろ相手の正体が掴めないんだから…。 」

 直行はそこで大きく息をついた。 
話を聞きながら亮は手帳の記録を読んでいたが手帳に記載されているひとつの名前に眼を留めた。

 木之内…有…。

 それは亮の父親の名前。亮の父親が西沢と同族だという話は以前西沢に聞いた。
亮にはいつも…超能力など存在しない…そんなことを言っていると病院送りになるぞ…という態度で接してきたくせに実際には父親自身もその血を受け継いでいる。

 「その人はね…僕に言わせれば…重要な鍵となる人物なんだ。 」

直行の言葉に亮は目を見張った。まさか…親父が…?

 「ずっと昔に…能力者の裁定人として存在した一族があったんだけれど、時代の流れでその所在が分からなくなってしまった。
 今でも存在することは確かで…古い家系の族長や最長老級の能力者だけがその居場所を知っている。

 その一族の宗主なら…夕紀たちのマインドコントロールを解くことができるかもしれないと聞いたんだ。

 きみは知らないだろうけれど…木之内家は西沢家と同族であるとともに…裁きの一族とは遠縁にあたる。
 少し前の時代のことだから今となってはそれほどの付き合いはないだろうけれど連絡先くらいは分かるかもしれない。

 きみが嫌でなければ…お父さんに訊いてみて欲しいんだ。
勿論…お父さんが何も知らない可能性もあるから…期待はしていないけど…。 」

 直行は藁にでも縋りたい気持ちなんだろう…。それは分かるけれど…。
父親との関係が上手くいっていない亮としては口をきくのさえ億劫だった。

 それに…何か知っていることがあったとしても親父が僕に話すかどうか…?
それも甚だ疑問だった。

 「話してはみるけどさ…。 親父…多分何も言わないぜ…。 
眼の前で見たはずの僕の力のことでさえずっと否定し続けてきたやつだから…。」

 それでもいい…と直行は言った。
直行にこれほど真剣な眼差しを向けられると…親父が家に戻ってきたら聞いておくよ…とでも答えるしかなかった。



 マンションの玄関先で亮は戻ってきた滝川にばったり出会った。
ケースやら何やら抱えているものが重そうでつい運ぶのを手伝ってしまった。
 
 「滝川先生…どこへお出かけだったんですか? 」

亮がそう訊くと滝川は苦笑した。

 「やだな…僕のスタジオだよ…仕事に決まってるだろ…。 
いくら僕でも四六時中紫苑だけに張り付いているほど暇じゃないぜ…。
他にもやらなきゃならない仕事がいっぱいあるんだよ。

 それに今日は紫苑も仕事で出てるしさ。
ここに居ても意味ないだろ…仕事の邪魔はするなって言われてるし…な。 

 亮くんこそえらく早いお帰りじゃないか…? バイトは…? 」

滝川が亮に訊き返した。

 「今日は夜番なんで7時からです。 西沢さんに買い物頼まれてたから…。 」

 亮は買ってきた物を冷蔵庫や棚に収めながら答えた。
滝川は時計を見た。

 「4時過ぎか…まだまだだな。 何か作ってやるよ。 食っといた方がいい。」

 そう言うと亮が驚くほど手早く具を刻んで、あっという間に炒飯をこしらえた。
西沢もいろいろと料理を作るが、まさか滝川が台所に立つとは思っていなかった。

向かい合って食べ始めた時、滝川の手に指輪があることに亮は初めて気付いた。

 「先生…結婚してたんですか? 」

亮があまりにも意外そうな顔をしたので滝川はまた苦笑した。

 「してた…よ。 たった二ヶ月…。 かみさんはすぐに死んじゃったけどな。」

悪いことを訊いた…と亮は思った。次の言葉が出なかった。

 「何年も前のことだよ。 修行時代の僕をずっと支えててくれた人だった。
優しくて綺麗で…逞しい人だったけど…病気には勝てなかったね。

 もうだめだって分かって…紫苑に立ち会ってもらって式を挙げた…。
葬式にも家族の他は…紫苑だけに来てもらった。
かみさん…和と紫苑は元モデル仲間でさ…結構気があってた。 」

 黙り込んでしまった亮の気持ちを察したのか滝川は笑顔のまま話し始めた。

 「僕が結婚してたことも…和が死んだことも…紫苑しか知らないんだ。
まだ…金も名前もない頃だったから…僕は和に何にもしてやれなくてさ…。
 ずっと働いて支えてきてくれたのに…僕にできたことといえば時々こうやって飯を作ってやることくらい…で。 」

 顔は笑ってはいるけれども滝川は寂しげだった。
ブラックジョークが服を着て立っているような男に見えた滝川にも背負っているものがあるんだ…と思うと亮は何だか切なかった。

 「…先生は西沢さんのことが好きなんだと思ってた…。 」

亮がぽつり呟いた。

 「好きさ…食べちゃいたいね…。 あいつ可愛いだろ。
僕がどうしようもなく寂しい時に和の代わりに傍にいてくれたりするんだ…。
和の代わりだなんて…僕も随分な男さ…。 紫苑は…紫苑なのに…。 」

 自嘲するかのように滝川は鼻先で笑った。
少しむっとしたように亮が唇を尖らせた。

 「変なことしてないでしょうね? 僕の兄貴に…。 」

滝川がいつものにやけた表情を浮かべた。

 「してないよぉ…殺されちゃうぜ。
抱き寄せて…ちょっとキスして…たいがいそこで反撃を食らう。
何しろ紫苑は僕より強い…あんな綺麗な顔をして喧嘩じゃ負けたことがない。

 モデルなんかやってるとさ…中高校生くらいだと生意気だってんで先輩や同級生に眼を付けられるわけよ。
 紫苑も普段辛抱しているから…その反動もあって喧嘩となれば大暴れする。
モデルの癖に青あざなんか作ってプロ意識には欠けるけどな…。

 お養母さんによく叱られてたぜ…。
紫苑…紫苑…乱暴なことはいけません…あなたは…レディなのよ…。
…笑っちゃうね。 」

 滝川は輝と同じような眼で紫苑を見ている…と亮は感じた。
紫苑は西沢家のペットだと輝が言っていたが、滝川もそんなふうに思っているに違いない。

 「西沢さん…本当にそんな窮屈な生活を強いられているんですか? 
僕には幸せだって言っていたのに…。 」

亮が不安げに訊ねた。

 「そうだよ…紫苑は籠の鳥さ…。 いや…下手したらもっと悪いかもしれない。
以前はお養母さんの着せ替え人形だったけど…いまやみんなの玩具だね。 」

亮に心配そうな顔を向けられて滝川はちょっと真面目な口調に戻った。

 「輝さんも同じようなことを言っていた…。 」

 紫苑は決して亮には本当のことを言わないだろう…と滝川は思った。
亮には幸せな紫苑をイメージさせておきたいに違いない。

 「亮くん…気が付かなかった? 英武を見ていて…さ。
あいつ…本気で妬いてるんだ…僕と紫苑のこと。 
あんまりあからさまに僕を攻撃すると紫苑に嫌われるから冗談めかしてるけど…。

 もともと僕は怜雄の級友で子供の時から西沢の家にはよく出入りしていた。
怜雄も英武も昔から異常なほど紫苑を可愛がっていて絶対に眼を離さないんだ。
何かと言えば紫苑…紫苑ってね…子供心に不思議だった。

僕にも兄弟はいるけど…あそこまでべたついた関係にはならない。 」

 亮は英武や怜雄の笑顔を思い浮かべた。
ふたりとも紫苑のことをいつも心にかけていて護ってくれようとしている…。
すごく仲の良い兄弟だ…くらいにしか感じなかったけど…。

 「紫苑は僕等だけのもの…そんなふうに考えているんだよ。
英武は明るくて気の良いやつだけど…こと紫苑への執着心は常軌を逸している。
 怜雄はそれほどじゃないが…やっぱり普通じゃないよ。
何処へ行くにも、何をするにも、誰と付き合うってことまで干渉してるんだ…。

 常時…監視されているようなもので鬱陶しいに違いないのに紫苑はただ笑って許している。
 諦めてしまって…もう…逃げ出そうともしない。
輝も…僕も…それが歯痒くって仕方がない…。 」

 滝川はふうっと溜息をついた。
何か重たいものが亮の頭上からずっしりと圧し掛かってくるような気がした。
輝さんの思い過ごしだとばかり…。

 滝川に炒飯の礼を言ってバイトに出てからも重い気持ちを拭い去ることはできなかった。
 優しい家族に囲まれた温かい家庭で、裕福に自由気儘に暮らしてきたとばかり思っていた兄…紫苑。
亮に微笑みかけるその表情からは不幸のかけらひとつ見出せないのに…。

 閉店までの時間をどのように過ごしたのか思い出せないほど、亮の意識は輝と滝川のしてくれた紫苑の話に囚われていた。
 ちゃんと仕事はしてたんだろうけれど…帰り際に店長から今日はなんだか元気ないねえ…と言われた。

 重い足を引き摺って…今夜は早く寝てしまおうと思いながら帰ってくると…門灯が煌々とあたりを照らしていた。

 こんな気の滅入る夜に限って親父が居る…。
さらに気が重くなった。 直行に頼まれたことを聞いてやらなきゃ…。
嫌々開けた玄関の内側に向かって…ただいま…と形だけは呟いた。





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現世太極伝(第十五話  こ・ろ・す)

2006-02-17 22:44:07 | 夢の中のお話 『現世太極伝』
 頭の芯の痛くなるような話を聞かされていい加減疲れてきた。
前々から思っていたことだが…紫苑と怜雄の脳はきっとどこか異次元空間にでも浮かんでいるに違いない…。
英武は頬杖をつきながらそう考えた。 

 キッチンからコーヒーの香りが漂ってくる。
同じように頭が飽和状態に陥った滝川が休憩と称してお茶を淹れに行っている。

 輝は既に放心状態…島田一族の若手を護るのが務めだが…姿の見えない未知のものを相手にどう戦ったらいいのか…。
上の連中に相談してみるのもいいが、おそらくそんな経験は誰にもないだろう。

 「輝さん…今年に入ってから直行と連絡が取れないんです。  
年末まではメールがきてたんですけど…何かご存知ですか…? 」

亮に声を掛けられて輝はようやく我に返った。

 「直行…ああ…あの子なら大丈夫…心配ない。 
夕紀から少し距離を置いて…島田と宮原の長老巡りをやってるわ…。
夕紀のマインドコントロールを解くための方法を模索中みたいね。 」

なかなか難しいでしょうけど…と輝は肩を竦めた。

 輝の話を聞いて亮は少しほっとした。
年末に受けたメールでは何とか夕紀の眼を覚まさせる手段を探すと言っていたが、年明けからメールが途絶え、こちらから送っても返信がないので心配していた。
きっと必死なんだろうな…と亮は思った。

 それにしても…関わるなと言っていたはずのノエルが…わざわざ千春を僕に近づけようとしたのはなぜなんだろう…?

 千春がそんなに危険な人物ではなかったことには胸を撫で下ろした亮だったが、その背後についているのが、あの高木ノエルだということには少なからずショックを受けた。
 英武の言っていたことをそのまま受け取ればノエルは人間ではないことになる。
どう見ても人間なのに…。

 高木ノエル…最初はまあまあ綺麗な女の子…と思った。
声を聞いて男の子だったのか…と思い直した。
 身体を見たわけじゃないからどっちが正しいのか未だに分からないが…それさえ分からないままに…今度は人間ではないなどと…そうは思いたくなかった。
 
 「美味しい…。 」

 輝が思わず口に出して言った。滝川がちょっと誇らしげに微笑んだ。
ほんと…人は見かけによらないものだわ…こんな特技があったなんてね…胸の内で輝がそう呟いた。
 ひと口飲んでみんな一様にほっとした表情を浮かべた。
普段はみんなに敬遠されている滝川の淹れたコーヒーがくたびれたみんなの脳を潤した…。



 「輝は…泊まっていかなかったな…。 」

滝川が呟くように言った。

 天井の方を向いたまま西沢はふっと笑った。
時々会いには来るが…輝がこのマンションに泊まっていくことなど滅多にない…。
ここが嫌いなんだ…僕を閉じ込めている鳥籠が…。

 それに今日は…当然のように僕のベッドを占領しているやつが居て…とてもじゃないが…その気になれないだろうさ…。

 「そんじゃ…代わりに僕がしてやろうか? 」

ニタニタ笑いながら滝川が手を伸ばす。

 「殺すぞ! 」

 その手を払い除けて西沢が怒った。
まったく…何処まで本気なんだか…冗談なんだか…ふざけた野郎だ…。
油断しちゃだめだよ…と英武の声がする。   

 クックッと押し殺したような笑い声がする。
この男にとっては西沢をからかうことが何より面白いらしい。
 酷く怒らせて自分が痛い目に遭ったとしてもそれはそれで愉快だという…。
懲りるほど痛い目に遭わせたことはまだ一度もないが…。
 
 女誑しと噂されているが噂に過ぎないことを西沢は知っている。
その噂は…滝川が自ら流したもの…。
 大切な人を亡くしたその時から…滝川は女を寄せ付けないようにしている。 
滝川の心の奥深くに封印された悲しみを西沢以外の誰も知らない。

 儚く消えた命をふと思い出し、耐え切れぬほどの孤独に苛まれる時、滝川が一瞬の温もりを求めて西沢に触れることを西沢は拒んだりはしない。
 逆に西沢がどうしようもなく身の内から込み上げてくる理由の分からない怒りを抑えることができなくなる時、滝川がその捌け口になってくれることもある。

 これまでの長い年月…そうやってお互いに持ちつ持たれつの関係を続けてきた。
時に反発し合い、衝突を繰り返しながらも…お互いに胸の内を隠す必要もなく曝け出せる唯一の友として…。

 「亮くんは…もう眠ったかな…? 」

 少し離れた部屋で寝ている亮のことを思い出したように滝川は言った。
お開きになったのが夜半過ぎだったので西沢が泊まっていくように勧めた。
いくら男の子でも未成年だからな…夜中にうろうろさせちゃまた親父に怒られる。西沢は亮にそう言った。

 「さあ…同級生のことで多少興奮していたからな…。 起きてるかも…な…。
夜這いかけるなよ。 亮に手を出したら本当に殺すからな…。 」

睨みつけるように滝川の顔を見た。
 
 「夜這い…古いねぇ…ってかけるわけねえだろ! 坊やに興味はないよ…。
目の前にこんな美味しい餌があるってのに…さ。 」

 餌…ねぇ…もう少しましな言い方をしろよ…癇に障るんだよ…。 
身を寄せてきた滝川の甘ったるい囁き声に西沢のイライラ度が増していく。
 首に唇の感触…いつものことなのに…腹が立つ。
滝川はそれ以上のことを求めたりはしない…それは分かっている…でも…。

 「こ・ろ・す 」

 西沢は急に跳ね起きると滝川の身体の上に跨るようにして覆い被さり、滝川の首を両手で絞め始めた。

 「恭介…僕は玩具じゃないんだよ…。 いつもいつも勝手に触んじゃない!
僕は…おまえの愛した和ちゃんじゃない。 
おまえが僕に触れてどう感じていようと…和ちゃんとは違うんだ…。 」

滝川は一瞬驚いたように眼を見開き、やがて哀しそうに目を閉じた。

 「そのまま…絞め殺して…和のところへ送ってくれよ…。
和に逢いたい…逢いたいよ…。 」

切ない言葉が西沢の手を叩いた。絞めていた手が力なく滝川の首から離れた。

 「人は…生きなきゃいけないんだよ…恭介…。 命の火が尽きるまで…。
それが人に与えられた使命だよ…。 」

 滝川に向かって話してはいるようだが、本当は自分自身に言い聞かせているだけなのかもしれないと西沢は思った。

 西沢はそっと滝川の上に身を沈めた。
滝川はそれを抱きとめた。

 「好きなように…していいよ…恭介。 僕は平気…。
でも…忘れないで…どう愛されようと僕は和ちゃんにはなれない…。
和ちゃんは女で…僕は男だからね…。 」

 滝川の唇が心なしか震えた。
いつもそうだ…最後にはそうやって…自分を犠牲にしようとする…。
 なぜ…絶対に嫌だ…と言わない…? 
僕の相手なんて…本当は嫌に決まってるくせに…。

 お互いにやり切れない想いを抱いたまま屈折した心をぶつけ合って…不毛と知りながらその場限りに癒し合って…それでどうなる…?

 僕はいいが…傷付くのはおまえの心じゃないか…?
僕が心底求めているのは和で…おまえじゃないってことを知りながら…それでもくれるって言うのかよ…。

 「もう…いいよ…。 有難う…紫苑…。 ご免な…嫌な思いさせてさ…。
僕のせいで…おまえまで輝から変態呼ばわりされちゃ気の毒だからな…。   

 輝…疑ってんだろ…僕とのこと…? 輝に本当のことを言ってやるよ…。 
和のこと…正直に話せば…分かってくれるだろうさ…。 」

 大きな溜息が滝川の唇から漏れた。
優し過ぎるんだよ…おまえは…。
 だからいつまでたっても、西沢家の可愛いペット…家族みんなの大事な玩具から脱却できないんだぜ…。
 
 鳥籠の紫苑…飛び出せない鳥…。
優し過ぎて人を傷つけるのを懼れるあまり言いたいことも言わずにいる…。
 自虐的なほど家族や友だちに対する犠牲的精神に取り付かれている紫苑…。
滝川もまた輝と同様に歯痒さを感じていた。





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現世太極伝(第十四話 把握し難い存在)

2006-02-15 16:56:23 | 夢の中のお話 『現世太極伝』
 「で…なんであんたがここに居るのよ? 」

輝はあからさまに不愉快そうな眼で滝川を睨んだ。

 重い買い物袋を両手にぶら下げて西沢の部屋に来てみれば、我が物顔で部屋中を闊歩する変態男…輝に言わせればだが…が居る。
 この男のことがどうでも気に入らない…と言うわけじゃないが、どこか薄気味が悪くて好きとも言えない。
西沢と同じで長い付き合いだが、遠慮がなくなった分だけ思いは態度に出る。

 相手のことを下着の中まで知り尽くしていているような…あの馴れ馴れしさが気に障るの…と輝はよく紫苑に愚痴った。

 「仕事だよ…。 そう嫌うなって…。 」

滝川は輝の露骨な態度を気にも留めずカラカラと笑った。

 輝のすぐ後から英武が到着した。
英武が来ると西沢のマンションは途端に騒がしくなる。
口数の少ない怜雄とは対照的に英武は口から生まれたと言われているほど話好き。

 「亮くん…まだ店に居たよ。 もうじき上がりだって言ってたけど…。 
怜雄はまだ仕事中…後から来る…。 亮くんと同じくらいじゃないかなぁ…。
…で…何でおまえが居るんだ…?」

 そう言いながら西沢にべったり張り付いている滝川を睨んだ。
撮影のために泊り込んでいるとは聞いていたが…。 

 「英武…いい加減に忘れろよ。 紫苑にラブレター出したのは僕が高校生の時だぜ…。
紫苑がまだ女の子の服着せられてた頃だろ。 めちゃ可愛かったけどさぁ…。 」

 忘れてないのはどっちだ…と西沢は思った。
睨み合っているふたりをほっておいて西沢と輝は夕飯の仕度を始めた。
 
 
 
 キッチンから夕食の片付けを終えた英武と怜雄が居間の方に出てくると、亮は千春に貰ったお土産のトレーナーをみんなの前に出した。

 個人的な思惑はともかく、それぞれ異なった力を持つサイキッカーが亮に接触してきた千春の背景を探ることになった。

 温泉で亮と西沢の記憶から少しだけ千春の情報を読み取った英武が先ず、問題のトレーナーに触れた。 

 「千春ちゃんは…普通の家庭の子だ…。 
高校二年生で…わりと力のあるサイキッカーだけど…他に力を及ぼすというよりは霊媒体質…霊能者だね…我々とはちょっと向きが違うな…。

 千春ちゃん自身の力で亮くんを如何こうするということは…先ずない。
ただ…千春ちゃんの背後には…不可思議なエナジーを持つ者がいる…。

 ノエル…って言う名前に覚えがあるかな…?
千春ちゃんはその名を使っているもの…本名じゃないだろうけど…の使徒だね。」

そこまで読み取って英武は亮の方を見た。

 ノエル…ノエルだって? 亮は驚きのあまり言葉を失った。
信じられない…あのノエルが何かの大元になっている存在だというのか…? 
 そりゃあ…僕等の知らない情報をいっぱい持っているようだったけれど…どちらの組織にも加担しているようには思えなかった…。 

 次に輝が触れた。輝は自分の作ったブレスレットを追った。

 「英武の言うとおり…ごくごく普通の女子高校生…。
性格は穏やかで優しい子だわ…。

 千春ちゃんのボスはどちらの組織とも距離を置いているようだけれど…完全に独立した存在ではないみたいね。
 不思議なことに対立しているように思えるふたつの組織もどこかで同じものを…繋がるものを持っているようなの。 」

輝にもそれ以上詳しくは分からなかった。

怜雄は敢えてトレーナーには触れなかった。

 「独立どころか…三つの存在に見えてはいても根源はひとつだ。
時によって姿を変えるだけのこと…。
 我々には別のもののように感じられるが、実際にはひとつのものが状態を変えているに過ぎない。
 
 そうだな…簡単に言うとコロイド溶液の中でコロイド粒子がゾル状になったり、ゲル状になったりするようなものだ…。 」

 その説明でみんなの顔が引きつった。
簡単に…ね…。 分かるような…分からんような…分からん。

 「あ…コロイド溶液というのはだな…液体中に細かい粒子が分散した形で浮遊して存在している状態のもので…つまり沈殿することなく…ぷかぷかと液中に漂っている状態な訳だ…。 
 このコロイド粒子の流動性が…例えば熱を加えることによって失われると…」

 怜雄が溶液の説明を始めた。
このままだと話が別の方向へ行きそうな気配だ。

 「水に溶けた寒天だよ。 そう思ったらいいさ。 なっ? 怜雄。 」

紫苑が身近な例をあげると怜雄はそうそう…と嬉しそうに頷いた。

 「要するに…液体だったり…固体だったりすると言いたいわけだな…? 
つまり形態の変化によって同じものが別のものに変化したように見えると…。」

滝川がそう補足した。そんなもんだ…と怜雄は答えた。

 「ただ…やつらの場合は形態だけでなく性質も異なってくる。」

そこに留意すべきだ…と付け加えた。

 「だけど…ノエルはふたつの組織の力のバランスが崩れたというような話をしてくれたんです。
 同じものなら片方からもう片方へ力を少し移動させればいいだけのことでしょ?
わざわざ外から取り入れる必要がないのでは? 」

 亮はノエルの話からまったく異なったふたつの組織という感覚で捉えていた。
しかし、ノエルの話を知らない西沢はまったく別の捉え方をしていた。
滝川が持ってきた情報の中でずっと気にかかっている太極思想…怜雄の話に共通するものがあるような気がする。

 「余剰分があればそうするだろうが…不足分が度を超して多い場合はそういうわけにもいくまいね。
 ことにお互いに性質が異なってしまっていれば力の移譲には何らかの操作が必要になるだろうし…。

 中国の易経の中に太極説という思想があるんだ。
古代中国の宇宙観…天地創造の思想のひとつだと僕は考えているが…混沌(カオス)から太極が生まれ…その太極が動くと陽になり、動きが極まって静止すると陰になったと言われている。

 陽の精は火…陰の精は水…そんなふうに書かれてあると僕らはその陰と陽はまったく別のものだと考えてしまう。
 ところが…実際にはひとつのものの両極を陰陽と表わしているに過ぎないんだ。
陰と陽とは相反する性質を持ちながらも同じひとつの存在だということだな。

 両極のバランスという点だけに絞って考えるならば、例えばヤジロベエの錘…両極の錘を十二分な重量で吊り合わせておけば、片側が少し削り取られた時にもう片側から貰ってきて再度吊り合わせることが可能だろう。

 両極の錘が辛うじて錘の役目を果たしているというような状態の時に片側の錘が無くなってしまったからといってもう片方から半分貰うなんてことは、数量的にはやってやれないことはないだろうけれど…意味があるとは思えない。
新しい錘をつけてやった方がいいに決まっている。 」

 その場の空気がさらに固まった。
コロイド溶液に…ヤジロベエの錘ねぇ…言ってることは分かるんだが…。

 「怜雄…紫苑…それで…何が何にどう当て嵌まると考えたらいいわけ…? 
対立するふたつの組織が両極で…その母体となっているのがそのノエルとかいう人だと考えていいの? 」

輝が理解に苦しむような表情を浮かべながら訊ねた。

 「人じゃない…。 」

 怜雄と紫苑が同時に答えた。みんなますます困惑した。  
紫苑はどうぞ…と言うように怜雄に手を差し出した。
  
 「僕等が眼で見ているものは擬人化された映像に過ぎないんだ。
本当に事が起きているのはこの地球全体だと考えていいだろう…。
 ノエルと名乗っている大いなる宇宙の根源が、この地球上で自らの両極のバランスが崩れ出したのを何とか修正しようとしている…そんな感じだ…。

 ただ…本体であるノエル…太極の意思とは別の意思が両極には感じられる。
同じものの中におそらくはその他にもいくつもの意思が存在し、それぞれの意思のもとに同じ目的に向かって動いている…だから対立したり分裂したりして見える。
…これはあくまで僕の個人的な見解だが…。 」

怜雄はそう説明した。

 「それは多重人格のような現象なんですか…? 」

 亮がそう訊くと紫苑が首を横に振った。

 「ちょっと違うね…。 例えば…亮くん自身の身体を考えてご覧よ。
きみがさっき食べた食物をその身体は内臓で分解して吸収しようとするだろう?

 それはみんなきみの脳が命令してそうさせているわけだけれど、きみの意思が働いているわけじゃない。
きみの心がそうしろと胃や腸に命令しているわけではないんだ。

 黴菌が身体に入った時にも、脳はそいつをやっつけろと白血球とかに命令を出すが、脳がそういった命令を出したことも白血球が活躍していることも、きみ自身はまるきり気付かないでいる。

 それはすべて身体がそういう仕組みになっているということなんだが…仮に脳には脳の意思が…胃には胃の意思があって、それぞれが同じ目的のために働いていると考えたら…怜雄の話が理解できるのではないかな…。 」

 紫苑はそんなふうに例をあげた。
う~ん…と唸る声がみんなの唇から漏れた。
なんとなく…言ってることは分かるのだが…なんとも把握し難い…なぁ…。

 「勿論…僕や怜雄の話は僕等が感知したものから僕等が受け取った儘を言っているに過ぎないので、本体に問えばまたどこか違うところがあるかもしれないが…。

とにかく本当の相手は…眼に見える存在ではないことは確かだ…。 」

 紫苑のその言葉にみんな背筋がぞっとした。
相手は人間ではない…そのことが既に理解を超えることだった。
見えない敵とどう戦えばいいのか…?

 「必ずしも戦いになるとは…限らない…が…。 
取り敢えず今の時点では…彼等の真の目的を把握することができれば…と思っているんだ…。 
まったく接点のない状態では…それも難しいことだが…。 
 相手が人間のレベルをはるかに超えている以上…あえて危険を冒すのは得策とは言えないし…な…。 」

そう言って紫苑は大きな溜息をついた。 






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現世太極伝(第十三話 不愉快な写真)

2006-02-12 23:37:07 | 夢の中のお話 『現世太極伝』
 滝川は仕事の合間を縫って裁きの一族の現在の所在地を捜していた。
明治維新の頃までは関西圏でまだ裁定人としての役目を果たしていたらしいが、その後は中部から関東圏に散らばってしまったらしく、いまはまったく裁定人としての活動はしていないという。

 それでも古い家系の者たちは未だに裁きの一族を敬い畏れていて、何かの時には頼りにすることもあるらしい。
 滝川の一族の長老に言わせれば、その権威は依然衰えておらず、宗主の一言が他の一族にも大きな影響を及ぼすという。
 その所在は極秘であり代々族長と最長老級の幹部にしか伝えられず、まだ族人としては齢若い滝川には聞きだすことができなかった。。

 問題は…その所在地が分かったとしても滝川個人で宗主に面会が叶うかどうか。
伝え聞く話によれば、宗主は族長クラスとしか会ってくれないということだ。

 得体の知れない大きな組織を相手に、紫苑がひとりで立ち向かおうとするのはあまりに無謀…自殺行為だ。
滝川や西沢家の兄弟たちが協力したとしてもたいした力にはなれまい…。
 
 それにこれは紫苑ひとりの問題ではない。どこかの族人であるか否かには関わらず、若い能力者が軒並み狙われているというのだから、まさに特殊能力者全体の問題と言わざるを得ない。
それぞれの一族が得手勝手に行動している場合ではないのだ。 

 滝川には裁きの一族の在り方でさえ生ぬるく思われた。
裁定人と言われるからには、こういう時にこそリーダーシップを発揮すべきなのに、その所在すら明らかではない。

 「まあ…とにかく僕の手の届く限りのところには手を回して調べさせているよ。
存在すること自体は確かなんだ。 」

西沢の入れたお茶を飲みながら滝川は言った。

 「おっ…これは輝(ひかり)の好きなタイプの紅茶だ…。 相変わらず通い妻か…? 」

滝川はニヤニヤと笑いながら西沢の顔を見た。

 「せめて…恋人と言って欲しいね。 それに通ってきてるわけじゃない。 」

西沢は冷めた目を滝川に向けた。

 「恭介…無理しなくていいよ。下手したらおまえまで巻き込んでしまいそうだ。
亮に本当のことを話した今…僕にはもう…思い残すこともないし…。
 後は亮がひとりでも生きていかれるようにしておいてやりたいだけのことで…。
僕みたいな存在でも亮のためになれば少しは価値があったってことだから…。 」

まるで死を悟った老人のように西沢は言った。

 何を馬鹿な…と滝川は思った。
西沢が自虐的なのは今に始まったことではないが、このところその傾向がさらに強まっているように感じられた。
 
 「価値のない存在なんてありゃしないんだぜ…紫苑…。
そこにおまえが存在するってことはそれだけの意味があるってことだ…。
 おまえ自身には感じられなくても、必ずどこかにおまえを必要とする何かが存在する。 」

 例えば…僕がそのいい例じゃないか…。 なあ…写真…撮ろうぜ…。
マジなやつを…さ…。

 「時々いいことを口にしながら…長続きしないのがおまえの欠点だな…。
何度も言わせるな。 モデルはやらない。 正直疲れたんだ…。
赤ん坊の時からモデルやってたんだから…。 」

 西沢はソファを背もたれにして仰け反るように天井を見た。

 「それだよ…そんな感じでいいんだ。 頼むよ…撮らせてくれ。
普段の…素のままのおまえの仕草や表情が撮りたいんだ。 
 商売抜き…。 メイクもセットもなしでいい…。 注文もつけない…。
撮影の間…泊り込み…密着させて欲しいだけ…。 」

 滝川は拝むように言った。 西沢は答えなかった。
滝川は持っていたケースの中から一枚の写真を取り出した。

 「これは写真家としての僕の原点だけど世界でたった一枚しかないものだ。
もう…ネガも何も残っていない。 焼き捨ててしまった…。 」

 古びた写真…西沢は何気なく手に取った。
見た途端持つ手が震えた。 

 「なに撮ってんだよ…! こんな写真…よくも…。 」
 
 まだ少年だった頃の西沢の眠る姿…。
大きな枕に半身を預けるようにして横たわり、あどけない顔をして眠ってはいるが…着ているものが乱れ放題…素っ裸よりも始末が悪い…。

 「これは…何なんだ? 知らない…全然覚えないぞ! 」

 西沢は記憶を辿った。何処で…誰と…何を…した?
どうにも思い出せん…写真があるんだから…相手はこいつか…?
首を傾げながら滝川を見た。
滝川は写真を取り上げ破り捨てた。徹底的に細かく…。

 「僕の住んでたワンルームだよ…ずっと以前の…修行時代のさ…。
遊びに来ただろ…何度か…。
 大事な写真だったんだ…これ…。 
いつか独立したら…もっとおまえの内面を写し出してやる…。 
これ以上にリアルにって…。 
ずっとそれを夢に描いてきたんだから…。 」

 粉々になった写真の残骸を見つめながら…あ…っと西沢は思った。
随分古い話だけど…。

 「思い出した…7~8年は経ってる…。 確かにおまえの部屋で眠りこけた。
その時に羽目はずして遊んだ覚えもあるような…。 でも写真は知らんぞ…。 」

 だろうね…滝川は頷いた。

 「白状すると…眠ってるおまえの乱れた姿に心惹かれて写したんだ。  
どうこうしようとは思ってなかったけど…さ。 ちょっと魅惑的だろ…。 」

 西沢は呆れて天を仰いだ。
僕のセミヌード撮ってどうするのさ…芸術にも金にもなりゃしないぜ…まったく。

 「あのさ…できれば…おまえの頭の中から初恋の少女を消してくれないか?
僕が男だってこときっちり脳みそに叩き込んでおいてくれよ。

 分かったよ…撮っていいよ。 泊り込み許可…但し仕事の邪魔はしないこと…。
頼むから薔薇が喜びそうな写真はやめてくれ。
 普通の…ごくごく普通の写真以外は公開を認めないからね…。 
そんなもんが売れるとは思えないけど…。 」

滝川は飛び上がった。

 「紫苑…恩に着るぜ。 」

西沢の唇から諦めとも安堵ともつかない溜息が漏れた。



 夕べから降り続いている雪のお蔭で書店の前も足元が悪く、亮は朝から店の周囲の雪かきをしていた。
例年あまり振らない地域であるにも関わらず今年は雪が多い。

 詳しく調べたことはないが地球温暖化の煽りを受けていろんな国で異常気象が発生していると聞いているし、年々季節の在り方がおかしくなってきているようにも思われる。
 海の生物などでは水温の変化で生息域を変えてしまったり、異常発生したり、逆に生息数が極端に減少したり、そうした現象があちらこちらで起っているそうだ。

 たれ流しの汚染物質や終わらない紛争による環境破壊や…人間の手によって地球全体が絶え間なく痛めつけられているということだな…。

 そのうち地球は滅びるね…なんもかんも壊してばかりだもんな。
まあ…人類が滅びるのは自業自得かもしれないけど…他の生物にとっちゃいい迷惑だよな…人類と心中なんかしたくはないだろうし…。

 そんなこんなを思いながら粗方雪をかき終えて、やっと店の周りが通りやすくなったのを見ながら亮はふうっと息をついた。

 「亮くん…お疲れ…。 寒かっただろ…吉井さんがココア作ってくれたからさ。
もう…入っておいでよ。 」

 店長が外に出てきて声をかけた。
パートの吉井さんが中からニコニコと手招きしていた。
 
 亮はパンパンと音を立てて身体についた雪を落とすと店の中に戻った。
バックルームでココアが湯気を立てていた。
 カップを通して温かさが手のひらに伝わってきて気持ちよかった。
ふうふうっと吹いて少しずつ冷ましながら亮はココアを飲んだ。

 「止みそうにないねぇ…。 今日は一日こんな感じかなぁ…。 」
 
店長が外を見ながら溜息をついた。

 不意に自動ドアが開いて千春が姿を現した。
いらっしゃいませ…という店長の言葉ににっこりと笑顔で答えて、バックルームから出てきた亮の方へ近付いてきた。

 「おはよ…亮くん。 温泉楽しかった? 私はスキーに行ってきたよ。
はい…お土産…トレーナー…。 」

千春は少し大きめの紙袋を手渡した。

 「え…? 僕に…? 有難う。 あ…待ってて…。 」

 亮はできるだけ何も気付いていないふうを装いながらバックルームに戻った。
ロッカーから小さな紙袋を取り出すと取って返した。

 「これさ…きみに…。 映画のお詫び…。 断っちゃったからね。 」

 千春はちょっと意外そうに…それでも嬉しそうな顔をした。
そっと袋を開けてみて満面の笑みを浮かべた。

 「かわいい~! 亮くん…有難う。 これ彼女が選んでくれたんだ?
でも…かわいいから許す! 」

 それは輝が作ったブレスレットだった。
若い人向けに作った安価な材質の物だけれど大量生産の物とは違う。
亮には見分けはつかないが、女の子の千春には何となく違いが分かるらしかった。

 千春はいつもの週刊誌を買って帰っていったが、バイバイと振るその手には既にあのブレスレットが光っていた。

 種は蒔いた…亮は胸の内でそう呟いた。
これで千春の様子が少しは分かる。英武が千春の心を追跡してくれるだろう。
貰ったトレーナーは千春の触れたものだから、何か情報を引き出せるだろう。

 少なくともこれで千春の思惑だけは掴める…。
なにもないところからやっと一歩だけ踏み出した気がした。




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現世太極伝(第十二話 満天の星)

2006-02-10 23:12:39 | 夢の中のお話 『現世太極伝』
 まさか…旅行先にまで有(たもつ)が抗議の電話をかけてくるなどとは思っても見なかった。
 おそらく西沢家の誰かに西沢が亮を連れて出かけたことを聞いたのだろう。
有のことだから西沢が亮に接近していることを感じ取ったに違いない。 

 最初のひと言を上手く言い出すことができなくて西沢はまだ黙ったままだった。
この期に及んですべて明らかにすることを躊躇うわけではないが、話を始める取っ掛かりが掴めずにいた。 

 「露天風呂…入ろうよ…。 待っててくれたんでしょう? 」

 亮の方が先に沈黙を破った。
西沢の腕を引っ張るといつものように笑って見せた。
西沢は黙って頷いた。

 露天風呂へは内湯から出られるようになっている。
西沢が身体を洗って内湯で少し温まっている間に、風呂巡りを済ませてきた亮は先に露天風呂の方へ出て行った。

 露天風呂から見える塀に囲まれた四角い空には満天の星。
ずっしりと光の粒が詰まっている空は重たげで低く垂れ下がって感じられる。

 後から入ってきた西沢も同じ空を眺めて…凄まじいね…と言った。
美しいとか綺麗とかそんな形容詞ではとても言い表わせない迫力がその満天の星空にはある。
 人事の到底及ばない神秘的な造形…。
ふたりはしばしそれに見とれた。

 「僕は…両親が16の時に生まれた…。
当然…高校生になったばかりのふたりは僕を育てることができず…生まれてすぐに母の一番上の兄のところに貰われた…。 」

ふいに…西沢が口を開いた。
 貰われたとは言っても西沢の母は西沢家の末娘だったので、西沢が4つになるまで親子というよりは姉弟のように一緒に暮らしていた。

 「父とは別れてしまっていたけれど、木之内家も西沢家とは近い親戚だから時々連絡があった。 …母が亡くなるまでは家族同士の付き合いもあったんだ。

 母は二十歳になった頃に、また別の男と恋をして…上手くいかなくて…僕を道連れに服毒自殺を図った。
 僕は子どもの頃錠剤が飲めなくて、母が無理やり口に押し込む錠剤を口いっぱいに溜め込んで息もできないほどになり、その場を逃げ出して泣きながら伯母のところへ行ったんだ。
 驚いた伯母が全部吐き出させてくれたので僕は助かった。
伯母を連れて母の部屋に戻った時…母は既に大量に薬を飲んだ後だった。
母はそのまま亡くなって…事故死ということにされた…。 」

 養父母は、実の母親に殺されかけた上に目の前で母の死を見てしまった幼い西沢に残るトラウマを案じて家族全員で西沢を監視するようになった。

 「未だにみんな僕のことを心配してくれているよ…。
シオンはいつかパニックを起こして自殺するんじゃないかって…ね。 」

西沢は苦笑した。

 「西沢家では僕はまるでお姫さま扱い…伯母の趣味で…大事にされて育ったよ。
みんなの愛情が重たいこともあるけど…僕はいい家族に囲まれて心から幸せだと思っている…感謝しているんだ。 」

 西沢の幸せという言葉で亮は輝の溜息を思い出した。
鳥籠の中の幸せ…幸せの顔を持つ不幸もある…。
 だけど…それはすべて本人の感じ方ひとつ…輝が憂えるほど西沢が我慢に我慢を重ねているとも思えない。
 
 「木之内家との行き来がなくなってしまったので、父の築いた家庭のことはまったく知らずにいた。
 年に二回ほどかけてくる電話だけが実の父との繋がりだった。
それも元気か…ちゃんと食べてるか…ってくらいの会話…。
だから…父というよりは知り合いの小父さん…。 」

 西沢が亮の存在を知ったのは亮がかなり大きくなってからで、親子三人幸せに生活しているものだとばかり思っていた。
 ところが最近になって木之内家の身内から、亮がずっとひとりきりであの家に置き去りにされていることを聞かされた。

 ショックだった。
もっと早く気付いてやるべきだった。
 聞けば中学に入った頃から親が家にいなくて、世話をしてくれる人もなく、何もかも自分でやってきたという。
  
 「いまさら遅いとは思ったけれど…きみをほっておくことができなかった。
ことに…能力者の若手が狙われていると通達が回り始めた頃からは…。
 そんな家庭の事情では、おそらくきみはその力については誰にも学んだことがないに違いない…。 」

 何かあったら対処できないかもしれない。 
何としても護ってやらなければ…と西沢は考えた。
西沢が家族に護られてきたように…。

 「断っておくと…別に正義感からじゃない。 …きみに対する償いだと思った。
僕の存在が…きみを不幸にしたのではないかと感じたから…。 」

 有は紫苑という息子がいることを忘れることができなかった。
紫苑を捨てた事実をきれいさっばり記憶から消してしまうことができたなら、もっと亮に対して違った接し方をしていたのかもしれない。

 「考え過ぎだと…怜雄や英武に笑われたけど…僕を捨てたことで…父の心にも何か大きな傷が残ったんだと思う…。
 早い段階で…僕がなんとも思っていないことを…恨んだり憎んだりしていないことを父に伝えるべきだったのかもしれない…。
 僕はそれを怠った…。
きみの不幸がそのせいなら…僕はきみに償うべきなんだ。 」

 亮は驚いた。とんでもない…と思った。
何も悪いことをしていない西沢に償って貰う理由なんか何処にもない…。

 「西沢さんのせいなんかじゃない。 そんなふうに考えないでよ。
僕の両親は祖父母の勧めで一緒になったけれどお互いに相性が合わなかったんだ。
冷戦の結果…それぞれに愛人ができただけの話だよ。

 それに僕は不幸なんかじゃない…。 好きなように生きてるから…。
西沢さんが兄貴でほっとしてるんだ…。 
正体不明の人に甘えるのはやっぱり抵抗あるけど…兄貴なら甘えてもいいよね。」

 少し興奮気味に亮は言った。
西沢がクスッと笑った。

 「そうなんだ…抵抗あったんだ…? それじゃもう遠慮しなくていいよ。
誤解しないで欲しいんだけど…僕は償いの気持ちだけできみを護ろうとしたわけじゃないんだ。 
 何度か会っているうちに亮くんのことがほんとに可愛くなってきて…僕の弟なんだなぁ…ってだんだん実感が湧いてきた。 」

内湯の方で扉をドンドンと叩く音が聞こえた。

 「何…? 旅館の人…? 」

亮は不審げに音のする方を見た。
 
 「ふふん…。 そろそろ現れる頃だと思ったよ…。
怜雄と英武だよ。 伯父に言われて飛んで来たに決まってる。
何かことが起こってないか心配になったんだろう。 

入って来いよ! 」

西沢が声を掛けると本当にふたりが現れた。

 「シオン…大丈夫? 有さんから電話があったんでトラブッてないか心配で…。
お父さんがすぐに行けって言うもんだから…。 」

英武が服のまま駆け寄ってきた。

 「英武…濡れるよ。 脱いで来いよ。 怜雄も…。 」

 あ…そうか風呂だもんな…と英武は何か言おうとしている怜雄の手を引っ張って脱衣所へ走っていった。

 

 急にふたりも増えたにも関わらず旅館はきちんと四人分の料理を用意していた。
応援を出した段階で西沢の伯父が旅館に連絡を入れておいたようだ。

 四人で囲む御膳は美味しかったし、何より楽しかった。
西沢が自分の兄でしかも父親が16の時の子だと知ったショックよりも、周りに誰も居ない孤独から解放された喜びの方が大きかった。

 「四人兄弟だね…。 僕にも弟ができた…。 やっと威張れるぞ…。 」

英武が嬉しそうに言った。 

 「弟…? 」

亮が不思議そうに訊いた。

 「そうさ…シオンの弟は僕らの弟だよ…。 ね…レオ? 」

怜雄が満面の笑みを湛えてうんうんと頷いた。

 「大変だ…亮くん。 うるさいぞ…こいつら。 覚悟しといた方がいいな。」

西沢がそう言って笑った。

 「そうなんだ…。 僕…たくさん兄弟ができたんだ…。 」 
 
 なんだか夢のようで亮は茫然としていた。
昨日まで家族らしい家族のなかった亮に突然兄貴が3人できた…揃いも揃って特大サイズの…。
 
 大きな部屋に布団がずらっと並べて敷かれてあるのを見るとまるで修学旅行のようだった。
 何しろでかいのが四人…というので仲居さんたちも考えたのか、誰がどうはみ出てもいいようにまるでプロレス会場のマットの如く布団を敷き詰めたらしかった。

 男四人がこどものようにはしゃいだ…笑った。
末っ子の亮はみんなに揉みくちゃにされたがそれはそれで何となく心地よかった。
 笑い過ぎて疲れた。
こんなこと久しぶりだ…。 

 布団のマットの上で大の字に伸びながら亮は西沢はこどもの時からこんなふうにして育ったんだろうな…と思った。
輝が心配するほどのことはない。みんな呆れるほど仲がいいんだもの。

 連れてきて貰ってよかったな…。 千春と映画へ行くのも悪くはないけど…。
千春…? そう千春だ…。

 「西沢さん…。 気になることがあるんだ…。 」

 亮は千春のことを話し始めた。初めて会った地下鉄での出来事、再会した時のこと、そしてこの間誘われたこと…教えていないはずの亮の名前を言い当てたこと。
 
 西沢は真剣な表情で亮の話を聞いた。怜雄と英武も集まってきた。

 「英武…亮くんの記憶から何か分かるかい? 」

英武は失礼…と言いながら亮の手を取った。

 「ぽっちゃり系の可愛い女の子だ。 
逆ナンっぽく亮くんを誘っているけど…亮くんが好きとかじゃなさそうだよ…。」

 やっぱり…と亮は思った。
あの時何となく妙な感じがしてたんだけど…。

 「その子が人間どうか分かる? 」

西沢がまた訊ねた。

 「難しいところだね。 女の子が触ったものでもあればいいんだけど…。
ただ彼女はちゃんと身体を持った存在だと思うよ。
亮くんの記憶の中では彼女にはちゃんと影があるしね…。 」

 影…あの意思を持つエナジーには影はなかった。
そうだとすればその女の子は集められた能力者のひとりなのだろうか…。
何れにせよ…西沢の守りが堅いために、亮に接近できないでいる者たちが搦め手から迫ってきたように思われる。

 西沢は亮たちに滝川の知り合いが撮影した不思議な写真の話をした。
英武は西沢に触れ、その写真からの情報を探った。

 「確かに女の子と近いものは感じられるけれど…まったく同じではないと思う。
写真の方は実体がない。 女の子には実体がある。 」

 英武はふたりの記憶から分かるだけのことを話した。
亮は自分を狙っているものの不気味さに思わず総毛だった。

 捕らえられたら最後、永遠に抜け出せないような気さえしてきた。
さっきまでの楽しさはどこへやら…湯冷めをしたように身体が震えた。
西沢はそんな亮の不安を察してかそっと肩を抱いてやった。  





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現世太極伝(第十一話 ―声― )

2006-02-09 17:40:01 | 夢の中のお話 『現世太極伝』
 クリスマスプレゼントの包みを開けた時西沢はなんとも複雑な表情を浮かべた。
使い心地のよさそうな小さめの旅行鞄…ここから旅立てと言わんばかりの…。
西沢は嬉しそうに…けれど寂しそうに笑った。

 「持ってなかったんだ…ひとつも…嬉しいよ。 有難う…亮くん…。 」

 真新しい鞄の感触を楽しむかのように西沢は鞄の表面をそっと撫でた。
もう何年も前に捨ててしまった…鞄。
失ってしまった両の翼…。
西沢は過去を懐かしむように切なく微笑んだ。

 「温泉…行こうか…? せっかく鞄…貰ったんだし…。
僕も久々に遠出がしたくなった…。 バイト…休み…取れない? 」

 ふと…思いついたように西沢は訊いた。
休みは何とかなっても、この時期は予約で満室だろうからもう旅館の部屋の方が空いてないよ…と亮は答えた。

 「ひとつだけ…。 毎年養父が僕のためにとっておいてくれる部屋があるんだ。
僕は一度も利用したことはないけど…いつもは代わりに友だちや相庭に行って貰ってるから…。
 そこでよければ…大晦日から正月にかけて利用できるよ。
結構いい旅館らしい…相庭の話ではね…。 」

 亮がプレゼントしてくれた鞄…だもの…使わないままじゃ申し訳ない。
この際…伯父の息のかかったところでも仕方ない…な。

 亮は早速仕事仲間の木戸とパートさんに大晦日の勤務を代わって貰えるかどうか確認した。
 パートさんは主婦なので大晦日は忙しくて無理だったが木戸が代わってくれた。
元旦は店自体が半日で店長とその弟の副店長が当番なので問題ない。
何とか一泊二日は確保した。
後はこのまま何事も起らず周りがみな平穏無事であることを願うだけだった。
 


 「ねえ…夕紀…。 頼むから少しは僕の話を聞いてくれよ。
きみの命に関わるんだよ…。 
このままあの男と関わり続ければ争いに巻き込まれて死ぬかもしれないんだよ。」

 分かってるわ…そんなこと…と夕紀はあからさまに不機嫌な顔をした。
久しぶりに夕紀とふたりきりなのに…なんでこんな話をしなきゃいけないんだ…と直行は情けなくなった。

 「妬いてるわけじゃないんだ…。 心配なんだよ…。 
もしきみに何かあったらと思うと…生きた心地がしないんだ…。 」

 それは直行の本音だった。
ノエルから事情を聞くまではあのイケメンの導師さまとやらにかぶれた夕紀が心変わりして直行から離れていっただけのことだと考えていた。

 直行にとってそれはつらいことだけれど、それならそれで仕方がないんだとも思っていた。
 夕紀のような華やかな女性がいつまでも自分の傍に居てくれるわけがない…。
夕紀が本心を話してくれたなら…諦めよう…。
そんなふうに心に決めていたのだった。

 だが…今は事情が違ってきた。
イケメンにかぶれたんではなく何かに洗脳されて危険な目に遭おうとしている…。
助け出さなきゃ…そんな危険な組織からは抜けさせなきゃ…。  
直行は必死に説得を始めたのだった。

 「あのね直行…。 いまこの世界は大変なことになっているのよ。
ほっておいたら人類どころかすべてが絶滅しかねない危機にあるの。
誰もそのことには気付いていない。 気付かない方がいいかもしれないわ…。
 その危機的状態を少しでも改善させるために私たちが働いているの。
だから私ひとりの命なんて惜しいものじゃないわ…。 」

 夕紀は自分の言葉にうっとりと酔いしれているようだった。
直行は天を仰いだ。ここまで洗脳されているとは…。

 「馬鹿言っちゃいけない。 誰の命であろうと惜しくない命なんてないんだ。 
ひとりの命を粗末にするようなやつらにこの世界が護れようはずがない。 」

 どうあっても僕はやつらに取り込まれるわけにはいかない。
夕紀を救うためには僕が正気でいなければ…。

 もはや夕紀には何を言っても無駄と悟った。
まるでアニメかゲームの勇者気取り…人間であることさえ忘れているようだ。

 しばらく夕紀とは距離を置こう…捜せば…必ず何か夕紀を正気に戻す方法があるはずだ。
 待っていて夕紀…必ず救い出してあげるから…。
他人の意見を聞こうともしない夕紀に直行は心の中でそう語りかけた。 



 「いいなあ…温泉かぁ…。 俺も行きてぇ…。 」

 木戸が羨ましげに言った。
客が読み散らかした本や雑誌を傷になっていないか確認しながら、亮はそれらが元々置かれてあった場所に戻していった。 

 「年明けてからスキー行くって言ってたじゃない? 」

 そう言って笑うと、そうなんだけど~と木戸は頭を掻いた。
静かにドアが開いて女の子が入ってきた。

 「あ~居たぁ。 亮くん…おはよ~。 」

 亮くん…? 亮が振り返ると、そこに立っていたのはあの千春だった。
あの子に…名前なんて話したっけ? 
亮は不審に思いながら…おはようと答えた。

 「ねえ…明日…映画とか行かない? 年末で忙しいかも知んないけど…。 」

 ふわっとした頬の可愛らしい顔でにっこりと微笑んだ。
思わずドキッとしたがなぜか不安の方が先に立った。

 「ごめん…。 前からの先約があるんだ。 」

本当は明後日なんだけどね…と内心思いながら申し訳なさそうに断った。

 「亮くんさ。 いい人と…温泉行くんだって。 」

 千春を彼女と誤解した木戸が思わせぶりにそう言った。
千春はえぇっ…?と声を上げて亮の顔を見た。

 「そっかぁ。 亮くん彼女いたんだ。 誘っちゃってごめん…。
お兄さん…その彼女に内緒にしといてね…。 」

 真面目に受け取った千春は木戸にそう頼んだ。
木戸は慌てた。悪い…ごめんな…というような顔をして亮を見た。

 「じゃあ…亮くん…また空いてる時一緒に遊ぼうね…。 」

がっかりしたようにそう言って千春は帰って行った。

 「亮くん…ごめん…まさか本気にすると思わなかったから…。
せっかく可愛い子から誘ってもらったのに…。 」

木戸は必死で謝った。

 「別に…いいよ。 付き合ってるわけじゃないんだし…。 」

 亮は木戸の悪戯に腹が立つよりむしろほっとしていた。
僕は名乗った覚えがない…千春の名前は確かに聞いたけれど…。
 千春が誰から亮の名前を聞き出したのか…そのことが心に引っ掛かった。
取り敢えず危機は免れた…そんな気持ちにさえなっていた。



 西沢家が毎年予約を入れるという老舗の旅館はいくつかの離れを持っていて、それぞれが趣向を凝らした造りになっていた。
 養父である伯父は顔を知られている西沢が人目を気にせず落ち着いて過ごせるようにと本館ではなくわざわざ離れを予約しているようだ。 

 車寄せで車を降りて係員にキーを預けた瞬間から、周りに居合わせた人々の視線が例外なく西沢の方に向けられていくのを亮は感じていた。

 何しろ西沢は目立つ。
メンズのファッション誌や映画のパンフレットからそのまま飛び出てきたような秀麗な容姿は黙っていても人目を惹く。
 
 特に西沢のことを知っているわけじゃなくても自然と眼が行ってしまうくらいだから、あたりの人から紫苑だ…紫苑じゃない…?などという囁きが聞こえるようになると人だかりができるのは必至で、旅館の方も気を利かせてそうなる前に早々に部屋に案内してくれた。
 
 部屋と言っても離れは露天風呂つきの平屋のようなもので、食事をしたり寛いだりする十何畳の部屋の他に、広縁、寝室用の広い部屋、洗面所と室内風呂、踏込みなどがあり、ふたりでは広過ぎて寒いほどのスペースがとってあった。

 旅館に入るまでに近隣の観光名所を見て廻るには廻ったが、何処へ行っても西沢は視線を浴びていてゆっくりとはさせて貰えなかった。   
 
 「亮くん…疲れたろ。 風呂巡りに行ってきたら? 
本館には大露天風呂があるんだって…。いろいろ趣向を凝らしてあるらしいよ。」

 西沢は旅館の案内を見ながらそう勧めた。
ひとりで…西沢さんは…? 亮がそう訊くと西沢は外を指差した。

 「僕は…ここの露天風呂で…。 他人の視線が煩わしいから…ね。
行っておいでよ。 せっかく来たんだし…さ。 」

 ひとりじゃつまらないなぁ…と亮は口を尖らせた。
西沢はくすくす笑いながら…それじゃきみが帰って来るまで待っててあげるから…この部屋の露天風呂に一緒に入ればいいさ…と言った。
それなら…というので亮は本館の風呂巡りに出かけていった。

 亮が出かけてしまうと西沢はスケッチブックを取り出した。
道中、心に留めておいたものを描こうとしたのだが…何も描かないうちにうつらうつらし始めた。
 仕事で以外滅多に遠出しないせいか、鳥籠を出て気が緩んだためか思ったより深い眠りだった。



 どのくらいそうしていたのか…けたたましくなる電話のベルに起こされた。
ふと時計を見ると…それでも一時間は経っていない。 
 
急いで受話器をとると取次ぎの後に、怒ったような男の声が聞こえてきた。

 『紫苑…亮はそこにいるか…? 』

風呂へ行ってる…と西沢は答えた。

 『どういうつもりだ…? この大晦日に亮を連れ出すとは…。 
何を考えているんだ…? 』

 別に…他意はない…と言った。
電話の相手は少し興奮しているようで…その答えには納得しなかった。

 『やたら高級なアクセサリーを買い与えたり…今度は亮のようなこどもに相応しいとは思えない高級旅館へご招待か…。
俺に対する面当てなのか…?  』

 西沢の肩が怒りに震えた。
さんざん亮を無視しておきながら…勝手なことを…。

 「僕が亮を可愛がっちゃいけないのか? 亮と旅を楽しんじゃいけないのかよ?
亮は弟だぞ! 僕らふたりを捨てたあんたにどうこう言われたかないね! 」

 激しい口調で電話の相手に詰め寄った瞬間、西沢は背後に亮の気配を感じて振り返った。
大きく眼を見開いた亮がそこにいた。

 何も言えなくなって西沢は亮に受話器を渡した。
お父さんだ…と。

 「代わった…。 」

亮は比較的落ち着いた声で言った。

 『亮…出かけるなら書置きぐらいしておけ…。 
紫苑に迷惑かけるんじゃないぞ…。 』

 父の声は心なしか元気がなかった。
うん…とだけ亮は答えた。

 「小さな弟…じゃ…なかったんだ…。 」

 受話器を置きながら亮は呟いた。
西沢のマンションに初めて行った時の…あの電話の声…どこかで聞いた声だと思っていたが…道理で聞き覚えがあるはずだ。

 「どこかに…兄弟が居ることは知ってたけど…年上だとは思わなかった。 」

 亮は夢でも見ているような眼差しで西沢を見た。 
明らかに…西沢は動揺していた。
広縁のソファに腰を下ろすとがっくりと肩を落とした。

 「ごめんね…驚いた…? 最初に…全部…話してしまえば…良かった…ね。 」

 西沢は力なく亮に話しかけた。
亮は静かに反対側のソファに腰掛けた。

カチカチという時計の音が広い部屋の中でやたら大きく鳴り響いて聞こえた…。 




次回へ

現世太極伝(第十話 部屋という名の鳥籠)

2006-02-07 17:10:01 | 夢の中のお話 『現世太極伝』
 明け方近くふと目が覚めた。あたりの空気が妙にしんと静まり返っている。
何気なく窓の方を見たらカーテンの向う側は雪景色だった。
世界が薄ぼんやりと輝いて見える。

 亮は口の辺りまで布団に潜り込んだ。
階下でカーテンを閉める音がする。親父だ…。雪の様子を確かめたに違いない。
 日曜だというのに…お出かけですか? …というかお帰りですか…だな。
女のところへ帰るために車が出せるかどうかを確認したんだろう…。

 亮の首に高価なチェーンを見つけて以来、なぜか今までより家に帰ってくる回数が多くなった。
 息子が何者かに誑かされているのではないかと疑っているんだろう。
そうは言っても…月に一度が二度になった程度だが…。

 高価なチェーンといえば…修理の終わったチェーンも今つけているチェーンも両方貰ってしまった。
 さすがに悪くてこのチェーンは返すつもりだったのだが…あげるよ…の一言で済まされてしまった。

 西沢の恋人輝が彫金をやっている関係上、時々気に入ったアクセサリーを買うのでいくつも同じようなチェーンを持っているのだそうだ。
 押し売りしているわけじゃないのよ…この人結構シビアだから本当に気に入った物でないと買ってくれないの…輝がそう言って笑っていた。

 いい雰囲気だった…最初は驚いたけど…。
少なくともあの滝川よりは…許せる。
同じキスマークなら輝にお願いしたい…。

温かい寝床の中で亮は再び眠りに落ちていった。



 窓ガラスの向うに見えるいつもと違う世界を描いている。
夜中に降り出した雪…それを見たらなんだかわくわくして眠れなかった…。
こどもみたいだと自分でも笑えた…。

 おととい仕上げた注文のイラストは買い手に十分気に入って貰えたらしい。
相庭が大喜びで連絡してきた。
 それはよかったね…とまるで他人事のように答えた。
仕事だから…描きたいと思うテーマじゃなくても…描くしかないじゃない?

 勿論…どんな絵でも愛情を込めて描いてるよ…それは本当。
ただその絵に対する執着の度合いが違うだけ…手放したくない絵ではないだけのことなんだ…。
   
 あたりが明るくなってきた頃西沢は寝室に戻った。
ベッドの上に突っ伏すとすぐに睡魔が襲ってきた。
亮は…朝からバイトなんだろう…な…とふと思った。
 
 好き嫌い言ってないで仕事しなきゃね…。
僕がいなくなっても…あの家を出て自由に生きていかれるだけのものを…遺しておいてやりたい…。
 できることなら…このまま亮が自立するまで見守っていたいな…。
そうしたら僕も安心できる…。

 だけど…亮を狙っている組織は…敵は…人間ではない。
そんな連中を相手にして僕にいつまでも命があるとは思えない…。
僕が楯になり犠牲になっても、その先、亮が生き延びられるとは限らないけど…。
ない…けど…幸せになって…くれると…いいなぁ…。
・・・・・・。




 休暇が近付くにつれ…直行が落ち着かなくなってきた。
間もなくクリスマス…いつもの年なら夕紀と特別なデートの約束をする。
でも…今年は…。

 「暇さえあれば…あの男に会いに行ってる…。
僕のことなんかまるっきり眼中にない。
何が起こっているのか分からないから…手の打ちようもない。 」

 直行はそう嘆いた。
輝から直行が悩んでいると聞いた後、亮は思い切って自分が特殊能力者であることを直行に打ち明けた。

 直行はここにも悩める仲間がいたというので幾分ほっとしたようだった。

 「いっそ虎穴に入らずんば虎子を得ずっていうから相手の組織にコンタクトを取ってみようかとも思うんだ。 」

 亮はとんでもないと思った。
洗脳されたが最後どうなるかも分からないのに…。

 「それは止めた方がいいよ。 
夕紀を見ていて普通じゃないってのが分かるだろ?
…そうだ…ひょっとしたらノエルが何か知っているかもしれない。 
僕には訊くな…関わるな…って言ってたけどおまえには何か話すかも…。 」

 亮はあの不思議な少女…かどうかは分からないが…ノエルのことを思い出した。
直行を連れてノエルのいそうな講義室を捜した。

 二階の端の講義室なら…陽だまりがありそう…。
ノエルがなぜか好んで陽だまりの中に居ることに最近気付いた。

 人気のない講義室の陽だまりの中に…ノエルはいた。
起きているのか眠っているのか静かに座っていた。

 「ノエル…訊きたいんだ。 直行がもう限界で止められないんだ。
せめて何が起こっているのかだけでも聞かせてくれないか? 」

亮がそう話しかけると薄っすらと目を開いた。

 「関わるなと言ったはずだぞ…。 」

ノエルは穏やかに亮を窘めた。

 「お願いだよ…夕紀が何をさせられているのかだけでも教えてくれないか? 」

 直行が縋るようにノエルを見つめた。
ノエルは大きく溜息をついた。

 「忠告はしたぞ…。 何が起きても私を恨むな…。

 例えれば…これまで均等だったふたつの存在の片方がとんでもなく勢力を増し始めたために力のバランスが崩れてしまい、もう片方が躍起になって修正するための力集めをしているというところか…。

 夕紀はそれを集める仕事をさせられているんだ。
同じ能力者を探している。

 問題は両方の組織に下手に多くの力が集まると…今度は能力者同士の争いが起こる可能性があるということだ。
 つまり組織同士の力の潰しあいが始まるということ…。
これが起こると命の危険を伴う…。 夕紀も無事では済むまい…。 
あくまで…可能性だが…。 」

 ノエルは淡々と話した。
特殊能力者組織の勢力争い…? そんな話は聞いていない…と直行は思った。
 その程度の内容なら…もし実際にそんなことが起きていれば…宮原や島田の長老衆に分からないはずがない。 
 
 「それ…僕らに分かりやすく例えれば…ってことだよね? 
それなら…裏で糸を引いている組織は特殊能力者の集団とは限らないんだね…?
能力者を利用しているだけかも知れないんだ…。 」

 亮がそう訊くとノエルは眉を上げて頷いた。

 「ご名答…。 必要なのは能力者の生み出す力のみ…。 
まあ…本来なら…能力者でなくても構わないんだが…より大きな力を持つ者の方が目標達成まで短時間で済むというもの…。 」

 能力者の生み出す力…? なぜそんなものが必要なんだ…?
亮は怪訝そうな顔でノエルを見た。
 
 「それは話す必要はない…。 話しても理解できないだろう…。
気をつけるがいい。 おまえたちは一歩踏み出してしまったのだから…。
これ以上は絶対に首を突っ込むな。
 
最後の忠告だ…。 」

 ノエルはそう言うと再び瞑想を始めた。
陽だまりの中のノエルはまるで光と同化しているかのように静かで透明な存在に見えた。

 

 亮は後悔した…。
直行に早まったことをさせないためにノエルの話を聞かせたが、直行は余計に夕紀のことが心配になってしまったようだ。 
 取り敢えずノエルは可能性…と言っていたのだからそれに期待するしかない。
族人の上の立場の人たちが既に動いているのだから、くれぐれも短慮な行動はとるなとは言っておいたが…。
 
 12月の繁華街は人また人…。街中が音で沸き返り、色が溢れていた。
あれこれ考えながらぼんやりとショッピングモールを歩いた。

 不意に後ろから肩を叩かれた。
場合が場合なだけに飛び上がるほど驚いて振り返ると輝(ひかり)がいた。

 「亮くん…お買い物? 」

輝は可笑しそうに笑いながら訊いた。

 「西沢さんに何か…と思って…もうじきクリスマスだから。 
でも…西沢さんは何でも持ってるから…。 」

そうなんだ…と輝は頷いた。

 「亮くんがくれるものなら何でも喜ぶわよ。 きっと…。 
でも…持ってないものなら…旅行鞄が良いかもね…。 」

 うそ…旅行鞄?
持ってるでしょ…普通…。

 「私のアトリエ…すぐそこなの。 ちょっと寄り道してって…。 
おいしいお茶淹れてあげるわ。 」

 輝は亮の手を引いた。
亮は促されるままに輝の後について行った。



 輝のアトリエは小さいけれど木の香りのする温かくて感じのいいところだった。
バラの香りのするお茶とバター風味のクッキーで持て成してくれた。

 「あんなふうに自由気ままに生きてるように見えるけれどね…。
紫苑は籠の鳥よ…。 少しも自由なんてない…。

 両親に捨てられたその時から…紫苑は西沢家のペット…。

 みんなして猫可愛がりするだけで紫苑の本当の気持ちなんて分かろうともしない…。
あの部屋は紫苑を閉じ込めておくための鳥籠なの…。 」

 やるせない思いがその言葉に込められていた。
ティーカップから香りの湯気が立ち上るのを亮はぼんやりと見つめていた。

 「下衆な言い方をすれば紫苑は人並み以上に稼いでるわ…。
でも西沢家では紫苑の仕事をお嬢さまの…お坊ちゃまだけど…お稽古事くらいにしか思っていない。
国際的な賞を何度も受賞しているのに…よ。

 紫苑はいつまでも目の放せない小さなこどもでみんなで可愛がってあげなければいけない存在…そう考えているみたいね。
だから紫苑の独立を許さない…。目の届かないところには行かせない…。 」

 輝の唇から思わず溜息が漏れた。
私だったら我慢できないわ…。とでも言いたげに…。

 「中学生の頃から何度も家を飛び出した…。
ひとりで気ままな旅がしたかっただけなんだけれど…。
いつもあっという間に捕まって…伯父さまや伯母さまに優しく諭されるの…。

 紫苑…旅行に行きたいなら遠慮しないで言いなさい。
お養父さんやお養母さんが好きなところへ連れて行ってあげるからね。 
ちゃんと素敵なホテルや旅館の予約を取ってあげるから…。

 仕事の時にはちゃんと相庭がついているし…相庭は仲介人や代理人という名目で紫苑の傍に居るけど伯父さまがつけた監視役よ…ひとりでは何処にも行かせてもらえない…逃げ出したくもなるわよね。

 大学の時でさえ家族に内緒で北海道へ渡ったら…すでに向こうに案内人が待っていたなんてこともあったらしいわ。 」

 息が詰まるような生活してたんだ…西沢さん…。
好きなように生きてるんだとばかり思ってた。

 「何度も何度も逃げ出しては捕まって…とうとう諦めてしまった…。
だから…旅行鞄がないの…。

 西沢の家には育ててもらった恩があるから紫苑は何を言われてもどんな扱いを受けても黙っている…。
 みんなが紫苑を愛してくれているのは確かだし…親切でしてくれていることだから…気持ちの優しい紫苑はNOと言えないでいる。

 自由なのは頭の中だけ…。 
だから…好きな本を読み…好きな絵を描き…自由にエッセイを書く…。
勿論身体も鍛えているわよ。
 要は遠出をしなければいいんだから…西沢家の目の届くところであれば何をしたって構わないんだし…。 

 でも…哀しい…他人から見ればこれ以上はないっていうくらいすごく恵まれた人生なのだけれど…紫苑自身も僕は幸せだと口癖のように言うのだけれど…。
鳥籠の中に居て…本当に幸せなのかしら…って時々思うわ…。 」

 きっと…輝はずっと紫苑のことを誰かに話したくてうずうずしていたんだろう。
信用できる相手でなければ他人の内情なんて話せないし、亮がうってつけの相手だったに違いない。
それまで黙っていた鬱憤を晴らすかのように思うさま喋り捲った。

 「御免ね…長話聞かせちゃった。 いま話したことは…少しは紫苑が口を滑らせたことだけど…ほとんどは私が読み取ったことなの…。

 紫苑は我慢強いから自分からは何も話さないわ…。
だから…あなたに話しちゃったこと…内緒よ…。 」

 少しだけしゃべりすぎたことを後悔しているようだった。
亮は輝お姉さまのお願いなら是非にもきいて差し上げようと思った…。
本気で…西沢のことを想ってくれているようだったから…。





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現世太極伝(第九話 紫苑の恋人)

2006-02-05 18:20:11 | 夢の中のお話 『現世太極伝』
 どうしてあんなことをしてしまったんだろう…。
直行はあの時と同じに心臓がどきどきしてくるのを覚えた。

 清水の提案でタロット占いを担当する時は魔女に扮することになっていたが、黒服は用意したものの直行は光り物を持っていなかったので、それらしく見せるために亮からチェーンを借りた。

 西沢の講演中でほとんどの客や学生は大講義室へ集まってしまっていたので、直行の待つ部室にはめったに訪問客が来なかった。

 これなら自分も見に行けばよかったな…などと思いながら首のチェーンに手をやり、普段あまり飾りを身につけない直行は重いチェーンが気になってはずした。

 その高価な金のチェーンは亮が知り合いに貰ったものだと言っていた。
五月病に罹っていた頃とは打って変わって、亮はこの頃楽しげで亮の体調を心配していた直行の方がずっと落ち込んでいる。

 こんなのプレゼントしてくれるような相手がいるんじゃ楽しいはずだよな…。
そう思うとやたら腹が立ってきた。
亮に対してというよりは…自分の置かれた状況に対して…。

 言い訳みたいだが…決してそうしたいと思ったわけじゃない。
だけど気がついたらチェーンを壊そうとしていた。
慌ててもとに戻そうとしたけど上手くいかなかった…。

 無理にいじれば余計に壊れそうで…そのまま返してしまった。
亮は気付いていなかったみたいだけど…。
謝ればいいことなんだけど…なんて説明したらいいのか…。

無意識に…なんて信じて貰えないだろうし…。

 「あれ…まだひとり…? 」

 講義を受け終えた亮がいつもと変わりない様子で部室に入ってきた。
首にチェーンが…。

 「そのチェーン…? 」

直行は思わず訊いた。亮の首には違うチェーンがかかっていた。

 「ああ…あれさぁ…どこかで引っ掛けたらしくって打ち上げの後で切れちゃったんだよね…。 
 くれた人に見せたら修理できるから大丈夫だって…これ代わりに貰ったんだ。」

何も気付いていないかのように亮は言った。
 
 「僕が…どこかで引っ掛けたのかな…? ごめんな…。 」

内心どきどきしながら直行はしらばくれて謝った。

 「謝ることないよ…。 僕が引っ掛けたのかも知れないしさ…。 」

そう言って亮は笑った。

 「ごめんな…。 」

直行はもう一度繰り返した。 



 まだ4時をまわったばかりだというのに外はまるで夜のよう…。
霧のように漂う小糠雨に傘を差しても役には立たない。

 亮は店頭の照明をいつもより早めにつけて夕方からの客に備えた。
店内を回って客がいい加減な場所に置いた本を元の場所へ戻し、文房具や雑貨コーナーの商品の乱れを直し、不足商品と在庫を調べた。

 ふと誰かが覗いたような気がして、自動ドアの外に目を向けると黒いコートを着た女の人が店から離れていくところだった。

 新刊案内のコーナーでも覗いていたのかな…と思いながら亮は仕事を続けた。
ドアが静かに開いて先ほどとは違う女性…少しぽっちゃり系の可愛い女の子が入ってきた。
 女の子は入り口付近においてある若い女性向けのファッション雑誌を手に取るとあれこれ棚の中を見ながらこちらに向かって近付いてきた。

 「あら…? 」

 女の子は亮の顔を見てにっこりと笑った。
なんだろう…? 亮は思わず頬に手をやった。何かついているのか…?と思った。

 「ここでバイトしてたんだぁ…? 」

えっ? 誰…? 亮は記憶の糸を辿った。

 「あ~! きみ…あの時の…? 」

 痴漢…と言いかけて口を押さえた。
そんなこと言ったら他の客に誤解されそうだ。

 「ほんとありがとう。 あいつ…しつこくて…困ってたの。 
でも…あれ以来近付いて来ない。 」

 女の子は可愛い顔いっぱいに笑みを浮かべ嬉しそうに言った。
亮はどう答えていいか分からなくてただ頷いた。

 「わたし千春…。 またね。 」

 千春は小さく手を振りながらレジの方へ歩いていった。
レジの音がして…ありがとうございました…という店長の声が聞こえた。 



 西沢に頼まれた買い物を済ませて、いつものように何気なく玄関の扉を開けた瞬間…はっきりそれと分かる嬌声が聞こえて亮は思わず立ち止まった。
黒いヒールの靴がきちんと揃えて脱がれてあった。

慌てて部屋を出ようとした亮の耳に西沢の声が聞こえた。

 「亮くん? 上がってきて…構わないから…。 」

 そう言われても…亮は玄関で身動きが取れなくなった。
しばらく動けないでいると西沢が顔を覗かせた。

 「どうしたの? そんなところで…立ち往生? 」

 西沢は笑った。
仕方なく亮は居間の方へ向かった。

 寝室を避けたつもりだったが、肩をはだけたブラウスから覗く黒のキャミソールがなんとも艶かしいお姉さまは予想に反して居間にいた。
 乱れたままの姿が妙に生々しくて亮はどぎまぎした。
お姉さまは亮を見ると艶然と微笑んだ。

 「シャワー浴びてくるから…ちょっと待ってて…。 輝(ひかり)行くぞ…。」

 西沢が手を伸ばすとお姉さまはぶら下がるようにして起き上がった。
待っててね~というようにお姉さまは亮に手を振った。

 ふたりがバスルームに引っ込んでしまうと亮はふうっと息をついた。
とんでもない時に来ちゃったな…。
そう呟きながら預かっていたお金の釣銭をテーブルの上に置いた。

 がっかりしたような哀しいような複雑な気持ちになった。
いつの間にか亮の中には理想の西沢像が出来上がっていて、それはまるでアニメのスーパーヒーローのごとく聖人のような存在に祀り上げられていた。
ところが現実の西沢はそれほど清浄無垢な人ではないようだ…。

 でも当然と言えば…当然だよね…。
まあ普通…あのように美しいお姉さまがOKサインを出してくれたなら…知らん顔して聖人ぶっているわけにはいかないやね。
 西沢さんもやっぱり男だってことなんだ…。
そう自分に言い聞かせはしたが…なかなか納得できなかった。

バスルームから出て来た西沢が、亮の何処となく不機嫌そうな顔を見て笑った。

 「幻滅しちゃった…? でも…仕方ないでしょ…生身なんだから…。 
僕は他人が作り上げたイメージのままでは生きていかれないし、そのイメージに合わせるつもりもないよ。 」

思ったよりこどもなんだ…と西沢は感じた。

 「作り物じゃないんだから食事もすれば…女も抱く…別に不思議じゃないだろ?
きみと同じだよ…。 」

 僕はまだ…と言いかけて止めた。こどもに思われるのも悔しいから…。

お姉さまが打って変わってしゃきっとして戻ってきた。

 「御免ね。 変なとこ見せちゃって…気分悪かったでしょ?。 
亮くんのチェーンの修理ができたんで届けに来ただけなんだけど…。
ついね…。 」

 あ…そういうお仕事なんだ…このお姉さま。

 「紫苑…夕食…なんか作ろうか? 亮くんお腹減ってるだろうし…。」

 輝お姉さまはにっこり笑いながら亮の顔を見た。
亮は思わず赤くなった。

 「いいよ…僕がやるから…輝…その間に例のこと亮くんに話してあげてよ。 」

 紫苑はおいてあった買い物袋を持ってキッチンに行きテーブルに中身を空けた。
例のこと…? 何だろう…? 亮は不安げに輝を見た。

 「私の名前は島田輝…。 あなたの友だちの島田直行とはそう遠くない親戚よ。
勿論…宮原夕紀とも同族。 あのふたりが許婚同士だってことは知ってるわね?」

 亮は驚いて言葉も出さずにただ頷いた。
直行の…親戚…。そんな偶然があるんだ…。

 「私たちの一族はみんながみんな能力者というわけじゃないの。
しかも…昔はお互いに行き来があったから何処何処の誰々は神憑りだなんて言ったものだけど、今ではそれさえ言われなくなってほとんどの家では自分たちがそういう家系だってことを忘れているわ。

 どちらかと言うとそういう子が家に居るということを秘密にさえしているの。
夕紀の家は主流に近いからそうでもないけど、直行の家はそういう力を信じてもいないわね。
 直行はまあまあの力の持ち主だけれど家族にも言えないでいる。
だからどちらかというと夕紀の家の方が直行にとっては気が楽なのよ。

 ところがその夕紀がなんだか妙な組織に関わるようになって、直行をその組織に引き込もうとしているみたいなの。

 直行としては逆に夕紀を取り戻そうと必死なわけだけど、夕紀は聞く耳を持たないし、少しでも能力を使えば力の程度がばれてすぐにでも組織に引き込まれることが分かっているし、親には相談できないし…でまったく動きがとれずにいるわけ。

 あなたにそのことを言いたいんだけど…下手に話してあなたまで巻き添えを食わせるわけにはいかないと我慢してるわ。 」

 直行が…そんなことを…。
我慢しているのは自分の方だと思っていた…力のことを誰にも話せなくて…。
話してしまえばよかったんだろうか…。

 「僕は…直行に力を貸すべきなんだろうか…? 
直行が困っているなら…一緒に夕紀を取り戻すべきなんだろうか…? 」

亮は呟くように言った。

 「逆よ…。 力を使えばあなたも狙われる。 紫苑の努力の意味がなくなるわ。
あなたには…どちらかと言うと直行が動き出すのを止めて欲しいの。 

 島田も宮原も直行が動くことを望んでいないの。
恋人を想う直行の気持ちは分からないでもないけれど…これ以上若手を洗脳されては困るの。
 どの一族も同意見よ。 たとえ…兄弟姉妹であっても洗脳された者の言葉に耳を貸さないようにと通達が回ってるわ。 」

 直行を止める…難しいかもな…夕紀に惚れ込んでるから…。
亮は溜息をついた。
 
 キッチンからはいい匂いが漂ってくる。
西沢は結構料理が得意だ…。
現実と非現実の中を行き来しているような人…。

 ひとりで悩む直行のことを考えれば相談できる相手がひとりでも傍に居たことを感謝せざるを得ない。
 止められるか止められないかは分からないけれど…できるだけのことはしてみようと亮は思った…。
  



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現世太極伝(第八話 細工)

2006-02-03 23:20:02 | 夢の中のお話 『現世太極伝』
 太極思想は現在でも東洋医学の考え方や易占い、或いは拳法、身近なところでは暦などに触れることによって垣間見ることができるが、よほど詳しく学んだ者でなければ容易には理解できないし解釈もできない。
西沢に関して言えば専門知識などまったく持ち得ないずぶの素人である。

 かつて興味本位にその手の本を読んだ覚えがあるとはいっても…そう言えばそんなことが書いてあったな…程度の知識しかないし、まして見た事も聞いた事もない意思を持つエナジーに至ってはほとんど雲を掴むようなものだった。

 何れにせよ…得体の知れないものを相手にこちらから仕掛けていくことは得策ではないからじっと相手の出方を待つしかない。
 夕紀という洗脳された少女が身近に存在するわりには、今のところ亮は何とか無事に過ごしていた。



 高木ノエルの忠告に従っているわけでもないが、亮はできるだけ夕紀から距離を置いていた。
あまり執拗に拘って直行に妙に誤解されても困るからだ。

 大学祭の準備が始まって出し物を考えたり小道具を作ったりする時に、夕紀がほとんどそれに参加しなくても文句すらつけようとはしなかった。

 『超常現象研究会』の出し物は心霊写真…と言えるのなら…の展示と、タロット占い、カードによる潜在能力の判定などでお茶を濁していた。
何しろ本物の超常現象を目の前で起こすなんてできようはずがないのだから…。

 大学祭当日…学生会主催の講演会のために西沢が相庭と…なぜか滝川を従えて構内に姿を現すとあたりはとんでもない騒ぎになった。

 あの写真集の影響でそれまでの西沢に興味がなかった者たちにまでファン層が広がり、バーチャル世界の住人をひと目見ようと集まってきたのだった。
勿論…講演会で脱ぐわけもなかったが…。

 メイクをしていない西沢は表情も穏やかで語り口も優しく、無遠慮な学生たちの質問にも丁寧に応対し好感度抜群だった。
 質問が例の写真集のことに及ぶと滝川にバトンタッチし、写真集のことは滝川が中心に講演を進めた。
 
 「まあ…通常は僕がモデルさんにああしろこうしろと注文をつけるわけですが…西沢先生の場合はほとんど勝手に動いてましたね…。
 その中に必ず…ほら…今だよ…シャッターチャンスだよって時があるので、その一瞬を逃がさないようにするのがめちゃ大変で…。
我儘なモデルさんでしょ…? 」

冗談めかして滝川が言えば西沢もそれに答えた。

 「だって滝川先生…好きなように遊んでろって言ったじゃないですか…。
動いてないと寒いですよ…あの格好だし…冷房がんがんですもん。 」

 撮影現場でのスナップ写真なども公開され、参加者は撮影の状況や写真集では見られない屈託ない西沢の素の笑顔を見た。
 
 概ね講演会は成功したと言わねばなるまい。講演会の後の大混乱を除けば…。
無事…正門までたどり着くまでにどれくらい時間を要したことか…。

 相庭が西沢のマンションまで滝川と西沢を送り届けた時には、ふたりとも人酔いで疲れきりぐったりとしていた。

 

 西沢が濃いめのコーヒーの入ったカップを差し出した。
ひと口飲んで滝川はふーっと大きく息をついた。  
 床のカーペットに直に座り込んでソファのシートを背もたれに、ふたり並んでしばらくぼーっとしていた。
 
 「気付いたか…? 」

構内にわけの分からないものの気配を感じた滝川が訊いた。

 「ああ…。 何か…いるな…。 」

それがなんであるのかは分からないが西沢も確かに何かを捉えていた。

 「あの大学だけだろうか…? 」

滝川は少し冷めかけたコーヒーを再び口にした。

 「いや…おそらく…ありとあらゆる場所に…。 」

 西沢はなぜかそう思った。
立ち向かおうとする相手の大きさをひしひしと感じた。

 「ひとりでは無理だぞ…紫苑。 」

 滝川が不安げに西沢を見た。
それは西沢にも分かりすぎるほど分かっていた。

 「亮のことは…僕個人の問題だから…。 」

 西沢は力なく微笑んだ。
各地に点在する特殊能力者たちが同族の若者を護るために動き出したと聞く。
 けれども亮には亮を護ってくれそうな組織はついていない。
西沢だけが亮を見ている…。

 「何とか…裁きの一族に渡りをつけてみる。
あの一族の宗主が口を利けばあらゆる一族から助力が受けられる。
絶対に早まった行動はするなよ…。 」

 裁きの一族…その存在は伝説でしかない…そう思っていた。
古い時代の話で西沢の家にも言い伝えや古文書は残っているがそれだけのこと…。
滝川の情報もそのことに関してだけはあてにはならなかった。

  

 打ち上げを終えて仲間と別れたのは9時をまわった頃だった。
地下鉄の入り口近くまで来てふと首に違和感を覚えチェーンに手を触れた瞬間、チェーンがするするっと首から抜け落ちた。
 
 まさか…と思った。
西沢の金のチェーンがまるで引きちぎられたように切れていた。
何かに引っ掛けてしまったのだろうか…?
 亮は不安に感じながらも、暗過ぎてそれほどしっかりと調べることもできずにポケットにしまいこんだ。

 ふと目をあげると駅の入り口の前に先ほどまで居なかった男が立っている。
背後からはあの視線が向けられていた。

 亮は急ぎ駅を離れ、道を横切って大通りに出た。 
人波の中を歩いて次の駅へと向かった。
視線はどんどん近付いてくる。心臓がバクバク言っている。 

 次の駅…そこにはまたあの男が立っていた。
どうしよう…どうしよう…西沢さん…。

 駅の手前の小さな交差点で不躾な車がいきなり横付けた。
亮は驚いて思わず飛び退いた。

 「亮くん! 乗って! 早く! 」

 英武の顔が見えた。亮は慌てて車に飛び乗った。
こちらは車だというのに視線は相変わらず亮を追ってきた。

 「亮くん…チェーンは? 」

英武が訊いた。

 「切れちゃったんです。 引っ掛けた覚えはないんですけど…。 」

亮は困惑したように答えた。

 「ストラップあるでしょ。 あれをとにかく直に身につけて…。
腕時計でもベルトでもぶら下げちゃっていいから…。 」

 亮は急いで携帯からストラップをはずすとしっかりとベルト通しにつけた。
しばらくすると視線の気配は亮の行方を見失ったかのように消えていった。

 「相手に気がつかれていないうちならストラップでも十分誤魔化せたんだ。
きみの場合誰かに知られた後だったらしくて…。
 直に肌に触れるものの方が効果が高いんだよ。
帰ったらシオンがまた新しいのをくれるから…心配ない…。 」

 英武は亮を安心させるように言った。
西沢のマンションの灯かりが見えたとき、亮はやっとほっとした。



 「シオン! シオン! 」

 玄関の扉を開けるや否や英武は騒がしく声を掛けた。
寝室の方から飛び出てくる足音が聞こえた。

 「どうしたんだ? 大声出して…。 」

 西沢は英武のあとから入ってきた亮を見た。
亮は手にあのチェーンを持っていた。 
チェーンが…切れたのか…。

 「たまたま通りかかってラッキーだった。 シオンを呼ぶ声が聞こえたんだ。
亮くんに違いないと思ってね…。 
気付かなかった? チェーンが切れたの…? 」

奥の部屋から頭を掻きながら何事かと言うように滝川が姿を現した。

 「おや…英武。 久しぶり…。 元気してた…?」

 滝川は英武に向かって親しげに声を掛けた。
英武は眉を顰めた。

 「恭介…おまえまたシオンに悪さを仕掛けにきてるな…レオに言っとかなきゃ。
シオン…だめだよ…こいつに騙されちゃ…。
真面目そうに見えて内輪じゃ有名な女ったらしなんだからね。 」

 西沢は一瞬目を見張って噴き出した。
滝川が天を仰いだ。

 「はいはい…せいぜい気をつけましょう。 僕は女じゃないけどね。
恭介がその気にならんとも限らんし…。 
亮くん…おいで…御免な気付かなくて…。 怪我はない? 」

 亮は頷きながら切れたチェーンを渡した。
西沢は受け取って切れたところを確認した。

 「誰かに…貸した? ひとつだけ繋ぎ目が広げてある。 このチェーンは繋いでから潰してあるから繋ぎ目はよほどのことがなければ自然には広がらないんだ。」

 思い当たるのは…でもまさか…。

 「西沢さんの講演を聞いている間だけ…直行に貸しました。
タロット占いの魔女に扮してたんで光り物がいるって言うから…。
でも…直行はそんなことをするようなやつじゃないです…。 」

 直行は高校時代からの親友だ。
亮から借りたものをわざと壊すようなひどいことはしない。
亮はそう信じたかった。

 「そうだね…多分何かに引っ掛けたのに気付かなかったんだろう…。
なんだかあちらこちらにいろんなものが置いてあったからね。
だけど…御守りはずっと身につけていないと意味がないよ…。 」

 西沢はまた自分の首からチェーンをはずして亮の首につけた。
ふっと西沢のものではないコロンの香りがした。思わず滝川を見た。

 「…気になる? 滝川の香りがする…? 
さっき恭介がここにキスマークつけたからね。 香りが移ったんだろう。
 油断してると本当に悪さするんだよ…こいつは…。 それで英武が怒るわけ…。
僕もこいつにはイライラさせられる…。」

 西沢は自分の首を指差して呆れ顔でそう言った。
悪口を言われているのに滝川は一向に気にしていないようで泰然と笑みを浮かべている。

 「シオン…それじゃ僕は家へ戻るよ。 
何かあったら連絡して…くれぐれもこいつにだけは気を許すな。 」

 英武はにこやかに手を振っている滝川を睨みつけると、亮には優しくおやすみを言って帰って行った。

 「紫苑…早く寝ようよ…。 いい夢見ようぜ。 」

滝川がまた猫なで声を出した。
 
 「勝手に寝とけ! 」

 西沢がイライラした様子で怒鳴った。
つれないなぁ~と言いながら滝川は紫苑の寝室の方へ戻って行った。

どう…受け取っていいのか亮には状況がよく読めなかった。

 「西沢さん…滝川先生が好きなの? 」

当惑した顔で亮は訊ねた。 西沢はクスッと笑った。

 「僕が? そう見える? そうだね…嫌いではないかもね。
あいつが無遠慮に僕に触ったり、あの妙な口調で話をしなければね…。

 昔馴染みなんだよ…僕が伯母に女装させられてた頃からの…。
あいつの頭の中にはいまだに初恋の相手…女の子の僕がいるんだ…。
僕としては有り難くない記憶だけど…。 」

 ああ…伯母さんの趣味の犠牲者なんだ…と亮は納得した。
狙われて怖いめに遭った後だったが、滝川という奇妙な男の出現でさほど動揺せずに済んだ。

 ただ…チェーンが切れやすいように繋ぎ目に細工されていたという事実だけは心に引っ掛かった。
 直行でなければ…いったい誰が…どうやって細工を…?
亮の周りにいるのは友だちばかり…疑いたくはないが…。

 身近に敵がいる…今夜…初めてそれを実感した。
そのことが亮の心に重く圧し掛かった…。  





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