頭の芯の痛くなるような話を聞かされていい加減疲れてきた。
前々から思っていたことだが…紫苑と怜雄の脳はきっとどこか異次元空間にでも浮かんでいるに違いない…。
英武は頬杖をつきながらそう考えた。
キッチンからコーヒーの香りが漂ってくる。
同じように頭が飽和状態に陥った滝川が休憩と称してお茶を淹れに行っている。
輝は既に放心状態…島田一族の若手を護るのが務めだが…姿の見えない未知のものを相手にどう戦ったらいいのか…。
上の連中に相談してみるのもいいが、おそらくそんな経験は誰にもないだろう。
「輝さん…今年に入ってから直行と連絡が取れないんです。
年末まではメールがきてたんですけど…何かご存知ですか…? 」
亮に声を掛けられて輝はようやく我に返った。
「直行…ああ…あの子なら大丈夫…心配ない。
夕紀から少し距離を置いて…島田と宮原の長老巡りをやってるわ…。
夕紀のマインドコントロールを解くための方法を模索中みたいね。 」
なかなか難しいでしょうけど…と輝は肩を竦めた。
輝の話を聞いて亮は少しほっとした。
年末に受けたメールでは何とか夕紀の眼を覚まさせる手段を探すと言っていたが、年明けからメールが途絶え、こちらから送っても返信がないので心配していた。
きっと必死なんだろうな…と亮は思った。
それにしても…関わるなと言っていたはずのノエルが…わざわざ千春を僕に近づけようとしたのはなぜなんだろう…?
千春がそんなに危険な人物ではなかったことには胸を撫で下ろした亮だったが、その背後についているのが、あの高木ノエルだということには少なからずショックを受けた。
英武の言っていたことをそのまま受け取ればノエルは人間ではないことになる。
どう見ても人間なのに…。
高木ノエル…最初はまあまあ綺麗な女の子…と思った。
声を聞いて男の子だったのか…と思い直した。
身体を見たわけじゃないからどっちが正しいのか未だに分からないが…それさえ分からないままに…今度は人間ではないなどと…そうは思いたくなかった。
「美味しい…。 」
輝が思わず口に出して言った。滝川がちょっと誇らしげに微笑んだ。
ほんと…人は見かけによらないものだわ…こんな特技があったなんてね…胸の内で輝がそう呟いた。
ひと口飲んでみんな一様にほっとした表情を浮かべた。
普段はみんなに敬遠されている滝川の淹れたコーヒーがくたびれたみんなの脳を潤した…。
「輝は…泊まっていかなかったな…。 」
滝川が呟くように言った。
天井の方を向いたまま西沢はふっと笑った。
時々会いには来るが…輝がこのマンションに泊まっていくことなど滅多にない…。
ここが嫌いなんだ…僕を閉じ込めている鳥籠が…。
それに今日は…当然のように僕のベッドを占領しているやつが居て…とてもじゃないが…その気になれないだろうさ…。
「そんじゃ…代わりに僕がしてやろうか? 」
ニタニタ笑いながら滝川が手を伸ばす。
「殺すぞ! 」
その手を払い除けて西沢が怒った。
まったく…何処まで本気なんだか…冗談なんだか…ふざけた野郎だ…。
油断しちゃだめだよ…と英武の声がする。
クックッと押し殺したような笑い声がする。
この男にとっては西沢をからかうことが何より面白いらしい。
酷く怒らせて自分が痛い目に遭ったとしてもそれはそれで愉快だという…。
懲りるほど痛い目に遭わせたことはまだ一度もないが…。
女誑しと噂されているが噂に過ぎないことを西沢は知っている。
その噂は…滝川が自ら流したもの…。
大切な人を亡くしたその時から…滝川は女を寄せ付けないようにしている。
滝川の心の奥深くに封印された悲しみを西沢以外の誰も知らない。
儚く消えた命をふと思い出し、耐え切れぬほどの孤独に苛まれる時、滝川が一瞬の温もりを求めて西沢に触れることを西沢は拒んだりはしない。
逆に西沢がどうしようもなく身の内から込み上げてくる理由の分からない怒りを抑えることができなくなる時、滝川がその捌け口になってくれることもある。
これまでの長い年月…そうやってお互いに持ちつ持たれつの関係を続けてきた。
時に反発し合い、衝突を繰り返しながらも…お互いに胸の内を隠す必要もなく曝け出せる唯一の友として…。
「亮くんは…もう眠ったかな…? 」
少し離れた部屋で寝ている亮のことを思い出したように滝川は言った。
お開きになったのが夜半過ぎだったので西沢が泊まっていくように勧めた。
いくら男の子でも未成年だからな…夜中にうろうろさせちゃまた親父に怒られる。西沢は亮にそう言った。
「さあ…同級生のことで多少興奮していたからな…。 起きてるかも…な…。
夜這いかけるなよ。 亮に手を出したら本当に殺すからな…。 」
睨みつけるように滝川の顔を見た。
「夜這い…古いねぇ…ってかけるわけねえだろ! 坊やに興味はないよ…。
目の前にこんな美味しい餌があるってのに…さ。 」
餌…ねぇ…もう少しましな言い方をしろよ…癇に障るんだよ…。
身を寄せてきた滝川の甘ったるい囁き声に西沢のイライラ度が増していく。
首に唇の感触…いつものことなのに…腹が立つ。
滝川はそれ以上のことを求めたりはしない…それは分かっている…でも…。
「こ・ろ・す 」
西沢は急に跳ね起きると滝川の身体の上に跨るようにして覆い被さり、滝川の首を両手で絞め始めた。
「恭介…僕は玩具じゃないんだよ…。 いつもいつも勝手に触んじゃない!
僕は…おまえの愛した和ちゃんじゃない。
おまえが僕に触れてどう感じていようと…和ちゃんとは違うんだ…。 」
滝川は一瞬驚いたように眼を見開き、やがて哀しそうに目を閉じた。
「そのまま…絞め殺して…和のところへ送ってくれよ…。
和に逢いたい…逢いたいよ…。 」
切ない言葉が西沢の手を叩いた。絞めていた手が力なく滝川の首から離れた。
「人は…生きなきゃいけないんだよ…恭介…。 命の火が尽きるまで…。
それが人に与えられた使命だよ…。 」
滝川に向かって話してはいるようだが、本当は自分自身に言い聞かせているだけなのかもしれないと西沢は思った。
西沢はそっと滝川の上に身を沈めた。
滝川はそれを抱きとめた。
「好きなように…していいよ…恭介。 僕は平気…。
でも…忘れないで…どう愛されようと僕は和ちゃんにはなれない…。
和ちゃんは女で…僕は男だからね…。 」
滝川の唇が心なしか震えた。
いつもそうだ…最後にはそうやって…自分を犠牲にしようとする…。
なぜ…絶対に嫌だ…と言わない…?
僕の相手なんて…本当は嫌に決まってるくせに…。
お互いにやり切れない想いを抱いたまま屈折した心をぶつけ合って…不毛と知りながらその場限りに癒し合って…それでどうなる…?
僕はいいが…傷付くのはおまえの心じゃないか…?
僕が心底求めているのは和で…おまえじゃないってことを知りながら…それでもくれるって言うのかよ…。
「もう…いいよ…。 有難う…紫苑…。 ご免な…嫌な思いさせてさ…。
僕のせいで…おまえまで輝から変態呼ばわりされちゃ気の毒だからな…。
輝…疑ってんだろ…僕とのこと…? 輝に本当のことを言ってやるよ…。
和のこと…正直に話せば…分かってくれるだろうさ…。 」
大きな溜息が滝川の唇から漏れた。
優し過ぎるんだよ…おまえは…。
だからいつまでたっても、西沢家の可愛いペット…家族みんなの大事な玩具から脱却できないんだぜ…。
鳥籠の紫苑…飛び出せない鳥…。
優し過ぎて人を傷つけるのを懼れるあまり言いたいことも言わずにいる…。
自虐的なほど家族や友だちに対する犠牲的精神に取り付かれている紫苑…。
滝川もまた輝と同様に歯痒さを感じていた。
次回へ
前々から思っていたことだが…紫苑と怜雄の脳はきっとどこか異次元空間にでも浮かんでいるに違いない…。
英武は頬杖をつきながらそう考えた。
キッチンからコーヒーの香りが漂ってくる。
同じように頭が飽和状態に陥った滝川が休憩と称してお茶を淹れに行っている。
輝は既に放心状態…島田一族の若手を護るのが務めだが…姿の見えない未知のものを相手にどう戦ったらいいのか…。
上の連中に相談してみるのもいいが、おそらくそんな経験は誰にもないだろう。
「輝さん…今年に入ってから直行と連絡が取れないんです。
年末まではメールがきてたんですけど…何かご存知ですか…? 」
亮に声を掛けられて輝はようやく我に返った。
「直行…ああ…あの子なら大丈夫…心配ない。
夕紀から少し距離を置いて…島田と宮原の長老巡りをやってるわ…。
夕紀のマインドコントロールを解くための方法を模索中みたいね。 」
なかなか難しいでしょうけど…と輝は肩を竦めた。
輝の話を聞いて亮は少しほっとした。
年末に受けたメールでは何とか夕紀の眼を覚まさせる手段を探すと言っていたが、年明けからメールが途絶え、こちらから送っても返信がないので心配していた。
きっと必死なんだろうな…と亮は思った。
それにしても…関わるなと言っていたはずのノエルが…わざわざ千春を僕に近づけようとしたのはなぜなんだろう…?
千春がそんなに危険な人物ではなかったことには胸を撫で下ろした亮だったが、その背後についているのが、あの高木ノエルだということには少なからずショックを受けた。
英武の言っていたことをそのまま受け取ればノエルは人間ではないことになる。
どう見ても人間なのに…。
高木ノエル…最初はまあまあ綺麗な女の子…と思った。
声を聞いて男の子だったのか…と思い直した。
身体を見たわけじゃないからどっちが正しいのか未だに分からないが…それさえ分からないままに…今度は人間ではないなどと…そうは思いたくなかった。
「美味しい…。 」
輝が思わず口に出して言った。滝川がちょっと誇らしげに微笑んだ。
ほんと…人は見かけによらないものだわ…こんな特技があったなんてね…胸の内で輝がそう呟いた。
ひと口飲んでみんな一様にほっとした表情を浮かべた。
普段はみんなに敬遠されている滝川の淹れたコーヒーがくたびれたみんなの脳を潤した…。
「輝は…泊まっていかなかったな…。 」
滝川が呟くように言った。
天井の方を向いたまま西沢はふっと笑った。
時々会いには来るが…輝がこのマンションに泊まっていくことなど滅多にない…。
ここが嫌いなんだ…僕を閉じ込めている鳥籠が…。
それに今日は…当然のように僕のベッドを占領しているやつが居て…とてもじゃないが…その気になれないだろうさ…。
「そんじゃ…代わりに僕がしてやろうか? 」
ニタニタ笑いながら滝川が手を伸ばす。
「殺すぞ! 」
その手を払い除けて西沢が怒った。
まったく…何処まで本気なんだか…冗談なんだか…ふざけた野郎だ…。
油断しちゃだめだよ…と英武の声がする。
クックッと押し殺したような笑い声がする。
この男にとっては西沢をからかうことが何より面白いらしい。
酷く怒らせて自分が痛い目に遭ったとしてもそれはそれで愉快だという…。
懲りるほど痛い目に遭わせたことはまだ一度もないが…。
女誑しと噂されているが噂に過ぎないことを西沢は知っている。
その噂は…滝川が自ら流したもの…。
大切な人を亡くしたその時から…滝川は女を寄せ付けないようにしている。
滝川の心の奥深くに封印された悲しみを西沢以外の誰も知らない。
儚く消えた命をふと思い出し、耐え切れぬほどの孤独に苛まれる時、滝川が一瞬の温もりを求めて西沢に触れることを西沢は拒んだりはしない。
逆に西沢がどうしようもなく身の内から込み上げてくる理由の分からない怒りを抑えることができなくなる時、滝川がその捌け口になってくれることもある。
これまでの長い年月…そうやってお互いに持ちつ持たれつの関係を続けてきた。
時に反発し合い、衝突を繰り返しながらも…お互いに胸の内を隠す必要もなく曝け出せる唯一の友として…。
「亮くんは…もう眠ったかな…? 」
少し離れた部屋で寝ている亮のことを思い出したように滝川は言った。
お開きになったのが夜半過ぎだったので西沢が泊まっていくように勧めた。
いくら男の子でも未成年だからな…夜中にうろうろさせちゃまた親父に怒られる。西沢は亮にそう言った。
「さあ…同級生のことで多少興奮していたからな…。 起きてるかも…な…。
夜這いかけるなよ。 亮に手を出したら本当に殺すからな…。 」
睨みつけるように滝川の顔を見た。
「夜這い…古いねぇ…ってかけるわけねえだろ! 坊やに興味はないよ…。
目の前にこんな美味しい餌があるってのに…さ。 」
餌…ねぇ…もう少しましな言い方をしろよ…癇に障るんだよ…。
身を寄せてきた滝川の甘ったるい囁き声に西沢のイライラ度が増していく。
首に唇の感触…いつものことなのに…腹が立つ。
滝川はそれ以上のことを求めたりはしない…それは分かっている…でも…。
「こ・ろ・す 」
西沢は急に跳ね起きると滝川の身体の上に跨るようにして覆い被さり、滝川の首を両手で絞め始めた。
「恭介…僕は玩具じゃないんだよ…。 いつもいつも勝手に触んじゃない!
僕は…おまえの愛した和ちゃんじゃない。
おまえが僕に触れてどう感じていようと…和ちゃんとは違うんだ…。 」
滝川は一瞬驚いたように眼を見開き、やがて哀しそうに目を閉じた。
「そのまま…絞め殺して…和のところへ送ってくれよ…。
和に逢いたい…逢いたいよ…。 」
切ない言葉が西沢の手を叩いた。絞めていた手が力なく滝川の首から離れた。
「人は…生きなきゃいけないんだよ…恭介…。 命の火が尽きるまで…。
それが人に与えられた使命だよ…。 」
滝川に向かって話してはいるようだが、本当は自分自身に言い聞かせているだけなのかもしれないと西沢は思った。
西沢はそっと滝川の上に身を沈めた。
滝川はそれを抱きとめた。
「好きなように…していいよ…恭介。 僕は平気…。
でも…忘れないで…どう愛されようと僕は和ちゃんにはなれない…。
和ちゃんは女で…僕は男だからね…。 」
滝川の唇が心なしか震えた。
いつもそうだ…最後にはそうやって…自分を犠牲にしようとする…。
なぜ…絶対に嫌だ…と言わない…?
僕の相手なんて…本当は嫌に決まってるくせに…。
お互いにやり切れない想いを抱いたまま屈折した心をぶつけ合って…不毛と知りながらその場限りに癒し合って…それでどうなる…?
僕はいいが…傷付くのはおまえの心じゃないか…?
僕が心底求めているのは和で…おまえじゃないってことを知りながら…それでもくれるって言うのかよ…。
「もう…いいよ…。 有難う…紫苑…。 ご免な…嫌な思いさせてさ…。
僕のせいで…おまえまで輝から変態呼ばわりされちゃ気の毒だからな…。
輝…疑ってんだろ…僕とのこと…? 輝に本当のことを言ってやるよ…。
和のこと…正直に話せば…分かってくれるだろうさ…。 」
大きな溜息が滝川の唇から漏れた。
優し過ぎるんだよ…おまえは…。
だからいつまでたっても、西沢家の可愛いペット…家族みんなの大事な玩具から脱却できないんだぜ…。
鳥籠の紫苑…飛び出せない鳥…。
優し過ぎて人を傷つけるのを懼れるあまり言いたいことも言わずにいる…。
自虐的なほど家族や友だちに対する犠牲的精神に取り付かれている紫苑…。
滝川もまた輝と同様に歯痒さを感じていた。
次回へ