戦前の鎌倉市青年団の建てた、市内の目ぼしい史跡のいわれなどを記した石碑。
大町の交差点の手前に建つ「町屋址」の石碑。
このあたりに鎌倉時代、商店街があったらしい。米町、魚町、辻町、名越
の区分があり、その中央に大町大路があったそうな。商業地域という訳です。
石碑の近くに「魚町橋」という橋も残っている。
もちろん今は商店はない。少し行くと和菓子の“おおくに”だが。
この先の大町の交差点の近くの床屋が、退院以来の行きつけ。今日はここです。
雨が降ったりやんだりの、はっきりしない天気ですが、床屋に行くにはいいかもね。
この床屋はたっぷり時間がかかります。2時間半はかかって、家で昼食にします。
京急バス車庫の事務所の前にある大きな銀杏の樹。
海の塩気をたっぷりと含んだ海風にやられたのだろう、南側半分が枯れて黄色い。
そして、川底が岩肌なので濁らないという筈の滑川に、これまた濁りのない白サギ。
最近よく見かけます。昔より増えたのではないかな。
それから、逗子に向かいます。逗子銀座の“Johnny Shonan”でいつものハワイの
「お香」を。それから、去年まで住んでいたマンションの方向へ向かい、海岸へ。
江ノ島、鎌倉の海の家は、9月1日の昨日から、すっかり後片付けモードですが
ここ逗子海岸では、まだのようです。今日も営業中の処が殆どで、海水浴客も一杯。
海岸でも音楽をやってました。まだ、まだ夏だ!と往く夏を惜しむように。
逗子海岸の西側、つまり鎌倉側には「徳富蘆花」の“不如帰”(ほととぎす)の碑が
海中に立ってます。これを横目で見ながら、帰ります。逗子からはいつもこうして
江ノ島に通ったもんです。
今日は江ノ島じゃなく、この大崎岬を越して鎌倉は材木座