ベートーヴェン:交響曲第9番「合唱」テンシュテット指揮 ヘガンデル, ホジソン, ティアー, ハウエル ロンドン・フィルハーモニー合唱団 ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団詳細 |
ガンの告知によりLPOの首席指揮者を辞する、1ヶ月前のライヴ。
マーラーの1・3・5・6・7番について今まで下らぬ事を語ってきたが、
この人の演奏から醸し出される異常なまでの熱気は何なんだろう。
それは、推進力と言い換えてもいいし、
もしくは情念、などという言葉でも言い表される。
どうしてそんなに生き急ぐの?とでも言いたくなるような、壮絶。
こういうあらゆる陳腐化した表現がホントに陳腐に思えるような世界。
だから、テンシュテットの演奏を
特に彼のライヴを求めていた。
そして今日タワーレコードで見つけたのがこれ。
ベートーヴェンの「第9」。
---------- ダイク -----------
この曲が年末に持て囃される風潮?はあんまり好きじゃないけど
確かにいつもいつも聴ける曲じゃないのかとも思う。
例えば日ごろの鬱蒼とした感情が
実は物凄くちっぽけな世界なんじゃないかとか。
…うまく言えないけど、
この音楽は確かにきっと、祝祭空間なのだ。
だから、こうしていつまでたっても神の座にあるのだ。
だから、犯すことを憚られる(真の意味での)権威であり続けるのだ。
---------- ダイク -----------
この指に もっと光を!
この目に もっとその薫りを!
この舌に もっとその旋律を!
この耳に もっとこの感触を!
この鼻に もっと茹だるような甘さを!
甘美なままの歓喜のうたを !
テンシュテットはやはりここでも走り続けていた。
八分音符や十六分音符や
突進するダンスや、そこに立ち尽くす行進曲が。
さて、第九、実は歌う側にとっては楽しくありません。特にテノールにとっては苦痛の連続です。テノールの花道とは五線の上の音を如何に朗々と華やかにエゴイスティックに歌うか、なのですが、第九ではそれが許されません。五線の上の音はほとんどソプラノかバリトンとのユニゾン。もしくは早口言葉。己の発声技術を披露する場などなく、ひたすら裏方として目立たないように技術屋としての自己犠牲に徹しなければなりません。加えて無意味なオクターブ跳躍の連続と、五線の下のフレーズの多さ、これが発声のポジションを下げ、発声とフレージングの破綻を呼びます。
これらを回避できる歌い手は、よほど下手くそなセンスのかけらもない素人か、プロ並みに上手いかのどちらかでなければ存在しえません(笑)
それなのにそれなのに、高い山があれば登りたくなるのもまた人間の性ですね。このクソ忙しいのにわざわざ気仙沼まで行ってしまうのですから、我がことながら不思議なものです。ちなみに地元一関の第九には出ません。
というわけで、落ち着いたらまたお邪魔しま~す。
おひさしぶりです。
忙しそうで何よりです(笑)
一関から気仙沼まで「あの」ドラゴンレールでかよってるだけでも、だいぶ尊敬してしまいます。
ドイツ語のカッコいい響きが好きなこともあり、第九の歌うのって憧れますね。
おお、友よ。この調べではない!