報道された自殺の件。そして涙の件。

2006年10月16日 00時21分38秒 | 巻二 起居注
不謹慎と言われるかも知れないが、
もし自分だったら、と想像する。
想像してみる。

宝塚線事故で同居男性亡くした女性が自殺 大阪(朝日新聞) - goo ニュース

たとえば、たとえ自分の血縁であっても、
もっと言ってしまえば両親であっても、
事故で殺されればそれは悲しいし憤慨するだろう。

あ、縁起でもないけど続けます。

でも、死んでしまう、とまでは思い詰めない気がする。

たとえばそれが、
子供だったら?

そうなるとかなり気持ちは違う。
喪失感はかなりのもんだろう。

そしてたとえば、
架空の人物、
死ぬほど好きな人だったら?

たぶん、何年も喪失感は拭い去れない。

今回のこの女性も、そうだったのだろうか。
ましてや、内縁関係というだけで差別的扱いを受けたとか。

同情、と言うよりは、共感、なのかも知れない。

不謹慎かつ第三者的言動を覚悟の上で、なおも続けます。

死ぬほど好きだった、と言うことでしょう。
死ぬほど悲しかった、ってことでしょう。
死ぬほど好きな人が死んじゃったら、
その日から世界は全部絶望的な周辺事態であるのかも知れません。

列車事故というそもそもの理不尽は救いがないし、
JRの事後ケアのまずさは非難に値するだろう。
自己になんの落ち度もないのに。

ちょっとだけ、思った。
これであの世で(あの世があるという曖昧な前提の下で)、
二人で暮らせたりするのか、…とか。
やっぱり不謹慎?

---------- キリトリ -----------

何が言いたいのか自分でもわからない。

そう言えば、
昨日、遺伝子継承者の「学芸会」があった。
あいつの出番の前に、三年生の歌&器楽を観ていたのだが、
なぜか知らずに、涙が溢れてきたんだ。

流れていた曲は、たぶんラピュタかなんかだったと思う。
でも、曲のせいじゃない。
拙い演奏のせいでも、たぶんない。

真っ暗にした体育館で、
ぼんやりした照明の中で、
幻想的に思えるその場の風景自体が、
スイッチを押したのかも知れない。

あれだ。
ナチスの集会とか新興宗教の勧誘活動と同じで、
真っ暗な空間や密封された空間の儀式は、
人間を変なトランスに導くのかも知れないな。

---------- キリトリ -----------

死には理由があり、理由はない。
自殺にも理由があり、理由もない。
涙にも。

此の世のアラユル事象(君を困らせるもの)を退治し尽くしたいと
俺は常日頃考えている訳ではないんだけれども。
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