↓前回記事。
江陵を大耳野郎劉備から奪還した孫権。
その勢いで永安まで落とした。
飛ぶ鳥を落とす勢いの曹操。
逆らうことは下策と、張昭。
お主もワルよの、、
曹操に臣下の礼をとり、呉王となった。
永安に続き江州まで侵攻。
その頃、漢中方面。
意外に頑強に守り粘っている劉備軍。
今のうちに蜀に勢力圏を広げたい。
江州攻略後のワンシーン。
江州攻略後のワンシーン。
輸送隊を襲撃成功。
あまりに試したことがないので自分としては珍しい。
さて。
さて。
王になったことで配下に与えられる職位も上がった。
これにより陸遜の知力が99!
名品与えて100!
案外早く最強軍師誕生である。
それに加えて、投石台が建設可能になった。
それに加えて、投石台が建設可能になった。
今後の対魏戦を考えるとこれは非常に大きい。
割拠主義の政策、投石にするのが至難の業なんだよなこれ、、
江州から先、どうするか問題。
江州から先、どうするか問題。
漢中が曹操の手に落ちるのは確実なのだが、曹操の南下に蓋をするために梓潼を押さえると、曹操の行き場がなくなってしまい国力増強がどんどん進んでしまう。
一方、先に成都を押さえると、その間に曹操が速攻で梓潼を落としてしまう可能性がある。
蜀の奥地まで曹操が浸透してくるのはそれはそれで宜しくない。
なお、劉備は建寧も領有しているので、ラスイチを取られる心配はない(孟獲がよほど上手くやらない限り)。
まあ、先に成都かなぁ。
江州から梓潼は道が悪く遠すぎる。
行軍中に曹操に梓潼を掠め取られたら目も当てられない。
それに成都は大都市。建寧への睨みも利く。
ということで成都へ侵攻。
その頃漢中。
陽平関が落ちると守るのはきつい。
完全に包囲されてしまった。
功臣、呂蒙逝く。
功臣、呂蒙逝く。
関羽の亡霊とは関係ない。
成都攻城中の呂蒙が亡くなり、呂蒙隊がまるまる消えた。
成都攻城中の呂蒙が亡くなり、呂蒙隊がまるまる消えた。
九千の兵たちはどこに行ったんだろう、、
成都を落とし、クシャーナとの交易が可能に。
漢中落ちたね。
成都を落とし、クシャーナとの交易が可能に。
漢中落ちたね。
これで劉備は建寧と梓潼を残すのみ。
ここからはまさに梓潼争奪戦。曹操との競争。
ここからはまさに梓潼争奪戦。曹操との競争。
関をふたつ抜かなければならない。
ほぼ同時に梓潼へ到着。
これ微妙だなー
孫曹両軍で梓潼城を殴る。
ふう。
孫曹両軍で梓潼城を殴る。
ふう。
こちらが落とした判定。
よかった。
どっちにしろ、これで曹操は我が軍以外の隣接勢力がいなくなった。
流石に同盟破棄はしないだろうが。
そういえば昔の三國志ゲーで、この状態になると有無を言わせず同盟破棄してくるやつなかったっけ、、
兎にも角にも。
劉備を建寧でラスイチ回収し、可能なら孟獲まで吸収したうえで曹操と戦いたい。
ただその頃には魏軍がとんでもない数になっているだろうな、、、
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