訴求愛の代償行為としての一青窈。

2006年12月31日 22時50分00秒 | 巻二 起居注
たとえば、
アイドルなどに熱を上げるのは、
リアル界での恋愛の代償行為なのだろうか。

楽曲がダウンロードで入手できる時代になり、
相対的にジャニーズ系の売り上げが伸びているらしい。

アイドル愛好者は、単に楽曲が手に入ればいいというものではないのだ。
ジャケットや、歌詞カードや、果てはCDそのものまで、
モノとしての対象物を
自らが手の届くところに占有していたい、というか。

自分も同じなのである。
なにも、一青窈さんについてだけの話ではない。
クラシック音楽であれ何であれ、
自分は、単にソフトとしての音楽を欲しているに留まらない。
それだけでは、
アーティストに対する自分の愛情を
じゅうぶんに表現し切れていないという
ある種の焦燥感さえ覚えるのだ。


だから、来年も
モノとしての「CD」や「DVD」を買いたいと思う。

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恋愛の代償行為か
はたまた恋愛そのものか
それは誰もわからじが
2006の歳も、一青窈を聴いてきた。

思えば彼女は、この一年、
新曲(シングル)もオリジナルアルバムも発表していない。
なのに、ここまで気持ちが途切れることなく聴いてきた。

来歳のことなんかわからない。
もしかしたら、
ある朝目が覚めたら急に、
一青窈なんてどうでもいいやなどと
覚醒してしまう可能性だってゼロではないだろう。

でも、いいのだ。

「そのうちより いまのうち」

明日のことなんてどうでもいい。
明日の天気を100%当てる気象予報士が
この世に存在しないのと同じように、
自分の未来の嗜好なんて
誰にも予想できないのだ。

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生きるということは、たぶん
何かの代償行為に他ならない、のかも知れない。

この一年間、
くだらぬ一青記事を読んでくださった推定4名くらいの皆さん、
来年も、相変わらずこんな路線になる気がしますです。

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2 コメント

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Unknown ()
2007-01-01 11:55:33
クマッチさん

いつも私の下品で妄想だらけの記事をお読みいただき、恥ずかしくもうれしい限りです。

自分の今年のテーマは、「さらさらいや~♪」にしようかな。

今年もたまにはお寄り下さい。
返信する
行った年、来た年 (クマッチ)
2007-01-01 01:03:27
朱さま

旧年中はとても趣の深い記事を読ませて頂きまして
ありがとうございます。
2007年も切り込みの鋭い、朱さんのblogを楽しみにしております。

なかなか、後悔の無い生き方は難しいですが、
「今」という時を大切に(その時点で後悔無く)生きれるよう、
お互いに精進しましょう…。
「やれるだけやってきたから、幸せになりなさい」
返信する

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