213年10月まで。同盟切れを待って平原を落としたところ、曹植から同盟締結のお願いがあった。必死だな。南から孫権、西から曹丕に攻められ辛そうだ。で、その交渉の使いが曹操の奥さんであり曹彰の母上である卞氏。ひでええ「母上のような小物」wwwあんまりだぞ曹彰くん、、結果的に、虫の息の曹植を濮陽で撃破しその配下を手にいれた。張遼、曹洪、于禁、、名声持ちも増えた。一気に楽になったな。 . . . 本文を読む
211年5月まで。二度目のギョウ攻略。陽動として、晋陽から郭淮を壺関に向かわせたところわざわざギョウから迎撃に出てくれた。この隙に、南皮と薊から軍を進めそれなりに損害も被ったけど念願の大都市ギョウ制圧。曹植との同盟が13ヶ月も残っている。ちょっと長すぎたかな。とっとと平原を落として河北を抑えたいのだが。 . . . 本文を読む
丁原挫折ののち、気分転換で反董卓連合公孫度を開始。先日配信されたモンゴル勢を配下に加えてみた。結果、金不足で投げ出した笑ほんと下手。それで始めたのが仮想シナリオである曹家分裂の曹彰。曹家の坊っちゃんたちはみんな魅力あるよなあ。強大な勢力である曹丕にいかに対抗するか。まずは、国力を貯めながら弟曹植と同盟。そして戦力を北平に引き抜き、後顧の憂いを絶つべく公孫康攻め。兵糧がギリギリだったがなんとか制圧し . . . 本文を読む
うーーん膠着状態が続くうちに薊の劉焉が公孫軍攻めに出た間隙を突き出兵。ところが、逆にその隙を突かれギョウから8万の大軍が!行列できてんじゃんwwま、この大軍は張遼高順コンビでなんとか撃退したんだがその代償として兵力が1万を切ってしまった。結局、南北から挟撃されそれでも踏ん張り続けたものの多勢に無勢。これは陥落直前のご様子。悔しいなあ。て言うか、自分下手くそ過ぎか。決裁封印はまだ早かっ . . . 本文を読む
189年5月まで。これはなかなか展望が開けないなあと思ってた矢先、晋陽で張遼を発見!うまいこと仲間になっていただいた。ありがてえ、、これでなんとか。壺関方面に何度かちょっかいを出しギョウの戦力を削っていたところ、薊から関羽と張飛が攻めてきたとの知らせ。うーん楽しくなってきた不安しかない。 . . . 本文を読む
そもそも、いま一番必要なのは「経済対策」なのか?「感染対策」が最優先ではないのか?そして、高らかにうたってるらしい108兆円規模という数字。騙されてる人もいるかもしれないけど108兆円が国民や企業に直接行き渡るんじゃないからね?たとえば、納税や社会保険料の支払い「猶予」に26兆円。猶予だよ?免除じゃないよ?1年後には支払わなきゃ . . . 本文を読む
ペストが欧州の歴史に大きな影響を与え、南北米大陸に「旧世界」から持ち込まれた病原菌もまた、世界史を大きく動かした。ウイルスと菌との違いはさておき、いま世界で起こってる現象。もちろん早く終息して欲しいし犠牲になる人々が増えないことを切に願うが。よくわかんないけど武漢なら武漢のたった一人がなんかの切っ掛けでウイルスを取り込み(事の発端は諸説あるようだからこれは例え話)そこからあっという間に全世界100 . . . 本文を読む
187年6月まで。決裁封印プレイ。いつの間にか孫堅が滅亡してた。うーんやっぱり難しいな。劉焉と同盟を継続した上で、ギョウ方面が手薄になったのを見て壺関を攻めたがあと一歩のところで援軍を喰らい失敗。2千程度まで減った戦力をなんとか立て直したがこの先の展望がなかなか。スタートから3年でも結果的に全く進展してない。下手くそか。高順を配下にできたのは朗報だけどもせめて優秀な軍師が流れてこないかなあ。知力7 . . . 本文を読む
劉曹孫という英傑以外での初プレイ、開始。支配都市は晋陽のみ。配下は7人。呂布以外は当てにならず。厳しい戦いになりそう。天下安寧にために立ち上がったからには、やるしかない。何回やり直すハメになるかな笑 . . . 本文を読む
孫呉を南方に追い込み最後のの攻略戦。とは言っても順風満帆とはいかず。スピード重視で多少甘く見ていたため、南海攻めを一度失敗。ここで司馬懿が出てくるとは思わんかった。結局、多勢に無勢で245年2月、零陵からの山越え部隊で交趾を包囲。司令官は新参の鄧艾。このルートは兵糧をやたら消費する。クリアまで18年かかった。これまでのプレイを振り返ると、最初の三顧劉備初級は約8年、次の群雄割拠曹操上級も約8年。今 . . . 本文を読む
243年4月まで。河北を順調に制圧中。魏は晋陽薊北平襄平を残すのみで弱小地方勢力にまで落ちぶれた。平原攻略の際、かの裏切り者司馬師を捕らえたので躊躇なく(安倍晋三フレーズ)斬首。この司馬師の使い道は如何ようにもある必ずや役に立つぞうるせえww南方では、呉との同盟が切れた後に陸遜が柴桑から盧江に単身攻めてきた。これを好機に、速攻カウンターで柴桑を落とし、さらに江陵からは武陵まで兵を出して攻囲中。正直 . . . 本文を読む
全19回(プラス1回)を観終わった。言葉にならないくらいに圧倒されたが、まずはこの連続ものをずっと通って聞いた人たちはうらやましいな、と。以下、ネタばれあり。畔倉の最期の言葉、意訳すれば市井の大多数の人々はやりたいことも我慢し嫌いな奴にも何も言えずせいぜい陰口叩くくらいその一方でダイアクトウデアル自分(畔倉)は食いたいものを食い抱きたい女を抱き博打を好きなように打ち嫌な奴は片っ端から殺してきた。自 . . . 本文を読む
242年5月まで。だいぶ優勢に事が進んできたので、ここでひとつ一気呵成に魏を無力化する。陳留から濮陽、小沛から下ヒ、寿春から広陵、盧江から建業。ほぼ同時に攻略開始し、ほぼ同時に攻め落とした。もはやここまでくると心配事は内政人材が十分じゃないことくらいで。こっから先は作業感が増してくる段階。すでに戦力差は漢(蜀)対魏が約60万対約20万。 . . . 本文を読む