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4月から大津市内の学校で、環境学習の非常勤講師をしています。
職員室にいると「ちょっと来てください」と5年生がやってきて、
モリアオガエルのメスがビオトープ池の近くにいるのを教えてくれました。
そして昨日のこと、子どもたちが「せんせー、カエルのタマゴがあるでー」と教えてくれました。
さっそく一緒に行ってみると、小さな水溜りの上の草陰に、モリアオガエルの卵塊がありました。
5年生が見つけたモリアオガエルの場所とは異なる所で、ちょっと前から鳴き声がしていたので、怪しいなぁーと思っていた場所でした。
そろそろ産卵時期かと思い探していたのですが、さすが子どもたちの視点は違いますね。
彼らの自然や不思議を見つける視点を学ばねば。
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今日の夕刊(読売新聞)のコラム欄に茨木のり子さんの詩が載っていました。
コラムでは、最近の子どもたちへの犯罪についての憂いを書いていましたが、
今の自分にとってがーんと言われたような気がします。
「自分の感受性くらい」
ぱさぱさに乾いてゆく心を
ひとのせいにはするな
みずから水やりを怠っておいて
気難しくなってきたのを
友人のせいにはするな
しなやかさを失ったのはどちらなのか
苛立つのを
近親のせいにはするな
なにもかも下手だったのはわたくし
初心消えかかるのを
暮らしのせいにはするな
そもそもが ひよわな志にすぎなかった
駄目なことの一切を
時代のせいにはするな
わずかに光る尊厳の放棄
自分の感受性くらい
自分で守れ
ばかものよ
疎水
2006-05-16 | 環境
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滋賀から京都へは、電車、車などの道、歩いて山を越える自然歩道などがありますが、現在はない道が、「疎水」です。
(水は流れていますが、人は運べません)
明治の昔、東京遷都にともない、京都は寂れてしまいました。
その京都を活性化させるため、土木技師田邉朔郎によって、大津と京都の山にトンネルを掘り、疎水をつくり、水運や発電に利用したのです。
自宅から出かけた際に、ちょっと通ったので、雨のあとの疎水をゆっくり眺めてみました。
思い返せば、工学部で土木工学を専攻していた僕は、ある建設コンサルタント会社で夏休み中に研修をしていました。
その副社長さんが、京都の誇るべき土木遺産として、蹴上のインクラインや南禅寺の水路閣、疎水記念館を紹介してくださいました。
当時、経済や工業、交通、運輸などの活性化を目的として、最新の技術を用いて建設されたものが、長い年月と補修を経て、今なお美しい建設物として、京都に琵琶湖の水を運んでくれています。
百年を経て、市民に誇らしげに語られる土木建設物をつくることが、土木に関わる一学生として目標でした。
そして今、環境や教育に関わる仕事に就いています。
これから何十年後、何百年後も大切に使われつづける「まち」には、土木だけの視点だけでなく、環境や福祉、文化、生活、歴史などの視点からの「まちづくり」が必要と思います。
学生時代の道とは異なりますが、同じ思いでまちをつくっていきたいと思います。
picture:長等公園より疎水トンネル近く
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事業の企画をする際に、いろんな要素(思い、社会、マーケティング、ポテンシャル・・・)をあげて整理して、まとめています。
その際に、マインドマップという手法で視覚的に書き出していくと整理しやすくなります。
そこで、フリーソフトのFreeMind(フリーマインド)というソフトを時々使っています。
テキストを上から順番に書いていくというよりも、思いついた言葉を描いていく。
それを「えいやっと」画面上でつなげて視覚化していくことで、理解や想像の具合がわかるような気がしています。
製品化されたマインドマップソフトやアウトラインプロセッサーなどもありますが、フリーで使用できるのが嬉しい。
WindowsでもMacでも使えるのが良い。
反面、機能が使いづらいところが時々と、まだ“ソフトに使われている”ことがあり、手書きの方が良かったなと後々気づく次第です。