先日、NHKテレビで、「希望学」なるものが取り上げられていた。
じっくりと見ることも、聞くこともできなかったので、HPを検索してみると
「希望学」として研究されておられるようである。
最初、「希望学」との名前を聞いた時には、希望を学問として捉えなければいけないなんて、世も末かと思ってしまった。
しかし、今私が取り組んでいるものは何かと考えると、希望とつながるものだらけだ。
子どもたちは希望に満ち溢れた存在と言われる。
彼らがあそびを通して人や自然と関わることの楽しさ、喜びを伝えている。その中で、一つ一つ学び、未来をつくっていこうとしているのをサポートしている。
彼らのキラキラした目を見ると、希望や未来そのものと感じる。
また、若者の支援では、希望を持てないでいる若者に、学校だけでない、バイトだけでない、会社だけでない、世の中を支え光輝いている人たちに出会ってほしいと事業を行っている。
椋川キャンプは、希望の塊じゃないかと思う。
過疎の地でもあるが、おじいさん、おばあさんは自然の中で一生懸命に生きておられ、子ども達にその技や生き方を伝えて下さる。
子ども達はその技に触れ、言葉を聞き、自分の大切なものを椋川で探す時間を持つ。
子ども達だけでなく、サポーターも、おじいさん、おばあさんの生き方に触れ、地域が好きになっていく。
美しい空気や水の自然に囲まれた椋川で、優しさや楽しさにたっぷりとつかり、これから生きていく上で大切なものを見つけていく。
たった3泊程度だけだが、人生の旅に出ているようなものかと思う。
おじいさん、おばあさんの希望、子ども達の希望、サポーターの希望が集まったキャンプの世界で旅をしているのではないか。
「希望」という捉え方で、物事を考えてみるのもいいかと思う。
・その言葉は、子ども達にとって希望となるか?
・その事業は、本当に希望を見出せるものなのか?
・その集まりは、希望の集まりなのか?
あまりにもストレートに切りすぎているけど、希望を忘れてはいけないと思う。
PHOTO:京都室町二条、
さいりん館にて