いつごろだったか正確には思い出せないが、確か昨年の10月頃から「インスタントラーメン」を食べていない。
小さい頃から大好きで、週に1回以上はラーメンとご飯2杯の組み合わせ(いわゆるラーメンとライス大)で食べていた。冬のキャンプや海で遊んだ後のカップラーメンは、体を温めてくれる思い出深いラーメンでもあるが、
「週一回食べるとして、これまでとこれから僕はインスタントラーメンをいくつ食べるのか」と考えるとちょっと恐ろしくなってしまった。
年50週として、小さい頃から80歳まで食べたとすると
人生で、4000食も食べることとなる。
日本人ですから、毎日ご飯を食べて、みそ汁を飲みます。
ということは、私の体のほとんどは、お米とお味噌でできているにちがいない。(ホントは70%の水分からできている)
4000食も食べるとなると、体の一部がインスタントラーメンになってしまうのではないか。(そんなことはないですが)
そんなことで、ある日思い立ったように食べていません。
今日も久しぶりに、食べていないことを思い出しました。
インスタントラーメン依存症でもないので、つらさはありません。
たまーに、ラーメン屋でラーメンを食べているからです。
ラーメンのほかにも、美味しいものは世の中にあふれています。
次は、ムダにテレビを見てしまうのをやめたい。
例えば、1日にテレビを見ているうちに10分間コマーシャルを見ているとして、
1年で、3650分
80年で、292,000分=202日
CMだけを、一生のうち202日間見続けていることになります。
じゃあテレビをどれだけ見ているかというと・・・
いらんテレビを見ない分、本を読んだり、新しい仕事を考えたり、遊んでみたりと楽しい時間が想像できます。
小さい頃から大好きで、週に1回以上はラーメンとご飯2杯の組み合わせ(いわゆるラーメンとライス大)で食べていた。冬のキャンプや海で遊んだ後のカップラーメンは、体を温めてくれる思い出深いラーメンでもあるが、
「週一回食べるとして、これまでとこれから僕はインスタントラーメンをいくつ食べるのか」と考えるとちょっと恐ろしくなってしまった。
年50週として、小さい頃から80歳まで食べたとすると
人生で、4000食も食べることとなる。
日本人ですから、毎日ご飯を食べて、みそ汁を飲みます。
ということは、私の体のほとんどは、お米とお味噌でできているにちがいない。(ホントは70%の水分からできている)
4000食も食べるとなると、体の一部がインスタントラーメンになってしまうのではないか。(そんなことはないですが)
そんなことで、ある日思い立ったように食べていません。
今日も久しぶりに、食べていないことを思い出しました。
インスタントラーメン依存症でもないので、つらさはありません。
たまーに、ラーメン屋でラーメンを食べているからです。
ラーメンのほかにも、美味しいものは世の中にあふれています。
次は、ムダにテレビを見てしまうのをやめたい。
例えば、1日にテレビを見ているうちに10分間コマーシャルを見ているとして、
1年で、3650分
80年で、292,000分=202日
CMだけを、一生のうち202日間見続けていることになります。
じゃあテレビをどれだけ見ているかというと・・・
いらんテレビを見ない分、本を読んだり、新しい仕事を考えたり、遊んでみたりと楽しい時間が想像できます。
今日は、東近江市で「あそびの達人教室」でした。
たまたまいつも使っていた部屋(教室×1.5ほどの大きさのフローリング)が利用できなかったので、違う部屋(いつもの半分ほどの大きさ、じゅうたんと畳、座布団がある)で子どもたちと遊び始めました。
遊んでいると思いのほか、子どもたちが将棋やカロムなどに熱中しているようす。
いつもはあちらの遊び、こちらの遊びととっかえひっかえ遊んでいるのですが、それとは違います。
そのうち、子どもから「来週もこの部屋がいい」などの言葉がでてきます。
鬼ごっこができる広い部屋もいいのでしょうが、遊びに集中でき、友だちを感じることができる狭さが安心できたのかもしれません。
鬼ごっこをしたければ、みなで外へ出掛ければよいのですから。
子どもでも、大人でも、能力を発揮したり、心地よかったり、対人関係を促進したりしやすい場があるのでしょう。
日々、ワークショップを始め様々な学びや気づき、楽しさの場をつくっていますが、「場の設え」についてあらためて考えさせられました。
ちなみに、カロムとは、明治か大正か昭和かに外国からやってきて、なぜか彦根に根付いたゲームです。(由来などよく分かっていないようです 日本カロム協会より)
2対2で手駒をはじいて色駒を落とすビリヤードのようなゲームで、滋賀県外の人はまったく知らないことがほとんど。でも彦根では徹夜でする人もいます。
震災から11年
その時、私は鹿児島で大学生をしていました。
テレビもなく、友人の「お前のとこ大丈夫か?」の問いかけで、初めて激しい地震が起こったことを知りました。
春休みになり、帰省した際、友だちに誘われて、神戸の小学校へ炊き出しの手伝いに行きました。
テレビで見た被災の様子、新聞で読む現状、友人に聞いた大変さ。
全て違いました。私自身の眼で見たものが全てでした。
眼で見たもの、耳に聞こえたもの、臭い、肌に感じました。
今でも当時の神戸の様子は覚えています。
その時に、今まで簡単に生きていたような気がしました。
何かしなければいけないと胸に刺さりました。
そのときを経て、今の私の生活、仕事に至っています。
先日も、同じような岐路について書きましたが、その前に起こった私の人生で大きな日です。
1月17日
その時、私は鹿児島で大学生をしていました。
テレビもなく、友人の「お前のとこ大丈夫か?」の問いかけで、初めて激しい地震が起こったことを知りました。
春休みになり、帰省した際、友だちに誘われて、神戸の小学校へ炊き出しの手伝いに行きました。
テレビで見た被災の様子、新聞で読む現状、友人に聞いた大変さ。
全て違いました。私自身の眼で見たものが全てでした。
眼で見たもの、耳に聞こえたもの、臭い、肌に感じました。
今でも当時の神戸の様子は覚えています。
その時に、今まで簡単に生きていたような気がしました。
何かしなければいけないと胸に刺さりました。
そのときを経て、今の私の生活、仕事に至っています。
先日も、同じような岐路について書きましたが、その前に起こった私の人生で大きな日です。
1月17日
大津市スポーツ少年団が大津市上田上一丈野で、「森はぼくわたしのいのち!」として滋賀森林管理署の協力で、森づくりをしておられます。
大津市内のスポーツ少年団の子どもたちが、学期に一度以上森へやってきて、普段のスポーツの練習や試合とは違った、「森の体験」をします。
昨日はその4回目。
石山と瀬田から80名の子どもたちと保護者や指導者が森にやってきました。
ネイチャーゲームや低木の伐採、森林内ハイキングなど、普段と違う環境に子どもたちは、はしゃいでいました。(保護者の方々はハイキングで「足があがらんわぁ」とお疲れの様子)
初顔合わせの私にも分かるほど、スポーツに真剣に取り組んでいる時とは異なるリラックスした表情を見せていたようです。
この森がある大津市上田上桐生は、その昔大仏殿や都の建設、築城のために木々が切られ、瀬田川を経由して運ばれて使われたため、明治には禿山でした。
当時の人々の努力によって、私たちが子どもたちと遊べるほどの森に回復しつつあります。デ・レーケによるオランダ堰堤もその功績の一つです。
picture:逆さ観音。鎌倉時代に彫られた道標の磨崖仏でしたが、下流のオランダ堰堤の建設によって、ずり落ちて逆さになってしまいました。
真ん中が、阿弥陀如来、左右が、観音・勢至菩薩です。