宮藤です。すみません。(金曜パーソナリティーの)武田砂鉄さんには「謝る必要はない」と言っていただきましたが、月曜日の3時半から僕のせわしないしゃべりを楽しみにしてくださっている奇特(きとく)なリスナーのみなさんには、やはり申し訳ない気持ちでいっぱいです。先週に引き続き、今週もお休みをいただきます。幸坂さんも大事を取って休まれた先週、病院のベッドで放送を聞きました。図らずも、各曜日のパーソナリティー同士の無言の結束力、横のつながりの強さを感じました。新型コロナウイルスはうわさ通り手強く、しぶといですが、「お若いから治りも早いですよ」というサービストークに乗せられて、少しずつ快方に向かっています。完全復活するまで、神奈川県イチ面白い50代主婦、伊勢志摩先輩にピンチヒッターをお願いします。
宮藤です。すみません。(金曜パーソナリティーの)武田砂鉄さんには「謝る必要はない」と言っていただきましたが、月曜日の3時半から僕のせわしないしゃべりを楽しみにしてくださっている奇特(きとく)なリスナーのみなさんには、やはり申し訳ない気持ちでいっぱいです。先週に引き続き、今週もお休みをいただきます。幸坂さんも大事を取って休まれた先週、病院のベッドで放送を聞きました。図らずも、各曜日のパーソナリティー同士の無言の結束力、横のつながりの強さを感じました。新型コロナウイルスはうわさ通り手強く、しぶといですが、「お若いから治りも早いですよ」というサービストークに乗せられて、少しずつ快方に向かっています。完全復活するまで、神奈川県イチ面白い50代主婦、伊勢志摩先輩にピンチヒッターをお願いします。
『青春かけおち篇』
下請け町工場の倅の長男は、プータロー(ニート)のまま、会社令嬢の彼女の家に同居していた。今でいうパラサイトな状況で、その最中、令嬢への見合い話しが訪れ、その相手が令嬢の家の何十倍も資産のある大企業の御曹司だった。プータローの彼女(令嬢)は動揺し、プータローとかけおちする。後継ぎのいない令嬢宅の間にプータローと御曹司との格差で揺らぐ、恋愛かけおち喜劇。
1980年代の日本の格差社会というのは、生まれ育った環境で左右するものでした。同じ経営者の家でも町工場か?企業か?大企業の家に生まれたか?で、格差がありました。あの当時は農家が一番低い立場だったかもしれません。農家だけやっているとプータロー扱いされて、ほとんどが家を出て就職するか?または就職しながら農家をしているかでした。その次くらいが商業(自営業)をやってる家でした。自営業は独立したという意味で、まだマシにみられていました。
もっとも身分が低いのが農業用の土地もなく、借家に住んでいる世帯で、僕はこの辺に分類していたので、農家の家も羨ましかったです。
この映画を初めに観たのが二十歳ぐらいの時で、月山(がっさん)の案内表示板を見て「つきやまって有名なんだな」と、バカな男ふたり、車で旅行したときにホテルのルームサービスに宅配レンタルビデオというのがあって、そのときに頼んでホテルの部屋で観たのが『青春かけおち篇』でした。なにもやることがない旅でしたので、唯一思い出に残ったのがこの映画でした。
その後、相方の友人の結婚式当日に、その時、ホテルで撮ったふたりの写真を「これ僕たちの思い出です」と、友人の両親に手渡した僕は、今になって「バカだなー」と思いました。
今では、その友人は会社役員で、僕との格差はだいぶひろがってしまいました。僕は未だに女房にパラサイトしている半地下生活です。
ランバダの踊り方教えます
1989年 ランバダが日本に上陸しました。映画シャルウイダンスがまだ公開されておらず、社交ダンスのようなきっかけがまだない時代でした。あるとしたら、フラッシュダンスの流行りからなるジャズダンス、エアロビクスというような単身レッスンタイプのダンスで、交流型ダンスの幕開けとばかりに学習に励みました。
Kaoma - Lambada (Official Video) 1989 HD
ある日、ビデオデッキの脇の本棚に飾っていたら、発展途上の彼女が我が家に来襲!すかさずこのビデオをみつけてはいやらしそうな眼つきで、ランバダについて尋問され辱めをうけてしまい、彼女とは永遠の発展途上となってしまいました。このビデオさえなければと思うと・・・石井明美を見るたびに私は思いだしてしまいます。
AKEMI ISHII LAMBADA ランバダ・石井明美 1990
Jennifer Lopez - On The Floor ft. Pitbull
ダンス・ウイズ・ア・ストレンジャー
続いてのVHSビデオ・1985年の作品で、ビデオ化は1990年となっております。
ビデオデッキで再生可能ですが、デッキのほうがご無沙汰で下手に差し込んだらテープごとダメになりそうなので、別な機会に改めて鑑賞できればなと思っております。
Dance with a Stranger (1985)
暦のうえでは立春ということで、節分。とは関係ないですが、立春ノミネートということで。
1983年『探偵物語』。当時高校生の頃、薬師丸ひろ子の復帰作ということで映画館へ観に行ったことがあります。前作の『セーラー服と機関銃』は地方上映なども行っていましたが、現、連立政権を支えている婦人団体から、猛烈な抗議があり、当時、中学生だった私は映画を観ることを禁止され、生徒たちの間では物議になりました。日教組が嫌われてる形に変換されてますが、婦人団体のほうから猛烈な抗議があり「火つけるぞ!」みたいな話しになって映画鑑賞が禁止になってしまいました。
詳細を伺うと、当時、親がヤクザだった女子生徒が、映画のヒットによって影響を受けて家出してしまったという事例があったようで、それでやむなく禁止になったようです。それにしても悪いことはいつも日教組のせいにするんでしょうか?それがいまでも不思議でなりません。教師も悪けりゃ親も生徒も悪い時代でもありました。そして大人たちも。
時代は移り『探偵物語』。原田知世の『時をかける少女』との二本だての上映で、どちらもヒットした映画で、『探偵物語』は女子大生ブームだったこともあり、薬師丸ひろ子演じる女子大生も、なんともいい感じに映りました。
ラストの空港でのキスシーンは、新人類と呼ばれた世代では名シーンのひとつではないでしょうか。
中森明菜の『北ウイング』もこの映画からヒットしたような気がしました。
ひとりで稼げるタレントベスト3に松田聖子、中森明菜、薬師丸ひろ子と称されていた時代でした。
二作目は『愛しのハーフ・ムーン』。伊藤麻衣子主演1987年の作品。嶋大輔があの当時、若かった。ツッパリアイドルでデビューしたあとの青年俳優への転身ぶりは、今見ると見事だったですが、のちに太りだして、宮藤官九郎が木更津キャッツアイなどでバカにしだして、今では使い物ならなくなって俳優業はお辞めになったみたいです。この映画ではいいイケメンぶりでした。
41歳の頃に撮った記念の同窓会写真を最近みることがありまして、改めてみると自分が一番変わり果てて、いちばんブサイクに写ってました。あの当時は目の前にあることでせいいっぱいで、将来もなにも見えてない頃で、ストレスの塊だったようにも思えました。「これじゃ周りの連中は俺を嫌うよな」と家内に見せて、変わり果てた体系を見せて話しました。「自分ではせいいっぱいやってたんだけどな・・・」と、客観的に自分の姿を見ては落胆しました。あのあと急激に痩せ、痩せてるときには誰にも会わず、リバンドして太った頃に誰かと会うという負のループが続いております。