ここはとある小学校跡の遊具です。
かれこれ35年以上前に新校舎が出来て他の遊具は移転し、その他は撤去されてますので現存してるのはここにあるのみです。
宮藤官九郎さんが高学年の時は新校舎で卒業していると思うので、今の40代ぐらいの方々にはここでの思い出はあまりないかと思います。
周辺の大人に聞いても、「知らない」「覚えてない」「記憶にない」と思ってるのが当たり前で、知ってる人はだいたい自殺しているようなところです。
私の知人だけでも、自殺者は5本の指を超えてますので、平均寿命が80歳だとすると、その半分が40歳。40歳以降の死亡率のほうが当然高いので、現在半数以上がこちらの遊具のことを覚えている人はあまりいないんではないでしょうか。
以前、同級生と立ち話しになったときに、「自殺する人多いね」という話しになり、「事情はいろいろあるだろうけど、自殺は結局、周りに殺させることだから」という会話をしました。
その甲斐あって、私も周りに殺されないように必死に生きています。
逆に殺さないようにも、心がけなければなりませんね。
前置きはさておき、私がここの遊具で遊んだ時は、ここにある場所が入り口でした。
幼稚園を初めとする一年生たちのほとんどが、両手で掴み恐る恐る登って行きます。
学年が上がるにつれ、両足で立って駆け上がったりしてました。
時間割で、休み時間はみな同じ学年同氏で遊具を利用するので、一年生の一学期は担任の先生も側について見ていたような記憶があります。
入り口を登るとこういった輪の中を移動して回ります。
私が、ここで遊び始めた頃は真ん中にある二本のパイプはまだありませんでした。
それが無い時は、移動中足を踏み外したりもしてました。ここにパイプが付いて活発に移動ができるようになりました。
ペンキの色は、たぶん予算の都合で一色になってますが、当時はもっとカラフルな遊具でした。
この遊具で好き嫌いがでるのがここの場所です。
初めはここを渡るのが怖い場所です。両手を使うとバランスが難しく、うまく渡るには両手を使わずに足で跳ねて渡るのがベストです。
女の子泣かせと言ってもいいほどのタイヤ渡りでした。
ここのロープ渡りは人気のエリアで、みんながここで順番待ちをしながら渡っていました。
ただ、ふざける子もいまして、ここで揺らしたりして、先に遊んでる子が振り落とされたりして、なにかと問題が起きやすい場所でもありました。
先生からは、手の握りを「親指を下に持ってくるように」と、常々言っていた記憶があります。
振り落としたり、怖がったりしてる子を見ると、ある意味、快感だったりもするのですが、その代償は「こっぴどく怒られる」。「泣かせた子の親まで来て怒られる」。私も多少は怒られた記憶がありますし、嫌やだった想い出もあります。
ここの先にも他の遊具に繋がっていましたが、今はここまでとなっています。
自分が子供の頃は、なにかと危険を察知しながら遊んでいたようにも思いますが、自分が人の親になると、子供が遊具に行こうとすると、心配でついつい過保護にもなってしまいます。
むしろ、大人になってここの遊具に登ると、その高さに震えてしまい、「よく、昔ここで遊んだな」と思うくらい、気の小さい大人になってしまいました。
こういった松の木も残ってました。
登って遊んだ記憶はないのですが、「折れちゃうから遊ぶな」と言われてたかもしれません。