前回はスーパーカーブームについて語りましたが、今回はゲームブームetcをご紹介いたします。
スーパーカーブームは1975年から1978年がピークで、その間に何が話題になり流行したかというと、
『みごろ!たべごろ!笑いごろ!』というテレビ番組が1976年から1978年まで放送されてました。その後の番組を含めると1979年まで放送されていたことになりますが、番組のアイドルはキャンディーズでその活動期間中に解散宣言をして、キャンディーズが解散するまで番組は放送され、人気番組を通じて伝説の解散コンサートにたどり着きました。
『みごろ!たべごろ!笑いごろ!』の人気コーナーとなったデンセンマンの電線音頭。
石ノ森章太郎(当時石森章太郎)がデザインしたキャラクターデンセンマンが登場した電線音頭が大流行しました。その「電線にスズメが三羽止まってた。それを猟師が鉄砲で撃ってさ、煮ってさ、焼いてさ、食ってさ、ヨイヨイヨイ おっとっとっと‥‥‥」といった内容で番組が盛り上がりました。
立ち上がりの「電線にスズメが三羽止まってた。それを猟師が鉄砲で撃ってさ、‥‥‥」のフレーズに誰もが電線に止まっていたスズメを鉄砲で撃つシーンを想像したと思います。非常にシンプルな発想なのですが、「電線に」といった部分が近代的に感じました。
電線に止まっていたスズメを実際には鉄砲で撃てない時代でしたから、石ノ森章太郎のデザインしたキャラクターが映ることで非現実的な世界がお茶の間に拡がりました。
その後、アーケードゲーム(TVゲーム)が流行りだし、ブロック崩しといった世界も電線に止まっているスズメを撃つシーンと重ね合わせて楽しむようになりました。その後登場したのが『スペースインベーダー』いわゆる『インベーダーゲーム』でした。
Space Invaders 1978 - Arcade Gameplay
インベーダーゲームによってより電線に止まったスズメを撃つシーンが仮想体験できるようになりました。アーケードゲーム機が全国的なブームになると、社会問題も浮き彫りになりました。とくに小学生などはアーケードゲーム機の利用が制限されるようになりました。
1979年から1980年代は、小学生を中心にした様々なブームが沸き起こります。ガチャガチャ(ガチャポン)の登場からの『キン肉マン消しゴム』ブーム。駄菓子ではライダースナックから『ビックリマンチョコ』への世代交代。ピンクレディーブームからの松田聖子ブーム。なめ猫ブームetc。小物&ファンシーブームが小中学生の間では流行しました。
小物&小型化は、ソニーウォークマンに象徴されるようにひとつのトレンドとなってゆきます。デンセンマンからウォークマンは、時代の100メートル走のスタート地点でもありました。インベーダーゲームが流行りだしますと、玩具メーカーはLSIゲームを発売し始めます。
ゲームセンターや喫茶店などに置いてあるインベーダーゲームが子供たちは利用できないとなると、LSIゲームというのが玩具メーカーからすぐさま発売されました。1979年、インベーダーゲーム真っ盛りの時には小型ゲーム機は当時の小学生は持っていました。遠足などでバス移動の時には、おやつとLSIゲームを持参してる子もすでにいました。おやつは300円までですが、ゲームはおやつに含まれませんでした。 僕も水色の小さいほう(真ん中)は持っていました。UFOをひたすらボタンで撃つだけなので、すぐに飽きてしまいましたけど。
バンダイミュージアム探訪記~アーケードゲームも移植されたLSIゲームの魅力(前編) | ゲーム文化保存研究所 - パート 2
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ゲーム文化保存研究所
飽きなかったのがLSIベースボールでした。おじさんからか、なんかのプレゼントで貰ったものでしたが、LSIベースボールは長い間、中学を卒業するまで使ってました。
なにがいいかといいますと、これまで野球盤は持ってる家庭はたくさんいましたが、大きくてひとりじゃ遊べないことでした。そして備品も失くしやすかったことが遊ぶ際の妨げになっていました。
一方、LSIベースボールはコンパクトで持ち運び自由。そして備品いらずでコンピューターで野球ができました。電池は必要でしたが一回の電池で何ヵ月も使えました。更にひとりでも遊べたことでした。
ボタンのみで操作できますから、ヒットやアウト、そしてホームランの判定はルーレット方式で得点計算までゲーム機がやってくれました。打つタイミングがズレれば空振り判定もしますし、ボール球やファール判定もありましたので、二人でも遊べましたが、右手で投げて左手で打つといったように、両手を使ってひとりでも野球盤ができました。
ノートにスコア表を書いて表裏5回方式で、疑似野球大会もできました。ルーレット判定なのでイカサマがない分、公平なスコアがつくれました。ただ、リーグ戦だと戦力差がないだけに混戦になるので、トーナメント方式にしてよく遊んでました。ノート1,2冊分はLSIベースボールのがあったぐらいスコア表を書きました。都道府県対抗とか、力士野球とか、チーム名も様々で『ドカベン』に出でくるようなチーム名にしたりと妄想に耽りながらやってました。運のいいチームは何度もベスト8入りしたりと、ドラマやシナリオが出来て面白いものでした。
一方、アーケードゲーム機のインベーダーゲームから進化して『ギャラクシアン』が流行ったり、『パックマン』が流行ったりと、アーケードゲームのスタイルも変わってゆきました。
[AC] クレイジークライマー Crazy Climber
『クレイジークライマー』は、のちの『ドンキーコング』になっていったんではないでしょうか。
1980年には任天堂からはゲームウオッチが発売されました。
1980年・4月28日でしたか、もう少し早い時期かと思ってましたが、中1の1学期。これを持って学校に通った生徒もいました。
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ランナウェイ
シャネルズ
Epic Records Japan Inc.
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1980年は流行りのデパートといったように、新鮮で欲しいものが沢山各分野でありました。
1980年1学期。衝撃的だったのがCMからの『ランナウェイ』でした。あの頃は、マイステレオラジカセが欲しいとか、ギターが欲しいとか、ベースギターが欲しいとか、いろいろ思ってるうちに結局手にしたのが、手のひらサイズのゲームウオッチだったりしてました。
任天堂 GAME & WATCH マンホール - ゲーム機 | MUUSEO
これとヘルメット、オクトパスは鉄板でした^^;今はこんなシンプルなゲーム流行らないでしょうね。約10年前に完動品で売却済み。 by ハムトシ...
ミューゼオ(MUUSEO)
僕が買ったのは『ゲームウオッチ・マンホール』でした。1981年の1月ぐらいに買った覚えがあります。(1981・1月27日発売)アラームが1分間鳴るといったもので、これで朝起きて学校に通ってました。わりと同じものを持ってる生徒がまわりにもいました。
【第5作】 IP-05・IP-15 ジャッジ - どこでもGAME&WATCH ~ゲームウオッチ全機種紹介~
発売日 昭和55(1980)年10月4日シルバーシリーズ本体色 IP-05 モスグリーン IP-15 ダークパープル発売価格 5,800円2...
どこでもGAME&WATCH ~ゲームウオッチ全機種紹介~
ジャッジというのを持ってた生徒がいまして、ひとりじゃ遊べないようなゲームで、最初は人気がなくてマンホールとかを買ったんですが、学校だとひとりじゃ飽きるんです。人見知りの生徒がこれを持っていて、あんまり遊べなかったのですが、あとになって「これのほうが良かったかな」とか思いました。だけど1980年発売品で、81年にはシルバータイプはもう品切れでした。
ゲーム電卓「MG880」でデジタルインベーダーをプレイ
しかし、ゲームウオッチもすぐさま学校内で問題になりまして、こんどはゲーム電卓に移り流行りました。
『ゲームセンターあらし』という漫画も流行りまして、電卓ゲームに挑むシーンもありました。
そしてすかさず、ソーラー式液晶ゲームが発売されました。
【バンダイ】大脱走 | hamaribros-x
ゲームウォッチ ばっかりだったので、 バンダイ ソーラーパワーの『大脱走』です。 ソーラーパワーって、この当時スゴいことだと思いましたね。...
hamaribros-x
これは持ってませんでしたが、電卓はソーラー式がその後の定番品になりました。
ニューラリーX(NEW RALLY-X)
小中学生はまだゲームセンターでゲーム遊びができない時代でしたから、アーケードゲームはそこでやってる人のをただ見てるだけでした。『ラリーX』のゲームメロディが気に入ってました。
1979年から1982年、3年のうちにTV(ビデオ)ゲームは白黒からカラーになってメロディも多様化していって、小型ゲーム機も発売されまして、瞬く間に変化しました。
パンチアウト!!(アーケードゲーム◆任天堂)
パンチアウト!!
いっぱいゲームを楽しもう
1983年以降はアーケードゲームでクリア(エンディング)までいけたのが『パンチアウト』と『空手道』でした。そして主にテニスとかで時間をつぶしてました。
スーパーゼビウス(アーケードゲーム◆ナムコ)
スーパーゼビウス
いっぱいゲームを楽しもう
その時には『スーパーゼビウス』もありましたが、なんかしっくりこなくて『空手道』で何日か通ってるうちに最後は牛と戦うことになって倒せました。
格闘ゲームの元祖『空手道』がPS4で遊べる“アーケードアーカイブス”シリーズに登場! - ファミ通.com
ハムスターは、プレイステーション4用ダウンロードソフト『アーケードアーカイブス 空手道』を、本日2014年10月9日より配信開始した。
ファミ通.com
[AC] 空手道 Karate Dou
喋っていて画期的でした。こうして見ると自分は対戦ものが得意だったんだと思いました。
1983年・7月15日に『ファミリーコンピュータ』が発売されるのですが、僕はあとになってから購入しました。『空手道』はあれからやってませんが、『パンチアウト』とそのようなソフトは買ってやってみましたが、ちょっと感覚が違い全クリまではしませんでした。
『ゲームボーイ(1989年・4月21日)』は、『ゲームボーイポケット(1996年・7月21日)』ぐらいまで買いませんでした。『たまごっち(1996年・11月23日)』が流行りましたが、あの時代は流行り過ぎて買えませんで、初売り(1997年)の景品の中に『ゲームボーイポケット』が入っていまして、それで持ちました。その時、競馬予想ソフトがあったので、それを使って競馬場に行ったらぜんぜん当たらなかったといった思い出しかございません。
あとは『ポケットモンスター』を遠目で見てるようになりました。
家庭用ゲーム機は次世代ゲーム機に代わりまして、
セガサターンが発売された日。2D描画に秀でたセガ国内最大のヒットゲーム機で、『バーチャファイター』や『サクラ大戦』などの魅力ある作品を数多く発売【今日は何の日?】 - ファミ通.com
過去のこの日、ゲーム業界に何があったのかを振り返る。1994年(平成6年)11月22日は、セガサターンが発売された日です。
ファミ通.com
ファミコン。スーパーファミコン。と、買い換えてからの複数次世代ゲーム機の選択岐路に立たされました。プレイステーション、ニンテンドー64、その他情報はありつつ、そのときに遊びたいソフトがあったので『セガサターン』を選びました。そこから機種変更するまでには時間がかかりました。ゲーム機一筋といった一面もあるほうです。
結婚前夜(セガサターン・1995年)OP&ED
そしてアーケードゲームもずいぶんと様変わりしました。
『オシャレ魔女 ラブ and ベリー』筐体のペーパクラフトが無料配布中!ドリキャスなど家庭用ゲーム機も - にじめん
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