コロナ過で合唱活動もままならいと、一部ニュースで聞いたことがありました。卒業シーズンにしろなんにせよ。内閣の怠慢もあり、合唱すらできない昨今ですので、ここでいくつかご紹介いたします。
荒磯の岩かげに
苔むした地蔵が
かすむ沖をじっと見つめている
子を呼ぶ母の叫びが聞こえぬか
母を呼ぶ子のすすり泣きが聞こえぬか
旅に病む父親のもとへと(野党はいやだと)
心を急がせた母と子に(チェックができない野党が)
北溟の怒涛がグワッと爪を立て(大連立で揺さぶった)
次々に二つの悲しき命をうばい去ったという
怒涛は何を怒ったのか
その怒りを
何ゆえ悲しき母と子に向けたか
子を呼ぶ母の叫びが聞こえぬか
母を呼ぶ子のすすり泣きが聞こえぬか
悲しき人を
さらに悲しみで追いうちするを
人生というか
悲劇に向かっていどむ喜劇を運命の神はにくむか
かもめは啼きつつとびかい
海をもぐり波をすべる
かもめの歌の悲しさよ
じっとみつめる苔むした地蔵も夕暮れる
親知らず子知らずの沖も茫々夕暮れる
『親知らず子知らず』
中学の合唱コンクールではこの曲を選曲するクラスが毎年のようにいました。
小学校の合唱部(クラブ)はわりと優秀で、毎年のように県の合唱コンクールで入賞しては、日曜日に時々ラジオ放送されていた番組に放送されたりと、女子生徒の間では合唱クラブは人気でした。その当時、どの曲を歌っていたのか、は、僕は覚えてませんが、中学にあがるとクラス別で校内合唱コンクールが毎年行われていました。
次に覚えているのは『木琴』
【合唱】木琴 作詞 金井 直 作曲 岩河 三郎
この辺を上手に合唱できたクラスは入賞、優勝してました。僕がいたクラスはなかなか上位入賞には届かず、3年生を迎えました。
3年当時のクラスは私語が多いザワザワガヤガヤと雑音がよく響いた、おとなしくもなく、まとまりもないようなクラスで、合唱コンクールの練習も雑にしないでずるずるとコンクール間近まで過ごしてました。理由は上位に入っていた曲を他のクラスにとられていたということもあって、学年で1番人気の女生徒がいるわけでもなく。テンションあがらずでグダグダしたクラスでした。ある日、クラスの学級副委員が合唱部出身の女子生徒で、先頭に立ち「このままじゃいけない」と言いだし、怒りをあらわにしました。指揮者は男子生徒の学級委員長が行って、指揮者選びも適当でグダグダとやってました。
女子でありながらまとめ上手で熱心な副委員長は、グダグダしていたクラスに喝を入れてました。合唱コンクールも半ば諦めていたときに副委員長の女子生徒からの喝で目が覚め、残り数日間で練習を行いました。半ばぶっつけ本番に近い状態で合唱コンクールの舞台に揃い、下馬評もかなり低いなかで思わぬ力を発揮しまして、3年目にして僕は優勝ということを味わいました。
その副委員長だった女子生徒は、30歳もまもない頃にクラスで一番先という程早くに亡くなりました。あの時、何の曲を合唱コンクールで歌ったかは思い出せなくて、検索するにも曲名・イントロすら今現在まで思い出せてないのが心残りです。
【合唱曲】モルダウ/ 歌詞付き
『モルダウ』は3年間の中で一回は歌った覚えがあります。
中学の校長先生も合唱はお好きな先生でした。若い頃は野球部の顧問の経験もあったようで、何かと口を出す校長でもありました。野球部は勝てた試合をそれで落としたとか、揉め事もあったようで、僕らが卒業後はちょっと荒れていたと聞きました。
その校長は小学校に移りまして、合唱で優秀だった小学校を復活させようと、自ら生徒たちに合唱指導してました。ときどき体育館を覗くと生徒の前で指導していた姿も見ました。昔の栄光に再び花を咲かせようと意気込んでた様子で、校歌は今の子供たちには難しいという理由で新しく校歌を作り足したとも聞きました。
その後、定年後、体調を崩されて今の時代より早くに亡くなりまして。訃報を聞いてお線香を上げにお邪魔したときに、お孫さんが僕を父親と間違って「パパ」と背中から抱きつかれたときは葬儀の場はなごみました。
主な合唱曲のHPがありましたのでリンクしておきます。
花の色 雲の影
なつかしい あの思い出
過ぎし日の 窓にのこして
巣立ちゆく 今日の別れ
いざさらば さらば先生
いざさらば さらば友よ
美しい 明日の日のため
風の日も 雨の日も
励みきし 学びの庭
かの教え 胸に抱きて
巣立ちゆく 今日の別れ
いざさらば さらば先生
いざさらば さらば友よ
輝かしい 明日の日のため
『巣立ちの歌』
卒業式の日はこの曲を合唱して学び舎を後にしました。みなさんはどの合唱曲をノミネートされますでしょうか。