暦のうえでは立春ということで、節分。とは関係ないですが、立春ノミネートということで。
1983年『探偵物語』。当時高校生の頃、薬師丸ひろ子の復帰作ということで映画館へ観に行ったことがあります。前作の『セーラー服と機関銃』は地方上映なども行っていましたが、現、連立政権を支えている婦人団体から、猛烈な抗議があり、当時、中学生だった私は映画を観ることを禁止され、生徒たちの間では物議になりました。日教組が嫌われてる形に変換されてますが、婦人団体のほうから猛烈な抗議があり「火つけるぞ!」みたいな話しになって映画鑑賞が禁止になってしまいました。
詳細を伺うと、当時、親がヤクザだった女子生徒が、映画のヒットによって影響を受けて家出してしまったという事例があったようで、それでやむなく禁止になったようです。それにしても悪いことはいつも日教組のせいにするんでしょうか?それがいまでも不思議でなりません。教師も悪けりゃ親も生徒も悪い時代でもありました。そして大人たちも。
時代は移り『探偵物語』。原田知世の『時をかける少女』との二本だての上映で、どちらもヒットした映画で、『探偵物語』は女子大生ブームだったこともあり、薬師丸ひろ子演じる女子大生も、なんともいい感じに映りました。
ラストの空港でのキスシーンは、新人類と呼ばれた世代では名シーンのひとつではないでしょうか。
中森明菜の『北ウイング』もこの映画からヒットしたような気がしました。
ひとりで稼げるタレントベスト3に松田聖子、中森明菜、薬師丸ひろ子と称されていた時代でした。
二作目は『愛しのハーフ・ムーン』。伊藤麻衣子主演1987年の作品。嶋大輔があの当時、若かった。ツッパリアイドルでデビューしたあとの青年俳優への転身ぶりは、今見ると見事だったですが、のちに太りだして、宮藤官九郎が木更津キャッツアイなどでバカにしだして、今では使い物ならなくなって俳優業はお辞めになったみたいです。この映画ではいいイケメンぶりでした。
41歳の頃に撮った記念の同窓会写真を最近みることがありまして、改めてみると自分が一番変わり果てて、いちばんブサイクに写ってました。あの当時は目の前にあることでせいいっぱいで、将来もなにも見えてない頃で、ストレスの塊だったようにも思えました。「これじゃ周りの連中は俺を嫌うよな」と家内に見せて、変わり果てた体系を見せて話しました。「自分ではせいいっぱいやってたんだけどな・・・」と、客観的に自分の姿を見ては落胆しました。あのあと急激に痩せ、痩せてるときには誰にも会わず、リバンドして太った頃に誰かと会うという負のループが続いております。