『青春かけおち篇』
下請け町工場の倅の長男は、プータロー(ニート)のまま、会社令嬢の彼女の家に同居していた。今でいうパラサイトな状況で、その最中、令嬢への見合い話しが訪れ、その相手が令嬢の家の何十倍も資産のある大企業の御曹司だった。プータローの彼女(令嬢)は動揺し、プータローとかけおちする。後継ぎのいない令嬢宅の間にプータローと御曹司との格差で揺らぐ、恋愛かけおち喜劇。
1980年代の日本の格差社会というのは、生まれ育った環境で左右するものでした。同じ経営者の家でも町工場か?企業か?大企業の家に生まれたか?で、格差がありました。あの当時は農家が一番低い立場だったかもしれません。農家だけやっているとプータロー扱いされて、ほとんどが家を出て就職するか?または就職しながら農家をしているかでした。その次くらいが商業(自営業)をやってる家でした。自営業は独立したという意味で、まだマシにみられていました。
もっとも身分が低いのが農業用の土地もなく、借家に住んでいる世帯で、僕はこの辺に分類していたので、農家の家も羨ましかったです。
この映画を初めに観たのが二十歳ぐらいの時で、月山(がっさん)の案内表示板を見て「つきやまって有名なんだな」と、バカな男ふたり、車で旅行したときにホテルのルームサービスに宅配レンタルビデオというのがあって、そのときに頼んでホテルの部屋で観たのが『青春かけおち篇』でした。なにもやることがない旅でしたので、唯一思い出に残ったのがこの映画でした。
その後、相方の友人の結婚式当日に、その時、ホテルで撮ったふたりの写真を「これ僕たちの思い出です」と、友人の両親に手渡した僕は、今になって「バカだなー」と思いました。
今では、その友人は会社役員で、僕との格差はだいぶひろがってしまいました。僕は未だに女房にパラサイトしている半地下生活です。