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旧える天まるのブログ
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スポークンワーズ<腹ペコのコインロッカー>

2021-01-16 14:59:47 | 雑記の宿

スポークンワーズ

<腹ペコのコインロッカー>

授業を抜け出し
あの場所に立ち寄る
カバンを入れてゆき
君はどこへ
腹ペコのコインロッカー
カバンの中のハンカチに
包まれてた君の正体
脱がせば鶏そぼろがチラリ
腹ペコのコインロッカー
朝から何も食べてない
授業をさぼり
あの場所に立ち寄る
学校行ったら公安みたいなちばしんや(36年ぶりのこういち)
機動隊集めこちらを睨む
親から貰った五百円
修学旅行で殴られる
腹ペコのコインロッカー
授業をさぼり
あの場所に立ち寄る
学校では明道ってヤクザに(36年ぶりのこういち)
上納金のカツカレー
授業を抜け出し
あの場所に立ち寄る
カバンを入れて街歩く
君はどこへ
腹ペコのコインロッカー
あゝ出来心、出来心
授業を貪り
君の正体盗んじまったー

 仙台駅3階北改札口通り。現在は牛タンの店やスシ店やみやげ物店があり、店前には行列ができて賑わってました。昔はここの通りは人も疎らで秘密の隠れ家にしてました。

榊原まさとし_不良少女白書 ~2年B組仙八先生 挿入歌.~

榊原まさとし 不良少女白書

 

 

 


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『テレワーク・目標管理と部下指導』これまでの目標管理はなぜ失敗したのか

2021-01-14 22:49:33 | DQXテレワーク・目標管理と部下指導

「なんか第2波も認めないうちに第3波って言っちゃてるね」

「政府見解だとコロナは第2波なんだけど‣・・・・」

「2波のお答えは控えさせていただきます」

「控えてたら3波になってまたベンチに引っ込んじゃって感染してる状態」

「野球観戦じゃないんだから」

「オリンピックも感染したいんでしょーー」

「テレワークしてくだいさいって言われてるけど‣・・・・」

「テレワークねーー‥‥‥」

「はい。これでなんとかしてーー」

「目標管理と部下指導‥‥‥」

「親分が持っていたの。ワーク系ならこれかな‥‥‥」

「これかなって!」

「まえがき・・・・・」

 目標管理は十年以上も前にわが国に紹介され、当時多くの企業でいわゆる”目標管理制度”として流行のように実施された。そして、数年を経して、そのほとんどが立ち消えの状態になったのは周知の事実である。これはわが国において、目標管理がいかに誤って理解され、導入されてきたかを如実に物語っている。

 目標管理とは、たんなる一つの制度や手法ではなく、幾多の経験と知恵で一歩ずつ積み上げられてきた現代の管理の到達点であり、総合的な管理文化としてとらえるべきものである。したがって、一時の流行のごとく、もてはやされたり、捨てられられたりする性格のものではなく、すべての管理者の管理行動の基礎に関わるものとして知っておかなけねばならないのである。

 本書はそういう意味で、目標管理という管理理念が日常行動として展開できることを目的として執筆した。しかし、管理行動のノウ・ハウではない。なぜならば、そのようなものはあり得ないからである。管理者はそれぞれ十人十色であり、その部下も、職場の条件もすべて同じではない。そこに一つのノウハウが通用するはずがないのは明らかなことである。

 そこで「あいまいな概念からは正しい行動は生まれない」という原則を裏返して、目標管理の基礎となるような諸概念をできるだけ明確にすることによって、読者たる管理者が正しい管理行動として展開してゆくことが可能になる、という観点から、一人の実務家として「概念の明確化」を試みたつもりである。

 目標管理を流行としてやり過ごした誤りを今にして訂正しなくては最近熱心に研究されている「組織開発」などについても、また同じ失敗を繰り返す危険性が大きいであろう。

 この小著はたんに目標管理の言葉にとらわれることなく、広く企業の中の管理者の方々に活用していただけるものであり、同時に管理者教育の資料としても役立つものと考えている。

 1975年 八月 上原穎夫

「1975年のって!」

「まだ売られてるみたいだよ」

 

「ベストセラーだったんじゃないの。よくあるじゃん”べストセラー作品をドラマ化”とか」

「だからって!」

「いいじゃんテレワークしなさいよ。あたしだってしなきゃないし‥‥‥」

「政府と真逆だな!ッたく‥‥‥」

「嘘つきにはなりたくないもん」

「それは言えてるーー」


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サタマガ伝説・ギャハハ倶楽部・ノックノック

2021-01-12 20:24:43 | ノックノック(雑記の宿)

 昨日は『成人の日』ということもあって祝日で、日曜日ぐらいからスーパーとかでは成人の日にちなんだお寿司が売られていたこともあって、我が家もにぎり寿司を買って3回まわして『成人の日』をお祝いしました。

 改めて今年は各地で成人式のイベントが中止されたニュースを聞いてて、『成人の日』って新成人だけの日ではないんじゃないかと思いました。『成人の日』は社会全体でお祝いするものなのかなーと。くり返しますが改めて感じました。おめでとうございます。

 

 先週から今週にかけて宮藤官九郎さんが昔放送されてたローカル番組の『マル金ギャハハ倶楽部』のお話しをされてまして、あの時のことが思い出されました。

『マル金ギャハハ倶楽部』は1987年の4月3日から1989年の12月22日まで放送されていたローカルテレビ番組で、当時、名を上げていた高田文夫先生をメインに招いてゴールデン(19時台)の時間帯にローカル番組をぶつけてくるという野望番組が始まりました。1か月ぐらい前から高田文夫先生を画面に出してCMでバンバン宣伝し、ゴールデンの時間帯で視聴率を奪おうと意気込んでいた空気はCMでずいぶんと伝わりました。

 その頃、僕はというと高校を出て就職し、残業が2時間ぐらいあって17時から19時まで仕事を終えて帰った時には番組は終了していて、ほとんど観ていた記憶はないのです。あの時代は地方の進学率は半々もしくはそれ以下で、3人に2人ぐらいは高校を卒業して会社に通っていた時代でした。

 で、僕たちがよく観ていた人気ローカル番組は、『サタデーマガジンα』という土曜の午後1時からやく90分の番組を好んで観ていた世代でした。『サタデーマガジンα』は1983年5月7日から1987年2月28日まで放送されまして、『マル金ギャハハ倶楽部』はそのあと番組として構成された番組でした。

 『サタデーマガジンα』の功績というのはもの凄いものがありまして、洋楽ヒットチャートのMVをまず取り入れて、売り出し中のミュージシャンを招いて紹介するのが特徴でした。

 時代的にいえば、田中角栄効果といいますか、地方の隔たりもだいぶとれて高速道路も開通し、東北新幹線も開通し、地方からの消費がどんどんと増えて行き、地方でも脱サラで商売を始めたり、東京で修行して帰って店舗を開いても、そこには人が来る時代でした。地方都市名古屋でオリンピックの夏季大会を開こうかというムードがあったほど、地方が豊かになった時代でした。大まかにいいますと、そういう流れがあり『サタデーマガジンα』といった番組も始まりました。

 番組を観ていて面白かったのは、新人ミュージシャンがこの番組に出てから一躍トップアーティストになっていったことです。番組が開始されてまもなくに吉川晃司さんがゲストで来られて、モニカを披露し、その翌週か翌々週にはザ・ベストテンやトップテンに初登場し、大旋風となったことが今でも鮮明に覚えてます。中村あゆみさんもデビュー曲を披露して(ミッドナイトキッス)やがて80年代を代表するシンガーになりました。

 観ている側としては、ゲストが訪れそれから全国でヒットしていく過程を見るのがなによりの楽しみでした。それだけ地方の消費活動が良かったんです。

 『サダデーマガジンα』ある意味視聴者の期待に応えてくれる番組でした。若者(学生)に人気で(あのころはヤングと言ってましたね)土曜日は半日授業で部活もあったりもしましたが、部員も『サタマガ』を観るのが一番で、13時から2時半まで帰宅してから番組を観て、それから15時から部活動だったかな。学校の近くに住む友達と一緒に見たりとか『サタマガ』は毎週観ていた記憶があります。

 中高生には時間帯がすごく良かったんです。そして90分といった尺。学校を終えて帰宅時間があっても見逃すことがなかったんです。あと、親にチャンネル権を奪われないですんだ。あの頃はまだ、親にはチャンネル権があった時代でした。家庭用ビデオがある世帯も3人に1人くらいの割合だったかなー。ビデオの所有権は親のほうにあったので、リアルタイムで観るしか僕らはなかった時代でした。

 だた、欲しいものは欲しいと言える時代でもありました。人によって格差もありましたが、大まかにいえば豊かな時代でした。

 並行するように『夕やけニャンニャン』が1985年4月1日から始まって『セーラー服を脱がさないで』を『サタデーマガジン』で披露してから『夕やけニャンニャン』でデビュー曲が発表されたときは、なんか不思議な感じがしました。「おい!おい!仙台でもう歌うのかよ!」と思って見てました。その後はご存知の方もいるでしょうが、女子校生(おニャン子)ブームが沸き起こりました。

 その流れから、お笑いタレントも輩出しようと『マル金ギャハハ倶楽部』は開始されましたが、サタマガ世代はほとんど記憶にないと思います。90分を30分に短縮した分、2年続いたかは知りませんが、大物放送作家を招いて、すぐ打ち切りとはならなかったのかな。失礼だとは承知で視聴率が良かったという噂は耳には届きませんでした。CMだけはよく覚えてるんです。けど、僕は会社が忙しくて見れませんでしたが、宮藤官九郎さんが面白くするためにパンツまで脱いだという『マル金ギャハハ倶楽部』の野望は語り草に、のちにバブルは崩壊しました。

SALLY サタマガ 1984  悲しきYOUNG LOVE

1984年の番組の内容のものがありました。僕が高校2年の時で、宮藤官九郎さんは中2の時です。できればそのまま残していただきたいです。

 


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20歳のめぐり逢い

2021-01-11 13:37:26 | 雑記の宿

 

 

祝 成人の日


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#年越し大人食堂

2021-01-08 02:33:11 | 日記

 2021年に入り1週間が過ぎました。この1週間、僕は何をやっていたかというと、オンライン初詣モドキといいますか、初詣による感染予防ボランティアのつもりで神社投稿を行いました。お正月といえば映画鑑賞。初売り。ということも盛り込みました。

 実際の初詣は1月4日の日に参りました。毎年、2日が過ぎると人手が疎らになる神社も、今年は4日でも参拝客は疎らにいました。感染予防で鈴を鳴らす綱は外されていて、売店も4日が過ぎても開いてました。感染予防の対策形式で販売もなされていました。参拝者は受験生を持つ親御さん姿が目につきました。「志望校に合格なされますように」‥‥‥。

 

 東京の方では #年越し大人食堂 といったことが”聖イグナチオ教会”で行われていたようで、《#年越し大人食堂》をみると連日ずいぶんと呼びかけがなせれてました。 我が家も去年をふり返ると他人事でない1年でもありました。 夏場は給付金が支給されパークゴルフといった一定期の経済活動もできましたけど、年末はどうも出費がかさみやり繰りはしんどかったです。子供の進学に借りた借金を返済しつつ、差し引くと手元に残る額もたかが知れ、下手をすれば正月過ごす食費代も底がつくような綱渡りな暮らしぶりでした。同世代家庭の多くがそのような暮らしを続けながら踏ん張っているのかと思うと、その辺は自分で自分を励まし合いたくもなりました。

 うちはクリスマスはわりと呑気に過ごしてましたが、年の瀬「手元に3千円しかない」と聞いたときには「おい!おい!」といったこともありました。

 年明けの今週から演目をひとつ始めようかと内容を模索していた1週間でもありましたが、まだ煮詰まらなかったです。

 今年は「何をやるか」というより「何をやったか」が問われる年なのかなーと思いました。

星野源 – うちで踊ろう Dancing On The Inside


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