「精神世界が見えてくる 人間とは何か 気づきとは何か」サンマーク出版で、
京都大学のカール・ベッカー教授は、「残念ながら日本人は戦後、死について触れ
ないほうが無難だという風潮をつくってしまった。そのため、まるで死が存在しな
いかのような死に方、つまり『病院死』という隠れた死に方をせざるを得なくなっ
てしまいました。」と述べ、
「死が見えなくなった結果、何のために生きるかを考えなくなってしまったのです。」
とおっしゃり、残念に思っておられます。
カール・ベッカー教授は、
「かつての日本人には、世界に向かって誇れるような潔い死に方があった。」
「周りの人を呼び寄せ、最後の言葉を申し述べて、『先に行くよ』『後を頼むよ』
というような死に方です。」とおっしゃっています。
「いまの日本人はほとんどの場合、死は他人事だと思って生きています。」
「ところが万人に死は訪れるし、残された人にとってもつらいものです。」
「本人が息を引き取った瞬間から、残された人々には死を受け入れるためのプロセ
スが始まるのです。」
「これはグリーフワークと呼ばれていますが、悲鳴と戦い、亡くなった人が残した
『宿題』を片づけていかなければならない。身辺整理から仕事の後処理。遺言、献
体、葬儀の仕方、心の整理などです。」とおっしゃっています。
・・・おっしゃる通りです。。。
インタビューの中で・・・
カール・ベッカー教授は、「誰かが死ぬと、一、二年のうちに家族や恋人などのな
かに、突然死や精神異常、急病や事故などにあうケースがあります。」と言っています。
確かによく耳にする不思議な話ですよね。
カール・ベッカー教授は、
「昔はそれを『祟り』と呼びましたが、それは心の状態が未整理であるために、注
意力が散漫になったり、免疫力が低下したり、生きる目的を喪失したりすることか
らも引き起こされているのです。」
「昔はそんな祟りを避けるために法事を行い、親類縁者を呼び寄せ、お坊さんにお
経を読んでもらってあの世についての話をしました。」
「お悔やみを言い合い、皆で残された問題について話し合う機会をつくったのです。」
それが今では・・・
「いまの都会の生活ではそういうことができなくなり、四十九日を二日目にすませ
てしまうようになってしまった。それで心の整理がつくはずはないのです。」と、
今の日本人の死への向き合い方を危惧されています。
さすがに、私の実家も亡き彼女の実家も49日法要、100日法要は、それぞれ4
9日目、100日目に行っていますが、初七日はどこも葬式の日に行ってしまうよ
うです。私の実家も祖父母の葬儀の時そうだったと思います。
心の整理って、大切ですよね。なかなか整理できません。。。
・・・
カール・ベッカー教授の研究分野である臨死体験についてのコメントとしては、
「人は死の境界から蘇生するようなことがあると、それを奇跡に近いものとして
感じられるようになります。」
「自分が再び生きられるようになったからには、何らかの意義があるはずだと考え、
そして、残された日々を無駄にしまいと努力するようになるのです。」
「臨死体験者の誰もが、どれだけお金や物をもらうことよりも、自分の子供に愛情
をもって正しく育てることのほうがはるかに大事だといいます。」
「また自分にとって大切なものを絶対に裏切らない生き方をしていることが何より
大事なことだといいます。」と、臨死体験者の言葉を紹介しています。
そして、
カール・ベッカー教授は、
「それは何も死ぬときに神様に裁かれるからとは限りません。神様ではなく、自分
自身で自分を裁かなくてはならないから・・・そう臨死体験者はいっているのです。」
「いずれ死にいく存在として、潔い死を迎えようというのであれば、“自分にとっ
て何がいちばん大事なのか”それを徹底的に守り、そのために生きるべきでしょう。」
とおっしゃっています。
カール・ベッカー教授は、未知の世界の探究について、
「もちろん、副作用には十分注意する必要があります。」
「例えば『コックリさん』をやって気が狂ってしまう人も出てくるからです。ほん
とうに怨霊が存在するからなのか・・・それは一概には言えません。」
「とくに精神が揺れ動きやすい若い時期には悪影響を受けやすくなります。」
「いまの若者の傾向としては、精神世界を知りたがるわりに自分を守るための瞑想
やお経も覚えようとせず、軽い遊び感覚でやっているのが危険かもしれません。」
「ですから精神世界の研究は、しっかりとした自分自身の精神をつくったうえで行
ったほうが無難だと思います。」
と述べ、インタビューを締めくくっています。
・・・
最後の締めくくりのコメントは京都大学の教授の言葉としては、大胆といいますか
そこまでおっしゃいますか、と思うようなコメントです。
しかし、このように「精神世界(いわゆる『あの世』の世界)」のことを、学問的
にしっかりと研究しようという方やその研究を支える京都大学という研究機関があ
ることは素晴らしい環境になってきていると思います。
オカルトやお笑い番組で取り上げられる幽霊番組などのような陳腐で滑稽なものと
いう扱いを超え、真剣に「生と死の意味」に取り組む流れが徐々に出来てきている
のだなぁと感じました。
京都大学のカール・ベッカー教授は、「残念ながら日本人は戦後、死について触れ
ないほうが無難だという風潮をつくってしまった。そのため、まるで死が存在しな
いかのような死に方、つまり『病院死』という隠れた死に方をせざるを得なくなっ
てしまいました。」と述べ、
「死が見えなくなった結果、何のために生きるかを考えなくなってしまったのです。」
とおっしゃり、残念に思っておられます。
カール・ベッカー教授は、
「かつての日本人には、世界に向かって誇れるような潔い死に方があった。」
「周りの人を呼び寄せ、最後の言葉を申し述べて、『先に行くよ』『後を頼むよ』
というような死に方です。」とおっしゃっています。
「いまの日本人はほとんどの場合、死は他人事だと思って生きています。」
「ところが万人に死は訪れるし、残された人にとってもつらいものです。」
「本人が息を引き取った瞬間から、残された人々には死を受け入れるためのプロセ
スが始まるのです。」
「これはグリーフワークと呼ばれていますが、悲鳴と戦い、亡くなった人が残した
『宿題』を片づけていかなければならない。身辺整理から仕事の後処理。遺言、献
体、葬儀の仕方、心の整理などです。」とおっしゃっています。
・・・おっしゃる通りです。。。
インタビューの中で・・・
カール・ベッカー教授は、「誰かが死ぬと、一、二年のうちに家族や恋人などのな
かに、突然死や精神異常、急病や事故などにあうケースがあります。」と言っています。
確かによく耳にする不思議な話ですよね。
カール・ベッカー教授は、
「昔はそれを『祟り』と呼びましたが、それは心の状態が未整理であるために、注
意力が散漫になったり、免疫力が低下したり、生きる目的を喪失したりすることか
らも引き起こされているのです。」
「昔はそんな祟りを避けるために法事を行い、親類縁者を呼び寄せ、お坊さんにお
経を読んでもらってあの世についての話をしました。」
「お悔やみを言い合い、皆で残された問題について話し合う機会をつくったのです。」
それが今では・・・
「いまの都会の生活ではそういうことができなくなり、四十九日を二日目にすませ
てしまうようになってしまった。それで心の整理がつくはずはないのです。」と、
今の日本人の死への向き合い方を危惧されています。
さすがに、私の実家も亡き彼女の実家も49日法要、100日法要は、それぞれ4
9日目、100日目に行っていますが、初七日はどこも葬式の日に行ってしまうよ
うです。私の実家も祖父母の葬儀の時そうだったと思います。
心の整理って、大切ですよね。なかなか整理できません。。。
・・・
カール・ベッカー教授の研究分野である臨死体験についてのコメントとしては、
「人は死の境界から蘇生するようなことがあると、それを奇跡に近いものとして
感じられるようになります。」
「自分が再び生きられるようになったからには、何らかの意義があるはずだと考え、
そして、残された日々を無駄にしまいと努力するようになるのです。」
「臨死体験者の誰もが、どれだけお金や物をもらうことよりも、自分の子供に愛情
をもって正しく育てることのほうがはるかに大事だといいます。」
「また自分にとって大切なものを絶対に裏切らない生き方をしていることが何より
大事なことだといいます。」と、臨死体験者の言葉を紹介しています。
そして、
カール・ベッカー教授は、
「それは何も死ぬときに神様に裁かれるからとは限りません。神様ではなく、自分
自身で自分を裁かなくてはならないから・・・そう臨死体験者はいっているのです。」
「いずれ死にいく存在として、潔い死を迎えようというのであれば、“自分にとっ
て何がいちばん大事なのか”それを徹底的に守り、そのために生きるべきでしょう。」
とおっしゃっています。
カール・ベッカー教授は、未知の世界の探究について、
「もちろん、副作用には十分注意する必要があります。」
「例えば『コックリさん』をやって気が狂ってしまう人も出てくるからです。ほん
とうに怨霊が存在するからなのか・・・それは一概には言えません。」
「とくに精神が揺れ動きやすい若い時期には悪影響を受けやすくなります。」
「いまの若者の傾向としては、精神世界を知りたがるわりに自分を守るための瞑想
やお経も覚えようとせず、軽い遊び感覚でやっているのが危険かもしれません。」
「ですから精神世界の研究は、しっかりとした自分自身の精神をつくったうえで行
ったほうが無難だと思います。」
と述べ、インタビューを締めくくっています。
・・・
最後の締めくくりのコメントは京都大学の教授の言葉としては、大胆といいますか
そこまでおっしゃいますか、と思うようなコメントです。
しかし、このように「精神世界(いわゆる『あの世』の世界)」のことを、学問的
にしっかりと研究しようという方やその研究を支える京都大学という研究機関があ
ることは素晴らしい環境になってきていると思います。
オカルトやお笑い番組で取り上げられる幽霊番組などのような陳腐で滑稽なものと
いう扱いを超え、真剣に「生と死の意味」に取り組む流れが徐々に出来てきている
のだなぁと感じました。
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