マンション管理のお勉強日記+スピリチュアルなブログ:飯田史彦教授 江原啓之氏 坂本政道氏等の精神世界の書籍を読んで

先立った最愛の彼女といつか必ず逢いたい…彼女が枕元に置いて逝った江原啓之氏の書籍…Spiritualな世界の存在を信じて

出会いと別れ・・・職場を去る人々を見送って

2014年04月20日 23時51分21秒 | ▼▲退職⇒転職そして・・・つれづれ日記
「賃金への不満」「待遇への不満」
私が勤める会社で、辞めていく理由はこのどちらかです。

「上司が厳しい(横柄・偉そう)」「同僚と合わない」
という理由は、ほとんど聞きません。


体力の有無にもよりますが「仕事内容がキツイ」という
のはたまに聞きます。
そういう人は、1日か2日で辞めていきます。

慣れない仕事をしますので、立ち仕事なら1周間くらい
は脚が痛くなったり、荷物の積み下ろしなら、腕が筋肉
痛になったりするのは当然です。

私も大学院へ行っているときに、夜間プリント基板加工
のアルバイトをしましたが、部署によっては機械を動か
して、ずっと立ち仕事という場もありました。

1周間くらいは、脚が筋肉痛で痛かったですが、そのう
ち慣れてくるものです。しかし、そのアルバイト先でも
入ったばかりの従業員が機械の床に座り込んだり、1日
半で辞めていったりしていました。

・・・

「はじめての仕事は、まずは乗り切ること」が大事です。

知らないこと、やったことのない作業をするわけですか
ら、足腰、腕などが痛くなるのは当然です。

しかし、それが

「耐えられない」「ちょっとした山を乗り越えられない」

という人が多いように思います。

そして、1日ないしは数日で辞めていきます。
それは若い、年配だから等年齢は関係ありませんね。

しかし、ここをすぐに辞めて、そのような人は、どこで
自分に合った仕事と出会えるのでしょうかね。

いつまでも、転々とするだけのように思います。

・・・

ただ、数年一緒に働いてきて、仕事も慣れて、普段何事
も無く働いてきた同僚が辞めていくのを見ますと、寂し
くなります。

仕事が出来るようになると、余裕が出てきます。
そして、余裕が出てくると、他人を非難したり批判した
り・・・自分と比べて相手のほうが劣るのに・・・など
と、会社へ不満を持ってくるようになります。

給料が安い。賃金に対してもそうです。

・・・

私も、待遇と賃金には不満をもっています。しかし、今
のように「じゃぁ、休みを取ろう」「(適当に)仕事を
こなしていこう」と気持ちを切替えて、働くようにして
います。

それは、銀行、不動産会社で正社員で働いてきた経験の
ほかに、アルバイトやパートで、スーパー、パチンコ店、
結婚式場、製パン工場、DVDレンタル店、カラオケ店、
税理士事務所、プリント基板加工など色々な仕事や
職場を覗いてきただけに、

「この会社はラク(気楽)だ」ということを分かって
いるからです。

他の会社へ行けば、課長でも偉そうに部下を叱ったり、
ノルマばかり詰めてきて人間性など無視している会社
なんて星の数ほどあります。

その中で、「気楽に仕事が出来る」という会社と出会う
のは至難の技でしょう。

確かに、賃金は高くありません。
しかし、サービス残業やサービス出勤は強要されません
し、働いた分は実残業でおカネをくれます。

ビシバシ厳しい会社でサービス残業もある=多少は給料
が良い

気楽で用事があるときは振替で休みも取れる=給料は低い

「働く」という場合、「ほどほど」「ほどよい(休みも
あって給料もそこそこ)」なんて職場など皆無に近い
かと思います。

「精神・体力をすり減らし高給をもらう」
「そこそこの仕事ぶりで賃金は低い」

どっちを取るかは、自分次第ですね。

・・・

先日、社内で退職した社員を見ました。
正社員だった人です。

今何をしているのかと思えば、同業の物流会社に勤めて
いました。

下請業者です。
「退職金が無い」「賞与が無い」と言っていました。

無断欠勤もあり、在職中に相当迷惑をかけた人物です。

まぁ、二度と戻っては来れないでしょうけど、いつも
思うことは、
同じ物流会社に再就職するのであれば、せめて次に会
うときは大手物流企業に勤めていて欲しいものです。

同じ業界で、ランクを落とすくらいなら、なぜこの会
社を辞めたのか・・・そう思ってしまいます。

・・・

辞めたあとに、この会社の甘さぬるさが分かるのだと
思います。

その甘さやぬるさが嫌で、辞めていった若手社員もい
ます。大手の物流会社で倍近くの給料を稼いでいます。
また、地元に返り市役所の職員になった者など色々です。

・・・

人それぞれの道がありますが、私も色々な立ち去り方
をした社員を見ていますと、

「調子に乗らないこと」「図に乗らないこと」
「謙虚な心を持つこと」「こんなものだと諦めも寛容」
「ここだけで稼ぐのではなく、自分自身で切り開く」
「社会人として、社会と関わる場所程度に思い、気持ち
を切り替える」

そういう場所(今勤めている会社)なのだと言い聞か
せるようにしています。

そして、いつでも他社や外の世界(違う会社)ででも
使える技と技能だけは身につけておこうと考えています。

・・・

私も道半ば、途中で「それまで築きあげてきたもの」
を捨ててきた面もありますが、色々見てきた分、ここ
は居心地が良い等も分かるようになりました。


何事も経験ですね。しかし、「経験」も次に活かさない
と、これもまた意味がありません。


また、「1つの会社(今、私が勤めている会社)に10年、
20年、30年」と勤めてきた社員は、「他で通用する
のだろうか」「やっていけるのだろうか」という不安が
あるようです。

それはそうでしょうね。他を経験したことがないのです
から。

私は、あれこれ、色々な地域で、色々な職種を経験
(体験)してきましたので、一緒に退職しても次に働く
方法や術は、今までに身につけてていると思います。
あと、この会社は危ないなという嗅覚も。

そこは自負しています。
「突然、辞めた」「この先どうしよう・・・」ということ
はありません。

・・・

ただ、この会社の職場を立ち去る人々を見ていますと、

「それで、辞めた後、どうするの?」

「何をやって稼いで生活していくの?」

と感じることが多いです。

それなら、「自分に磨きが掛かる」まで、「自分の中で
これなら出来る(プロ)という技を持つ」までは、腹が
立ったり、不満なことがあっても我慢することだと思い
ます。

忍耐力も無い,技能も無いでは、これからの厳しい社会
を生き抜いては行けないと思います。

・・・

平成10年、日商簿記2級と全経簿記1級の2つの簿記
資格を取得

平成14年、建設業経理士2級と宅地建物取引主任者の
2つの資格を習得

平成23年9月に第一種衛生管理者、その6ヶ月後に
運行管理者(貨物)の2つの資格を習得


やはり、当時は何が何でもやってやるという「気合い」
で乗り切りました。


やってみて感じたことは、
「公認会計士や税理士、司法書士等のような難関ではない」
「頭が賢い、頭が悪いという問題ではない」
「100%『やる気』と『必死さ』で、誰でも取得できる
資格(技能)」であるということです。

努力すれば、「誰にでも取れる技」なわけです。
「覚えられない」というのも、能力差ではありません。
やる気の度合いの違いだけです。

・・・

このようなことを考えながら、会社を去っていく人を
見送る中で、改めて「自分はなにができるのか」
「何なら自信を持って取り組めるのか」「今の自分で足
りないものは何か」「あと、自分は何が欲しい(求め
ている)のか」を考えてしまいます。

「人の振り見て我が振り直せ」
ですね。

このブログにも書きましたが、
ちなみ、私は「工業系,理工系の技が欲しい」という欲
があります。

その願望のトップが、土木施工管理技士。

テキストを読んでいますと、土地や地形(形状)、造成
の技術でして、「不動産にも絡めて能力UPに繋がる技」
だと感じているからです。
何とか今の会社で(土木系以外の大卒の実務経験)1年
6ヶ月の実務経験を積みたいと思っています。

あとは、設備関係では建築物環境衛生管理技術者。
まずは実務経験2年をクリアしているこの資格取得から
ですけどね。

・・・

今、勤めている会社を上手く活かした技能習得が、目先
の賃金以上に価値があると思っていますので、私は留まっ
ているのだと、そう自己分析をしています。

身につけたのちは、私も立ち去るかも知れませんけどね。

今は、時期尚早ということです。



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5 コメント

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Unknown (さくら)
2014-04-26 12:05:46
こんにちは…。 いつも読み逃げでした。 いいこと書かれていますね… 私も体が続く限り 今の仕事に従事していきます。 それが 娘を少し救える手助けかな… 以前にコメさせて頂きました。 名前はかえました。
返信する
Unknown (管理人)
2014-04-26 22:32:19
さくらさま、コメントありがとうございます。

ご自身の体や心に出来るだけ負担をかけず(回避しながら)、今のお仕事を続けてくださいね。

やはり「親の背を見て育つ」という言葉もありますように、娘さんはよく見ているものです。それは、色々な、こちらが気づかないうちに、でも、親の頑張っている姿を見ています。

その姿から、娘さんにも親の思いも伝わることと思います。

・・・

私は、彼女を亡くしたのち、随分と時間が同じ場所で止まっていました。

「もう、どうでもいい」「どうなってもいいや・・・」という気持ちでした。ただ亡き彼女のことを想う、想い出すだけに生きていたという日々がありました。

しかし、今、この世に生きているのは自分なのだと思うと、生きるために出来る限りの「やってみよう」に向かい合うようになりました。

・・・

私自身、自分自身は振り返ってみまして、ある程度の努力はしてきたなぁと思いますが、それでも「この世知辛い世の中を生き抜く」「生き抜かなけれないけない」という現実を見つめますと、不安な気持ちが出てきます。

私が特別過敏なのであれば、もっと早い段階で公認会計士や司法書士といった高度で硬い仕事を目指していたことと思います。

そうではなく、やはり「今の世の中が、『ゆっくり』『ゆったり』はさせてくれないせっかちな世の中」になってきているからではないかと感じています。

ですから、今、自分自身がやるべきことは、自己啓発や技能習得もそうですが、まず第一には「今の仕事を続ける(続けてみる)」ことだと思っています。

やはり、短期間で転々とするのではなく、どのような仕事に就いても、腰を据えて、まずはやれるだけのことをやってみるべきですよね。

そこから開けてくるものが、必ずあると思っています。

またお気軽に、名前は色々ででも(^_^)お立ち寄りください。

コメントありがとうございました。
返信する
Unknown (さくら)
2014-04-27 05:09:01
名前は色々でもですか(笑) すごく 頑張ってこられたと思います。 生きる意味なんて みなわからないと思います。生かされているのですから…。私は、娘といつか会えると信じて死ぬために生きています。娘と再会することに生き甲斐を感じています。誰にも邪魔されない夢です。 娘のおかした罪を、患者さんに少しでもお役にたてたらという思いで今の仕事に就きました。 あの世の娘が悲しむ生き方だけは、したくありませんから 誠心誠意真心をこめ、患者さんの立場になり、寄り添っていくことは、自分にとっても すごく救われています。 残された私達のできることは、生きる姿を見せることしかできませんから、いい加減な生き方 ずるい生き方 なんてできません。 少しでも娘が光の中に穏やかにいてくれることを祈りますね。 この一年随分考えさせられました。投げやりになったこともあれば… 早く迎えに来てと 仏壇の前に泣き崩れたこともあり、苦しい自責に潰されそうになったり… 見るもの全てが灰色で 早く人生終わらせたい… 会いたくて 会いたくて 心がズタズタに壊れ ミサイルでも 投下し、終わりにしたい。 一日中 泣いて 泣いて それでも 涙が枯れることなんて ありません。でも 何も生まれないことに気づき、とにかく 娘に 頑張ろう ありがとうの感謝の気持ちで声かけています。 あの世とこの世は繋がっていますね。 何もあの世に持っていけないなら、この世でどれだけの経験をし、それに対してどう生きたのか、に意味があるかも知れませんので、娘を亡くすという とてつもない終わりのない悲しみや苦しみは、あの世では よく耐えた!!って誉めてもらえるかも知れないですね。 先に魂の故郷へ還ったと思うようにしていますが、時に感情が邪魔をし、どうしょうもないときがあります。これが厄介です。が それほどまでに 娘を愛していたのだからって 思ってみたりと 大切な人を亡くした人しかわかりませんね。 長々すみません。 想いを書かせてもらい ありがとうございます。
返信する
Unknown (さくら)
2014-04-27 10:32:25
おはようございます。 快晴です。 もう一度管理人さまの記事を読み返しています。 本当に頑張ってこられたことが、伺われます。 そして 胸にストンと入ってきます。 必ず会えますね!! それを支えに、生きなきゃ 自分も娘もかわいそうです。この世に生を受け、私を親に選んでくれた娘に感謝の気持ちでいっぱいです。 それを気づかせていただいたのは こちらでの スピチの記事のお陰です。まだまだ 修行の足りない私が今の仕事に就かせて頂けたのは、それがはや道だったと導かれた想いです。 辛い人生で終わらせたくありませんから、私の出来ることを精一杯していくしかありません。 いい ブログに出会い私は、幸せです。 中には堂々巡りの 救われたい 救われたいと嘆いて居られる方も… 回りは必死に てをさしのべても聞く耳持たない方や… 私は、救われたいなんて 娘に申し訳なくて思えません。救われたいなら 忘れることです。忘れることなんか できませんから、やはり向き合い 娘の気持ちをわかってあげ、許すことなので、自分をいかに この世で磨くかは、全て自分ですね。誰も人生変わってくれませんから 娘の 浄化 に、私自身も魂を磨くほかありません。 霊的視野を広げることで、死別は 永遠の別れではない。と確信しました。 もう 何も怖いものもありません。 どんな ことにも 負けない 強靭な精神を持つこと が、人に優しくなる心が備わると思うようになりました。 まだまだ 困難の壁にあたるかも知れないですが、私には 乗りきる自身もつきました。 娘の死を無駄にしたくありませんから、放す 許す そして 祈りつづけること 簡単ではありません。が 私に課せられた材料です。 うまく調理するのも 裁量ですからね。 はじめは 神も仏もないと 随分うらみましたが それは 自分を恨むことなのです。私達の中に 神も仏もいますからね。 最後には帳尻が合うようにできてると思うようにしています。 苦労と思うから苦労!! そうではなく 成長させてもらっていると思うようになりました。 千差万別ですが、少しのくるいもゆがみもなく 神様は見て居られますからね…。 長々何度も同じようなことをすみません。 まだまだ スピチの勉強していきたいとおもいますが 神様にお任せするしか ありませんね。 地上の住みにくい現代社会 に 右往左往されず、信念を貫き通すことができたときに、私の人生に幕が閉じるのでしょうね!! もう 這い上がらなきゃ私ではありません。 母はやはり家の光にならないと!! ありがとうございました。これからも ブログ拝読させてください。
返信する
Unknown (管理人)
2014-04-28 01:38:52
さくらさま、さくらさまはもうすでにこれから何をすべきか、どう生きていくべきか十分悟っておられますね。

娘さまは、私達の肉眼では見えずとも、やはり「親の背」を見ていますよ。お母さまの思いも、全て分かっています。最愛の娘さまを亡くされたのちの悲しみと想い、そして葛藤を乗り越えて、さくらさまは今の境地にまで至ったことがコメント文からヒシヒシと感じます。

悲しみを乗り越えられても、そのあと空虚感は残ったままになります。またその空虚感を乗り越えようと、何か生きがいを見つけようと模索しますが、なかなか見つからず、覇気も出ず、まさに灰色の中を生きているようなもので、そうしていますと、やはり最愛の人(娘さん)を亡くしたことを想い出すものです。

私も神や仏もあるものか、と神仏を恨んだこともあります。幼い頃からよくお寺や神社に詣でたほうだと思っています。それなのに、なぜ夜に暴走運転している者が平気で生きていて、私の彼女のような人間が死ななければいけなかったのか・・・と思うと、悲しいというよりも「悔しい」という気持ちが湧いてきます。

今でも、たまに街中で悪い(横柄な)態度でうろつく者を見ると悔しく感じます。そういうときは、「なぜ死んだのか」「何で死んでしまったの」と亡き彼女に問いかけることもあります。

そういう時は、「ごめん、これもあの世での(彼女の)試練だと思って聞いてよね」と一言付け加えます。

ですから、お母さまの心の動き、揺れ動きながらも、死を待つ気持ちから、みなさん、患者さんにとって役に立つ、奉仕する気持ちへと変化してきている姿は「必ず、亡き娘さまは見ている」はずです。

私も今年で8年近くになるのでしょうか・・・ようやく、「私は、好き嫌いはともかく、この世に生きている」「亡き彼女は、あの世へ帰っていった」「私は、何のために生きているのだろう」「生きている意味はまだ不明確だけど、生かされているということは『何かまだ使命ややるべきこと(試練)』が残っているからだろう」と考えるようになりまして、一つの節目・区切りが付いたように思います。

ブログにも書きましたが、ホント不思議なことがあるものです。確かに、本当に本当に「あの世ってあるの?」「死んでも意識体(魂)で生きているの?」と、疑心暗鬼になったり、無かったらどうしよう・・・と思う時もあります。しかし、ご近所さんの奥様のお母さんが葬儀場で一人ひとりに挨拶をしていた、霊柩車が出て行く時ヒューッと引っ張って行かれるように行った(シルバーコードではないでしょうか)、火葬場にも出てきたという義理の兄の経験や、お父さんのところへ2度出てきた(生きようとしたが、無理だった。冷蔵庫の中を片付けるように等の会話や娘と口論した夜、亡くなったお母さんがお父さんの前に出てきて「娘のほうが正しい、お父さん言うことを聞きなさい」と言った:お父さんは、妻が死んだことは葬儀もしたのでよく分かっていたので実はびっくりしただけでなく、怖かった)という話を聞きますと、「これは、本当に意識体・魂・霊って存在するのではないか」と感じました。

そのご近所さんの奥様の義理の兄は霊感があるようですが、お父さんは70歳過ぎまで幽霊など見たことがなかったのでとても驚いたそうです。

さくらさん、やはり私達はただ生きている、偶然生まれてきたのではないと思いますよ。ですから、今のお気持ちであの世へ先立った娘さんも、いつもさくらさんを見ていることと思います。娘さんを想うとき、そのときはそばに来ているはずです。

死後、本当に無になるのであれば、誰一人幽霊を見たりしないはずです。普通に私の街で暮らしている人でさえ、えっ!?んっ?!あれっ?!と思うような現象、しかも具体的な現象を見た人もいますので、何かこの世とあの世との繋がりや仕組みがありそうですよ。

ですから、娘さんの死を無駄にしない、世捨て人のような生き方はしない、辛く悲しく感じるときも乗り切り、家庭に光をと思うそのお気持ちに達しておられるので、しっかりと生き抜いていくことが出来きますよ。きっと。

私から1つ、お伝えしたいことがあります。
人は心や感情のある生き物です。ですから、医学的にいう?と、当然情緒不安定になる時だってあります。そのときは、娘さんに甘える気持ちと、あとは娘さんに「これもあなたのあの世での試練よ」と、言いたいこと、悲しい気持ちになってしまうことを思いっきり泣いて伝えてもよいと思います。

私は、亡き彼女に「先に逝ったのだから、これくらいは我慢してよ」と言っています。そして、また明日から仕事に追われた生活を送っています。

さくらさん、これだけは避けられないことがあります。それは、いつか私達も嫌でも誰かを置いて先立つ日が必ず来るということです。そして、先立ったとき、遺された遺族はみんな、今のさくらさんの気持ちと同じ心境となり、苦悩し葛藤します。後か先かの違いだけで、別れというものはとても悲しく、そして寂しいものです。でも、そうですね、100年経てば、この世で出会った皆さん共に全員あの世で再会となり、先立ったこと不幸(この世から見れば)、残していった心配事も全て無くなり、成仏、浄化されて、もっと明るい光の世界に進むのではないでしょうか。そして、また親として、あるいは娘や息子として、また試練を設けて生まれ変わって、関わり合いながら生きるのではないでしょうか。

袖触れ合うのも他生の縁。やはり娘さんもそうですが、ご家族みんな「深いご縁」があって一緒に暮らしているのではないでしょうか。お母さんでしたら、さくらさんご自身がおっしゃる通り、この世でのご家族、そして関わり合いのある方々の「光」になってください。

名前は、色々で(^_^)vまたお気軽にお立ち寄りください。
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