東日本大震災の被災者のうち、死亡者が1万2千人を超えた
という報道を耳にしました。
まだ手がつけられていなかった地域へ足を踏み入れると、
2日間で66人もの遺体を収容したということですが、
本当に心が痛みます。
・・・
多くの方が、近い身内や親戚を亡くされたこの大津波。
亡くなった最愛の人は、どうなったのか。。。
本当に「あの人は『無』」になってしまったのかと思い考える
方がたくさんいらっしゃるのではないかと思います。
普段から、「死んだことなんて」と考えたことも無かった
方々も、家族や身内が突然亡くしてしまったら、「もう
無になったんだから」とか「あの人はもういない。何も
残っていないのだから」と割り切れるものでしょうか。
私は、「死んだから、彼女は無になった」
「もう心や想い、彼女の素敵な性格までも、肉体の終わり
とともに亡くなってしまった」「目に見えている、この現実
だけが事実で、そして全てなんだ」
とは思えませんでした。
なぜ、そう思えなかったのか。
それは、直接体験したことがないのですが、皆さんも、「
幽霊を見た」とか「死んだ人が居た」など心霊現象に関する
TV番組や雑誌の特集などを見たことが1度くらいはあると
思いますが、そう言った非科学的なことが、なぜ言われるのか、
お笑い番組のネタとして霊媒師のような人を呼んででも、なぜ
そんな説明のつかないような話が出てくるのか、面白半分に
取り上げる番組も多くありますが、それにしても、「死後」
「あの世」のことを言う人がいるのか、と思ったりした
ことがあったからです。
当然、私も彼女を亡くす前までは、お笑い番組のネタだと
思って、「本当に死後の世界なんてあるのか」とまでは
真剣に見ていたわけではありません。
幽霊?いるかも知れないけど、見たことないし。
魂?死んでしまって、肉体も無いのに、空気と同じで
目に見えないものがあるとは、信じ難いな。
と思っていました。
しかし、いざ自分自身が最愛の人を亡くしたとき、「もう
おしまい・・・消えてなくなったんだろう」などとは
思えなかった、そういう思いから、何かが・・・何かの
仕組み(あの世のような世界)があったりはしないのだろうか
と探る気持ちになりました。
・・・
色々と精神世界を説いた書籍はありますが、
「具体的に」「信じ切れない疑心を取り除くような」
話はないのかという思いが、私の心のどこかで残っていたの
ですが、その死後の世界や魂(学問的には意識体)なる存在
を具体的な事象で書いていた、
元福島大学教授 飯田史彦「生きがいの創造Ⅱ」PHP
(書籍発刊当時は現職の教官)
を読んだときに、
「あぁ、亡くなった人は生きているんだ」
と感じたのが、この死後の世界、精神世界、あの世、と呼ばれる
話に、深く耳を傾けるきっかけになりました。
当初は、江原啓之さんのスピリチュアルな話の書籍を読んで、
「なるほど、亡くなった人も生きているかも知れない」
「あの世って、だいたいこんな感じの世界になっているのか」
「人と人との繋がりって不思議だと思っていたけど、こういう
因縁で繋がってたりするのか」
ということを知りました。
しかし、知っていくうちに、
「仕組みは、だいたいどの書籍を読んでも同じような死後の世界
を説いている。呼び名が違うだけで、階層的な世界だということ
も分かった」しかし、そもそも死後の世界を考える、ないしは
考察する上で、
もっとも基本な箇所、いわゆる「本当に死んでも、意識があった
り考えたりできるのか」その具体的な話を聞いて、納得できない
と、
「あの世はありますよ」
「死後の世界は、こうなってますよ」
と細かく説明を受けても信じきれるものではない、「そうかも
知れない」程度しか捉えられないと思っていました。
飯田史彦氏が、命を落としかけて
その際に体験した話
「ツインソウル 死にゆく私が体験した奇跡」PHP
こちらは、亡くなる瞬間というものが具体的に見えてきます。
そこに、飯田史彦教授の書籍と出会い、私は、亡くなった人の
存在の有り無しについては、「死んでも存在するんだ」と思えた
わけです。
・・・
いわゆる、霊媒師みたいな人の本を読んでも
「イマイチ信用できないなぁ」「もっと具体的にどこまで
死んだ人の意識があって、その故人はどこまで伝えて
来れるような状態にあるのか」「目には見えない私たちにも
『故人は、いますよ』」という期待感だけを語るのではなく
実感させてくれる話を聞きたいのではれば、
飯田史彦氏の「生きがいの創造Ⅱ」ですよ。
という報道を耳にしました。
まだ手がつけられていなかった地域へ足を踏み入れると、
2日間で66人もの遺体を収容したということですが、
本当に心が痛みます。
・・・
多くの方が、近い身内や親戚を亡くされたこの大津波。
亡くなった最愛の人は、どうなったのか。。。
本当に「あの人は『無』」になってしまったのかと思い考える
方がたくさんいらっしゃるのではないかと思います。
普段から、「死んだことなんて」と考えたことも無かった
方々も、家族や身内が突然亡くしてしまったら、「もう
無になったんだから」とか「あの人はもういない。何も
残っていないのだから」と割り切れるものでしょうか。
私は、「死んだから、彼女は無になった」
「もう心や想い、彼女の素敵な性格までも、肉体の終わり
とともに亡くなってしまった」「目に見えている、この現実
だけが事実で、そして全てなんだ」
とは思えませんでした。
なぜ、そう思えなかったのか。
それは、直接体験したことがないのですが、皆さんも、「
幽霊を見た」とか「死んだ人が居た」など心霊現象に関する
TV番組や雑誌の特集などを見たことが1度くらいはあると
思いますが、そう言った非科学的なことが、なぜ言われるのか、
お笑い番組のネタとして霊媒師のような人を呼んででも、なぜ
そんな説明のつかないような話が出てくるのか、面白半分に
取り上げる番組も多くありますが、それにしても、「死後」
「あの世」のことを言う人がいるのか、と思ったりした
ことがあったからです。
当然、私も彼女を亡くす前までは、お笑い番組のネタだと
思って、「本当に死後の世界なんてあるのか」とまでは
真剣に見ていたわけではありません。
幽霊?いるかも知れないけど、見たことないし。
魂?死んでしまって、肉体も無いのに、空気と同じで
目に見えないものがあるとは、信じ難いな。
と思っていました。
しかし、いざ自分自身が最愛の人を亡くしたとき、「もう
おしまい・・・消えてなくなったんだろう」などとは
思えなかった、そういう思いから、何かが・・・何かの
仕組み(あの世のような世界)があったりはしないのだろうか
と探る気持ちになりました。
・・・
色々と精神世界を説いた書籍はありますが、
「具体的に」「信じ切れない疑心を取り除くような」
話はないのかという思いが、私の心のどこかで残っていたの
ですが、その死後の世界や魂(学問的には意識体)なる存在
を具体的な事象で書いていた、
元福島大学教授 飯田史彦「生きがいの創造Ⅱ」PHP
(書籍発刊当時は現職の教官)
を読んだときに、
「あぁ、亡くなった人は生きているんだ」
と感じたのが、この死後の世界、精神世界、あの世、と呼ばれる
話に、深く耳を傾けるきっかけになりました。
当初は、江原啓之さんのスピリチュアルな話の書籍を読んで、
「なるほど、亡くなった人も生きているかも知れない」
「あの世って、だいたいこんな感じの世界になっているのか」
「人と人との繋がりって不思議だと思っていたけど、こういう
因縁で繋がってたりするのか」
ということを知りました。
しかし、知っていくうちに、
「仕組みは、だいたいどの書籍を読んでも同じような死後の世界
を説いている。呼び名が違うだけで、階層的な世界だということ
も分かった」しかし、そもそも死後の世界を考える、ないしは
考察する上で、
もっとも基本な箇所、いわゆる「本当に死んでも、意識があった
り考えたりできるのか」その具体的な話を聞いて、納得できない
と、
「あの世はありますよ」
「死後の世界は、こうなってますよ」
と細かく説明を受けても信じきれるものではない、「そうかも
知れない」程度しか捉えられないと思っていました。
飯田史彦氏が、命を落としかけて
その際に体験した話
「ツインソウル 死にゆく私が体験した奇跡」PHP
こちらは、亡くなる瞬間というものが具体的に見えてきます。
そこに、飯田史彦教授の書籍と出会い、私は、亡くなった人の
存在の有り無しについては、「死んでも存在するんだ」と思えた
わけです。
・・・
いわゆる、霊媒師みたいな人の本を読んでも
「イマイチ信用できないなぁ」「もっと具体的にどこまで
死んだ人の意識があって、その故人はどこまで伝えて
来れるような状態にあるのか」「目には見えない私たちにも
『故人は、いますよ』」という期待感だけを語るのではなく
実感させてくれる話を聞きたいのではれば、
飯田史彦氏の「生きがいの創造Ⅱ」ですよ。
初めまして。
「ツインソウル」「生きがいの創造Ⅱ」は何年か前に読んで、すごく感動した本です。
ホーキング博士は「天国も死後の世界もない」とおっしゃっていますが、どうしてもそう思えません。「人は亡くなっても存在する」と考える方が自然な気がします。それって、ただの願望でしょうか?
管理人さん、いつか必ず『最愛の人』に再会して下さいね・・・
返信が遅くなってすみませんでしたm(_ _)m
私も飯田史彦先生のこの2冊は、リアルに見えない世界のことを感じさせてくれた書籍で、感動と驚き、そして死後の世界ってある!ある!と何か確信のようなものを心の中に与えてくれました。
またブログには書きますが、6月3日から3日間、金曜日は有給休暇を取って、亡き彼女の実家へ行ってきました。
やっぱり、いつかは必ず・・・自分自身が亡くなったときには必ず、亡き彼女に逢いたいです。。。
・・・
確かに、色々な話を聞きますと、意識を失った人でも、その間に何か不思議な現象に遭ったとか体外離脱をして天井辺りから自分を見たとかいうことなど無かったという人の話を耳にします。
亡くなったら「無」になるのか、それとも意識体として存在できるのか、実際に自分自身がそのような状況になってみないと分かりませんが、あの世はある!と思って生き抜くほうが楽しみもあって良いですよね。
またお気軽にお立ち寄りください。
コメントありがとうございました。
3日間、行ってらしたのですね。次回のブログ更新を心待ちにしています。
管理人さん、お仕事もお忙しく大変な時期かと思います。どうぞ、お身体を
大切になさって下さい。
なかなか自宅のパソコンの前に向かう時間が無くて、ご心配をお掛けしましたm(_ _)m
亡き彼女の実家へ行くと、やっぱり悲しくなりますね。。。
・・・
北海道から帰ってきまして、その後今日まで休みが取れていなくて・・・さすがに疲れてきました(^_^;)
それに、「人は死んでも生きているんだっ!!」という話を書きたいのですが、頭が休みを欲しがって??帰宅して少しぼ~っとしましたら、寝てしまっています。
こんな生活だけではいけませんよね。
またぼちぼちとブログを書いていきますので、今後ともよろしくお願いいたします♪
北海道は、素敵な所ですけれど、悲しくなってしまいますよね。
七夕の日に、お2人が「夢で会えたら・・・」と思いました。
次回の記事は、ゆっくり☆待っています。どうぞ、無理なさらないで下さい。
いつも、ありがとうございます。
亡き彼女も心配してるかなぁーー多少は心配掛けてこちらに気を引くのも大事かな~と思ったりもします(^_^)v
毎年、北海道へ行っていますが、正直言いまして、思いっきり北の大地を満喫して楽しむということは出来ていません。。。やっぱり気持ちがそういうような状態にはなれませんね。
でも、せめて年に1度くらいは、亡き彼女の街へ行かないと、彼女自身が忘れ去られて行くように思い、寂しくなるんです。。。
もういいよって言っているかも知れませんけどね。
七夕が近くなりましたね。
織姫と彦星のように年に1度でもいいから、本当に亡き彼女に逢えたらいいなぁ。
最近、亡き彼女が出てくる夢も見ていません。あっ2週間前くらいにチラッと見ましたが、書き留めれなかったです。。。
やはり、覚えていないだけで、けっこう夢では亡き彼女を見ているのでしょうかね。
眠たくても、記録に残すように努力しますね♪
コメントありがとうございました。
そうですね、少しずつでも記事を書いていこうと思います。