マンション管理のお勉強日記+スピリチュアルなブログ:飯田史彦教授 江原啓之氏 坂本政道氏等の精神世界の書籍を読んで

先立った最愛の彼女といつか必ず逢いたい…彼女が枕元に置いて逝った江原啓之氏の書籍…Spiritualな世界の存在を信じて

う~ん、不思議というか、どうなんだろう。

2008年07月03日 01時19分20秒 | ◆スピリチュアル:不思議なこと
ご近所さん宅にお邪魔して、失礼ながら亡くなったお母さんが出て来られた話を
聞かせてもらってました。

(ご近所さんの奥様の)お父さんが見た・話した内容をもう少し細かく
聞かせてもらいました。

聞き伝手では、どうしても誤差といいますか、尾ひれなどがつきますし。

・・・

朝起きて、
仏壇(遺影)に向かって「おはよう」と声をかけていたときに、
ドンドンドンと音がして、お母さんが出てきたということでした。

後になってから聞いたこととして、
正直、現れた瞬間、そのときは怖かったそうです。

ですが、生きていたときと変わらない口調や物腰で
気づけば何とも思わなくなっていたそうです。
能面のようだったとか、何か不自然(生きていたときと違った)ところは
感じなかったそうです。
生きていたときと同じというか、普通の姿だったそうです。

(冷蔵庫の中云々の話は以前のブログに書きましたので省略)

冷蔵庫の話の前に、
生前(昨年)、市役所から表彰を受けたことが嬉しかったということや具体的に
生前、○○へ行けた事への喜びとありがとうの気持ちなど、お母さんはお父さんへ
色々と語ったそうです。

70歳後半のお父さんは、今まで一度も所謂「幽霊を見た」という体験など
なかった人だそうです。

ですから、お話を聞きますと、今は
電気をつけて寝ているとか・・・

・・・

話を聞いていまして、
亡くなっていても、故人は「語れる=考えられる」ということを凄く感じました。

・・・

また、ご主人さんのお姉さんの旦那さんは、以前のブログにも書きましたが
霊感のようなものがあり、葬儀でお母さんが挨拶をしているのを見たりして
いますが、もう少し、詳しくどんな様子を見たのか聞かせてもらいました。

挨拶周りをしたお母さんを見たという話のほかに・・・
棺桶に座って、順に拝んでおられる参拝者の方々へお礼を述べるように、
頭を下げる?挨拶・会釈をする?ような感じでその場にいるお母さんを見た
そうです。

そして、タバコを吸いに一人、喫煙をしていたら
目の前に現れてお礼を(娘を励ましてくれたことに対して)おっしゃった
そうで、そのときは突然だったので、さすがのお姉さんの旦那さんも驚いた
そうです。

・・・

あと、話は変わりますが、
お姉さんの旦那さんは、実の弟さんを亡くされた際に・・・


亡くなったのち、その弟さんが目の前に出てきて、

「今のように出る(現れる)ことはもう出来なくなる」
「(先へ)行かなくてはいけない(ところがある)」
というようなことを語り、別れを告げにきたそうです。

そして、白い階段のような、
上に向かっていくような光景が見えたそうです。

・・・

どちらの話も49日までに起こったそうです。


『行く(逝く)べきところ』『そこへ向かっていく(向かわなくてはいけない)』
死後、これを理解することが、また、
理解出来、そしてこの世に思いを遺しつつも
進む、進んでいくことこそが、世に言う「成仏」
ということなのでしょうか。

・・・

たとえスピリチュアルな話を知っていたり理解していても、
いざ自分自身が「見えない存在」「普通の相手には自分の存在を分かってくれない」
「何かとやり残したことがあり気がかり」「さよならは自分自身も辛い」
という状況におかれると、誰だってはじめは驚き、そしてこの世にまだまだ
様々な未練があり、この世に縋る気持ちでいることは間違いないと思います。

しかし、徐々に「もうこっち(あの世)へ来てしまったのだから、無理なんだ」
「もう身体も火葬され、あっち(現世)には戻れないんだ」
ということを理解してきたら、悟る(悟り)と言いますか、
ある意味、この世への執着心に諦めがついてくる、あるいは仕方がないと思い
落ち着くのかも知れませんね。

「頭の中では理解出来ても、すぐには実行はできない」
まさにその葛藤の時間の間は、この世とあの世との狭間=ただ見えないだけで
この世の空間にはいる(存在している)

ということのように思います。

「行くべきところがある」
「行くべきところへいかないといけない」
という気持ちを、
「もう行くね」という決意を実際に行動へと繋げられたときに、
「成仏」「本当の意味でのあの世への旅立ち」の時なのだと
私は強く感じました。

それは、
「自分の死を受け容れられた」
というよりも、
「『もうどうしようもないという諦め』と『行くところへ行くしかないのだ』」
という悟りからくるもののように思います。

だから、
「未練はある。しかし、行くべきところにいく」
という、死後直後にも大きな決断と決意を要する厳しい試練が待っている
とも言えるでしょうね。


そのような気持ちが残る・残っているからこそ、

江原さん流に言うところの、

この世とあの世の狭間のような「幽現界」や、

この世に似た世界・慣れるための世界・諦めていく世界の「幽界」
という段階があり、その段階を経て、

元来た「霊界」や「神界」、グループ・ソウルへと帰っていくのだと
思いました。

・・・

しかし、でもね、
亡き彼女には「僕のこと、忘れたらあかんよ」
とは、私は今後もずっと言い続けていくでしょう。

行かないといけないところには、ちゃんと行ってほしい。
でも、全てを忘れないと進めないところまで行ったら・・・
やっぱり待っててほしいです。

わがまま、自分勝手と言われようとも、それだけは譲れない。
私の彼女に対しての唯一のお願いと望みです。





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2 コメント

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Unknown (尚半)
2008-12-22 00:03:53
私の妻の死後、あるとき娘夫婦や孫たちと食事に出てカラオケをやっての帰り道、「自分がこんなに楽しんでいていいのかな」と考えていました。そのときにベビーカーで寝ていると思っていた孫が突然毛布を跳ね除けて「じーじ、心配ないよ」と叫んでまた毛布をかぶって寝てしまいました。
 シンクロにシティにしてもできすぎています。亡き妻からのメッセージと思うしかありません。
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Unknown (管理人)
2008-12-25 00:12:45
尚半様、コメントありがとうございます。

ベビーカーで寝ていたお孫さんが突然そのような言葉を発したというのは驚きですね。

亡き奥様と、尚半様の意識というものは、どこかで通じ合っている,純粋無垢なまだベビーカーに乗っている子ども(お孫さん)を通して亡き奥様は、こちらに想いを伝えてきたのではないかと思いますよね。

私も、尚半様の奥様のメッセージではないかなぁと思います。

そういう不思議なこと、どうしても理屈や科学では説明できないことがあるからこそ、私は「何か目には見えない世界や意識の世界(精神世界)があるのではないか」と考えてしまいます。

あって欲しい世界ですよね。

この世を生き抜いた後、愛おしかった先立った人とまた違う世界ではあるけれども再会できる、そんな世界があることを信じて生かされている間は、この世で精一杯生き抜く努力をしないといけないなぁと思いますよね。

コメントありがとうございました。

またお気軽にお立ち寄りください☆
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