江原啓之氏は、「いのちが危ない」集英社で、
「自殺したことに満足しているたましいは皆無です。」
とおっしゃっています。
自殺などしてしまった故人のたましいは、
「みな後悔し、暗闇に閉じこもったり、死の自覚さえもてずにさまよったりしてい
ます。」と言っています。
そのような故人のたましいを救い出し、目覚めさせることができるのは・・・
これもまた『愛』をおいてほかにないそうです。
しかし・・・
たましいの現実は厳しく、「故人は生前よりもっと迷っているのです。」
と江原啓之氏は語っています。
江原氏は、「そのたましいの浄化をどうか手伝ってあげてください。」とおっしゃ
っています。
・・・
故人のたましいの浄化を手伝うとは?
一体どうすればよいのか。
江原啓之氏は、「まず、故人が自分のしたことに少しでも早く目覚められるように
励ますことです。」
「そして、後悔の念が癒え、光に向かえるようになるまで応援し続けることです。」
と、おっしゃっています。
「故人に対する愛があり『故人は今でも生きている』ということをしっかりふまえ
ていれば、あなたには自然にできることばかりです。」とおっしゃっています。
・・・
もっと具体的に、どうしてあげたらよいのか?
遺された者はどういう気持ちで接すればよいのでしょう?
本書から・・・
遺された者は、
・その人はもうこの世にいないという現実を早く受け入れること
・遺されたほかの人たちを明るく励ませる自分になること
・「生きているみんなで力を合わせてがんばろう!」そう心から言えるあなたになること
江原啓之氏は、
これらの気持ちが「故人に対する愛であり、あなたを心配してくれているまわりの
人たちに対する愛です。」とおっしゃっています。
・・・
故人に対して
「あなたがいなくなってから本当に大変です。でも私は今日も精いっぱい生きました。」
「明日もがんばるから見ててね!」
「あなたも精いっぱいがんばって。浮ばれないなんて言わせないよ!」
と、明るく冗談を言えるくらいでちょうどいいのですと、江原啓之氏は語っています。
・・・
私は、本書で(江原氏の他書やこのブログで取り上げている全ての著者でもそう)
一番大切な、そして、この世に遺されている私たちがきちんと意識しておいたほう
がよいと思う、その江原啓之氏の言葉は・・・
「故人はもう目の前にいないのだから、なにもしてあげられないと思うかもしれま
せんが、それは間違いです。」
「故人にはあなたの思いがきちんと伝わります。」
「しかも今は、生前よりはるかに、あなたの愛や思いを受けとめやすい状態にある
のです。」
「あなたの愛は、今こそ100%伝わります。」
「ありったけの愛を送ってください。」
です。
もし、私たちが亡くなったのち、あの世なんてなかったとしてもいいじゃないですか。
しかし、もしも私たちが亡くなった直後、上から下を見下ろし、自分自身の遺体を
見たとき、そして、死んでいるのに意識がはっきりあったとき、その瞬間に「先立
った故人もこうして見おろしていたのか」「生きているじゃないか」と分かった
瞬間、「江原氏の言葉を信じて、故人へ愛の念を送っててよかった。」と、大変満
足し、それこそ自分自身も早く成仏できるのではないでしょうか。
そして、そばには先立った最愛の人が、ちょこんと笑顔で立っているかもしれませ
んよ。
信じること=何も捕って食われるわけではないのですから、
信じてみてもいいのではないでしょうか。
(お布施や壷などいう宗教団体のいうことは信じませんよ。信じてはいけません。)
自然崇拝とでもいうのでしょうか、自分の心の中で故人を思う心をもって生きて
いけばそれでよい、それだけで十分だと思います。
「自殺したことに満足しているたましいは皆無です。」
とおっしゃっています。
自殺などしてしまった故人のたましいは、
「みな後悔し、暗闇に閉じこもったり、死の自覚さえもてずにさまよったりしてい
ます。」と言っています。
そのような故人のたましいを救い出し、目覚めさせることができるのは・・・
これもまた『愛』をおいてほかにないそうです。
しかし・・・
たましいの現実は厳しく、「故人は生前よりもっと迷っているのです。」
と江原啓之氏は語っています。
江原氏は、「そのたましいの浄化をどうか手伝ってあげてください。」とおっしゃ
っています。
・・・
故人のたましいの浄化を手伝うとは?
一体どうすればよいのか。
江原啓之氏は、「まず、故人が自分のしたことに少しでも早く目覚められるように
励ますことです。」
「そして、後悔の念が癒え、光に向かえるようになるまで応援し続けることです。」
と、おっしゃっています。
「故人に対する愛があり『故人は今でも生きている』ということをしっかりふまえ
ていれば、あなたには自然にできることばかりです。」とおっしゃっています。
・・・
もっと具体的に、どうしてあげたらよいのか?
遺された者はどういう気持ちで接すればよいのでしょう?
本書から・・・
遺された者は、
・その人はもうこの世にいないという現実を早く受け入れること
・遺されたほかの人たちを明るく励ませる自分になること
・「生きているみんなで力を合わせてがんばろう!」そう心から言えるあなたになること
江原啓之氏は、
これらの気持ちが「故人に対する愛であり、あなたを心配してくれているまわりの
人たちに対する愛です。」とおっしゃっています。
・・・
故人に対して
「あなたがいなくなってから本当に大変です。でも私は今日も精いっぱい生きました。」
「明日もがんばるから見ててね!」
「あなたも精いっぱいがんばって。浮ばれないなんて言わせないよ!」
と、明るく冗談を言えるくらいでちょうどいいのですと、江原啓之氏は語っています。
・・・
私は、本書で(江原氏の他書やこのブログで取り上げている全ての著者でもそう)
一番大切な、そして、この世に遺されている私たちがきちんと意識しておいたほう
がよいと思う、その江原啓之氏の言葉は・・・
「故人はもう目の前にいないのだから、なにもしてあげられないと思うかもしれま
せんが、それは間違いです。」
「故人にはあなたの思いがきちんと伝わります。」
「しかも今は、生前よりはるかに、あなたの愛や思いを受けとめやすい状態にある
のです。」
「あなたの愛は、今こそ100%伝わります。」
「ありったけの愛を送ってください。」
です。
もし、私たちが亡くなったのち、あの世なんてなかったとしてもいいじゃないですか。
しかし、もしも私たちが亡くなった直後、上から下を見下ろし、自分自身の遺体を
見たとき、そして、死んでいるのに意識がはっきりあったとき、その瞬間に「先立
った故人もこうして見おろしていたのか」「生きているじゃないか」と分かった
瞬間、「江原氏の言葉を信じて、故人へ愛の念を送っててよかった。」と、大変満
足し、それこそ自分自身も早く成仏できるのではないでしょうか。
そして、そばには先立った最愛の人が、ちょこんと笑顔で立っているかもしれませ
んよ。
信じること=何も捕って食われるわけではないのですから、
信じてみてもいいのではないでしょうか。
(お布施や壷などいう宗教団体のいうことは信じませんよ。信じてはいけません。)
自然崇拝とでもいうのでしょうか、自分の心の中で故人を思う心をもって生きて
いけばそれでよい、それだけで十分だと思います。
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