鈴木秀子教授はご自身が翻訳された「死んで私が体験したこと」の著書より、
ベティー・イーディーというネイティブ・アメリカンの母とアイルランド系の
父の間に生まれた彼女の体験を挙げられています。
ベティー・イーディーは31歳のとき子宮摘出の手術を受ける
↓
術後に大量の出血をして、一度死を経験する
数時間だれもその状況に気づいていなかった
担当医はベティーは間違いなく死んでいたことを認めている
↓
死んだベティーは、自分の身体から抜け出るという「幽体離脱」をし、
自分の肉体を高いところから眺めていた。
↓
その後、生前7人の子どもと夫を残して死ねないと思っていたので、家族の
いる自分の家に行くと、夫も子どもたちも快適そうに過ごしているのを見る。
その姿を見ているベティーの心の中に、それぞれの家族の予告編が映し出された。
そして・・・自分がいなくても、みな自分なりの価値ある人生を歩んでいく
ことを知り、気がかりだった家族のことが心配ないと確認したベティーは、
ほっとして、この世から旅立つ。
↓
ベティーは真っ暗のトンネルを超高速で進んでいく。
↓
そのうち、とてつもなくまばゆい光が近づいてきた。
↓
そして、愛の光を放つキリストを見た。
(これは、あの世の計らいであることが、江原啓之氏、飯田史彦教授、
坂本政道氏などの書籍で説明されています。日本人がよく見る三途の川や
お花畑も同じ現象で、「死してあの世に戻って来た魂」を安らがせるため)
↓
ベティーは「ここが、わたしのほんとうのふるさとなんだ」と確信した。
そこで、あの世で教えてもらったこととして・・・
・この世に生まれようとする霊が、自分で一生のプランを立て、使命を負い、
受胎した胎児の中に宿るということ
・幼くして死ぬというプランもある
・障害をもって生まれてくるというプランもある
・辛い人生を歩むというプランもある
このような一見不遇そうに見えるプランが自分と周囲の人を成長させるために
必要だと判断するからこそ、そのようなプランを立てて生まれてくる。
この世界へ来て問われることは「愛をもって生きてきたか」だけである。
そこ(トンネルを通過するとき、あるいは光に包まれるとき)では、人生の場面
が映画のシーンのように映し出される。
(この経験をする人が多いのも臨死体験の特徴)
それぞれのシーンでは、自分の気持ちだけでなく、そのシーンにいる他の人々の
気持ちも、自分の気持ちのようによく分かる。
※これも、福島大学 飯田史彦教授「生きがいの創造」でも語られています。
この人を悲しませた→後悔の念を抱く
この人は私を心から大切に思ってくれていたのだ→感謝の念を抱く など
そしていずれの場面でも、「愛の大切さ」を強く認識すると鈴木秀子教授は
述べられています。
そして・・・このことから、鈴木秀子教授は、
「この世に生を享けたものはすべて、それぞれのすばらしい使命をもつ存在」
であると述べられています。
たとえ凶悪な犯罪者でさえ、この世に使命をもって生まれてきた存在なのです
とも述べています。
スピリチュアル・カウンセラー江原啓之氏も同様のことを言われていましたね。
↓
ベティーは、まだこの世での使命を果たしていないという理由で再びこの世に
送り返されます。
本人は「もうあんな不完全で、労苦と不安に満ちた世界(この世)へは帰りた
くない」と必死に抵抗しますが、泣く泣くこの世に帰ってきたそうです。
鈴木秀子教授は「わたしは自ら臨死体験をした経験から、たぶんペティー・
イーディーが体験し、さまざまなものを見聞きしたのは、死後の世界だった
のだろうと思っています。」と述べられています。
私は、わざわざ私たちにシスターである鈴木先生がまったくのでっち上げた
世界を語るなど考えられませんし、先生ご自身もそのようなことをして、何の
得にもなりませんから、やはり「死後の世界の存在」という真実を、私たちに
魂の存在を知らせ、死後も生き続けるのだという安心を書籍を通して伝えてく
れているのだと信じています。
少なくとも、私の身近で幽体離脱を数百回経験している仮称:田中さんも、
嘘をつくような人ではありませんから、
● 意識は天井のほうにあり、下を見下ろして寝ている自分を見ている
:
:
:
:
○ ベッドで横たわって寝ている肉体
私は・・・
少なくとも、肉体という身体と、意識(魂、心)とは分離できるものであり、
上にいる意識は、肉体の脳がなくても、見ていることや感じていること、
一体この状況は?と考えることさえ、肉体の脳と同様にできることは、確信
してよいと思っています。
ベティー・イーディーというネイティブ・アメリカンの母とアイルランド系の
父の間に生まれた彼女の体験を挙げられています。
ベティー・イーディーは31歳のとき子宮摘出の手術を受ける
↓
術後に大量の出血をして、一度死を経験する
数時間だれもその状況に気づいていなかった
担当医はベティーは間違いなく死んでいたことを認めている
↓
死んだベティーは、自分の身体から抜け出るという「幽体離脱」をし、
自分の肉体を高いところから眺めていた。
↓
その後、生前7人の子どもと夫を残して死ねないと思っていたので、家族の
いる自分の家に行くと、夫も子どもたちも快適そうに過ごしているのを見る。
その姿を見ているベティーの心の中に、それぞれの家族の予告編が映し出された。
そして・・・自分がいなくても、みな自分なりの価値ある人生を歩んでいく
ことを知り、気がかりだった家族のことが心配ないと確認したベティーは、
ほっとして、この世から旅立つ。
↓
ベティーは真っ暗のトンネルを超高速で進んでいく。
↓
そのうち、とてつもなくまばゆい光が近づいてきた。
↓
そして、愛の光を放つキリストを見た。
(これは、あの世の計らいであることが、江原啓之氏、飯田史彦教授、
坂本政道氏などの書籍で説明されています。日本人がよく見る三途の川や
お花畑も同じ現象で、「死してあの世に戻って来た魂」を安らがせるため)
↓
ベティーは「ここが、わたしのほんとうのふるさとなんだ」と確信した。
そこで、あの世で教えてもらったこととして・・・
・この世に生まれようとする霊が、自分で一生のプランを立て、使命を負い、
受胎した胎児の中に宿るということ
・幼くして死ぬというプランもある
・障害をもって生まれてくるというプランもある
・辛い人生を歩むというプランもある
このような一見不遇そうに見えるプランが自分と周囲の人を成長させるために
必要だと判断するからこそ、そのようなプランを立てて生まれてくる。
この世界へ来て問われることは「愛をもって生きてきたか」だけである。
そこ(トンネルを通過するとき、あるいは光に包まれるとき)では、人生の場面
が映画のシーンのように映し出される。
(この経験をする人が多いのも臨死体験の特徴)
それぞれのシーンでは、自分の気持ちだけでなく、そのシーンにいる他の人々の
気持ちも、自分の気持ちのようによく分かる。
※これも、福島大学 飯田史彦教授「生きがいの創造」でも語られています。
この人を悲しませた→後悔の念を抱く
この人は私を心から大切に思ってくれていたのだ→感謝の念を抱く など
そしていずれの場面でも、「愛の大切さ」を強く認識すると鈴木秀子教授は
述べられています。
そして・・・このことから、鈴木秀子教授は、
「この世に生を享けたものはすべて、それぞれのすばらしい使命をもつ存在」
であると述べられています。
たとえ凶悪な犯罪者でさえ、この世に使命をもって生まれてきた存在なのです
とも述べています。
スピリチュアル・カウンセラー江原啓之氏も同様のことを言われていましたね。
↓
ベティーは、まだこの世での使命を果たしていないという理由で再びこの世に
送り返されます。
本人は「もうあんな不完全で、労苦と不安に満ちた世界(この世)へは帰りた
くない」と必死に抵抗しますが、泣く泣くこの世に帰ってきたそうです。
鈴木秀子教授は「わたしは自ら臨死体験をした経験から、たぶんペティー・
イーディーが体験し、さまざまなものを見聞きしたのは、死後の世界だった
のだろうと思っています。」と述べられています。
私は、わざわざ私たちにシスターである鈴木先生がまったくのでっち上げた
世界を語るなど考えられませんし、先生ご自身もそのようなことをして、何の
得にもなりませんから、やはり「死後の世界の存在」という真実を、私たちに
魂の存在を知らせ、死後も生き続けるのだという安心を書籍を通して伝えてく
れているのだと信じています。
少なくとも、私の身近で幽体離脱を数百回経験している仮称:田中さんも、
嘘をつくような人ではありませんから、
● 意識は天井のほうにあり、下を見下ろして寝ている自分を見ている
:
:
:
:
○ ベッドで横たわって寝ている肉体
私は・・・
少なくとも、肉体という身体と、意識(魂、心)とは分離できるものであり、
上にいる意識は、肉体の脳がなくても、見ていることや感じていること、
一体この状況は?と考えることさえ、肉体の脳と同様にできることは、確信
してよいと思っています。
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