飯田史彦教授は、「生きがいの創造Ⅲ」PHPの中で、
過去生での死の体験の記憶を紹介することで、
「死ぬと全てを失ってしまう」
「死ぬというのが、どのような体験なのかイメージできない」
という不安感に対して大きな効果をもたらすとおっしゃっています。
どういうことなのでしょう。
具体的に知りたいと思い、書籍を読んでみますと、
過去生の記憶をトランスパーソナル誘導で思い出してもらい。。。
---------------------------------------------------------------
(交通事故で)
「耐え難い痛みが・・・」
「やっと解放されました。もう痛くない・・・ふう、助かった」
「救急車の中。でも、横たわっているんじゃなくて、死体を見下ろしています」
などと、被験者が語っています。
また、
(強盗に襲われて)
「すぐに死にました。背中を刺されたんです」
「とにかく驚きましたね。死んだはずなのに、まだ生きているかのように思って
いたんですから」
「(痛みは)たいしたことはありませんでした。ほんの一瞬のことでしたから」
「うつ伏せして、背中を丸めてうずくまっていました」
「上から見下ろしていたのです。三メートルほど上にいました。自分を見下ろし
ていたのです」
それからどうなりましたかという質問に対して、
「家に帰りました。妻のもとへ」
奥さんはあなたが死んだことを知っていましたかという質問に対して、
「いいえ妻は夕食のしたくをしていました」
奥さんにはあなたは見えましたか?という質問に対して、
「見えませんでした」
また、
何か合図をして自分が来たことを知らせようとはしなかったのですか?
「どうせだめだとわかっていたので、何もしませんでした」
あなたの遺体は川べりに横たわっているというのに、奥さんは何も知らない。
あなたはその時どんな気持ちでしたか?
「妻を守ってやりたい、と思いました。それからずっと、妻のそばにいて
やりました」
と、本書の中で被験者のそのときの思いが紹介されていました。
----------------------------------------------------------------
飯田史彦教授は、
「交通事故で死んだにもかかわらず『ふう、助かった』と、当時の正直な
感情を思い出しています。私たちは、誰かが亡くなると、つい『助かりません
でしたね』と口にしますが、このような証言からわかるのは、亡くなったご本人
は、『ふう、助かったぞ!』などと思いながら、光の世界へと旅立っていらっし
ゃるのだということです」と語っておられます。
そして、
「肉体を離れた後に、本人が自分の死を納得したり、『痛みから解放されて
助かった』などと思っているのであれば、愛する故人に先立たれた方々の悲壮感を、
大いに軽減することができるでしょう」とおっしゃっています。
・・・
また、突然、殺害された場合にでも
「このように『肉体から離れたあと、家族や大切な人々たちを訪れて大いに感謝
しました』とか『肉体を失ったあとも、愛する人たちと、意識(魂)の姿で、
ずっとつながったままで励ましていました』などの記憶が、ごく自然に出てきま
す」
「愛する人に先立たれて悲嘆にくれる方々にとって、このような証言の数々は、
大きな心の支えになるのです」ともおっしゃっています。
オカルトや変わった話に思う人もいらっしゃるでしょうけど、
まさに「(最愛の人を亡くし)この世に遺された者」にとって、このような証言
を耳にすると、この世を生きる,生き抜こうと思う励みになりますよね。
スピリチュアルケア、グリーフケアの視点を含めてくれているので、
読んでいて、じゃぁ生きようかなという気持ちが湧いてきます。
・・・
あと、
やはり、「上から下(自分)を見下ろす」
という証言は、臨死体験でもそうですが非常に多いですよね。
やっぱり、死の直後は、自分自身をこのようにして見るんじゃないかなぁ
と本書を読んでいて強くそう思いました。
過去生での死の体験の記憶を紹介することで、
「死ぬと全てを失ってしまう」
「死ぬというのが、どのような体験なのかイメージできない」
という不安感に対して大きな効果をもたらすとおっしゃっています。
どういうことなのでしょう。
具体的に知りたいと思い、書籍を読んでみますと、
過去生の記憶をトランスパーソナル誘導で思い出してもらい。。。
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(交通事故で)
「耐え難い痛みが・・・」
「やっと解放されました。もう痛くない・・・ふう、助かった」
「救急車の中。でも、横たわっているんじゃなくて、死体を見下ろしています」
などと、被験者が語っています。
また、
(強盗に襲われて)
「すぐに死にました。背中を刺されたんです」
「とにかく驚きましたね。死んだはずなのに、まだ生きているかのように思って
いたんですから」
「(痛みは)たいしたことはありませんでした。ほんの一瞬のことでしたから」
「うつ伏せして、背中を丸めてうずくまっていました」
「上から見下ろしていたのです。三メートルほど上にいました。自分を見下ろし
ていたのです」
それからどうなりましたかという質問に対して、
「家に帰りました。妻のもとへ」
奥さんはあなたが死んだことを知っていましたかという質問に対して、
「いいえ妻は夕食のしたくをしていました」
奥さんにはあなたは見えましたか?という質問に対して、
「見えませんでした」
また、
何か合図をして自分が来たことを知らせようとはしなかったのですか?
「どうせだめだとわかっていたので、何もしませんでした」
あなたの遺体は川べりに横たわっているというのに、奥さんは何も知らない。
あなたはその時どんな気持ちでしたか?
「妻を守ってやりたい、と思いました。それからずっと、妻のそばにいて
やりました」
と、本書の中で被験者のそのときの思いが紹介されていました。
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飯田史彦教授は、
「交通事故で死んだにもかかわらず『ふう、助かった』と、当時の正直な
感情を思い出しています。私たちは、誰かが亡くなると、つい『助かりません
でしたね』と口にしますが、このような証言からわかるのは、亡くなったご本人
は、『ふう、助かったぞ!』などと思いながら、光の世界へと旅立っていらっし
ゃるのだということです」と語っておられます。
そして、
「肉体を離れた後に、本人が自分の死を納得したり、『痛みから解放されて
助かった』などと思っているのであれば、愛する故人に先立たれた方々の悲壮感を、
大いに軽減することができるでしょう」とおっしゃっています。
・・・
また、突然、殺害された場合にでも
「このように『肉体から離れたあと、家族や大切な人々たちを訪れて大いに感謝
しました』とか『肉体を失ったあとも、愛する人たちと、意識(魂)の姿で、
ずっとつながったままで励ましていました』などの記憶が、ごく自然に出てきま
す」
「愛する人に先立たれて悲嘆にくれる方々にとって、このような証言の数々は、
大きな心の支えになるのです」ともおっしゃっています。
オカルトや変わった話に思う人もいらっしゃるでしょうけど、
まさに「(最愛の人を亡くし)この世に遺された者」にとって、このような証言
を耳にすると、この世を生きる,生き抜こうと思う励みになりますよね。
スピリチュアルケア、グリーフケアの視点を含めてくれているので、
読んでいて、じゃぁ生きようかなという気持ちが湧いてきます。
・・・
あと、
やはり、「上から下(自分)を見下ろす」
という証言は、臨死体験でもそうですが非常に多いですよね。
やっぱり、死の直後は、自分自身をこのようにして見るんじゃないかなぁ
と本書を読んでいて強くそう思いました。
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