みたり*よんだり*きいたり*ぼぉっとしたり

映画のこと、本のこと、おもったこと。

志賀直哉

2005-01-10 23:36:04 | よむ
ほんの数年間だけだが志賀直哉と同じ時代をわたしは生きていたことに、その年譜を見ながら気づいた。意外な気がした。この高名な作家の作品をついにわたしは読まずに今まで来てしまい、その存在も時間も遠いと思い込んでいた。数年前に観た入江泰吉の作品展に、須田剋太、杉本健吉の作品、そして海雲の書「いつか死ぬことを知りつつ生きており」が展示されていたことも、今この文庫本に挿入されている昭和21年、志賀が東大寺海雲宅を訪れた際の写真をみて、改めて思い出し「天平の会」ということで、なるほどつながったのだ。茶論の方で休憩することはあっても高畑に今も残る志賀直哉邸にはついに訪れることがなかったのが、作品を初めて読んで今更に悔やまれる。

ふとしたことで『清兵衛と瓢箪』のお話を紹介していただいた。それがきっかけで、もしかしたら出会うことがないままに過ぎたかもしれない志賀直哉の本を手に取ることができた。



『清兵衛と瓢箪 小僧の神様』(志賀直哉著・新潮文庫)

唐招提寺

2005-01-10 14:50:01 | ぼぉっとしたり
唐招提寺を最後にみたのは「平成の大改修」が始まって間もない頃だつた。
最も好きなお寺だったうえに、駐車場が開放的で止めやすかったため、気が向けばふらりと立ち寄っていた。わたしが最後に訪れた日は、平生の静寂な寺ではなく金堂にはすでに工事の柵が張り巡らされ、参拝の人が列を作るほどだった。改修前の金堂を観ておきたい方たちが大勢いらっしゃったのだろう。多大な年月を費やし施される改修の後の金堂を果たしてわたしは見ることができるだろうか、と平均余命に照らしたら辻褄の合わない思いに、しかしあの時わたしは捉えられていた。その予感はそう外れてもいなかったとみえ、今では気が向いても、想いが募っても、ふらりとあの砂利の駐車場に車を止めて、そこから先は清い静寂が広がる山門をまたぐことはなかなか叶わない距離に移り住んでいる。
1月9日TBS時空サイエンスロマン「金堂復元・唐招提寺1200年目の真実」をみる。テレビの良いところはアップで見られるところだ。6月の開山忌に訪れても鑑真和上の御像はこうも間近でみることが出来るわけではないのだから。
アップでみるといえば、やはり9日NHKの芸術劇場ラフマニノフ「ピアノ協奏曲第3番」は圧巻だった。ピアニストの指がアップで映るのだから。