少しの気恥ずかしさを伴いながら今日のタイトルを入力したけど、
その手の話ではなくこの手の本の古典的名著とよばれている
『人を動かす』(D・カーネギー 山口博訳 創元社)
第八章見出しの引用。
「人を扱う秘訣は、相手の立場に同情し、それをよく理解することだ。」
というテーマを具体化するために、
ここには、庭手入れを生きがいにする妻とその妻に想像力の欠片もなくクレームする
夫のエピソードが挿入されている。夫妻はある日、ふとしたきっかけで一緒に庭手入れの作業をするのだが、この共同作業から会話がはずみ今までの夫のクレームは誉め言葉に変わり、これまでより円満になった、というものである。
続いて、著者自身の歳月と共に変化した人への言葉かけについて述べられる。
同情、あるいは共感と理解の基盤は経験である。
でも、一人の人間が一生のうちに経験できる領域と量には限りがあるので、
「人の身になる」人や身になる領域に自ら制限を設けるのは、合理的なことなのだろう。
ただそれは同時に、自らの想像力に制限が設けられることにもつながる。
それにしても、
「人を動かす」のは、誰が何のために動かすのか。AがAの利益のためであろう。
同情、あるいは共感と理解は誰が何のためにするのだろう。
この手の本を読む時の、違和感はいつもある。
その手の話ではなくこの手の本の古典的名著とよばれている


第八章見出しの引用。
「人を扱う秘訣は、相手の立場に同情し、それをよく理解することだ。」
というテーマを具体化するために、
ここには、庭手入れを生きがいにする妻とその妻に想像力の欠片もなくクレームする
夫のエピソードが挿入されている。夫妻はある日、ふとしたきっかけで一緒に庭手入れの作業をするのだが、この共同作業から会話がはずみ今までの夫のクレームは誉め言葉に変わり、これまでより円満になった、というものである。
続いて、著者自身の歳月と共に変化した人への言葉かけについて述べられる。
同情、あるいは共感と理解の基盤は経験である。
でも、一人の人間が一生のうちに経験できる領域と量には限りがあるので、
「人の身になる」人や身になる領域に自ら制限を設けるのは、合理的なことなのだろう。
ただそれは同時に、自らの想像力に制限が設けられることにもつながる。
それにしても、
「人を動かす」のは、誰が何のために動かすのか。AがAの利益のためであろう。
同情、あるいは共感と理解は誰が何のためにするのだろう。
この手の本を読む時の、違和感はいつもある。