先日行った能楽堂の売店の販売員さんに、次のように質問した。
「あのぉ、よくわからないのですが、台詞というのでしょうか、その、あの台詞のようなものが素人にもわかるように書かれている本はないのでしょうか。」
販売員さんはシリーズ化されている謡曲のCDを紹介してくれたが、それは高価だったし曲も限定されていた。
あの舞台をみたら、そのあの台詞らしきものを読んでみたいと思わずにはいられない。読まないことには理解が覚束ない。
台詞らしきものは詞章というらしいが、まずその詞章を読むことをはっきりきちんと言ってくれているのが、
『すぐわかる 能の見どころ』(村上湛著・東京美術)
この本は、手軽な入門書の体を装っているけど、
「舞台を見る前に、必ず詞章を熟読しましょう。」
に始まり、
「「頭を白紙にして無心に見る」という言葉は、多くの場合マヤカシでしかありません。」
また、
「ただ一つ、理想を付け加えるならば、水準以上に優れたシテの舞台を選ぶことです。世評と内実は必ずしも一致しませんが、劣ったシテのいい加減な舞台には、半文銭の価値すらありません。」と、
舞台をみると実感し、その通り、と思う当然のことながら、実行するには妥協しがちなところをアドバイスしてくれます。入門時に押さえておけて良かったと思う本。
ところで、東京美術にはシリーズで「すぐわかる」と「もっと知りたい」があるんだけど、内容といい、シリーズ名といい「もっと知りたい」の方が、センス良いな、「すぐわかる」っていかにもお手軽な感じがして好ましくないんですけど、と思っていたが、今回『すぐわかる能の見どころ』によって考え改めました。「すぐわかる」はスマートに核心に届きやすい、という意味があったのだと発見です。
まぁ、それはどうでもいいけど、この冒頭の疑問、詞章読みたきゃ、何、読めばいいの?である。
これも『すぐわかる能の見どころ』に数冊紹介されている。
数冊のなかでも、重いし、巻数多いし、古いし、入手面倒そうだし、
だけど、
やはり『謡曲大観』(佐成謙太郎・明治書院)
が目当ての能にアクセスし理解しようとするには
結局は、手っ取り早かった。曲の網羅力が圧倒的だし全曲訳付だもの。
ただ、気軽に所有できる価格ではありません。いつもながら図書館にお世話になり、館外持ち出し禁止本だったため別巻の総目録もコピーしておいた。便利。
さて、現代に生きるわたしからしてみれば、
能舞台の造り、能役者の動き、装束、面、あの台詞、シテ、ワキ、間狂言等の配役、等々、能そのものが不思議なことだらけ。
その不思議さを明晰に言葉にしてくれて、さらに新しい視点を教えてくれるのが、
『脳の中の能舞台』(多田富雄・新潮社)
「コンピューターは、別々のファイルの情報を移しかえながら、同時に処理することができる機械である。Aのファイルの情報を、全く次元の違うBのファイルへ自由に移して処理できるのだ。違う次元の問題を扱うファイルに情報を移動させることを、「ワープする」という。能舞台では、こういうワープが日常的に行われている。」
ファイル間で情報を移動させることもワープというのだとわたしは知らなかったけど、能の構造を捉えるのに、これほどわかりやすい説明はなかなか無いと思う。著者は本業、免疫学という分野の学者なのだそうです。本職著作について松岡正剛さんの『千夜千冊』で『免疫の意味論』が紹介されている。
「あのぉ、よくわからないのですが、台詞というのでしょうか、その、あの台詞のようなものが素人にもわかるように書かれている本はないのでしょうか。」
販売員さんはシリーズ化されている謡曲のCDを紹介してくれたが、それは高価だったし曲も限定されていた。
あの舞台をみたら、そのあの台詞らしきものを読んでみたいと思わずにはいられない。読まないことには理解が覚束ない。
台詞らしきものは詞章というらしいが、まずその詞章を読むことをはっきりきちんと言ってくれているのが、
『すぐわかる 能の見どころ』(村上湛著・東京美術)
この本は、手軽な入門書の体を装っているけど、
「舞台を見る前に、必ず詞章を熟読しましょう。」
に始まり、
「「頭を白紙にして無心に見る」という言葉は、多くの場合マヤカシでしかありません。」
また、
「ただ一つ、理想を付け加えるならば、水準以上に優れたシテの舞台を選ぶことです。世評と内実は必ずしも一致しませんが、劣ったシテのいい加減な舞台には、半文銭の価値すらありません。」と、
舞台をみると実感し、その通り、と思う当然のことながら、実行するには妥協しがちなところをアドバイスしてくれます。入門時に押さえておけて良かったと思う本。
ところで、東京美術にはシリーズで「すぐわかる」と「もっと知りたい」があるんだけど、内容といい、シリーズ名といい「もっと知りたい」の方が、センス良いな、「すぐわかる」っていかにもお手軽な感じがして好ましくないんですけど、と思っていたが、今回『すぐわかる能の見どころ』によって考え改めました。「すぐわかる」はスマートに核心に届きやすい、という意味があったのだと発見です。
まぁ、それはどうでもいいけど、この冒頭の疑問、詞章読みたきゃ、何、読めばいいの?である。
これも『すぐわかる能の見どころ』に数冊紹介されている。
数冊のなかでも、重いし、巻数多いし、古いし、入手面倒そうだし、
だけど、
やはり『謡曲大観』(佐成謙太郎・明治書院)
が目当ての能にアクセスし理解しようとするには
結局は、手っ取り早かった。曲の網羅力が圧倒的だし全曲訳付だもの。
ただ、気軽に所有できる価格ではありません。いつもながら図書館にお世話になり、館外持ち出し禁止本だったため別巻の総目録もコピーしておいた。便利。
さて、現代に生きるわたしからしてみれば、
能舞台の造り、能役者の動き、装束、面、あの台詞、シテ、ワキ、間狂言等の配役、等々、能そのものが不思議なことだらけ。
その不思議さを明晰に言葉にしてくれて、さらに新しい視点を教えてくれるのが、
『脳の中の能舞台』(多田富雄・新潮社)
「コンピューターは、別々のファイルの情報を移しかえながら、同時に処理することができる機械である。Aのファイルの情報を、全く次元の違うBのファイルへ自由に移して処理できるのだ。違う次元の問題を扱うファイルに情報を移動させることを、「ワープする」という。能舞台では、こういうワープが日常的に行われている。」
ファイル間で情報を移動させることもワープというのだとわたしは知らなかったけど、能の構造を捉えるのに、これほどわかりやすい説明はなかなか無いと思う。著者は本業、免疫学という分野の学者なのだそうです。本職著作について松岡正剛さんの『千夜千冊』で『免疫の意味論』が紹介されている。
「謡曲大観」を調べれば確かに間違いありませんが、とりあえず有名な曲なら、
岩波書店が1960年代に出した『日本古典文学大系』のなかに「謡曲集 上・下」があります。もちろん現在は絶版品切れですが、古本屋を調べると見つかると思います。
ほかにも小学館の『日本古典文学全集』にも謡曲集があります。こちらは90年代に再刊されたので、まだ在庫もあるようです。