おはようガンバ
一昨日は、長男クン一家や、パパさんが娘の孫を連れて、お母さんのいる施設に会いに行ってくれて
施設でも、お誕生日のお祝いをしてもらったらしく、ケー前で前でニコニコ笑顔のお写ってる写ってる写真をもらって来てくれた
長男クン達が行ってくれた時は、誰だかちょっと分からない感じで、少しお母さんが緊張してた感じだったって、そのときの様子を話してくれて、帰って来てから
「もう施設の方が家族になっていくんだろうね~」って、以前の反応と少し違うおばあちゃんにちょっと寂しそうに言っていたけど、その話をパパさんにしたら
「今はそれで、いいんだよ」って、自分自身に納得させるように言ってた
今日は、まさちゃんが大好きだったお母ちゃんのお誕生日で、、、
偶然だけど、お母さんのお誕生日と二日ちがいで・・・
今、元気でいたら98歳 でも89歳で、みんなに囲まれて、お父ちゃんのいる天国に旅立って行ったよ~
ずっと元気だったお母ちゃんだけど、結構年とってからの闘病が何年か続いた
まだ、コロナ禍じゃなかったから、田舎の小さな病室で、腕のいいお医者さんにずっと診てもらいながら、兄弟とお姉さんが代わる代わる、ほぼ一日も空けることなく付き添いしてくれてずっと誰かが側に居てあげたから幸せだったと思う・・・
お母ちゃんの人生も結構、ドラマチックなもので
京都の町中に住んでいて、お兄さんが兵隊にいかれて、同じ軍居た居たお父ちゃんが家に遊びに来て、その後お父ちゃんから手紙が来たらしい、そしてお付き合いが始まったんだって
昔のことだから、京都の町と丹後では、まだ随分遠く離れている感覚だったから近所の人が、「そんなに遠いところへお嫁にやられるの?」って、おばあちゃんが言われたらしいよ
誰がなんと言おうと、お母ちゃんの気持ちが変わらなかったんだろうね~
おじいちゃんが京都にご挨拶に来たとき、「今家を建てています~」なんて言ったけど、お嫁に行ってみたら、長屋住まいで、自分の着物をほどいて、まずお座布団を作ったと昔話をしてくれたことがある
お人良しのおじいちゃんが、よその人のハンコを押してしまって、そこそこお坊ちゃんに育ってたお父ちゃんも苦労しての長屋住まいだったみたいや~
昔だから、お母ちゃんが嫁ぐ前に、わざわざ調べに行った人がいたらしく、帰ってきたら
「裕福ではないけど、みんな人がいいらしい・・・」って言われて、お婆ちゃん達も安心したらしい
そんないきさつもあったけど
自分で決めてお嫁にやってきたから、文句もいわず、お父ちゃんと二人で一生懸命頑張って、あたたかい家族を作ってくれた
お父ちゃんが、ほんとに家族を大切にしてくれる人だったから、車もなかった時代に、みんなで自転車に乗って、お弁当を持って出かけたりして
小学校のころ、そんな話をお友達にしたら、羨ましがられたことがあるよ
お母ちゃんは、神さまや仏さまにいつも感謝して
何処へ行ってもよく手を合わせて拝んでいた
いつも豪快に笑う人だった・・・笑いのツボにはまると一人で笑いが止まらない
気が付いたら、まさちゃんも同じことになっていて、、、
「いつまで笑ってるん?」って言われたりすることがあるよ(笑)
お母ちゃんに似たンだね~
手先が器用だったから、編み物の勉強を一生懸命にして、時々は徹夜をするぐらいに忙しく編み物の内職をしながら、まさちゃん達を育ててくれたよ
丁寧に仕上げるお母ちゃんのニットが町の手芸用品店さんを通じて、お客さんに喜んでもらえたらしい
小さいころのまさちゃんは、二階に上が寝るときに
「おやすみなさい~お母ちゃん、はよ寝てね・・・」って言うのが日課になってた
夜、早い時間に布団に入る母の姿は、あまり見たことがなかったな~
まさちゃんの家に来たとき、耳が少し遠くなったので、テレビの音が大きく聞こえる機械を耳に近づけて、テレビを見て笑っているお母ちゃん・・・
嬉しそう、、、
生活が落ち着いてきたら、いろんなことに興味を持って、民謡の踊りを楽しんだり、お習字を習ったりして人生を楽しんでる感じだった
もう、母は側に居なくなってしまったけど、困ったとき、心配なときは、いつも母が居てくれるようで今でも心強いよ
お母ちゃんの手は、とっても綺麗な手をしてたから写真に撮ったことがある
残しておいて、よかったわ~
お母ちゃん、まさちゃんを生んでくれてありがとう
そして、あたたかい家庭で育ててくれてありがとう
あなたに恥じないように頑張ります
さ~ぁ!今日も一日笑顔でガンバ
みんな元気出して頑張ろうぜ
いつも来てくれて、ほんとにどうもありがとう