東京教区埼玉組の皆様が、研修として被災地視察に来てくださいました。
一日目は東北新幹線で郡山へ。そこからレンタカーで出発。復興支援センターから一人が帯同し、南相馬・浪江町と周りました。浪江町では、大谷派の正西寺様にも寄らせていただきました。
視察の後は、一路仙台へ。東北別院に宿泊いただきました。
二日目は仙台市の沿岸部へ。慰霊碑を視察した後、震災遺構荒浜小学校へ。この日も、埼玉組以外の視察の方も大勢おられました。4階で震災当日の状況を伝える映像を見ましたが、その臨場感が伝わり、みなさん真剣に見ておられました。
その後、閖上地区で日和山と慰霊碑を視察しました。
日和山では、昭和8年3月の昭和三陸地震で発生した津波の被害と教訓を伝える石碑の説明をさせていただきました。その石碑には、確かに「地震があったら津波の用心」と刻まれています。大きな津波が街を襲うたび、人々はそれを心に刻み、次の津波に備えようとしてきました。しかしながら、今回の津波が起こるまでは、「ここまで津波は来ない」という気持ちが心のどこかにあったということをおっしゃる住民の方もいました。
人は、苦難を乗り越え、復興を果たしていく力があると思います。しかしながら、その一方で「忘れていく」生き物でもあります。つらいことは忘れたいと思うのが人間の心理かもしれません。忘れたくなくても忘れてしまうのが人間でもあります。今、こんなに真剣に震災と向き合っていても、50年後、100年後に同じテンションで、同じニュアンスでこの震災を語り継いでいく事ができるでしょうか。できているでしょうか。
未来へ伝える真剣さを、私自身が問われる機会となりました。