播淡汽船
「播淡汽船」は正式な会社名ではなく、共同運航される明石海峡を結ぶ2社の
通称(私の認識では・・・です)として40年以上も続けてきていたものです。
で果たしていいのかな。
播淡聯絡汽船と淡路連絡汽船です。
この海峡では古かったのが大正11年に設立された播淡聯絡汽船でした。
一方、淡路連絡汽船の方は、前身の丸正汽船が昭和31年に淡路汽船に改称され、
昭和35年に淡路連絡汽船に業務譲渡されたという経緯がありました。
ここから40年以上に渡り共同運航してきた訳ですが、明石海峡大橋架橋の影響は
やはり大きく、上記2社は合資して平成13年に明淡高速船という会社になりました。
しかし平成19年には航路を淡路ジェノバラインに引継ぎ、清算へとなりました。
切符にも播淡汽船とされ、残った過去の硬券を少々ご紹介します。
平成4年 A型硬券 赤地紋 一般式 JR連絡運輸
岩屋港は鉄道連絡駅としても長い歴史がありました。国鉄時代から連絡切符がありました。
平成4年 B型硬券 赤地紋 矢印・金額表示 JR連絡運輸
常備券のなくなった近距離の連絡ではB型のこういう券が後年は使われていました。
昭和62年 A型硬券 灰地紋 一般式 JR連絡運輸
時代は少し遡り、昭和時代は灰色系の地紋でした。
昭和49年 A型硬券 灰地紋 一般式 国鉄連絡運輸
この時代は、三ノ宮という近距離にも常備券があったのですね。
昭和38年 A型硬券 青地紋 2等 一般式 国鉄連絡運輸
2等時代の須磨ゆきでした。
昭和41年 D型硬券 青地紋 2等 補充片道式 国鉄連絡運輸
補充片道式の硬券での連絡券もかつてはありました。
昭和8年 A型硬券 茶系RTC地紋 並等 一般式 宇治川電気連絡券
ちょっと不可解なのがこの切符です。この場合の播淡汽船の表記は略されている播淡聯絡汽船
単独時代でしょうか。戦前ですから、後の共同運航の通称とは意味が違うような?
また鉄道の方ですが、上記昭和8年6月6日は山陽電鉄初日ですね。
今とは違う場所に電鉄兵庫駅という終着駅がありましたが、そこまでのものですね。
次回は、少しオマケの回です。