風まかせ~

自分で歩いて得た季節のきまぐれ情報です。気が向いたときに写真付きで時々出します。

旧中山道・桶川宿

2011-09-14 | ぶらぶら散歩

桶川宿は日本橋から距離にして10里14町(約40.8km)とちょうど江戸を出た旅人が1日で歩く距離で、一つ手前の上尾宿とともに宿場町として絶好の位置といえます。また、この距離は、フルマラソンとほぼ同じ距離といえます。
桶川臙脂(えんじ)と呼ばれたベニバナは桶川宿を中心とした一帯で広く栽培され、最上紅花についで全国第2の生産量で桶川は紅花がもたらす富により大いに潤いました。遠方の商人が集まるようになると富とともに文化ももたらされ、京の都から祇園祭の山車の引き回し、江戸からは祭りばやしが取り入れられ桶川で独自に発展し、現在も毎年7月15,16日は祇園祭が執り行われ、おおいににぎわいます。


中山道を上尾から北上尾駅入り口を通過すると左側にこんもりと木の茂った長い板塀が続きます。ここは昔紅花で潤い栄え、今もその名残を残す大きな屋敷です。べにばな通りの交差点をすぎ、JRの地下道を左にみて進むと右側に下の木戸跡の碑があります。桶川宿の南側(江戸側)入り口です。


国登録有形文化財武村旅館は34軒あった旅籠のうちの1軒で現在も当時の建物の一部を残している旅館で今も営業しています。


この周辺にも古い作りの家が昔の面影を残しています。山門は淨念寺仁王門。
   

桶川駅入り口を過ぎると宿場の中心部で府川本陣跡や蔵造りの旧家があります。
(埼玉県指定文化財府川本陣跡、島村老茶舗、国登録有形文化財小林木材店、矢部家)
加賀前田家を始めとする参勤交代の大名の多くが府川本陣を定宿とし、皇女和宮が徳川家茂に降嫁した際にも宿泊しています。
   

通りから少し入ったところに島村家土蔵があります。穀物問屋木島屋の総本家島村家の木造3階建て土蔵で天保7年建築です。この土蔵の建築工事は天保大飢饉にあえぐ人々に仕事を与えその報酬で多くの民が飢えから救われたことから「お助け蔵」と呼ばれるようになりました。 
国登録有形文化財

少し通りから奥まったところに紅花商人からの信仰が篤かった稲荷神社があります。ここには紅花商人が寄進した2基の石灯籠と重さ日本一の大盤石(力石)があります。
 

府川本陣跡の斜め先に「中山道宿場館」がある。一度立ち寄ってみたらいかがでしょう。
その先に桶川宿碑と桶川宿案内板が建てられています。見どころの再確認ができます。またベンチに座って休憩もできます。傍に昔懐かしい手押し式の井戸用ポンプや丸い郵便ポストもあります。
        

さらに先を進むとうどん屋の反対側に上の木戸跡碑があります。ここが桶川宿の京都側の入り口となります。次は鴻巣宿です。



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