竹島渡航海図

2014年02月18日 18時38分31秒 | Weblog
 
 
竹島渡航の海図発見 島根・隠岐、漁師が使用
2014年02月17日

竹島渡航の海図発見 島根・隠岐、漁師が使用

 竹島渡航に使われた海図(島根県提供)    島根県は17日、同県隠岐の島町の漁師が、1952~53年ごろに竹島へ渡る際に使用した海図を発見したと発表した。漁師たちの拠点だった同町久見地区と竹島、竹島と松江市の灯台方向をそれぞれ結ぶ線が鉛筆で書き込まれている。大学教授らでつくる県の竹島問題研究会によると、竹島渡航に使った形跡が残された海図が見つかるのは初めて。旧日本海軍の水路部が35年に発行した海図で、49年の小改正と50年の航路告示が反映されている。久見地区の漁師が50年以降に購入したとみられ、隠岐の島町の漁協に保管されていたのを研究会が見つけた。地区の住民への聞き取りによって、52~53年ごろに使っていたものと特定した。研究会座長の下條正男拓殖大教授(日本史)は「日本が竹島を実効支配していたことを示す証しになる」と話している。

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福島原発

2014年02月18日 04時52分32秒 | Weblog

 

 

事故から3年 福島第1原発4号機 残る傷跡で進む収束作業 燃料取り出し開始3カ月

 
東京電力福島第1原発4号機の原子炉建屋2階部分。配管や鉄骨が曲がったままで、当時の無残な惨状を今も物語っていた=13日午前11時19分(大西史朗撮影)

東京電力福島第1原発4号機の原子炉建屋2階部分。配管や鉄骨が曲がったままで、当時の無残な惨状を今も物語っていた=13日午前11時19分(大西史朗撮影)

 東京電力福島第1原発事故からまもなく3年を迎えるのを前に、産経新聞は単独取材を行い、記者が4号機建屋内に入った。記者が立ち入った建屋1~4階は、津波や水素爆発の傷跡が残り、地下は汚染水だまりと化していた。燃料貯蔵プールからの燃料取り出し作業は18日で、開始から3カ月。事故の爪痕が今も残る中、着実に収束作業が進んでいる。

 4号機建屋1階へ入った。手渡された懐中電灯で上下四方を照らすと、闇の中に、ねじれ切れた配管や崩落したがれきの山が迫ってきた。廃虚のようだ。「ほぼ事故当時のまま」と、東電の担当者が説明する。がれきに囲まれた大人1人がようやく通れるほどの細い通路と仮設階段を上り、プールのある5階を目指した。

 5階は昨年11月に完成した燃料取り出し用設備の内部に位置する。プール上に橋渡された取り出し作業用のクレーンの稼働を知らせる警報が響き、整頓された工場のような雰囲気だ。クレーン作業台では、防護服姿の5人の作業員がコンピューターで状況を確かめたり、身を乗り出して水面をのぞき込んだりしながら、引き上げた燃料を輸送容器(キャスク)に装填(そうてん)する作業を進めていた。

 燃料貯蔵プールからの燃料取り出し作業は順調に進み、すでに使用済み燃料330体、未使用燃料22体の計352体を建屋外の共用プールへ移送し終えた。

 建屋地下へ向かうと、半地階から地下1階への階段の半ばまで赤茶けた汚染水が押し寄せ、立ち入れなくなる。担当者から「津波の海水や地下水、3号機原子炉の冷却水が流れ込んでいるようだ」と聞かされた。周囲は毎時10マイクロシーベルトほどで、一般人の年間被曝(ひばく)上限(1ミリシーベルト)に約4日間で達する。<iframe id="dapIfM2" name="dapIfM2" src="about:blank" frameborder="0" scrolling="no" width="1" height="1"></iframe>

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2月17日検索

2014年02月18日 04時46分21秒 | Weblog

 

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