東京電力福島第1原発事故からまもなく3年を迎えるのを前に、産経新聞は単独取材を行い、記者が4号機建屋内に入った。記者が立ち入った建屋1~4階は、津波や水素爆発の傷跡が残り、地下は汚染水だまりと化していた。燃料貯蔵プールからの燃料取り出し作業は18日で、開始から3カ月。事故の爪痕が今も残る中、着実に収束作業が進んでいる。
4号機建屋1階へ入った。手渡された懐中電灯で上下四方を照らすと、闇の中に、ねじれ切れた配管や崩落したがれきの山が迫ってきた。廃虚のようだ。「ほぼ事故当時のまま」と、東電の担当者が説明する。がれきに囲まれた大人1人がようやく通れるほどの細い通路と仮設階段を上り、プールのある5階を目指した。
5階は昨年11月に完成した燃料取り出し用設備の内部に位置する。プール上に橋渡された取り出し作業用のクレーンの稼働を知らせる警報が響き、整頓された工場のような雰囲気だ。クレーン作業台では、防護服姿の5人の作業員がコンピューターで状況を確かめたり、身を乗り出して水面をのぞき込んだりしながら、引き上げた燃料を輸送容器(キャスク)に装填(そうてん)する作業を進めていた。
燃料貯蔵プールからの燃料取り出し作業は順調に進み、すでに使用済み燃料330体、未使用燃料22体の計352体を建屋外の共用プールへ移送し終えた。
建屋地下へ向かうと、半地階から地下1階への階段の半ばまで赤茶けた汚染水が押し寄せ、立ち入れなくなる。担当者から「津波の海水や地下水、3号機原子炉の冷却水が流れ込んでいるようだ」と聞かされた。周囲は毎時10マイクロシーベルトほどで、一般人の年間被曝(ひばく)上限(1ミリシーベルト)に約4日間で達する。<iframe id="dapIfM2" name="dapIfM2" src="about:blank" frameborder="0" scrolling="no" width="1" height="1"></iframe>