1941年7月23日、ルーズベルト大統領は、陸海軍長官の連名で(7月1 8日付)提出された合同委員会の対日攻撃計画書(JB355)にOKのサインをした。写真に見るとおりである。(管理人:下に拡大画像を載せています)10月1日までに、 350機の戦闘機とB1 7など1 50機の長距離爆撃機を中国に供与して、中国の基地から神戸、京都、大阪の三角地帯と横浜、東京地区の産業地城を爆撃する計画 中国のどの基地からどこを攻撃するかという詳細な地図のついた計画である。中国空軍にやらせる計画であるが、その中国空軍の中枢にいわゆるフライング・タイガーと呼ばれる、偽装ボランティアのアメリカ陸海軍飛行士が派遣されていた。
1 2月8日の真珠湾攻撃を今でもアメリカ人のほとんどは、日本の卑怯な不意打ち攻撃sneak attackであると信じている。真実は、その約5か月前に、ルーズベルト大統領が陸海軍合同の日本本土攻撃計画にゴーサインを正式に出している。これこそアメリカの一般国民を欺き、そして日本をだまし討ちにしたsneakattackそのものである。真珠湾攻撃は、正しく自衛権の発動に基づいたアメリカの攻撃に対する反撃戦であったということである。