明治維新でのあれこれを見るにつけ、よくもまあ20の天守が残ったものです(そして戦災などで8つ焼失、現存数が12)。
後に昭和城と揶揄されるコンクリート製天守閣が建てられた城も複数ありますが(大坂城や名古屋城)、既に江戸時代中期に差し掛かった頃には天守閣の意義は失われていますから、景観以外の価値はそれほど大きくなかったことも天守閣が破棄・破壊された原因の一つではないかと思います。
尾道城(城跡かどうかは関係なく、コンクリートで建てられた天守閣だけの施設。近年取り壊された)や墨俣城(平成初期に考証無視で建てられた)なんて施設もあるわけで、天守閣が残っていればなぁ、とは後世の人々の多くが思うところではないかと思います。