さて始まりました『べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~』。
ちょっと攻め過ぎじゃないかな?という趣旨の記事をネタに考えてみたりします。
そもそも蔦屋重三郎、吉原で商売していたことは隠れもない史実なので、吉原の描写は避けて通れません。
このご時世、吉原を単に華やかでキレイなところ、という描写でも炎上するでしょうし、投込寺に放り込まれたことも史実なので致し方ないところかとは存じます。
…まさか投げ込み寺のシーンで、遊女の亡骸役にセクシー女優さんを使うとは思いもしませんでしたが。
身ぐるみ剥がれた姿を見せるのにあまり抵抗のなさそうな女優さんと言うとセクシー女優さんになる次第ではありますが、どのみち死体役ならオリエント工業さんあたりの製品(寂しい男性のお供のお人形)でもよかったのでは、と思ったり思わなかったり。
冒頭の火災で、お稲荷様(ナレの綾瀬はるかさん:今回は花魁姿で出演(しっぽ付))のキツネ像をお歯黒溝に放り込むのは何とも(絶望した遊女が身投げする場所ですし)。
なお、現在の吉原(特殊浴場街)の街路も当時を踏襲しているらしいので、訪れる価値はありますが……女性には若干訪問しづらい場所かもしれません(男性もまあ、そっち目的かと勘ぐられそうな場所なので歴史散策には若干不向き)
御老中様(田沼意次)が国益という言葉を使ったのも若干?ではあり。ただ、警動を行うことで宿場が寂れ商いが衰えると国益(彼の立場を考えると、御公儀の益、と言った方がより適切な気はします)にならない、という論法は彼の言いそうなことではありました。
(ちなみに私娼として取り締まられた女性は吉原に送られるので、供給過剰になりお茶ひきが増える=作中でも描写された、まともに食事も取れない女郎さんが激増することにもなり。楼主たちが警動を積極的に願わない理由の一つ)
平安の雅に対する江戸の粋が始まるのはもう少し後なので、これで引いて視聴を止めるとちょっともったいないなぁ、とは思います。
さてこの後どうなるやら……