5/24~25に日本フェミニストカウンセリング学会が福島県郡山市を会場に開かれ、現地視察も行われました。被災地福島の女性たちの現状と苦悩をしっかりと聴き、そこでのエンパワーとは何か?をともに考える、内容の深い学会でした。
富岡町ときいて、5月11日の種まきネット総会記念講演の市村高志さんのお話の後でもあり、行かなくては!と出かけました。
富岡駅にはこれで3回訪れましたが、風景は変わらず、荒れたまま、片づけてあっても人のいないまち。
除染した土の袋、フレコンの山だけが、行くたびに高くなる。
このまちをどうするのか。ここにいたひとたちにどうこたえるのか。私たちは東京で。
郡山駅前
とみおかまちの地図
道の駅 「ならは」はようやく片づけて、今 作業員や訪ねる人たち用にトイレだけ使用できるようになっている。トイレだけの道の駅。
看板はそのまま「道の駅 ならは」 モニタリングポスト
道の駅事務所のガラスドアとバスにあるスローガンは「30年後のふるさとのために」一瞬とまどうフレーズです。過去ではなく、将来にある「ふるさと」30年後のふるさと。考えてもみなかった「ふるさと」です。
近くには双葉警察署臨時庁舎もある
あちこちにパトカーが止まっていたり走っていたりします。
田んぼは緑色鮮やかですが、イネではありません。雑草の生えたままの田んぼ。
生高泡立ち草は草ではなく、木になってしまったそうです。壊れた家もそのまま。
草ぼうぼうの田んぼに水がたまっているだけ。 学校
富岡駅周辺の家やお店
車は個人所有物なので、持ち主が見つからなければ処分はできない。
線路のレール上にのったままの車。津波でここに運ばれてきたまま3年がたつ。
富岡駅
慰霊碑
とみおかまちは震災前にはニュータウン計画があり、新しいおしゃれな戸建てや集合住宅建設の途上にあったそうです。でも今はそれも夢のまた夢になってしまった。
窓の向こうに見えるのは東京電力のエネルギー館。たいそう立派な建物です。
草ぼうぼうの田畑が続く。
幹線道路は走れるようになったが、除染ができていない場所への立ち入りは禁止。
小道に入る入り口にはこうした看板があちこちにたっている。
とても立派で大きい町役場
原発が見えるもっとも近いところ。向こうに見える煙突が原発
庭先のぶどう棚
田んぼはフレコン置き場と化している。
立派な体育館
田んぼの向こうに見える緑色のカバーはフレコンにされたカバー
積み上げたフレコンが緑色のカバーでおおわれている。この景色がずっと続く。
復興住宅建設中。ここに入れる人も多くはないそうだ。
久の浜住宅地。流された家の塀に掛けられたことば。「私達は忘れない。2011年3月11日。人と人の絆。がんばろう。久の浜は負けない」
旧久の浜商店街の人たちが作った、仮説店舗。浜風商店街
商店街の入り口ではお客さんみんなに、インスタントコーヒーの無料サービスをしている。そこでごぼうチップスとみそ漬けをお土産に買った。どっちもおいしかった。
また来よう。また来るね!と誰にともなく、呟いて帰路についた。 (E・Y)