福島とつながる種まきプロジェクトネットワーク

(通称:たねまきネット)
農と食を中心に、小さな種をまきながら、永続的な支援活動を行う。

福島スタディツアー その2

2015年05月29日 | 福島視察

湯本温泉旅館「小滝屋」さん

温泉の後は、「OJONCO館」へ。荷物を置いてから「ぷろばんす亭」へ。

OJONCO館脇の土手にぴょん!ととんだかわいい蛙。思わず撮っちゃいました。

OJONCO館前のお家が植えている、これは菖蒲?かカキツバタ?と、誰も正確にはわからないが、とにかく鮮やかで美しい!!

やっと到着「ぷろばんす亭」 「久しぶりです~!お元気でしたか!」

狩野代表は、早速厨房カウンターに入り、お手伝い?おじゃまむし?

「おなかすいたよ~」「美味しそ~!」並んだ、並んだ、ぷろばんす亭メニュ-

とりたてのかつおは、いわき市で活躍するOJONCO館応援団長松原さんの差し入れ。

 区長さんのご挨拶

 開沼博さんもここから合流。ご挨拶。

 かつおを差し入れてくれた松原さん

    おなじみ、ぷろばんす亭4人の美女たち

お腹いっぱい食べて、飲んで、しゃべって、大変充実した一日でした。あとは寝るだけ。明日は開沼さんとのミーティングと芝山公園でのBBQだ!

 

 


福島スタディツアーに行ってきました!

2015年05月28日 | 福島視察

5月23日(土)

くにたち組は国立駅のホームに6:00集合。4:30に起きた人多し。でもよい天気でよかった。

そして7:15東京駅丸ビル脇から、チャーターしたバスで出発!!

  

なんと運転手さんが前回と同じ方!「またお会いできてうれしい!」とお互いに。

最初のサービスエリアで、トイレ休憩 

さあ、今日のメインイベント、現地のガイドさんから富岡町周辺を案内してもらう。「道の駅よつくら」でガイドさんと待ち合わせ。

        よつくら港

「ふたば商工株式会社」の田中美奈子さん。ご自身も自分の家はあっても住めない地域なので、帰れない、その思いをこめながら、福島の現実をしっかりと語ってくださいました。

  

        立派な 復興公営住宅             原発事故後東京に電気を供給するために火力発電所(煙突)が頑張る。そしてフレコンパックの山

  畑は「手入れされた」草がたくさん生えている。

  

楢葉町役場のある場所「エネルギー福祉都市」と看板がたっている。 ここでお昼。除染や土木作業員の方たちの食事処。

  

あちこちにフレコンパックの山がある。            整備された作物を創れない畑。                    広大な廃棄物焼却場

   

      

周辺にはての付けられない建物や車が残っている。そしてフレコンパックの山、山、山・・・・!

 

これは同じ写真ではありません。次々にとっていったのです。どこまで続くのかと思ったほどでした。

片付いていても人気のないまち。

  

   気になる人には、靴カバーとマスクが配られます。これは帰るときには返します。持ち帰り禁止!富岡駅前で案内してくださる田中さん。

富岡駅はホームもレールも撤去され、あとかたはありません。向こうに海と作業場とフレコンが見えるだけ。壊れたホテルは別の場所で再開したそうです!

 

ここで亡くなった方たちの慰霊碑。モニタリングポストは0.3を示していました。

ここはお弁当やさんだったお家。家と厨房をその日のままで公開してくださっているそうです。2011年3月のカレンダーがそのまま貼ってありました。

 このお弁当やさんは別の場所で再開しているそうです。生々しい現場でした。

この後は、パトカーで巡回中に亡くなった2名の警察官の追悼のために、ぐしゃぐしゃになってしまったパトカーを保存してある公園に行きました。

パトカーの面影もない残骸。1名の方はいまだみつかっておらず、その方のご家族へのメッセージポストが設置されています。

そこから先へはいけない帰還困難区域の境目。

片づけた後にはフレコンパック。建物もべニアでかこわれていても、それ以上にはてがつけられない。

いのししが暴れまわる、その足跡が一面にある。そして、原発が見える。  このあたりは風光明美な海岸線で観光地だったとのこと。そして原発が見える。

みんながあっけにとられた除染の様子。普通の恰好にゼッケンだけつけてデッキブラシで洗う除染にびっくり!!ただの塀のお掃除と変わらない。 

 

この後は「夜ノ森桜通り」の桜の木のトンネルをくぐり、田中さんのお家(まだ帰れない)の脇をとおり、最後は田中さんが「富岡町の唄」という情景豊かな故郷の唄をうたってくださり、感慨深い視察を終えました。

田中さんは「もう前向きに生きたい」と力強く方ってくださいました。

以上。1日目の報告でした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


3/ 14~15 福島ツアー下見(スタディツアー&OJONO)

2015年03月20日 | 福島視察

13日(土)朝5時に国立駅集合、東京駅八重洲南口から高速バス「いわき号」7時発に乗って、いわきへ。いわき駅前に到着10:03

 もうじきいわき・・・       

ここからスタディツアーのバスが出る。このスタディツアーは、福島県の委託事業のため、参加費無料です。定員25名のところ30名の参加でした。

 

 

 おなじみ「浜風商店街」。ここでお買いもの。無料のコーヒーサービスもあり。

「ふれあい情報館」には、震災時の写真がたくさん貼ってあります。今さらながら衝撃的な映像です。

木造のベンチに「秩父農工科学高校」とあります。金属を一切使わずに作ったベンチを作って運んでくれたそうです。

バスの中から久ノ浜を見ます。                            道の駅「よつくら」で昼食。

 

食堂から見える海の岸壁は、修復作業中。

バスから見える沿道の畑や田んぼは、瓦礫の仮置き場。黒いフレコンの袋は劣化して漏れるので、大きな緑色のカバーがかけてあるそうです。

楢葉町の天神山城跡。広い公園の中にあるモニタリングポスト。ここの展望台から見える洋上には風力発電の実験がされています。

公園から見下ろせる畑は一面「仮置き場」ここにはこれからどんどん瓦礫が運ばれてくるとのこと。東京ドーム18個分必要だそうです。そしてそのあとにも除染すればしただけ増えていき、いつになったらおわるのかなんてだれにもいえないと、ガイドの方は話されました。「こんなに始末できない代物を何故つくってしまったのか?!」とガイドさんには憤りにも近い想いを感じました。

楢葉町役場でトイレ休憩。原発交付金で造られた役場のなんと立派なこと。

そのあとは富岡駅へ

まずは海に向かって建てられた、「慰霊塔」にツアー参加者全員で黙祷をささげました。手の付けられない持ち主不明の車。

いまだ4年前のままの建物。

海沿いの堤防修復作業。

10:00~16:30という6時間にもわたるスタディツアーは、まさしくスタディな旅でした。ガイドさんも参加者も、口には出さねど、心の中で「何で!何で!こんなことに、こんなままで!」と「人間を感じない復興」のありさまに、虚しさと憤りを感じた濃い6時間だったに違いありません。

さて、ここからは「ぷろばんす亭」のみなさんや上三坂の顔なじみのみなさんが待つ「OJONCO館」へ向かいました。

夜は中華料理屋さんで歓迎を受け、大いに盛り上がり5月ツアーや福島キッズの話もできました。

翌日の朝

福寿草のお出迎え。いたるところに咲き乱れています。

 

OJONCO館周辺を散策。

静かでゆったりとした時間が流れています。5月は緑が綺麗なことでしょう!

OJONC館には立派なお庭があります。

昨夜使ったシーツを洗って干しました。

積もった雪が日陰ではまだ解けずに残っていました。

昨夜は到着が遅く寄れなかった「ぷろばんす亭」に。

 

そのあとは芝山自然公園に。高台に上ると360°のパノラマ。晴天だと絶景!

 

運動広場にも「仮置き場」。モニタリングポストは0.008程でした。

上三坂を後に、お昼は震災後にNPOを作って始めたというお蕎麦屋さんで。天ざる750円でこれはびっくり、美味しい!安い!

 

最後は温泉へ。ここも230円。東京の銭湯は400円以上だというのに・・・。熱いお湯が苦手な人もいますが、ハードなツアーの最後に熱くて効き目のある温泉で、一気に疲れがとれた気がしました。

さあ、また高速バスで東京へ。湯本インターから17時24分発、バスの中でぐっすり眠って、東京駅着20時30分。

充実の下見旅行でした。5月はこの無料スタディツアーが継続しているかどうかわかりませんが、ない場合は他にも探したり、自前の企画も考えながら行くことは決定です。ぜひみなさんもご一緒しましょうね!詳細は後日またお知らせします。

 

 

 

 

 

 

 


投稿「とみおかを訪ねて」

2014年05月30日 | 福島視察

5/24~25に日本フェミニストカウンセリング学会が福島県郡山市を会場に開かれ、現地視察も行われました。被災地福島の女性たちの現状と苦悩をしっかりと聴き、そこでのエンパワーとは何か?をともに考える、内容の深い学会でした。

富岡町ときいて、5月11日の種まきネット総会記念講演の市村高志さんのお話の後でもあり、行かなくては!と出かけました。
富岡駅にはこれで3回訪れましたが、風景は変わらず、荒れたまま、片づけてあっても人のいないまち。

除染した土の袋、フレコンの山だけが、行くたびに高くなる。

このまちをどうするのか。ここにいたひとたちにどうこたえるのか。私たちは東京で。

 郡山駅前

とみおかまちの地図

道の駅 「ならは」はようやく片づけて、今 作業員や訪ねる人たち用にトイレだけ使用できるようになっている。トイレだけの道の駅。

看板はそのまま「道の駅 ならは」               モニタリングポスト

道の駅事務所のガラスドアとバスにあるスローガンは「30年後のふるさとのために」一瞬とまどうフレーズです。過去ではなく、将来にある「ふるさと」30年後のふるさと。考えてもみなかった「ふるさと」です。

近くには双葉警察署臨時庁舎もある

あちこちにパトカーが止まっていたり走っていたりします。

田んぼは緑色鮮やかですが、イネではありません。雑草の生えたままの田んぼ。

生高泡立ち草は草ではなく、木になってしまったそうです。壊れた家もそのまま。

草ぼうぼうの田んぼに水がたまっているだけ。       学校

富岡駅周辺の家やお店

車は個人所有物なので、持ち主が見つからなければ処分はできない。

線路のレール上にのったままの車。津波でここに運ばれてきたまま3年がたつ。

富岡駅

慰霊碑

とみおかまちは震災前にはニュータウン計画があり、新しいおしゃれな戸建てや集合住宅建設の途上にあったそうです。でも今はそれも夢のまた夢になってしまった。

窓の向こうに見えるのは東京電力のエネルギー館。たいそう立派な建物です。

草ぼうぼうの田畑が続く。

幹線道路は走れるようになったが、除染ができていない場所への立ち入りは禁止。

小道に入る入り口にはこうした看板があちこちにたっている。

とても立派で大きい町役場

原発が見えるもっとも近いところ。向こうに見える煙突が原発

庭先のぶどう棚

田んぼはフレコン置き場と化している。

立派な体育館

 

田んぼの向こうに見える緑色のカバーはフレコンにされたカバー

積み上げたフレコンが緑色のカバーでおおわれている。この景色がずっと続く。

復興住宅建設中。ここに入れる人も多くはないそうだ。

久の浜住宅地。流された家の塀に掛けられたことば。「私達は忘れない。2011年3月11日。人と人の絆。がんばろう。久の浜は負けない」

旧久の浜商店街の人たちが作った、仮説店舗。浜風商店街

商店街の入り口ではお客さんみんなに、インスタントコーヒーの無料サービスをしている。そこでごぼうチップスとみそ漬けをお土産に買った。どっちもおいしかった。

また来よう。また来るね!と誰にともなく、呟いて帰路についた。    (E・Y)

 

 

 

 


行ってきました、福島!

2013年11月26日 | 福島視察

福島オーガニックフェスタ 美味しいもの一杯でした!

「福島民友」に載りました!

新田川温泉 原町 ユッサの庭の紅葉がきれい

一番星に泊まり、23日は8時出発で小高の海岸沿いと、浪江町に向かう。

原町火力発電所     瓦礫            新しく作ったテトラポット

 

「集慈の祈りのモニュメント」の前で星さんのお話をきく。

 

このコンビニの先には買い物、トイレできる所はないので、サービスエリアのようになっている。

小高区の海岸に近い町はまだそのまま。

被災者が避難した公民館。スクリーニング場が道路の向こうにある。浪江町入り口。

浪江町役場(数人はいるらしい。二本松に仮庁舎がある) 。片づいているが人がいない。

南相馬道の駅で、星さんと別れて、郡山ビッグパレットのオーガニックフェスタに向かう。

小高、浪江の視察に時間をかけたのでビッグパレット到着が遅れ、売り切れが多く、やっとゲットした山際シェフのカレー

 16時半に出発。しかし事故・工事等の渋滞で国立着は23時・・・。

ツアー参加者の皆さん、大変お疲れ様でした!!またいきましょうね!

 


福島訪問・四ツ倉~薄磯海岸

2013年05月07日 | 福島視察

四ツ倉から薄磯海岸へ

  

四ツ倉の道の駅の柱に貼り付けてある、子どもたちのメッセージタイル「四ツ倉は負けない」「続けていく事が絆を生んでいく」

 

道の駅は3・11前は木造だったが、以降は鉄骨の頑丈な建物に建て替えられた。入り口付近に植樹された「希望の木」

 

 

 

 

 

薄磯海岸のガラ花(その頃はまだ瓦礫があったところに描かれた花の絵)

 

案内して下さったEさんからお話をきく。Eさんの家は65年続いた家。昔は漁網など漁の資材を販売する商いをしていたが、現在は海岸工事の資材等が殆どになったそうだ。

古くからの家は流され、今は近くに家を買って暮らしていらっしゃる。今もまだ実感がなく、何を失ったかが最近になってようやく思い出されると言われた。ああ、あれもない、これもないと少しずつ実感を伴い思い出すと・・・。

身近な者どおしでは、みんな同じなのでかえって話せないそうだが、私たちには、たくさんお話をしてくださった。

「復興」のかけ声はあれど、人々の気持ちはまだまだ、そのずっと前にある。また、来よう、と思いながら、帰路についた。                          (E)


福島訪問~楢葉・富岡へ~

2013年05月05日 | 福島視察

原発の間近に 

◆5月2日~3日に、Nさん、Kさん、と3人で福島を訪れました。連休なので道路の込み具合も気になりましたが、昨年の12月にいわきを訪れて以来なので、国立市被災者を応援する市民の会のKさんも伴って、毎月1回以上は通っているNさんの車に乗せてもらい、1泊2日で行ってきました。3日はKさんが原発の近くまで行ってみたいというので、立ち入り禁止が解除になったばかりの楢葉・富岡にも行きました。

Kさんは、自分が見たことをぜひ東京の人たちに知らせたいとたくさん写真もとってきました。そして報告会を開いて現状を知らせたいと思っています。とりあえず今回見たままをここに載せます。

      

朝9時に国立を出発し、12時半頃にいわき 三和の家に到着。福島は今が新緑あふれるよい季節です。放射能の心配さえなければ自然を満喫し、種々に彩られた緑色の木々の間をこの上なく気持ちよく堪能できる季節です。途中の「ふるさと市場」直売所で買物。三和の家の周囲も、庭の木もとても美しく鮮やかでした。昼間はちょうどよい蔵の家。夜は冷えてきて、火鉢に炭をいれました。直売所で買ったうどんや野菜で夕食をとり静かな夜をおしゃべりに興じました。

◆翌日は8時過ぎに出発。原発の近くまで行ってみました。

 誰もいない楢葉の街。通行止めの表示。

 富岡の街。手つかずのまま地震と津波の爪痕が残る。 

      

学校が見えた。富岡第一中学校・小学校・幼稚園の看板があった。除染しているが、この場所に再開するつもりだろうか?電光表示板には3.38μシーベルトとあった。

    

家・車の残骸が傷痕をみせる。                               右側に福島第2原発が見える。

   

海岸そばにモニタリングポストがおいてある。海岸近くの店舗。

   

 消防車が巡回しているようだ。JR富岡駅。立ち入り禁止の札があるが見にきている人はみんな中まで入っていた。

   

 駅前にそのままの車。レールの間に車が挟まったまま。

        

原発周辺地域の田んぼは、雑草とフレコン(フレキシブルコンテナ=除染した土の袋、の置き場となっている。

   

津波で畑の真ん中に流れてきた家か? 田んぼの間あいだにフレコンが並んでいる。

                           道路脇の平地に、延々積み上げられているフレコン。

  

この後、四倉に向かいました。それはまた明日書きます。                              (E)

 

 


追悼~2年が過ぎて

2013年04月07日 | 福島視察

3月23日双葉郡楢葉町に足を延ばしました。昨年8月「避難指示解除準備区域」となり、宿泊はできませんが自由に出入りができるようになったのですが、地震、津波で被災した痛々しい姿が広がっていました。北端にある福島第二原発すぐ手前の海岸集落は、ご覧の通り、壊滅していました。黙祷。

 さらに海岸に車を走らせると、白い真新しい壁が太平洋を遮断していました。「放射性物質の仮置き場」でした。唖然。

3月25日には、富岡町にも入れるようになりました。「戻れる」のではなくて。

※下記に、斎藤貢一さんの追悼詩を掲載します。
 
2011年、3月11日。
東日本大震災。
あの日の、悲しみと苦しみを
わたしたちは決して忘れません。
太平洋の美しい松林に、大津波が押し寄せて、
集落を、駅舎を、国道を、鉄路を
無残に、浚っていきました。
たくさんの尊いいのちが奪われました。 
そして、原子力発電所の事故。
見えない放射線によって
わたしたちは、故郷を追われました。
今に至っても
警戒区域は、まだ残されたままで
未だに帰還できない方々も大勢います。
戻りたいという想いと
戻れないだろうという諦めとが
わたしたちの心を苦しめ、
わたしたちの心を引き裂きます。
懐かしい、故郷の風景が
ひとつ、またひとつと
心に浮かんできます。