福島県有機農業ネットワークから
11月3日(土)に郡山市で開催されるシンポジウム
「有機農業を原点に持続可能な社会と暮らしを考える」のご案内です。
福島とつながる種まきプロジェクトネットワーク」も「福島県有機農業ネットワーク」の会員なので、通信が届きます。その中にあったチラシです。
以下は便りからの抜粋です。
1,福島第一原発事故から一年半が過ぎて。
(8月12日南相馬市小高区根本さん支援の会で津波被災地を見学したそうです。)
南相馬市小高区は東北電力第一原発から北に10-20㎞のところにある。2012年4月16日に原発事故から1年1ヶ月ぶりに、小高区は警戒区域から避難準備区域に編入され、立ち入りができるようになった。
昨年3月12日に避難指示が出された時は、3日すれば帰れるものと思って体育館に避難した。それは原発の平和利用と安全神話を信じさせられ、それを裏付け根拠として、日本の技術(全てのものづくりの技術は世界最高)であると信じていたからである。
しかしそれは、人間の技術ではコントロールできない核であり、福島原発は世界を汚してしまった。いまだ福島原発は危険な状態である。
2012年4月16日。どれほどの思いで待ち望んでいたか、当人でなければ理解できないと思う。帰ったら何をしよう、家はどうなのか、納屋は、農耕具は、田畑はどうすればよいのか、脳裏を駆け巡る毎日であった。
しかし帰ってみると、何をどう整理すればよいのか検討がつかない。トイレ、火は使えない。泊まれない。避難している相馬からは片道1時間20分はかかる。毎日のように帰ってはみたものの何も出来ずに帰ってくる。他、畑、草は日一日伸びてくる。同時に心もしおれてくる。
中略
今年5月9日生産組合を中心に草刈り、ゼオライト散布耕転作業を実施。5月代掻、14日に田植えすることが出来た。
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稲の生育は順調で、9俵以上(当地は平年作8俵)望めた。しかし、出穂後乳熟期頃からイノシシに見つかってしまい、2~3日の間に、イノシシの寝床と化し、1枚を除き全滅してしまった。試験田とはいえこの状態を見るにつけ又、心が萎えてしまう。
回りの水田、畑、道路は日々、セイタカアワダチソウが伸びていく、でも諦めきれず心を鬼にして、毎日猛暑の中を通っている。
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市も復興の決め手に欠けていると思う。国の指導はあてにならない。でも最終的には国に責任を持ってもらわないと困る。それでも私達は、明日に向かって、進まなければならない。
中略
2,南相馬市小高区は日本の農村の将来像か?
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3,シンポジウム「有機農業を原点に持続可能な社会と暮らしを考える」のご案内
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4,販売活動の概要
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5,活動報告
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6.今後の予定
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7,ふくしま有機農業ネットワークが目指す有機農業とは?
有機農業とは「農薬や科学肥料を使わないで、安全安心の農産物をつくる特殊な農業」と考えるのは視野の狭い考えです。
中略
都市と地方の関係性も見直し、持続可能な社会を目指すための核となるのが有機農業です。 (完)