酒と料理と競馬と競艇

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身寄りのない 玉子どうふ ・・・・!!??    4,199

2015-07-11 10:12:23 | 日々の出来事 その1

7/11  晴時々曇   土曜日   ・・・31℃/ 21℃!! 上は・・・30度を超えてくるだろう・・・!! 暑くなりそうな・・・東京から発信です。

・・・文月も三分の一・・・経過した。
文月の・・・スイムも、ルーティーンに乗ってきた。 昨日で・・・7/4 5 8 9 10日。。。
5回目である。
1000m ⇒ 腕立て×100 腹筋×40 ⇒ 100m/クールダウン ⇒ ジャグジー。
誰のためですか??        己のためである。・・・ただただ旨いものを食べたい呑みたいだけである。(^◇^)
歩く案内時に・・・後ろ向きで・・大声を出す!! 心肺機能の維持・回復力も・・・追加でだ。  
トップアスリートは・・・。 記録を欠かさない!!
昨日は・・呑み切り/ボルビックであった。¥100-は・・・高い!! スポーツ館ロビーにて。

・・・自分ご褒美。
"かっぱ" pm 20:30    303円に・・・群がる。 またまた身寄りのない・・・料理に遭遇。
店内を一周するも・・・パトロンはいなかったようである。吾輩・・・・"店長・・食べるよ"  店長・・・"いい!! ありがとう"であった。
水揚げに選ばれる客は、その道に熟達した通人(つうじん)のなかから特に財力のゆたかな者が、抱主の依頼に応じたり、その承認のもとに自薦したりしてこの任に当たるのが常であった。(^◇^)

見た目は・・!!
枕芸者にしか・・・育たないようだったが!!

「卵」も「玉子」も、「たまご」と読むため、つい混同して使ってしまいそうになりますが、両者には決定的な違いがある。

『卵』は調理前で、生まれたままの姿の『たまご』を指し、『玉子』は調理した後のものを指す。

昨日は・・後者!! 玉子である。これに倣うと「生たまご」は「卵」、「厚焼きたまご」は「玉子」ということになる。(^◇^)

遊女の場合禿(かぶろ)が新造を経て一人前のお披露目をした後初めて客と同衾することであった。

仕込みがい・・・教えがいが・・・ありそうだ。

遊女は一人前となり事実上の業務スタートとなるが(お客をとるようになる)、芸妓の場合はそれまでの年少芸妓、見習い芸妓の立場から、一人前の芸妓になる通過儀礼的な側面が強かった。それに続いて特定の旦那を持つ、という段階を踏むことが多かった。

なかなか・・・いい遊女・・・もしくは・・芸妓になりそうだった。
  

身寄りのない・・水揚げをしてあげた。 常温で乾杯である。

 
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真昼の情事 ・・・・・!!!!       4,198

2015-07-11 08:58:14 | 日々の出来事 その1

7/11     土曜日     ・・・文月・・。朝から・・アラーの神が顔を出している・・・梅雨束の間の、東京から発信です。

このあとである・・あの逸品に遭遇した。  遭遇してしまう。 昨日の続きである。・・・9日は!!

・・・隅田川で川開き・・花火が・"玉屋" "鍵屋" と、聞こえてくる季節だ。

その起源は古く、8代将軍・徳川吉宗の時代、享保18年(1733)5月28日に催された 最初川開きの両国にまで溯ること。両国川開きはは、当時の大飢饉や江戸に 流行した疫病による死者供養と災厄除去を祈願して行われたものが、供養の花火である。

8代将軍・・・暴れん坊将軍・松平 健は、・・・上野の山の花見は、鳴りもの禁止、当時寛永寺の住職が、朝廷と遠い血の繋がり・・・あったらしい!! ならばと・・・松平 健は、サンバを踊りながら、飛鳥山を庶民の桜の名所に・・こしらえてくれたのは・・・チョイト昔・300年前の話である。
   

目に入るは・・・!! お母さん自家製・特製の・・塩辛である。今時・・・500円ではない・・・本当のワンコインで提供されている・・・B級居酒屋は・・・ありますか?? ( ..)φメモメモ

  

腸がまったりと・・・イカに絡む!! 日本酒日本酒は、北区/小山酒造・・・江戸の地酒「丸眞正宗」である。
コップ酒も・・3杯目(^◇^)  この小皿・・器が深い・・・

  

30円の昆布を・・・3ヶ & 生姜さつま揚げ & がんも。。塩辛もセカンドを頼んでしまう。

  

和唐しは・・・お見事!!
 変わらぬ瀬戸の容器は・・・信越線・横川駅・・峠の釜めし・・・"おぎのや" である。

最後の・・プライス¥1,050を・・・記憶している。吾輩も・・・900円台から相伴に預かっていた。

・・・アプト式で・・・碓氷峠は66.7‰という国鉄・JRで最も急な勾配が あり、列車が上り・下りするためには補機であるEF63を連結・解放する必要があった。
                              ・・・チョイト寄り道。(^◇^)


アプト式鉄道とは急勾配区間を運転する路線に適した方式だ。軌道にはギザギザの歯が付いたラックレールを敷き、車両に取り付けられた歯車をラックレールの歯に噛ませることで、登坂降坂時の引張力やブレーキ力を飛躍的に高める。(写真はアプト式の模型)

明治24年には工事着工、しかし碓氷峠は難工事を極めた。そして、先端技術を惜しみなく投入された碓氷峠(横川-軽井沢間)は、明治26年に、世界に誇れるアプト式鉄道として開通する。

しかし、昭和34年に、軌道の改良計画が浮上。アプト式は廃止し、新線で粘着運転(上で説明した機関車方式)で運転される事になる。昭和38年には碓氷峠に新しい鉄道線が開通、アプト式は、その役割を終えた。

 


あまり知られてないのかもしれないが、アプト式時代に使われていたラックレールは、意外な所で第二の人生を送っている。写真を見てお分かりだろうか。これは横川駅前の排水溝。ラックレールが軌道から剥がされたとき、一部は排水溝の蓋として再利用された。


ラックレールのアップの図。その昔、この上を機関車が通ってた。

 

 

 

またまた話は飛んで、ここまで来て、峠の釜飯を食わずに帰るわけには行かない。横川の駅前にあるおぎのや(写真)が作ってる、この釜飯。機関車の作業の為に数分停車する横川駅や軽井沢駅で、その停車中の時間を利用して売ろうと言う、素晴らしい商売戦術なのだ。 

・・・まるで!! "かっぱ" を・・・彷彿させる。 

特急
が着くと、このように何台のも台車に釜飯をのせ、売りに来るのである。

 

 

 


寄り道は・・・人生においても・・・大事なことである。 
寄り道のない人生なんて・・クリープのない珈琲の様なものだろう!!

 

またまた。。直近で・・・チョイト!! 止まり木に・・・その時は・・・暴れん坊将軍も・・・連れて行きますので!!
横川に・・行きたいなぁ!!

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