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勝手な妄想にて~西宮戎神社と今宮戎神社のご祭神~

2016-01-01 22:00:00 | 日本の神様について

まずは、今宮戎神社のウィキペディアをご覧ください。

今宮戎神社のウィキペディアより転載

≪他の神との習合≫
えびすは記紀に出てこない神であるため、古くから記紀の中に該当する神を探しだす説がいろいろ出てきた。蛭子、事代主神、少名比古那神、火々出見命(山幸彦)等の諸説があるが、えびすを祀る全国の神社では蛭子説と事代主神説が圧倒的に多い。

≪蛭子≫
記紀神話において、蛭子命は3歳になっても足が立たなかったために流し捨てられたとされる。その神話を受け、流された蛭子命はどこかの地に漂着したという信仰が生まれ、蛭子命が海からやってくる姿が海の神であるえびすの姿と一致したため、2神は同一視されるようになった。このえびすを蛭子命と見る説は、室町時代のころに現われたものであり、えびすを夷三郎と呼ぶのは『日本書紀』において3番目に生まれたことによるとされるが、本来は夷と三郎は別々の神だったのが混同されたものである。

蛭子命の漂着の伝承は各地にあるが、その代表が兵庫県西宮市の西宮神社とされている。西宮神社はえびすという名の神を祀った神社としては現存する記録上で最古であるため、全国のえびす神社の総本宮とされる。また江戸時代から明治にかけて、えびす=蛭子説に基づいて祭神名をえびすから蛭子に改めた神社も存在する。
≪事代主神≫
えびすを事代主神だとする神社の代表格は今宮戎神社である。事代主神は託宣の神といわれ、記紀神話においても直接に水との関連はない。しかし、記紀神話の国譲りの項で、大国主神の使者が事代主に天津神からの国譲りの要請を受諾するかを尋ねるために訪れたとき、事代主が釣りをしていたとされることとえびすが海の神であることが結びつき、江戸時代になってから両者を同一視する説が出てきた。七福神の絵図でえびすが釣竿を持ち鯛を釣り上げた姿で描かれるのは、この事代主神の伝承に基づくものともいわれる。また、事代主の父である大国主命が大黒天と習合したことにより、えびすと大黒は親子ともされる。

なお、えびす信仰が生まれる以前から事代主神を祀っていた神社で、後にえびすを祀ったものも多数ある。その最も典型的な神社は島根県松江市の美保神社で、事代主神を祭る神社の総本宮でもある。逆に、江戸時代から明治にかけて、えびす=事代主神説に基づいて祭神名をえびすから事代主神に改めた神社も存在する。

 

12月18日に何故かしら西宮戎神社に行きたくなって参拝して来ましたが、

その時に思ったのは、西宮のえびすさんは、事代主神というより「蛭子命」だと感じました。

今宮戎神社にも参拝させて頂き、ますますその思いは強くなりました。

上記のウィキペディアにも書かれている通り、蛭子命は伊邪那岐命と伊邪那美命の間に生まれた最初の子供で手足もない不遇の子でした。

その為、海に流されました。

そして、今の西宮の廣田神社あたりに流れ着きそこで大切に育てられ祀られるようになった…というような神話が残されています。

メチャ、大雑把に書いているので細かい事は諸説ありますので「違う!!"(-""-)"」と言って怒らないでね。

 

わたしが思うに実はこの「蛭子命」は宇宙から伊邪那岐命と伊邪那美命が地球の発展の為に手を貸してほしいと依頼されてやって来た存在でした。

それほどパワフルな優しい神様なのでした。

ところが何を思ったのか3次元の地球では手足があることが何かと便利なのにもかかわらず、手足を付けてきませんでした。

そこで伊邪那岐命と伊邪那美命がこの地球では身体的な条件が揃っている方が便利なのにどうしてあなたはその肢体を選んできたのですか?」と尋ねました。

すると「あなた方そう言いますが、我々は思念の世界に生きている存在です。ですから地球的な身体は必要ありません」ときっぱりと言い切りました。

しかし、この世を作ることで忙しい伊邪那岐命・伊邪那美命はお世話をする暇がありません。

仕方がないので信心深い人間達にさせる事にしました。

それが現在の西宮の廣田神社周辺の村々でした。

 

話は少し逸れますが、今では土地が埋め立てられ(西宮の)廣田神社は決して海の近くではありませんが、昔は広大な敷地をもち参道の入り口は砂浜が続いていました。

町の名前で今津というのがありますが、昔はこの辺りは入り江で大切な港でもありました。

廣田神社の境内に書かれている古代西宮の地図を見るとよくわかります。

※実際には少しあの地図は神社よりにデフォルメされている様です(笑)

江戸時代になると今の状態にかなり近い感じで埋め立てが進んでいます。

もともと西宮戎神社は、廣田神社の摂社の一つで南宮と呼ばれていたそうですので今の第一のご祭神として祀られるまでは廣田神社で大切に祀られていたのではないかと思います。

 

西宮戎神社の境内にある廣田神社の摂社です。

 

話は戻りますが、上記のような地形のこともあり、実際にはたまたま世話をした村が海に近かった為、海に流されたとされる伝説ができたのではないかというのが私の想像です。

そんでもって神様って色んな別名があったりしてややこしいです。

事代主神も大好きな神様ですが、厳密に言うならえびすさんと事代主神はちと違うと感じているのはわたしだけでしょうか?

今宮戎神社は、参拝してみて事代主神というのは間違いないと感じましたので西宮戎神社とは少し雰囲気が異なるのも当たり前だと勝手に思いこんだ次第です。

さてそれがどう違うのか?と聞かれても答えにくいのですが

「蛭子命」は、イルカの様なイメージでお水そのものとご縁があります。

あ~違うな、「ジュゴン」のようなイメージです(笑)

そうそう!ジュゴン!

海の中だと自由に動けるのですが陸に上がると、一人ではなかなか動けないような・・・そんな感じです。

だから今でも海が好きで、(他の神社は知りませんが)西宮戎神社に鎮座して海を眺めておられるような気がします。

埋め立てられて昔のようにすぐそばに海が望める訳ではありませんが、潮風の吹く少なくとも廣田神社よりは

海を感じられる場所におられるのではないかと思うのです。

 

で、西宮戎神社がなぜ商売繁盛の神様としてご利益があるのかというと

ジュゴン…じゃなかった蛭子命を良くお世話し、お祀りした事で良いエネルギーを頂けるようになったのではないかと思う訳です。

3次元的に生きるには、エネルギーの元となる食料も大切なので作物を豊かに実らせ、魚を沢山収穫させ、供物としてお供えさせました。

その為に村人達が一生懸命に働きご奉仕しましたのでお裾わけも必要です。

それがいつのまにか、蛭子命をお祀りすると沢山の収穫があるという事になり、現在のように商売繁盛の神様として信仰されるようになったのではないかと思うのです。

 

一方、事代主神は、託宣の神と言われる様に人間に近い存在のようです。

釣りが好きな所から海とのご縁があるとして漁業の神様として信仰されていったようですのであくまでも水にご縁があるという程度です。

それより、言霊にご縁がある方なので今でも素晴らしいインスピレーションを参拝者に降ろしておられるのではないでしょうか?

それがお仕事に関する事だったりするので商売繁盛に繋がって今宮戎神社のように沢山の人から信仰されて発展していったような気がします。

「十日えびす」は、この神様の真骨頂だと思うのですが、みなさんはどう思われますか?

 

この辺りの話は数多の説がありますので、全部書き示すと訳が分からなくなりますので割愛している内容が沢山あります。

ご容赦ください。

今回はこんな感じで書かせて頂きました。

二埜り音(にのりおん))の妄想はこれからも続きます(笑)

 

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