机の上

我、机の上に散らかった日々雑多な趣味(イラスト・劇画・CG・模型・HP・生活)の更新記録です。

映画の看板 スーザン・ヘイワード

2022-10-13 03:51:45 | 映画の味方
 古い映画雑誌の表紙の写真を模写した。本は亡くなった父の所有物である、この本の表紙の横には1954の6と表記がある。昭和でいうと29年だ。

 表紙の女優はスーザン・ヘイワード。自分的には映画「キリマンジャロの雪」が印象に残っている。多分、テレビの映画劇場が最初だと思う。

 原作の小説は未読だが、冒頭の書き出しは有名だ。キリマンジャロ、その頂近くに、不毛の頂上を目指し登り、力尽きて死んだ豹の亡骸があるという。豹が何を求めて頂上を目指したのか、知る者はない。

 梶原一騎原作の漫画「紅の挑戦者」の冒頭でも引用されている句(フレーズ)で知った。正直、映画の内容は忘れてしまった。忘れてしまったが、男と女とライフルの絵面だけは覚えている。

 キリマンジャロだから場所はアフリカなのだろう。豹がなぜ空の高みを目指したのかわからない。女優スーザン・ヘイワードは57歳で脳腫瘍で亡くなっている。

 彼女にとってハリウッドの世界はキリマンジャロだったのだろうか。頂上に辿り着いて息絶えたのか。あっという間の人生だったのではないだろうか。美人薄命とは言ったものだ。


煙草を吸う女性

2022-10-11 07:55:12 | 映画の味方
  煙草を吸う女性は嫌いではない。若い頃に煙草を吸う女性と幾人か交際をした事があるが、ヤニ臭いとは感じなかった。自分も吸っていたわけだし、今日問題になっている副流煙にも気にならなかった。ついでに言えば仕事で工事現場に行くことがあったが足場の上でも、くわえ煙草で仕事をしていた。当然お叱りはなかった。

 映画の世界でいうと洋画ではジョアンナ・シムカスの煙草の吸い方が印象に残っているし、邦画では久我美子が映画「挽歌」の中で煙草を吸う女性を演じていた。当時は煙草を吸う女性は少なく、堅気のお嬢さんが煙草を吸うという行為が新時代の訪れを醸し出していたようだ。今では煙草を吸う女性は珍しくなく街でも多く見かけるようになった。

 映画「トーヤ」を視た。ムーミンの作者、トーヤ・ベンソンの青春時代を描いた映画だ。第二次世界大戦後の時代背景にあってトーヤは自由奔放に生きている。劇中トーヤはやたらと煙草を吸う。彼女ばかりではない周りの取り巻きも煙草を吸いまくる。見ていて、だんだんと煙たくなってきた。自分は煙草をやめて四半世紀以上になる。

 以前に病院の警備員をした事がある。廊下ですれ違う女性の職員には時々、煙草の匂いがする方がいる。こちらは煙草をやめて時間が経っているせいか煙草の匂いに敏感になっているのには驚く。煙草の匂いと皮膚の匂い、化粧の匂いが入り混じった匂いは官能的で嫌いではない。当然、向こうもこちらの匂いを感じとっているのかと思うと赤面したくなる。

 絵の説明だが、女優のキム・ノバックである。古い映画雑誌をめくっていると出てきたので模写してみようと思う。映画「ピクニック」や「愛情物語」では煙草を吸うシーンがあっただろうか。何度も観ているのに憶えていない。



 

知らない世界

2022-10-09 06:40:59 | 映画の味方
 映画は邦画にせよ洋画にせよ、知らない世界だ。知らないというのは現実ではないという事だ。仮りに見馴れた身近な風景が、そこに映っていても知らない世界だ。

 洋画に出てくる女優にいたっては、いまだに謎だ。仮りに町で偶然に見かける事があっても、それは毎日見ている空よりも不思議だ。映画女優は美しいと刷り込まれている。

 多分、幼い頃から映画という宗教に洗脳されている。そうでなければ、面白くない興味のない映画も見たりはしない。邦画せよ洋画にせよ女優好みで映画を見る。もちろん男優も見る。


映画の看板/スーザン・ヘイワード

2022-10-08 04:32:48 | 映画の味方
 幼い頃、小学校の低学年だったろうか、近所に油絵を趣味とする小父さんがいた。小父さんの絵は外国の女優さんを写実に表現していた。おそらくは写真などを見て描いていたと思う。

 小父さんには真ん中が同級生で上下に子供が三人いた。奥さんは綺麗な人で外人みたいだった。当然子供達も似ていて外人みたいで、その長男が絵が得意で、鉛筆画で描かれた細密なロバート・フラーの絵を見せてもらった。

 子供の頃は写実的な表現にはあまり関心がなかった。鉛筆であれ油、水彩であれ、写真を見て写実に描く事に意味を見いだせなかった。それのどこが楽しいのかと、むしろ疑問に思っていた。

 それほど漫画にぞっこんだったわけである。漫画表現こそ芸術すべての極致と感違いしていたのかも知れない。漫画の模写も見本を横に置いて描くという事ではなく記憶で描いていた。

 絵は、なんでも記憶で描いていた。町で見た車やポスターの商品や新聞のカットや写真、気にいったものを漫画風に描いていた。それがある意味唯一の娯楽だったのだ。貧しさが絵に専念させた。

 絵はまだ未完である。当時を懐かしんで映画の看板風に描いている。あの男兄弟の三人は元気だろうか。長男は三歳ほど上級生で、下の子は歩いてはいたが、まだオシメがとれては、いなかった。ロバート・フラーは当時の西部劇スターだった。

 ロバート・フラー、テレビドラマの「ララミー牧場」が懐かしい。漫画化されていて、雑誌「日の丸」にも連載されていた。ロバートフラー、いつか自分も描いてみよう。