さっき録画していた「運命の人」最終回を見終えた。
このドラマ、初回を見た後、あまりに暗いのでもう見るのをやめようと思った、だけど日曜の夜って私がお酒を飲む日、手持ちぶさたなので2回目も見てみた、2回目は暗いのではなくシリアスだった、だから見続けることにした。
最終回は舞台が沖縄だった、悲惨な事実が取り沙汰されていた。(ほぼ事実だと思う)
見るに聞くに堪えられぬ内容だった。
沖縄の海は綺麗だった、でもその裏の事実は汚く卑怯なモノである。
ふとセブの綺麗な海を思い出した。
フィリピンはスペインや(マゼラン:ポルトガルも含む)日本にさんざん都合良く侵略されてきた国である、そしてアメリカにも。
私が毎年行くセブにはセブアノとビサヤという言語がある、そして第1公用語はタガログ語である。
タガログ語はよく分からないが、セブアノやビサヤは少しスペイン語に似た言葉・発音がある、一応私は大学で第2外国語にスペイン語を選択してましたので。
そして第2公用語は英語である、歴史を裏付けるひどい公用語である。
セブにいる間、私は自分より若い人達と接している、彼らは日本と日本人に対して悪い印象はあまり持っていない、でも彼らが言うには高齢のフィリピン人は日本と日本人が嫌いらしい。
その嫌いな理由は「運命の人」であった事がまさにその通りなのである。
「運命の人」は見ていて嫌になる場面が多数あった、だからそれだけシリアスないいドラマであったのだなぁ、と終わった今そう思う。
時代背景としてだけではなく、教訓として教えられた面も多くあった、と思える。
ホームページ
このドラマ、初回を見た後、あまりに暗いのでもう見るのをやめようと思った、だけど日曜の夜って私がお酒を飲む日、手持ちぶさたなので2回目も見てみた、2回目は暗いのではなくシリアスだった、だから見続けることにした。
最終回は舞台が沖縄だった、悲惨な事実が取り沙汰されていた。(ほぼ事実だと思う)
見るに聞くに堪えられぬ内容だった。
沖縄の海は綺麗だった、でもその裏の事実は汚く卑怯なモノである。
ふとセブの綺麗な海を思い出した。
フィリピンはスペインや(マゼラン:ポルトガルも含む)日本にさんざん都合良く侵略されてきた国である、そしてアメリカにも。
私が毎年行くセブにはセブアノとビサヤという言語がある、そして第1公用語はタガログ語である。
タガログ語はよく分からないが、セブアノやビサヤは少しスペイン語に似た言葉・発音がある、一応私は大学で第2外国語にスペイン語を選択してましたので。
そして第2公用語は英語である、歴史を裏付けるひどい公用語である。
セブにいる間、私は自分より若い人達と接している、彼らは日本と日本人に対して悪い印象はあまり持っていない、でも彼らが言うには高齢のフィリピン人は日本と日本人が嫌いらしい。
その嫌いな理由は「運命の人」であった事がまさにその通りなのである。
「運命の人」は見ていて嫌になる場面が多数あった、だからそれだけシリアスないいドラマであったのだなぁ、と終わった今そう思う。
時代背景としてだけではなく、教訓として教えられた面も多くあった、と思える。
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