15時52分、アプトいちしろ駅に着きました。先頭のアプト式電気機関車を切り離す作業が始まり、数名の乗客が降りて作業を見物していました。
連結とは違って手旗による信号も無く、ホイッスルも鳴りませんでした。いつの間にか切り離されていたアプト式電気機関車が静かに動き出して、前方右側の留置線へと進みました。
アプト式電気機関車が留置線への分岐に入った瞬間です。その1分後の15時57分に、列車が動き出して駅ホームを後にしました。
留置線に入ったアプト式電気機関車です。この日のダイヤを見ると、私たちが乗った列車が千頭行きの最終便になっていたので、井川行きの最終便も既に終わったことになります。このアプト式電気機関車のこの日の運行も終わったことになるので、「御苦労さん」と心で呼びかけて手を振りました。
その後は、隣の席に座った、井川駅から同道している登山客の方と色々雑談を楽しみました。先方は今年一年間で大井川鉄道に12回乗った、そのうちの9回は赤石山脈への登山で、3回は黒法師岳への登山で利用した、と話してくれました。黒法師岳の名に見覚えがあったので、黒法師岳へは寸又峡から行ったのですか、と尋ねたところ、「そうだよ、寸又峡の奥の飛龍橋という橋の横から登ったんだ」と答えてきました。
それで、私も5月に寸又峡温泉に一泊してプロムナードコースを飛龍橋まで回ったことを話すと、「法師岳へ行く道は通行止めの廃道みたいだったでしょ?」と問われました。その通りです、あの道を行ったんですか、と聞き返すと、微笑しつつ頷きました。
16時6分、奥泉駅に着きました。相手が「ここから寸又峡へ行ったんだ」と言うので、ああ路線バスがここにも停まりますよね、と応じると、「いや、バスは乗らずに寸又峡まで歩いたんだよ、旧道をね」と言われました。バスで40分かかっている道を歩くとどのくらいの時間がかかるんですか、と訊くと「バスは車道を通るでしょ、あれはかなり迂回して遠回りのルートなんだ。昔からの旧道がね、山道になってて今はハイキングコースになってるんだが、車道と違ってほぼ一直線に寸又峡まで行くんでね、時間も二時間ぐらいで済むんだよ」と説明してくれました。
それから寸又峡をかつて走っていた千頭森林鉄道のことに話題が移りましたが、相手は一度その廃線跡を歩いたことがある、と話しました。どこからどこまで、と訊くと、「沢間駅からだよ。昔は沢間駅から千頭森林鉄道の本線が寸又峡まで通っていたんでね、その廃線跡を歩いたんだよ。沢間駅にも千頭森林鉄道の遺跡があるからね・・・」と語ってくれました。
その沢間駅の千頭森林鉄道の遺跡の横を通りました。コンクリート製のホッパーであるそうです。その下の線路は撤去されており、軌道跡は殆ど車道に転じているとの事です。沢間駅の構内がやけに広く感じられるのも、昔は千頭森林鉄道の線路があったからだそうです。
16時28分、以前に渡った両国吊橋の下をくぐりました。
16時35分、時刻表通りに千頭駅に着きました。井川からの全線を乗って帰ってきたのは今回が初めてでしたので、下車後に先頭の牽引機関車の前まで行って記念に撮りました。
千頭駅では20分待って、16時55分発の金谷行きに乗る予定でした。それまで駅構内のトーマスファミリーを見物したり、売店をのぞいたりしました。売店の一角にゆるキャン△販売コーナーがありましたが、その食品関連の品が殆ど売り切れになっていました。大井川鉄道の利用客が車内のおやつとして買ってゆくのだそうです。 (続く)