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文・恵美嘉樹(えみよしき)
作家。歴史研究の最前線の成果を社会に還元する二人組。
著書に『全国「一の宮」徹底ガイド』(PHP文庫)、『最新日本古代史の謎』(学研)など。
参考文献 『平安京の災害史』(著・北村優季/吉川弘文館)
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平安時代(782年~1185年)は優雅な貴族のイメージ通り、気候が温暖だった。海岸線が内陸にまで進出したほどである。1765年ワット蒸気機関の発明
そのため農業生産も向上し、奈良時代の都である平城京は人口10万だったのが、遷都した平安京ではぐんぐん増えたと推測されている※1。
※1平安京の人口については史料が残されていないが、平城京の2倍近くはあったと思われる
ところが、1100年頃をピークに気温は低下。「温暖化」を前提に拡大した人口を寒冷化が襲い、人々を戦争に駆り立て、ますます人口が減るという悪循環に陥った。
現代でも、気温の変化に人間の生活を適応させるのは非常に難しい。ましてや天候をコントロールするなど神の所業。実際、平安時代には「神に祈る」しか術はなかった。
そこで、ひとつ乱暴な言い方をさせてもらうと、源平合戦で源氏が勝てた最大の要因は、義経の戦略でも、頼朝の政治でもない。
雨だ。
平氏が勢力基盤を誇っていた西日本では、源氏の関東に比べて梅雨が長く続き、農地の不作が著しかったのだ。
まさしく、腹が減っては戦もできない状態。ハザードが戦争を起こし、また戦争の結果を導いたとも言えるのである。