「作曲・作詞家は楽譜を残す、歌手ひばりは、思い出が蘇り、勇気を与え続ける」
みだれ髪 船村徹・美空ひばり
塩屋崎(塩屋岬) 福島県いわき市平字薄磯字宿崎33
「金だけ、今だけ、自分だけからの脱皮がもとめらる」
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「ですが、ひばりファンも高齢化でコンサートに足を運ぶ客は少なくなっています。豪華ゲストで集客しようとしたものの、かかった費用がさらに重くのしかかっていたのです」(同)
加藤氏が高利の不動産担保金融に手を出すのは、この後のこと。しかし、利払いに耐え切れなくなり、夏ごろから記念館の売り先を探し始めていた。
美空 ひばり(みそら ひばり、1937年(昭和12年)5月29日 - 1989年(平成元年)6月24日、52歳没)は、日本の歌手、女優。神奈川県横浜市磯子区滝頭出身。横浜市立滝頭小学校、精華学園高等部(現・東海大学付属市原望洋高等学校)卒業。
12歳でデビューして「天才少女歌手」と謳われて以後、歌謡曲・映画・舞台などで活躍し自他共に「歌謡界の女王」と認める存在となった
船村 徹(ふなむら とおる、1932年〈昭和7年〉6月12日 - 2017年〈平成29年〉2月16日[1] 84歳没)は、日本の作曲家・歌手。
栃木県塩谷郡船生村(現、塩谷町)出身。日光市立今市中学校、東洋音楽学校ピアノ科卒。
獣医だった父親がクラシックレコードの収集家であったことや、小学校時代にブラスバンド部でトランペットを吹いていたこと[2]などもあり音楽の道を志す。
東洋音楽学校在学時はまだ駐留米軍が数多くいた時代であり、船村は米軍キャンプ専門のバンドでそのリーダーを務めたこともあったという。大学在学時に、作詞家の高野公男と組み作曲活動を開始した。ただ、高野とともに、生活は困窮を極め、バンド・リーダーのほか、流しの歌手なども経験する。
星野 哲郎(ほしの てつろう、本名:有近 哲郎、1925年9月30日 - 2010年11月15日、85歳没)は、日本の作詞家であり、戦後歌謡界を代表する作詞家の一人。各所で「星野哲朗」という表記がされることがあるが、「哲郎」が正しい表記。「有田めぐむ」「阿里あさみ」など、数多くのペンネームが存在する[1]。
山口県大島郡森野村(後に東和町→現・周防大島町)出身で、東京都小金井市に在住していた。 妻(1994年没)との間に一男一女がおり、長男はシンガーソングライターの有近真澄。