<カレー和食品=ライフライン製品=国内供給率160%、国内消費率100%、設計技術ブラックボックスレベル化カレー和食商品海外輸出比率60%、一極依存ゆでガエル化回避(注1)、リスク分散多極メッシュ輸出NW構築、海外貿易収支黒字化寄与、国家財政黒字化寄与、保健・医療・介護・福祉予算財源増加、消費税軽減、貧富格差解消、三権分立普通選挙議会制自由民主主義議員内閣制弧状列島日本の継続的なGDP増加・税収増、所得再分配・社会福祉予算増・繁栄に寄与か>
(注1)焦点:一帯一路・海外遠征・戦狼外交、国家安全維持法=国内・域外・事後遡上適用・法=施行、共産党一党独裁政府、中国依存のドイツが味わう「ゆでガエル」の恐怖
https://jp.reuters.com/article/germany-china-idJPKBN1HO07I
<コストカッター=モラルカッター=銭ゲバ出現か>
(注1)シントウ・ヒサシ。日本電信電話初代社長。
1月26日、石川島播磨重工業の元社長で、NTTの初代社長を務めた真藤恒さんが、肺炎のため死去。92歳。
1910年、福岡県生まれ。九州帝国大学卒業後、播磨造船所に入社。戦後、NBC呉造船所に移籍。60年、合併により石川島播磨重工業が誕生すると造船部門の最高責任者となり、72年には社長に就任。船の標準設計方式を取り入れコスト削減を図ったことで「ドクター合理化」と異名をとった。相談役に退いた後、81年に「ミスター合理化」と呼ばれた同社出身の故・土光敏夫経団連名誉会長に請われ、民間出身者としてはじめて日本電信電話公社総裁に就任。同公社民営化に手腕を振るい、85年4月のNTT発足で初代社長に就任、88年会長に退くも、未公開株の譲渡をめぐるリクルート事件に関与し引責辞任。89年にNTT法違反容疑で逮捕。翌年、有罪判決を受け、控訴せず公職から身を引いた。著書に「造船生産技術の発展と私」「習って覚えて真似して捨てる」「NTTを創る」などがある。
https://imidas.jp/hotkeyperson/detail/P-00-206-03-02.html
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2020/11/02 11:15
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宗次 徳二(むねつぐ・とくじ)
カレーハウスCoCo壱番屋創業者
1948年石川県生まれ。72歳。74年喫茶店開業。78年カレーハウスCoCo壱番屋創業。82年株式会社壱番屋を設立し代表取締役社長に。フランチャイズシステムを確立させ、国内外の店舗で1400店を超え、ハワイや中国、台湾など海外へも出店し現在も拡大中。2005年5月に東証一部上場。1998年代表取締役会長、2002年役員退任。03年NPO法人イエロー・エンジェル設立、理事長就任。07年クラシック音楽専用ホール「宗次ホール」オープン、代表就任。
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(カレーハウスCoCo壱番屋創業者 宗次 徳二)
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■そこでしか食べられないものを提供しているのだ
〇お客様が求めているのは「満足」することである
飲食業が提供する商品は買い回り品ではない。ココイチのカレーはココイチでしか食べられない。どこの店でもそこでしか食べられないものを提供しているのだ。それなのになぜ安売りをするのか。業界ではココイチが値引きをしないで発展したのは七不思議の1つだと言われるが、私には安易に値引きをするほうが不思議である。
■コストダウンは得るものより失うもののほうが大きい
〇出血サービスをする前に「心のサービス」を徹底する
そのチェーン店ではライバル対策の格安商法で売上を伸ばし、利益を維持しようとしていた。価格を下げて利益を得ようと思えば、代わりに何かを削る必要がある。その時にまず削られるのは人件費その他経費、そして仕入れ価格である。人件費を削る一方で現場の忙しさは倍増する。ミスも出やすくなり、従業員は疲労困憊する。これでは笑顔でお客様をお迎えするどころではない。最低限の日常業務すらおろそかになるのが目に見えている。実際、運営もだらしなくなり、強盗事件が頻繁に起きていた。これでは本末転倒である。
お客様に満足していただくためには、出血サービスよりも心のサービスを高めることのほうがはるかに大事である。
■名古屋の喫茶店だけど「モーニング」をやらなかった
〇経営の素人だからこそ「ユニークなビジネス」が生まれる
常連のお客様に専用カップを購入していただき、そのカップでコーヒーをお出しするマイカップサービスや、お客様の好みに応じてサンドイッチの辛子を抜くなど、独自の細やかなサービスでおもてなしした。具材にこだわった妻が開発した手づくりの軽食も大人気だった。
ココイチを始めてからもこの姿勢は変わりなく、お客様にも社員・スタッフにも取引先にも喜んでいただけることをいつも一番に考えた。また、社員ののれん分けでも全国展開でも、フランチャイズビジネスのパッケージそのものが独特で自己流だった。
■一番いいやり方を焦らずに見つけることが成功の秘訣
〇じっくりでいいから「成功事例」を積み上げていく
・ブルームシステムの“発明”であった。入社して現場で実践を積み、一定レベルに達したら独立させるという制度を発足させたことで、独立を目指す優秀な人材が続々と集まってくるようになった。このシステムを導入したことにより、短期間で人間性を見極める難しさが付いて回ったFC加盟店の募集を早々に打ち切ったのである。
徹底した現場主義で道なき道を自分たちで切り開くことによって、壱番屋は着実に発展を続けたのだ。
■あえてお客様とは会話をしないという「サービス」(注1)
〇「スタッフの人気」でお客様に来ていただくような店にはしたくない
・もちろん喫茶店は地域密着の店だから、常連客は大切にしたい。
そこで専用カップにコーヒーをいれるプランを考えたのである。それがどんどん売れて、150種類ほどのコーヒーカップが棚にずらりと並んだ。常連さんがお見えになると、顔を見ただけでカップに手が伸びるようになった。だから、顔はしっかり覚えていたのだが、話しかけられてもせいぜい2往復の会話をするぐらいで、それ以上は話さないようにした。もちろん、常に感謝の笑顔は欠かさなかったから、不愛想であったわけでは全くない。